ジェットは騎士団長になるのやめるんだってさ
ジェットの姉であるマリは、ジェットについて憂いでいた。
同性同士の恋も応援しそうなぐらいに。
それもそうだろう。
次代の騎士団長は確実と目されている有望な跡継ぎが、学園卒業後には相続権を捨てて辺境の地で冒険者になろうとしているらしいのだ。
「あいつがそんな馬鹿な事を考えていたとは」
私は頭を抱えるしかない。
彼の思考は何がどうなってそんな考えに至ってしまったのだろうか。
「ジェットから直接その話を聞かれたのですか?」
「いいえ。アンバーから聞いたの」
アンバーとはジェットの弟だ。
一番母親に似ている上にオブシディア家姉弟の末っ子と言う事で、家族一丸となって甘やかしているとジェットが言っていたと思い出す。
「アンバーが」
「ええ。アンバーが私を訪ねて来て、ジェットとお父様が伯爵位を継ぐ継がないで大喧嘩をしていたと私に相談してきたの」
「では、ジェットから聞いた話じゃないのですね。彼は親の威光で出世をしたくないようなことを言っていましたから、伯爵家の後ろ盾無しで騎士団で研鑽したいと考えているだけなのでは無いでしょうか」
「でも、」
「ご心配なのはわかります。ですが、卒業後は相続権を捨てて冒険者になるなんて、彼の口からはっきり聞かれた話ではないのでしょう?」
「だけど、そうに違いないのよ!!」
マリは癇癪混じりの声を上げるやすぐに、淑女らしく自分の失態を恥じるように顔をしかめた。違う。顔をしかめたのは、言葉だけでは私を説得できないと確信したからであろう。彼女は自分が座っているソファに置いてある数冊の本から一冊を取り上げ、その本をずずいと私へと突き出してきたのだ。
これこそが裏付けとなる予言の書だ、という風に。
私は受け取り、表紙を見下ろす。
「白き王子と宵闇の騎士の孤独? ジョセファント・ジレ作。知らないな」
「男の子が知らなくて当たり前ですわ。それは女性達の秘密の本ですの」
「男性が知らない本ならば、ジェットには関係ないのではないですか?」
「いいから読んで。読めばわかるわ。あの子の今の状況と途中まで一緒なの。宵闇の騎士は全てを捨ててしまうのよ。あの子はこの本と同じ道を進むつもりなの。きっと、宵闇の騎士と同じに、辺境に行ってしまうに違いないわ!!」
貴族の令嬢は夢見がちなものだと聞いていたが、現実と虚構を一緒くたにしてしまう程とは思わなかった。確かに、貴族女性がみんなこんな感じならば、私がいくら自分が女だと主張してもジェットが信じないのは分かる気がする。
私は時々親父殿に、「夢がない生き物」と罵られている。
金があるなら不動産買って、老後のために貯金するものだろうに。
「あの、とりあえずジェットの辺境行きは、まだ確定じゃない、ですよね」
「確定事項よ。まず、読んでみて!!」
私は意外にずっしり来る本の重さに溜息を吐く。
本を読むのは好きだけどね。人から押し付けられたノルマになると、途端に嫌な存在にならない?
「わかりました。目を通しておきます」
「感想もお願いね。流れに矛盾があったとか、実際はどういう求められ方が良いのか、男性目線だったらどんな褒められ方がツボなのか、など、アドバイスが貰えると嬉しいわ」
「まるで本を書いた本人みたいな」
「アハハハ」
棒読みの笑い。まさか本人か。
ということは、ジェットについての相談は、マリさんの妄想か。
……もうヤダ。オブシディア家の人達は思い込みが激し過ぎる。
「創作ものと現実は違いますよ」
「私の作品は人物表現がリアルだって評判です。夜会で見聞きしたことから想像を膨らませて設定してますし、実在の人間をモデルに人物造形してますのよ。ちゃんと取材だってしております」
「有名なあなたが取材されているなんて、聞いた事がありませんが」
「ふふん。きっちりと平民風に髪を結い上げて眼鏡をかけただけで、誰も私に気が付かなくなるの。私が作品に掛ける情熱を、神様が応援してくれているのよ、きっと」
たぶん、武が突出している家だから、隠密スキルが簡単に発動できるようになったのだろうな。
私が彼女の存在に気がつかなかったのは、きっとそのスキルのせいなのだろう。
「それでシャムル夫人。この本の宵闇の騎士のモデルが、ジェットなのですか?」
おほほと空々しい笑い声をあげた貴婦人は、少しだけね、と呟いた。
それは嘘で、彼女が思うジェットをまんま書いたはずだ。
ならば、絶対に本物のジェットから乖離しているはず。
「読んでね。それで教えてね」
「え、あ」
「姉さん。ディに何を渡しているんだ!!」
ジェットは大声だけでなく疾風も飛ばした。
私の腕からマリの本は飛ばされ、ソファを越えて床に落ち、そこで本は火に包まれて一瞬にして灰になる。
「私の本になんてことを!!」
「人を腐らせる本など焚書にされるべきだ!!」
自分の姉を怒鳴りつけ、それから彼は自分の姉から私を守るように私の真横に腰を下ろした。私が押し倒されるって錯覚しちゃうぐらいの威圧を出して。
危機迫るぐらいにとっても真剣な目は、マリの本で私が翻弄されてしまったと思ったからだろうか。
マリの言った事は全部彼女の妄想だ。
うん、ちゃんと信じるよ。
私は自分に覆い被さる男を落ち着かせなきゃと、彼に向かって右手を伸ばした。
ガシ。
私の右手はジェットの両手に包まれた。
私に向けられた真っ黒の瞳は鬼気迫っている。
「体は? 何ごとも無いか?」
ジェットのこの必死さに、私の胸はホワッと温かくなる。
なんだかんだ言っても、ジェットは私を大事にしてくれるのだ。
「ぜ、全然平気。ごめん、五分タイマーが上手くいかなかったみたい」
「それは上手く行っていたよ。殿下が狸寝入りの罰だって、君にスリープを重ね掛けしたんだ。体に負担がかかり過ぎただろ? おかしなとこは無いかな?」
殿下め、私を殺す気か?
あと、殿下がお前の一番だとしても、殿下の無謀は止めろよ。
いや、それは良いか。私が悪い。今はまず確かめる方が先だ。
アンバーが聞いたという、相続権放棄の親子喧嘩をしたのかどうか。
「今後についてちょっと確かめたい事がある。嘘偽り無しで、いいか?」