41.神秘なエージェント
休みの初日、安藤は自宅の掃除を始めた。
玄関のカレンダーに目をやると、見慣れたものとは少し違う配置が目に入った。
タイレン星の1年は地球よりも短く、315日しかない。1ヶ月は30日で構成され、奇数年は10ヶ月、偶数年は11ヶ月となっている。
今年は大炎紀147年、すなわち西暦1033年にあたり、今年は10ヶ月しかない年だ。
「小可、無理するなって!俺がやるよ!」
朝早くから安藤が働いているのを見て、丞は慌てて布団から飛び起きた。
「休んでていいよ。今日はバイトに行くんだろ?」
安藤は彼の申し出を断った。久しぶりに帰ってきたのだから、多少家のことをするのも悪くないと思っていた。
丞はそれ以上何も言わず、簡単に身支度を整えて朝食を作り、急いで仕事へ向かった。
「これが労働者ってやつか……」
安藤は彼の去っていく背中を見送り、苦笑を浮かべた。
丞は多額の借金を抱えており、取り立て屋に追われる日々を送っている。そのせいで二人は各地を転々とする生活を余儀なくされていた。
特にこの世界では丞が抱える借金額がとんでもなく多いようで、以前自分が火を放ったハゲ頭の取り立て屋が言っていた額はなんと1万金元だった。
炎国の通貨には銀元と金元の2種類があり、硬貨と紙幣の両方が流通している。それぞれ国家が信用を保証しており、大炎国内で使用できる。
銀元の購買力は以前体験済みだが、金元は銀元の50倍の価値がある。つまり、丞は50万銀元もの借金を抱えている計算になる。
これだけの金額、安藤には到底信じられなかった。きっと悪徳な取り立て屋が利息をどんどん上乗せした結果、元の額とはかけ離れているに違いない。
一般教師の月給が2000〜3000銀元だというから、この額を返済するには十年以上もかかる計算だ。
「吸血鬼どもが血を啜ることしか考えてないな……」
安藤は毒づきながらモップを握り締め、汚れを力任せにこすり取った。その様子はまるで取り立て屋たちを退治しているかのようだった。
「ギィ……」
丞が出て行った際、ドアがしっかり閉まっていなかったのか、秦野秦野が静かにドアを押して入ってきた。
入ってみると、安藤が狂ったように床を拭いているところだった。
「え……」
秦野は一歩踏み出したところで動きを止め、立ち尽くしてしまった。自分の入場が間違いだったかと思い、引き返したくなるほどだった。
安藤は背後での物音に気づかず、振り返ったとき初めて彼女の存在に気づいた。
「お、おはよう。」
先ほどまでの安藤の様子は消え失せ、一瞬で手際よく優雅な動きに切り替わった。まるでさっきの安藤が別の世界線に存在していたかのようだった。
「今日は後で一緒にメニューを考えに来たのよ。明後日はお正月でしょ。」
秦野は紙とペンを持ちながら歩み寄り、すでにいくつかの食材や料理名が書かれているリストを見せた。
「この‘はさみくち魚’って何?」
安藤はリストをじっくり見たが、見慣れないものがいくつか載っており、どれもタイレン星独特の特産品のようだった。
「これはルーミン市でよく獲れる海魚よ。漁に出たら大抵これが獲れるの。身が柔らかくて、骨が少ないから食べやすいのよ。」
「へぇ……」
安藤は新しい知識を得て、心の中で「成就ポイント+1」と呟いた。
「で、これは?」
「これは北部のカイゲン市の特産よ。炒めて食べるとシャキシャキした食感が楽しめるわ。」
「ふーん……」
安藤は頷きながらメニューを確認していったが、料理に関してはまったくの素人だった。彼が作れる料理はこの世界には見当たらないものばかりだったが、似たような味のものがあるおかげで、食堂の食事にはすっかり慣れていた。
二人は午後にスーパーへ買い物に行くことに決めた。安藤は「こんなにたくさんのものを女の子一人で運ぶのは大変だろう」と考え、買い物に付き合うことを快諾した。
「君のご両親もここに住んでるの?」
安藤はふと疑問に思い、尋ねた。秦野と顔を合わせるたび、彼女の家族の姿を見たことがなかったからだ。
「父はずっと遠くで仕事してて、母は毎日帰りが遅いの。繁華街で屋台をやっているから、会えなくても無理はないわ。」
早起きの安藤でも、彼女の母親が市場で仕入れをする時間には到底間に合わないのだった。
二人は近所の便利スーパーにやって来た。豪華な装飾はないが、値段が手ごろで、この周辺の住民に人気の店だ。
本来ならただの買い物のはずだったが、レジ周りで起きたちょっとしたトラブルが安藤の注意を引いた。
安藤の前に並んでいたのは帽子をかぶった黒い服の男で、袋を一つ持って会計を済ませた後、店を出て行こうとしたその時——
「待ちなさい!」
突然レジ係が声を上げた。「この人、偽札を使ったわ!」
黒服の男は一瞬肩を震わせたが、逃げ出すことはせずにレジへ戻り、別の紙幣を出して支払いを済ませると、何も言わずに去っていった。
「偽札?」
安藤は驚いた。この世界にもそんなことがあるのかと思い、これから外出する際は気をつけようと心に決めた。
彼はつい精神力を使い、その男の内情を探ろうとしたところ、意外な事実に気づいた。
「彼も魔法使い?」
その男の体から明らかに魔素の波動を感じ取ることができた。しかし、秦野ほど強いものではなく、低階位の魔法使いのようだった。
「この男、見覚えある?」
安藤は秦野に尋ねた。彼女はここに長く住んでいるので、周辺の人々には詳しいだろうと思ったのだ。
「最近引っ越してきた人かもしれないわね。以前は見たことがないわ。」
秦野は首を振りながら答えた。
「妙な奴だ……」
「事なかれ主義」で行動することにした安藤は、それ以上深追いしないことにした。一人でいたなら尾行して調べるところだが、今日は秦野が一緒だったため、派手な行動は控えることにした。
「お会計は187銀元です。会員カードはお持ちですか?」
「持ってます!」
秦野は慣れた手つきで会員カードを差し出し、割引を受けて9割の価格にしてもらった。そのおかげで結構な額を節約できた。
安藤は思わず笑ってしまった。「これこそが節約上手ってやつだな。俺、まだこの世界には馴染めてないな。」
安藤が大半の荷物を持ち、家へ急いで帰った。その道中、先ほどの黒服の男を再び見かけた——いや、正確にはその存在を感知した。
その男はすでに黒い服から淡い緑のジャケットに着替え、帽子を脱ぎ、眼鏡をかけていた。もしも先ほど魔素の波動を覚えていなければ、同一人物だと気づくことはできなかっただろう。
「怪しい!」
訓練を受けた潜伏工作員のような動きに、安藤の警戒心は一気に高まった。
そのジャケット姿の男は十字路のベンチに座り、新聞で視線を隠しながら、バスを待つ人々の中に溶け込んでいた。
安藤が意識して観察しなければ、この男の存在には気づかなかっただろう。
安藤は秦野を家まで送り届けると、すぐに再び街へ戻った。しかし、わずか2分ほどの間に、その男の姿は完全に感知範囲から消え去っていた。
「一体何者なんだ……」
安藤は拳を握りしめた。「次に会ったときは、絶対に逃がさない。」




