二つの血
音がしてゼキが振り返ると、カーデュが荷物を持って戻って来た。
雨に打たれ、すっかり濡れネズミだ。自分に結界を張れば雨は防げるはずだが、そうしなかったらしい。
「よぉ。気分はどうだ」
「別の場所で呼吸したら、ずいぶん楽になった。趣味の悪い殺し方だよ、まったく」
大きな溜め息をついて、カーデュは荷物を置く。その後で、自分の服と髪に染み込んだ雨水を魔法で飛ばした。
カーデュが荷物を取りに行く、と言ったのは、もちろん放ったままにしておけないという理由もある。
だが、それよりもこの場にいたくないから、という気持ちがあったのだ。
ゼキもそれがわかっているから、何も言わなかった。いつものように軽口を叩いて何とかできる雰囲気では、さすがになかったから。
「あの魔物はあそこまでされてもまだ生きたかったようだけれど、ぼくなら一思いにやってくれって思うよ」
正直言って、ここへは戻りたくない気分だったカーデュだが、そうもいかない。雨のおかげで、周囲の臭いはずいぶん薄れていたのでほっとしていた。
今日ほど雨がありがたいと思ったことはない。加えて、蒸し暑い季節でなくてよかった。
「彼女の様子は?」
「眠ってる。普段使わない力を使ったんで、身体が耐え切れなかった……ってところだろうな」
リーメイが魔法を使うのは出会った時に見ているが、さっきの力はレベルが違い過ぎる。気を失っても当然だ、と思える魔力の消費量だ。むしろ、直後に短時間でも会話ができたことに驚く。
「ゼキ」
「何だ」
「さっき、ぼくが話していた違和感、わかったよ。これだったんだ」
「リーメイが……魔性の血をひいてるってことか?」
疑いようがない。さっきの力は、魔性の力だ。
でなければ、合点がいかない。ゼキやカーデュがあれだけ手こずった魔物を、いくらリーメイの魔法の腕がよくても、あそこまで簡単に殺せるとは思えなかった。
武器を持っていなかったはずのリーメイが使った、あの緑のムチ。その出所が気になったゼキは、外へ行って調べた。
リーメイが使ったムチは、ただの草の切れっ端だ。力を込めれば武器に変わる、といったものではない。正真正銘の雑草だった。
倒れていたリーメイのすぐそばに生えていたか、服などに付いていたそれを魔力でムチに変え、あれだけのことをやってのけた、ということになる。
ゼキは確信した。
リーメイは、魔性の力を持っている。
正確に表現するなら、人間と魔性の血が流れている。親か、もしくはそれ以前の世代に魔性がいるのだ。
魔性。人間よりさらに強い魔力を持つ者達。
時として、邪な存在とされる。人間にとって未知な部分が多く、残酷な仕打ちをすることもよくあるからだ。
「最初に会った日、リーメイはゼキが男の手を振り払ってくれてよかった、と言った。自分が自分でなくなりそうだってね。最初、ぼくは恐怖で混乱してしまうって意味で取った。だけど、襲われかけた女の子が口にするには、ちょっと妙な表現に思えた。そこから違和感をすでに持っていたんだ」
あのままだったら、自分が自分じゃなくなりそうで。
今ならわかる。リーメイの言葉は何かおかしい、と。
どうして盗賊に襲われたら、自分が自分でなくなるのだろう。混乱してしまい、自分のやっていることがわからなくなる? そう取れないことはない。
恐怖で精神が錯乱すれば、そういう事態になることもありえるだろう。普段なら決してやらないようなことをやってしまう、ということは十分に考えられる。
でも、リーメイの感じた恐怖は、盗賊に襲われたことじゃない。自分が自分でなくなること、だ。
なぜ、恐怖の対象が盗賊のような明らかに害をなす存在ではなく、自分なのだろう。
カーデュがずっと思っていたことが、さっきわかった。
リーメイは、自分が魔性の面を出してしまうことを恐れていたのだ。人間と魔性の二重人格、ということだろう。
「あの状況が怖いと思った人間のリーメイは、自分を守るために魔性のリーメイになったんだ。そして……食人鬼を殺した」
「ああ。その後にチカルを見て、人間の部分が戻ったってところか。それとも、身体に限界が来て気絶しちまったか。いくら彼女の身体が魔法に慣れてたって、魔性の力じゃ使用する魔力量が違うからな」
最初、あまりにもリーメイとは違う雰囲気に、ゼキは何か別のモノが彼女に取り憑いたのかと思った。そう思ってしまう程、リーメイは豹変してしまったから。
だが、彼女はチカルの名を口にした。野生のネコウサギなど珍しくもないのにその名前を呼んだのは、彼女が「リーメイ」だからだ。チカルを知るリーメイに間違いない。
あの時、チカルはなぜ平気でリーメイに近付いたのだろう。怖くなかったのか。姿はリーメイでも、中身は魔性だ。少しはにかみ屋で、優しい性格のリーメイではない。
なのに、まるで警戒心を持っていなかった。
チカルにとって「リーメイはリーメイ」でしかないのだろうか。もしチカルに言葉が話せれば、ぜひとも聞いてみたい。
「リーメイは、みんなふがいないって言い方をしたよね。ぼく達だけが対象なら、みんな、なんて言い方はしないと思う。あの状況だと、お前らとか魔法使いのくせに、なんて言葉が出て来そうなものだろ。あの中には、きっと人間のリーメイも入ってるんだ」
「魔性のリーメイと人間のリーメイは、仲が悪いってことか」
「ありえなくはないだろう?」
「まぁ……な」
人間と魔性が対立するというのは、よくあることだ。それが一つの身体の中で起きている。
「最後に彼女、魔のあたしは消せない、なんて言っていたからね。人間のリーメイは、彼女を消したいんじゃないかな。自分が魔性になるのを恐れていたのなら、その可能性は強い。本当にそのつもりなら、魔の方は消されないようにあがくはずだ。……おかしなことにならなきゃいいけど」
「おかしなこと?」
「人間と魔性がケンカするとして、何かしらのとばっちりが近くにいるぼく達へ来ないとは限らないよ。へたすれば、旅に支障をきたすことだってありえる。この旅は遊びや趣味じゃなく、任務なんだ。もし、そんなことになったら、とばっちりなんてものじゃない。状況によっては、甚大な被害だ」
もし目を覚ましたリーメイが、さっきと同じ状態のままだったら。
理由もなく、いや、何か理由があったとしても、殺意がこちらへ向けられるようなことになれば。当然、二人が応戦することになる。
だが、あの食人鬼を簡単に殺した彼女に、自分達の力が通用するだろうか。
あの時、言って見ればリーメイは草一本で魔物を倒したことになる。剣も魔法も通じない相手を、大人の男が握れば隠れてしまうような短い草で。
厳密に言えば、草に込めた魔力となるだろうが、その力は非常に強い武器であり、攻撃魔法になることを証明した。
そんな強い魔力を持つリーメイと対峙することになれば、二人がかりでも厳しい。今のように眠った状態であれば何とかできても、そうなる前に自分達がやられてしまう。
本当にそういうことになれば、旅を続けることが不可能になる。つまり、任務の妨害行為。
極論を言えば、彼女の行為はディミアッドの街に対して牙をむくものとなる。
「お前、任務任務って言うなよ。一人の女の子が苦しんでるかも知れないって時に。リーメイが妨害するって、本気で思ってんのか」
「じゃあ、聞かせてくれよ。何かあった時、ゼキは誰の味方になるつもり?」
「誰のって……。結果的に食人鬼から救ってくれたのは魔性のリーメイの方だけど、最初に出会ったのは人間のリーメイだし」
性格は二つだが、身体は一つ。その身体をめぐって争いが起こる時、どんなことになるのだろう。
攻撃するべき相手は「自分」の中にいるのだ。味方などと言われても、リーメイはゼキの目から見て、一人しかいない。どういう助け方をすればいいのか。
ゼキが悩んでいるのを見て、カーデュが大きくため息をつく。
「もう……誰のって部分の対象が違うよ。彼女か、ぼくかってこと。確かに食人鬼が死んでぼく達は助かったけれど、あの時のゼキの言葉如何では、ぼく達も殺されていた可能性は否定できないんだよ」
「そんなことはないだろ。目付きは冷たかったけど、殺気はなかったぜ」
「食人鬼に言っていたじゃないか。喰わない、でも命はもらうって。あの時の彼女に、殺気はあったかい? ぼくにはわからなかった。日常会話の口調に聞こえたよ。あの後、リーメイが気を失わなかったら……助けに来てくれたんじゃなかったの? 役に立たないならいらない、なんて言われてあっさりやられてたかも」
「……カーデュはどうしたいんだよ」
ムッとしながら、ゼキが尋ねる。
「何かしようなんて思わない。ただ、彼女を置いてさっさと出発したいね」
「冷たい奴だな。それに別れたって、彼女の目的地は俺達と同じだぞ」
先に出たところで、多少の時間差はあっても結局はバルザッグの街で追い付かれることになる。
「バルザッグには、ぼく達よりずっとレベルの高い魔法使いが大勢いる。彼らにまかせればいい。どうやらまだ彼女は魔性として半人前らしいから、リーメイが現れても彼らが封じるくらいのことはできるはずだ。不用意に首を突っ込むのはやめた方がいいよ。これは、ぼく達の能力を超えた問題だ」
さっきは会話を続ける前にリーメイが気を失った。だが、次に彼女が目を覚ました時はどうなるだろう。
もし魔性のままで、攻撃の矛先がこちらへ向けられたら。状況によっては命がない、と考えるのは自然だ。
「封じるって……リーメイはまだ何もしてないだろ」
知らず、ゼキの口調が荒くなった。一方で、カーデュは淡々と言い返す。
「さっき、ぼく達の目の前でしたじゃないか。あの場合は、ぼく達にとってもメリットがあったってだけだ。でも次は、ぼく達があいつと同じ目に遭う番かも知れない。魔性の血が濃ければ、その可能性は高くなるだろ」
「全員の命が危なかったから、やったってだけだ。魔性全てが害をなす存在じゃないぞ」
「それはよく知っているさ。だけど、あの殺し方を見ただろう。あれを見て、彼女が今後人間に害をなさない、なんて誰が言える?」
「俺が言う」
妙にゼキが自信ありげに言った。
「リーメイが魔性になったのは、俺達を助けるためだ」
「……断言するね」
「おう。いいか。俺はさっき、リーメイは自分を守るために魔性になったって言ったけど、あれは取り消す。リーメイが魔性になったのは、俺達があの魔物にやられて二人してピンチになったからだ」
あのままだったら、ゼキとカーデュも一緒にエサにされていただろう。もしリーメイが自分を守るためだけに魔性になったのなら、彼らが来るまでになっていたはずだ。すでに彼女自身が窮地に陥っていたのだから。
「まぁ、確かに殺し方はエグかったけどさ。生かしてたら、あの丈夫な奴のことだ、いつ復活して襲って来るか、わかんねぇだろ。口さえあれば何か喰って、そのうち腕でも足でも生やしそうだしな」
世界には、手足を失っても異常な再生能力で新しく身体の部位を作る魔物がいる。あの食人鬼はそのまま殺されたが、時間があればそうなっていたかも知れないのだ。
「ゼキがリーメイをかばいたい気持ちはわかるけれど」
軽く頭を抱えながら、カーデュがまたため息をつく。
「かばってるんじゃなく、事実だろ。少なくとも、タイミング的にはそうだった。食人鬼を生かしておいたらやばいかも知れないってのも、確率で言えばかなり高いだろ」
「……」
ゼキが女性をフォローすることはよくあるが、こういう時にもそのフェミニストぶりが発揮されるとは、カーデュも思わなかった。いや、女性だから、というのは今は関係ないのかも知れない。
対象がリーメイだから、だろう。
「そうだ。リーメイはバルザッグの社の人に頼みたいことがあるって話してたな。さっきカーデュも言ったけど、それって魔性の自分を封じてもらうためなんじゃないか?」
「結局、詳しくは聞いていなかったね。その可能性は否定できないけれど」
バルザッグの社の人に頼みたいことがある、ということは聞いた。が、その目的は会話の中でうやむやになって、最後までちゃんと聞いていない。今ここでああだこうだと言い合っても、推論でしかないのだ。
「……わかった」
「ゼキ?」
「俺、もうこれ以上何も言わない。カーデュも俺を信じなくていい。代わりに、チカルを信じろ」
リーメイの横で眠っていたチカルは、自分の名前を呼ばれて顔を上げた。
「あの時のチカルを思い出して、それでもリーメイを置いて行くってんなら、カーデュだけ行けばいい。俺は後からリーメイとバルザッグへ向かう。着くのが同時じゃなくても、バルザッグにさえ行けば任務放棄にはならないだろ。行きはともかく、帰りがお前と一緒なら、問題もないんだし」
ゼキもこれでなかなか頑固な部分がある。頻繁にある訳ではないが、一度言い出したら聞かない。自分がそうだと信じたことに対しては、誰がなだめてもすかしても、たとえ女性が説得しても、引かなくなるのだ。
あの時のチカルは、確かに不思議とも言える行動をした。皆殺しにしかねない様子のリーメイの肩に乗り、顔をすり寄せた。背中の毛を逆立てるどころか、いつもと同じようになついたのだ。
それは、リーメイが敵対する相手ではない、と取っていいのだろうか。確かにどんな言葉をあげつらうより、物言わぬ動物の行動の方が信用できるのかも知れない。
「……何かあったら、責任を取れる自信と覚悟はあるのかい?」
「そんなもの、ない」
ゼキはきっぱり言い切った。
「……ゼキ」
それは無責任というものではないのか、と思ったカーデュだったが、次のゼキの言葉を聞いて「そういうことか」と納得した。
「何かある、なんて思ってないからな」