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第11音《歪音:律の根、揺らぐとき》

第11音《歪音:律の根、揺らぐとき》


◇アバン《問いの残響》(M1)


翌朝。神響女学院、音楽準備室。


窓から差し込む初夏の光が、埃をまとった楽器棚を照らしている。


紫月澪は一人、ギターを膝に置いたまま、動いていなかった。


弦を爪弾く。Cメジャー。


正しい音が、正しく鳴る。


「……」


なのに、昨日からずっと、何かが引っかかっている。


律に"従う"と、律を"信じる"は――同じではない。


ディストノームの声が、耳の奥に張り付いていた。


澪はずっと、音を「耳で掴む」ことが自分の強さだと思ってきた。絶対音感。スケールの把握。コードの逆算。どんな転調にも、耳で追いつける。


だから第九音の転調バトルも、乗り越えられた。


でも――「信じる」は耳で掴めない。


澪はもう一度、弦を鳴らした。


音は、正しかった。


心は、応えなかった。



Scene 1《朝の準備室、澪の独白》


「おはよ、澪」


ドアが開いて、詠が顔を出す。手にはパンの袋。朝ごはんをここで食べるつもりらしい。


「……おはよう」


「なんか、ぼーっとしてる。ゆうべ寝れなかった?」


「……少し」


詠が隣に腰を下ろす。パンを一口かじりながら、澪のギターをちらりと見た。


「昨日のこと、まだ考えてる?」


澪は答えない。それが答えだった。


「私も、ちょっと考えてた」


詠が膝を抱える。


「"信じる"って言われてもさ……なんか、ふわっとしてるじゃない。律を信じるって、具体的に何をすればいいの、って」


「……わからない」


澪が静かに言う。


「私はずっと、耳を信じてきた。音を聴いて、分析して、正しい音を選ぶ。それが私の弾き方だった」


「……でも昨日、あいつに言われた瞬間、急に」


澪の指が止まる。


「自分が"信じて"弾いてたのか、それとも"正しいから"弾いてただけなのか、わからなくなった」


詠が、小さく息を吐く。


「……それ、怖いね」


「ああ」


二人の間に、静かな朝の空気が流れた。



Scene 2《ディストノーム、再臨》


昼過ぎ。


水律祭の準備が始まった中庭に、再び空間の歪みが走った。


「――来た!」


天音が真っ先に気づき、声を上げる。


裂けた空から、灰白のスーツが静かに降りてくる。


ディストノーム「約束通りだ」


その声は昨日と変わらず冷えていた。


「今日は"根"を壊しに来た」


ディストノームが右手を持ち上げると、空間に五線譜が展開される。だが昨日と何かが違う。音符の位置が――微妙にズレている。


詠「……何をするつもり」


「簡単なことだ。"美しい"の基準を、逆転させる」


その瞬間、ディストノームが弦のない空気を弾くような動作をした。


音は鳴らなかった。


しかし、世界が――変わった。


澪「……っ」


澪の顔色が変わる。


Cメジャー。美しいはずの和音が、不快に響く。


耳の奥で、何かが軋む。



Scene 3《絶対音感の崩壊》(M3)


《歪律波動・反転律場》が展開される。


それは音を消す攻撃ではなかった。

音を――「逆」にする攻撃だった。


協和音が、不快になる。

不協和音が、心地よくなる。


澪「……なに、これ」


耳が信用できない。


ドミソが、痛い。

トライトーンが、落ち着く。


澪のギターが、震える。


今まで積み上げてきた音感の全てが、逆さまになる感覚。正しいと思って押さえたコードが、自分の耳に刃として返ってくる。


澪「……弾けない」


初めて、そう思った。


詠「澪!?」


澪が膝をつく。ギターを押さえる指が、止まっていた。


ディストノーム「どうした。"耳で全てを掴む"のではなかったか」


その声が、静かに降ってくる。


「君の耳は正確だ。だから余計に、今は辛いだろう。正確に聴けば聴くほど、正確に"不快"が返ってくる」


「……うるさい」


澪の声が、震えている。


「君の耳は、私の律場を正確に認識している。つまり――君の耳は、今この瞬間、"協和音は不快"という律に従っている」


ディストノーム「さあ、教えてくれ。律に"従う"君には、何が"正しい"音に聴こえる?」



Scene 4《四人の奮闘と、澪の内側》


澪が崩れたことで、陣形に穴が開く。


詠「澪は私が守る! みんな、前に出て!」


天音「おう!」


天音の太鼓が鳴る。だが、その音も反転律場の影響を受け始め、叩くたびに微妙に歪んだ響きが混じる。


天音「……なんか、気持ち悪い音がする。でも」


天音が歯を食いしばる。


「関係ない。リズムは止めない」


打面を叩き続ける。歪んだ音の中でも、拍だけは正確に刻む。


理央「……天音、その判断は正しい」


理央のベースが、低音を這わせる。反転律場の中でも、最低域の音だけは影響を受けにくい。理央はその隙間を見つけ、根音だけを淡々と押さえていく。


理央「感覚が信用できないなら、理論で補う。ルートがあれば、構造は保てる」


琴羽「わたしも……!」


琴羽がシンセに触れる。和音を出そうとして、その不快感に顔を歪める。だが、単音なら――まだ、出せる。


琴羽「一音ずつ、でいいよね……みんなに、届けるから……!」


細い音が、空間に伸びていく。


一方。詠の背後で、澪は膝をついたまま、ギターを見ていた。


(どうして。どうして弾けない)


正しいコードを押さえれば、耳が痛む。

だったら、正しくないコードを弾けばいいのか。


(それは、"正しい"音楽なのか)


澪の頭の中に、ディストノームの言葉が繰り返される。


律に"従う"と、律を"信じる"は――同じではない。


(じゃあ私はずっと、"従って"いただけだったのか)


(私の音は、ただ正確なだけで……誰かに届いていたのか)


詠「澪! 澪、聴こえてる?」


詠の声が、降ってくる。


「聴こえてる」


澪は答えた。


「……でも、弾けない。どの音が正しいのか、もう」


「わからない」


詠が、澪の前にしゃがみ込む。


「ねえ、澪」


「……なに」


「澪がいつも弾いてくれる音、私、好きだよ」


澪「……は?」


「理論とか、スケールとか、そういうのじゃなくて」


詠が、真剣な顔で続ける。


「澪の音が好き。澪が選ぶ音が好き。あの音聴くと、なんか、背中が伸びる気がする」


「……それは」


「理論でそうなってるわけじゃないじゃん。私がそう感じてるだけ。でも」


詠の目が、まっすぐ澪を見る。


「それって、嘘だと思う?」



Scene 5《澪の答え》


澪は、詠の顔を見た。


嘘じゃない、と思った。


詠は嘘をつくタイプじゃない。感じたことをそのまま言う。それが詠の音楽でもある。だから澪は詠の歌が、少し、羨ましかった。


(理論じゃない)


(耳じゃない)


(でも、届いてる)


澪は、ギターを見た。


反転律場の中で、協和音は不快だ。正しい音は、今この空間では痛みになる。


(だったら)


澪の指が、弦に触れる。


(正しいかどうかじゃない。私が、弾きたい音を、弾く)


Cメジャー。


耳が痛む。でも今は、その痛みが――正しい気がした。


なぜなら、この音は「正確だから」選んだんじゃない。


「詠の声に合わせたい」から、選んだ。


澪「……わかった」


澪が、立ち上がる。


「律は、耳で決まるんじゃない」


ギターを構え直す。


「誰かに届けたいと思った瞬間に、決まる」


澪「……それが、私の答えだ」



Scene 6《反撃:歪みの中の選択》(M6)


澪のギターが鳴る。


協和音。反転律場の中で、本来なら不快なはずの音。


でも澪は、眉一つ動かさない。


「耳が痛い。でも」


スライドが走る。コードが変わる。澪の指は迷わない。


「これは、私が選んだ音だ」


ディストノーム「……」


ディストノームの目が、わずかに細くなった。


詠「澪……!」


詠がマイクを握る。澪の音に、声が乗る。


天音の太鼓が、拍を取り戻す。


理央のベースが、根音を打ち込む。


琴羽の単音が、和音へと膨らんでいく。


五人の音が、反転律場の中で、鳴り続ける。


歪んでいる。不快かもしれない。でも、止まらない。


ミヨリ「……これじゃ。これが祝音の律じゃ!」


「音楽が美しいかどうかは、耳が決めるんじゃない。届けたいと思う心が、決める!」


ディストノーム「……馬鹿な。律場を無視して鳴らし続けるだと」


「無視してない」


澪が、ディストノームを見据える。


「あなたの律場の中で、ちゃんと聴こえてる。協和音が不快なのも、全部」


「その上で、弾いてる」


「"正しい"から弾くんじゃない。届けたいから、弾く」


「それが――律を、信じるってことだ」


ディストノームの五線譜が、揺らぎ始める。



Scene 7《必殺・五音共鳴、ディストノーム撃破》(M7)


詠「みんな……最後の一音、合わせよう」


五人が、視線を交わす。


言葉はいらなかった。


澪がコードを押さえる。詠が息を吸う。天音がスティックを構える。理央が弦に指を添える。琴羽が鍵盤に手を置く。


「「「「「《ファイブスケール・リゾナンス》――!」」」」」


五色の光が、一点に収束する。


反転律場が、内側から弾ける。


歪んだ五線譜が砕け、空間に正しい音階が戻ってくる。協和音が、美しく響く。


「……!」


ディストノームが、後退する。スーツに亀裂が走り、ノイズの粒子が散る。


今度は、膝をつかない。


それでも、立っていられなかった。


ディストノーム「……律を、信じる、か」


崩れながら、その声だけは、静かだった。


「私はずっと……律が壊れることを、見てきた。信じた音が、裏切ることを」


「だから……根から、壊そうとした」


澪「……あなたも、届かなかった人なんだ」


ディストノームの動きが、止まる。


澪「音が、誰かに届かなかった。だから、意味がないと思った」


「……違う」


ディストノーム「私は……」


最後まで、言葉は続かなかった。


黒いノイズの粒子が、空間に溶ける。


今度こそ、完全に。


静寂が、戻った。



Scene 8《余韻・澪の独白》


戦闘が終わり、五人は中庭に立っていた。


水律祭の準備をしていた生徒たちは、気づけばどこかへ去っていた。空は青く、風が吹いていた。


澪は、ギターを下ろす。


「……ねえ、詠」


「なに?」


「さっき言ってた。私の音が好き、って」


「うん、言った」


「……なんで」


詠が少し考えて、笑う。


「わかんない。でも好きなもんは好きじゃん」


澪「……そっか」


澪は空を見上げた。


律を"従う"と、律を"信じる"は違う。


今ならわかる。


従うのは、正しいから選ぶことだ。信じるのは、届けたいから選ぶことだ。


澪は今日、初めて「信じて」弾いた。


耳が痛くても。正しくなくても。


詠に、届けたかったから。


「……私、またギター弾いていい?」


「え、なんで許可取んの」


「……なんとなく」


澪がギターを構えると、指が自然に動いた。


Cメジャー。今度は、美しかった。



Scene 9《次なる影》(M9)


一方、ノイズ本部。


ディストノームが消滅したことを、モニター越しに確認している影があった。


その影は、長い黒髪を持ち、9弦のギターを膝に置いていた。


「……また、下が負けたのね」


声は低く、感情を抑えたように静かだった。


「でも」


彼女の指が、9弦の一本を弾く。


音が、空間を歪ませる。


「面白くなってきた」


その瞳が、モニターの中の五人を映す。


「連勝が続けば……必ず、驕る」


「そのとき、私が行く」


カナミ=リクレインが、静かに微笑んだ。


(第12音《束音:連勝と、綻び》へ続く)


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