美しい悪女の初恋のお話
あるところに、それはもう大変に美人でお金持ちで、たくさんの美男子に囲まれながらも、断頭台に上ることになってしまったお姫様がおりました。
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ローズレッド・プラチナム公爵令嬢は美人である。月の光を漉いてまとめたようなプラチナブロンドに、ルビーをはめ込んだかのような鮮やかな瞳。皇族の系譜の証明の金色の虹彩に、抜けるような白い肌。吊り上がった眦の効果でほんの少しばかり意地悪そうに見えることを除けば、文句のつけようのない美しいお姫様だ。まあ、今の彼女に皇国の薔薇と呼ばれた姿はないのだけれど。
ざっくりと切り落とされたざんばらの髪は泥にまみれて固まってしまっている。白い肌は青あざが覆い、その片目は焼けただれてもう二度と開けそうにない。眼前には鮮やかに光る刃と、怒り狂った民衆の群れ。怒りをぶつける対象がいることはさぞや幸せなことだろう、ローズはぼんやりとひとりごちた。
―――…ようやく、この時が来たのね。私ようやく、幸せになれるのだわ。
誰かが投げただろう石がこめかみに当たり、ぐらりと視界が揺れた。
確かに傲慢に生きてきた自信はある。+
だってそれは当然のことだ。
神に愛された子だって言われてきた。ローズは実際、すべてを持って生まれてきた。優れた家柄、愛してくれる両親、優秀な頭脳。一つ足りなかったものがあるとすれば、それはモラルと呼ばれるものだったけれど、その不足すら彼女の前では欠点とはならず、せいぜい“きまぐれな姫君”の肩書を追加したくらいだった。
ずっと、ずうっと、退屈だったのだと思う。美しい殿方は、彼女が笑いかければほほを染めた。賭け事をしてみたって、どういうわけか勝ってばかりだった。ほしいものは買ってしまえばよかったし、買えないものは誰かにねだればよかった。国王ですら孫のように彼女を溺愛した。どんなものだって、十日と立たないうちに彼女の前へと揃えられるのだ。それですっかり飽き飽きしていた彼女が、最後に興味を覚えたものが、恋だった。
好きな人がいたわけではない。彼女は自分のことが世界で一番好きだったし、それ以外はすべからく平等に興味がなかった。自分に敵意を向ける人間ですら、彼女からすればとるに足らないものだったから。
ただ、彼女の八番目の専属のメイドが言った言葉が、妙に頭に残っていたのだった。
―――……ええお嬢様、恋は人生を輝かせてくれるものなんですよ!
それならば恋をしてみよう、と思ったのだ。
恋とはすなわち、気に入った相手を手中に収め、独占契約を結ぶこと。彼女はそう定義づけた。それはいくらかの“流行り”の恋愛小説の類を、あくびをかみ殺して読んでみた結果の答え だった。相手は誰にしようか悩んでみたが、そもそも自分に釣り合う男がいるとも思えず、とりあえず“王子様”ならだれでもいいことにした。この国で一番の王子様……つまり第一王子は、こうして相手に選出されたのだ。そういえばその傍に、なぜか平民上がりで王子になれなれしい侍女が居たけれど、当時のローズは気にも留めなかった。そんなものは蹴散らしてしまえばよい。明らかに件の王子様が彼女をえこひいきしていたって、彼女が聖女かもしれないとうわさが立っていたとしたって。そんなものは、ローズにとっては問題ではなかったから。
正直に言って、“恋愛”は楽しかった。王子に近付く貴族の娘を外国の富豪に売り払ってやった時も、王子の傍で彼女の悪口(事実に基づいた)を吹き込んでいた騎士を、わら束を咥えさせて暖炉の火にくべてやった時も。いったいどうすればいいかしら、そう頭を悩ませているのはとても楽しいことだった。
特に面白かったのは、例の侍女で遊んでいる時だった。一見すれば凡庸な娘だったが、なかなかどうして彼女は策士だった。彼女は驚くべきことに、ローズがそのターゲットに据える前からローズを敵視していたようで、様々な手を打ってきたのだった。愉快な噂(六割ほどが事実に基づいた)を流してみたり、周囲にローズの非道を泣きついてみたり、果ては毒殺暗殺エトセトラ。彼女の自分への執着には、さすがのローズも目を見張るものがあった。ただもちろん、もらってばかりでは悪いので、ローズだってしっかりとお返しをした。彼女の育ての母親を丁寧にラッピングして贈ってあげたときは、我ながらなんて素敵なプレゼントをしたものだろうと相手の反応にわくわくしたものだ。特別に、あの侍女では到底手に入りそうにない絢爛な宝石でくるんで、デコレーションされた母親の死骸を、あの娘は結局どうしたのだろう。もしかしてまだ大切にしてくれているだろうか。
気が付けば、恋愛は彼女の人生を彩る特別な存在へと変化していた。正直途中からは本命の王子様の事はどうでもよくなってしまっていたけれど、もっと素敵で愉快な人間を見つけたので問題はなかった。そう、例の侍女は特別製だった。王子様はその人間を釣るための道具に過ぎないが、このエサを使うと侍女はびっくりするほど生き生きと鮮烈に動き出す。彼女は生まれて初めて面白い人間というものを得て大いに満足した。そしてもっと鮮やかに、その生き物の人生を彩ってやることにしたのだった。
わざと、彼女の策略に乗ってやった。決定打を得られずに歯噛みしていた彼女にも、成功体験は必要だろうと思ったからだった。映像を残す水晶玉があると知ったうえで、彼女の前で自分の所業を語って見せた。結果彼女はローズの犯した事柄のすべてを明らかにし、ローズは断頭台に上ることとなった。悪事を懺悔しなさい、そうすれば死ななくても済む。そう涙ながらに語り掛ける父親が、ローズは不思議でならなかった。彼女は父にこう言った。
―――……自分の人生を豊かにして何がいけないというのでしょうか。少し人は減ったかもしれませんが、それは些細なことですもの。
そんなことより、“あの子の反応”が楽しみでならなかった。なにしろ、今はきっとこっそりと勝ち誇った笑みを浮かべているであろうあの娘のために、ローズは最後にとびっきりの贈り物を用意したのだから。
―――……死んでしまえ、魔女め!
再び投げられた石が、奇跡的に彼女の意識を引き戻した。
目の前では白いドレスの裾が揺れていた。ああ、あの侍女のものらしい。その裾をぐるりと彩る金糸の刺繍は教会のそれ、どうやらうまい具合に聖女として認められたらしかった。しかもなんとこの侍女は、実は昔失踪した隣国の、王女だったというではないか。彼女は自分の聖女たる権限と、篭絡した王子をフルに活用して、今日この日、自分の処刑日に、友好協定を宣言するとも聞いた。ああなるほど、だから王子に執着したのだなあと、ローズレッドはひそかに納得したりもしたのだった。彼女が王子に執着していることに、ひそかに嫉妬を覚えていたから。
「最後に言い残すことはありませんか、ローズレッド」
こちらにしか見えないのをいいことに、その唇の端にじわりと勝ち誇った笑みを浮かべた娘が、ローズレッドのほほに手をかける。それを確認して、ローズはうれしくなった。
「あるわ、わたくしあなたに言わなければならないことがあるの。だってこれはあなたのために、特別に用意した、特別な場なんですもの」
困惑と嫌悪で、女の顔が引きつるのが見えた。
「このために、乗ってあげたのよ。このために死んであげるのだもの」
優しくささやいて見せるさまは、まるで睦言のようだ。いやもしかすると、これこそが恋なのかもしれないと、ローズは思った。誰かのために心を砕き、その反応に一喜一憂し、相手のために手を尽くす。自分と対等な、面白い娘。彼女の視線が欲しくて、彼女のすべての表情が見たくて、彼女を独り占めしたかった。彼女に消えない記憶を、刻み込んでやりたかった。嗚呼、これこそが、恋なのだろう。
「あのね、あなたはね」
ずっと、今日まで耐えてきた。この特別なお楽しみのために、彼女はずっとその秘密を大事に胸にしまってきた。美しい完ぺきな計画の、サプライズの秘密だった。人生に初めて色をくれた存在のために、彼女がすべてを犠牲にして贈る、彼女渾身の贈り物。それを受け取ってくれるのならば、すべてを投げうってもかまわないと思った。だって受け取った彼女はもうきっと、一生彼女を忘れられないだろうから。
「あなた、幸せになっていいのよ。できるものなら好きな人と、聖女として幸せになっていいの。」
「……いまさら、謝罪のつもりですか?」
「ええそう、私謝らなくてはならないの。だって私、あなたから奪ってしまったから。」
「いいですよ今更、だって私はすべて取り戻しましたから!」
「……許してくださるの? うれしいわ。あなたが心の広い方でよかった……、優しいのね?」
ローズレッドは微笑んだ。それは崩れ切ったかんばせであっても、美しいものだった。邪悪な、純粋な、美しい笑みだった。民衆が、静まり返る。
「私、あなたの祖国を滅ぼしてしまったのだけれど。許してくださるのね、お優しいこと。」
その日、隣国の首都が魔界に落ちた。正確には、数百年封印されていた魔界の扉が王都に開き、そのまま首都が飲み込まれたというのが正しい。どうやって、どうして、それらはまだ明らかになっていないが、人々の間ではあるうわさが流れていた。魔族七十二柱すべてと契約した稀代の悪女が、自分と自分が手にかけたすべての人々の死をもって、ゲートを新しく開いたのだと。断頭台の彼女の最後の言葉は次のようなものだった
「次はあなたの親友になるわ、だからもう一回やり直して一緒に遊びましょうね、私の好きなひと」
これはとある美しい娘の、初恋の物語である。
そのうちループ物の連載にしたいです。