1.タイレン星……?
「坊や、俺のこの気功秘法、一冊三円、三冊で十円、買ったら絶対にお得だぞ!」 家の近くの路地の前で、ぼろぼろの服を着て、胸の前に本をぶら下げたおじさんが安藤一可(Ando ichika)に話しかけた。
「おじさん、俺が毎日帰ってくるたびに同じものを勧めてくるけど、疲れないの?」 安藤一可は、すでにここにほぼ一ヶ月間居座っているおじさんを見て、眉をひそめながら尋ねた。
「いやぁ、これも生活のためだよ。どうだい、一冊買ってみるか?」 おじさんは誠実そうに尋ねた。
安藤は少し心を動かされ、昼ごはん代の残りである十元をポケットから取り出した。本当はそのお金でマンガを買おうと思っていたのだ。
「どんな本があるの?じっくり選ばせてよ。」 安藤は前に進み、おじさんが慌てて本の入った袋からぼろぼろの絵本を取り出すのを見ながら、適当に一冊を選んだ。
「『気体源流』?ちょっと斬新だな?」 安藤は笑った。『異人』という作品を読んだことがあり、こういう絵本屋でも時代に追いついているのが面白かった。
「これにするよ。」 十元をおじさんに渡し、振り返らずにそのまま家に向かって歩き出した。
「お釣りだぞ!」とおじさんは後ろから叫んだ。
「後でまた買う時に差し引いてくれ!」
階段を登る間に本を軽くめくった安藤だが、すぐに興味を失った。
「なんだこれ……気を丹田に込めるだって?そんなの誰だって言えるよ、子供騙しじゃん。」 そう言って、本を角に投げ捨て、ベッドに倒れ込んで軽く休憩することにした。
「あと30分だけ寝たら、勉強しよう……絶対勉強するんだ……」
……
しばらくして、小さな鍵を回す音が響いた。
周りをキョロキョロ見回しながら、素早く中に入り、静かに扉を閉め、鍵も掛けた。
「父さん、帰ったのか?」 言わなくても分かる、これは自分の父、安藤丞(Andou Jou)だ。
安藤はその姿を見ても驚かなかったが、今日はいつもと少し違う様子だった。家賃の取り立てから逃げるために、少し変装でもしたのかもしれない。
「一可、荷物をまとめてくれ、引っ越しの準備をしよう。」 「今度はどこに逃げるんだ?」
「逃げるってなんだ?ただの引っ越しだよ。お前のためにちゃんと学校を見つけたんだ、絶対にそこに行かなくちゃいけない。」
安藤は小さく文句を呟きながらも、丞には聞こえないようにして、黙って荷物を片付けた。
「ん?あの絵本、どこに行ったっけ?見当たらないぞ?」 上下左右を探しまわったが、あの十元で買った絵本をどこに置いたか思い出せない。
「準備できたか?運転手がもう下で待っているぞ。」 丞に催促され、安藤は絵本のことを諦め、リュックを背負って階段を下りた。
「父さん、今の学校で結構うまくやってるんだ、転校なんて必要ないだろ?」
「お前のおじさんとの約束があるんだ。どうしてもお前を魔法学院に送らなきゃならない、これは絶対に守らなきゃいけないんだ。」
「おじさん?……え?何?」
安藤は耳を掻きながら階段を下りる足を少し止めた。自分は聞き間違えたのか?
「どんな学校に行くんだって?」
丞は振り返り、安藤に向かってこう言った。
「魯明魔法高校だ。魯明市で一番の魔法学院だぞ。俺がツテを使って見つけたんだ。お前が入学試験にさえ合格すれば、そこで勉強できるんだ。」
「いやいやいや、さっきから何を言ってるんだ?」
安藤は戸惑いながらも、二人はようやくビルの外に出た。遠くの風景に目をやると、それは一生忘れられない光景だった。
遥か彼方、雲に隠れて少し霞んでいる中に、光を放つ巨大な塔がそびえ立っている。塔の頂上には三つの柱に囲まれた巨大な火球があり、空の上でゆっくりと回転している。
数十キロ離れていても、その歪んだ空気から伝わってくる恐ろしい熱を感じ取ることができた。
「な、な、な、なんだあれは?」
見たことのないその光景に、安藤は丞に振り返ったが、彼の表情は至って普通だった。
「定海神塔だよ、お前毎日見てるじゃないか?」
丞は安藤の様子を少し不思議そうに見たが、時間がなかったので、急いで車に乗り込んだ。
「運転手は?待ってるんじゃなかったのか?」 安藤は後部座席に座り、前の運転席が空いているのを見て言った。
丞は前座席の背もたれを軽く叩くと、運転席に虚像が現れた。
「シートベルトを締めてください。」
運転手は冷たく言った。
丞はシートに寄りかかり、右下のボタンを押すと、無形の空間から二本のシートベルトが出現し、しっかりと身体を固定した。
安藤は驚きのまま、運転手の不機嫌そうな視線で我に返り、丞の真似をしてシートベルトを締めた。
「これ、何の技術だ?ホログラムか?……いや、これは魔法か?それとも他の技術?」
車は驚くほど安定して進んでいた。安藤は全く揺れを感じず、電車に乗るよりも快適だった。
車内では誰も話さず、安藤はこの機会に頭の中を整理した。
「父さん、ここって地球なの?」
「地球って何だ?ここはタイレン星だ。お前、マンガの読み過ぎで頭がやられたのか?」
「タイレン星?」
安藤は記憶の海を探ったが、この名前に関連するものは一つも見つからなかった。
「今年は何年だ?」
「はぁ……」丞は呆れた顔で息子を見つめ、今日の引っ越しが息子にストレスを与えているのではないかと心配した。そして彼の頭を優しく撫でた。
「大炎147年だ。まだ何か質問あるか?」
彼は、これが息子にとって一年間で三度目の引っ越しであることを思い出し、撫でる手をさらに優しくした。
「俺たち、銀河系にいるのか?」
「ハハハ、銀河系って何だよ。ここはタイレン大陸だぞ。お前は俺の最高の息子だ、何か他に質問はあるか?我が宇宙人よ。」
「いや、もういいよ。」
そう言いながら、安藤は自分が外星人だという事実をすぐに見抜かれ、少し緊張した。
安藤が様々な風景を眺めている間、車は低空浮上して、二階建ての建物の高さを進んくらしていた。
「止まれ!泥棒を捕まえろ!」
窓の外から誰かが大声で叫び、安藤の注意を引いた。
すると、遠くから鋭い声が響いてきた。
「風鳴——利刃!」
四つの風が美しい螺旋を描きながら、約百メートルの距離を一瞬で駆け抜け、カバンを盗んだ小泥棒の四肢を正確に撃ち抜き、その人物を地面に倒れ込ませた。
「そ、それって——」安藤は口を大きく開け、街の片隅で起きた出来事を指差した。
「魔法だよ。それが魔法使いの特権だ。」
丞は淡々と説明した。
「お前は、いつかそれ以上に強くなるさ。」
安藤は遠くの姿に目を奪われていた。その人物は右手を掲げ、呪文を唱えるような姿勢を保っていた。
「魔法……これがこの世界の主旋律なのか?」
やがて車は目的地に到着し、安藤はすぐに降りて車を観察した。やはりこの車にはタイヤがなかった。
二人は車を降りて荷物を取り出すと、魔法の車は静かに浮き上がり、素早く去っていった。
「これか?」
安藤は眉をひそめて目の前の建物を見つめた。前に住んでいた場所よりも、さらに古びているように見えた。
この地区全体は城外の少し低い地勢にあり、ここから城内の高層ビルが見渡せる。建物自体は簡素で、黒青色の塗装があちこちで剥がれ、中の建材が見えていた。
近くに商業区もほとんど見当たらず、入口付近にわずかに営業している店が数軒あるだけだった。日が徐々に沈むにつれ、全体的に不気味な雰囲気が漂い始めた。
「へへ、そうだ、ここだ。」
丞は少し恥ずかしそうに手を擦り合わせた。家の経済状況では、安藤の学費を支払った後、これ以上の場所には住めなかったのだ。
安藤は特に何も言わず、大きく笑いながら荷物を持って前に進んだ。
「何階だ?」
「三階だ。」
……
簡単に寝具を敷き、リュックから生活用品を取り出して整理すると、この古びた小さな部屋も少しだけ活気が出てきた。
安藤はベッドに倒れ込み、頭を抱えながら自分に起こった出来事を考えた。
「タイレン星?タイレン大陸?魔法?」
「もし、俺が見た通りなら、すべての設備が魔法に関連しているんだろう……」
安藤はライトをつけようとして、それが天井に吸い付いていることに気づいた。さらに、自分の手で簡単に取り外せることにも驚いた。
「電気じゃないのか……じゃあ、エネルギーはどこから来るんだ?」
丞が寝室で音を聞きつけ、ドアを開けて入ってきた。安藤がライトを手にしているのを見て、急いでスイッチを切った。
「魔素は高いんだ。我々にはそんな余裕はない。今後は学校に住むことになるから、そこでは生活用の魔素は無制限だ。」
「魔素?初めて聞く言葉だけど、だいたいの原理は理解したよ。」
安藤はまだ少し混乱していたが、エネルギーが保存則に違反していないことに気づき、少なくともタイレン星は地球と同じ宇宙に属しているのだろうと推測した。
窓辺に立つと、外はすでに暗くなりつつあった。
このエリアにはたくさんの人が住んでいるにもかかわらず、灯りがついている家はほとんどなかった。大部分の窓は真っ暗だった。
遠くには、曲がった月が高層ビルの上に顔を出し、柔らかな月光を放っていた。その光を見つめる安藤の心には、かすかな迷いが生じた。
かつての友人や知人たちとは、もう遠く離れてしまったのだろうか。
この月も同じものではなく、千里共婵娟もできない。安藤は自嘲気味に笑い、頭を振った。
その時、丞がそばで静かにこう言った。
「いつか、お前は最強の魔法使いになるさ。父さんは信じてるぞ。」
安藤一可は何も言わず、数時間前には魔法なんて存在しないと思っていた自分が、明日の入学試験に合格できるかどうか心配だった。
息子の少し寂しげな表情を見て、丞は胸が痛くなった。彼の大きな手が、安藤の肩に軽く置かれた。
「安家はずっと魔法使いの血統を引いている。お前ならできるさ。父さんの代でちょっとした不運があっただけだ。」
「大丈夫だよ。心配しないで。」安藤はいつものように強い笑顔を見せた。
「コンコンコン。」
その時、ドアから礼儀正しいノックの音が聞こえ、父子二人は一瞬静かになった。お互いに目を合わせ、安藤はすばやくドアの後ろに隠れ、手近な棒を手に取った。
丞はゆっくりとドアに近づき、1メートル離れたところから声をかけた。
「こんにちは、何かご用ですか?」
「こんばんは。お隣に引っ越してきた方ですか?私、今日誕生日なんです。おすそ分けのケーキを持ってきました!」
ドアの外から、女の子の声が聞こえてきた。
二人は再び目を合わせ、丞の目には疑念があり、安藤はうなずいて、ドアを開けるように促した。
丞がドアを開けると、そこには清楚なワンピースを着た、可憐な女の子がケーキを手にして立っていた。
危険がないと判断した安藤も笑顔で近づき、こう言った。
「ありがとう、誕生日おめでとう。君の名前は?」
「秦野秋子(Shinno Akiko)です。あなたたちは引っ越してきたばかりですよね?」
なぜか、この女の子は安藤を見ると、少し後ずさりした。
安藤は彼女の視線に気づき、自分の手元を見た。まだ木の棒を持っていたのだ。
「あはは、ごめんね。さっき蚊を追い払ってただけだよ。俺の名前は安藤一可、よろしく。」
そう言いながら、棒を背中に隠して捨てた。
「こんにちは……」秦野は少し怯えた様子でうなずきながら、「ここは治安がいいんです。500メートル先に警察署もありますから、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。」と説明した。
秦野は二人の状況を理解し、ケーキを渡して「さようなら」と言って去っていった。
安藤は手にしたケーキを見つめながら、ほんのりとした甘い香りを感じた。それが今日一番嬉しい出来事だった。
「一可、この子は良い子みたいだな。」
どうやら丞はこの女の子に好印象を持ったようだ。
「ふん、俺たちにはもったいないさ。」
丞は二度ほど大笑いし、寝る準備に入った。
安藤はケーキを一口食べ、その味を楽しんだ。口の中で酸味と甘味がじんわりと広がり、今まで食べたことのない果物が使われているのに気づいた。その酸味と甘味が、長い間舌の上に留まっていた。
時刻はまだ22時。安藤はまだ眠くなかったので、窓辺に座って外の景色を眺めた。
遠くの空には、依然として赤い光が見えた。あれはきっと「定海神塔」から放たれた光だろう。この世界ではどうやってあんなことを実現しているのだろう?もしや制御された核融合を成功させているのか?
空を見上げると、先ほど見えた三日月の他に、もう一つの満月が視界に入ってきた。その光は三日月よりも深く、暗い黄色に赤みが差した光を放っていた。
「二つの月!」
安藤一可はここでようやく確信した。ここは地球ではない、と。
無力感、疲労、迷い、疑念——それらが一度に押し寄せ、彼に眠気を誘った。
ベッドに倒れ込み、徐々に夢の世界へと入っていった。