別人?
※半ばまで残酷シーンが続きます。苦手な方はご注意ください。
ゼキはその光景を見て、やった! と心の中で叫ぶ。どういう魔法を使ったのか、リーメイが魔物に会心の一撃を与えられた、と思ったのだ。
「捕まえた獲物は、逃げたり歯向かったりしないようにしておくべきだったわね」
しかし、喜んだのは一瞬だった。食人鬼の後ろに立っているリーメイの目付きが、今までと全然違うのだ。
色が……違う?
リーメイの瞳は、紫水晶のようにきれいな色をしていたはず。それが今は違った。しかも、両目で色が違うのだ。
右目が燃えるような赤、左目が氷のように冷たい青をしている。
瞳だけではない。表情も違う。雰囲気も違う。長い黒髪は風もないのに、大きく広がって。
そこにいるのは、リーメイの姿をした他の「誰か」としか思えなかった。
「ふっ……他愛のない」
声はリーメイだ。でも、その冷たい口調は絶対に彼女のものではない。明らかに相手を見下したような口調だった。二人の知ってるリーメイなら、こんな言い方はしないはず。
同じ声なのにしゃべり方が変わると、こんなにも印象が変わってしまうものなのか。
「こんな奴に何を手こずるの? 木偶人形など、継ぎ目を叩けばすぐに壊れるわ」
リーメイの手が動いた……ように見えた。直後にさっきも聞いた、シュンッという風を切る音。
一拍遅れて、痛みに呻いていた食人鬼が再び悲鳴を上げる。ボトリと重い音がして、右腕が地面に落ちた。傷口からは、血が噴き出す。
よく見れば、リーメイは濃い緑のムチらしきものを手にしていた。それで食人鬼の腕を斬り落としたのだ。その細いムチで、いとも簡単に。
しかし、ゼキもカーデュも、リーメイがあんなものを持っていたなんて知らない。彼女は最低限の荷物しか持っていなかったはずだ。
それに、あれだけ切れ味鋭い武器を持っていたのなら、ゼキ達が来るまでにどうにでもできていただろう。なぜ、今になって出して来たのか。
「どう……なってんだ?」
傷の痛みも忘れ、二人は呆然と目の前で起きているできごとを、座り込んだまま見ていた。
ゼキがどんなに剣を叩き付けても斬ろうとしても、ほとんど傷が付かなかった食人鬼の身体。リーメイは手の動きすら感じさせず、丈夫すぎる魔物の腕を斬り落としているのだ。
この敵のさっきまでの丈夫さは、一体どこへ消えたのだろう。彼女が言うように、余程うまく継ぎ目とやらを攻撃しているのか。いや、それだけではないような。
「みんな、本当にふがいないわね。これだから、人間は……。まぁ、今はそんなこと、どうでもいいわ。こいつにはきっちりと落とし前をつけてもらわないとね」
リーメイは、一つ覚えのように手がどうのと叫ぶ食人鬼へ、さらに一歩近付いた。怒りと冷酷を同時に併せ持つ瞳が、魔物を見据えて。
一瞬、びくっとした食人鬼だが、すぐにリーメイを睨み付けた。金色の目が負けじとギラギラ光っている。いくら腕がなくても、上からこんな目で睨まれればたじろぎそうなものだ。
「おめぇ、オ、オデの手、斬った。喰ってやる!」
両腕を失っても倒れなかった食人鬼が、リーメイの方へ向かってこようとする。だが、リーメイは平然とした顔のまま。
「面白い。手もなく、魔法も使えないクズが。それ以上、私に近付けるものなら近付いてごらん!」
また風を切る音。その直後、食人鬼の身体は傾き、無様に前へつんのめった。
「ひいいっ! あ、足が、オデの足がぁ」
食人鬼がどうにか上半身を起こせば、自分の右足が身体から離れた所で転がっている。足の付け根からすっぱりと斬られたのだ。
「片方しかないと、バランスが取れなくて大変じゃない? もう片方も斬ってあげる」
にっこり笑いながら告げるリーメイ。逃げる間もなく、残った左足が斬られる。食人鬼は、今や胴体と頭だけになってしまった。
地面に仰向けに転がり、もう自分で動くことすらままならない。ひっくり返ったカメ状態だ。いや、それよりひどい。
「気持ち悪い……」
カーデュが口を押さえながらつぶやく気持ちは、ゼキにもよくわかった。
魔物とは言え、相手は人間に近い形の生き物。それが、手や足を次々に斬られているのだ。
この光景と辺りに漂う食人鬼の血の臭いが、どんどん気分を不快なものにする。
ゼキは剣を扱うから、血を見る機会はどうしたって多くなる。そのゼキでも、見ていていい気はしない。
魔法には長けていても、こういう場面に遭遇したことのないカーデュが気分を悪くしてしまうのは当然だ。顔色がどんどん失われてゆく。
「い、いやだぁ……死ぬの、いやだぁ。た、助けてくでぇ……」
食人鬼が命乞いをする。さすがに手足を失って動けないとなると、できることはもう命乞いくらいのものだろう。
あそこまでされても、死ぬことはおろか、弱る気配すらもまだない。手足を斬られ、傷口から血が流れているのに。
魔物によっては、心臓を確実に止めない限り死なない個体もいるが、ここまでくるとその丈夫さが逆に哀れに感じてくる。
「安心しな。あたしはあんたを喰ったりしないからさ。喰ったってマズそうだもんね、あんたの肉は。だから、やめとくよ」
「じゃ、じゃあ」
リーメイの言葉で、食人鬼の目に希望の光が灯る。
こんな状態でも、生きていれば何とかなる、と思ったのだろう。多少の時間があれば、本当に復活しそうだ。
「喰わない。でも、命はもらうよ」
「え……」
あっさりとそう言い放ち、リーメイは持っていたムチを離した。ムチはまるで蛇のように食人鬼の胴体と頭に絡まると、一気に締め付ける。食人鬼は悲鳴を上げ、身体はみしみしと音をたてた。
押さえ付けられる形で、傷口からは血があふれ出す。あれだけ頑丈だったはずの身体に、ムチはどんどん食い込んでいるのだ。
やがて耐える限界を超えた身体は、二度と思い出したくもない音をたてて斬り裂かれた。地面にその醜い姿をさらしながら、食人鬼は文字通り八つ裂きにされのだ。
心臓も何もない。そこにあるのは、ただの肉片だけ。
ゼキはその光景を、言葉もなく見ているしかできなかった。
「あたしを喰おうなんて、身の程知らずなことを考えるからよ」
リーメイは辺りに肉片が散らばっても、顔色一つ変えないでいる。それどころか、わずかに笑みまで浮かべて。
「頭の悪い魔物の相手って、面倒ね」
リーメイはそんなことをつぶやく。それからゆっくりと、ゼキとカーデュの方を向いた。
ゼキは呆然として座り込んだまま。カーデュはがまんしきれず、草むらで吐いている。胃に残っているものはほとんどないので、出るものと言えば胃液くらいだ。それでも何かがこみ上げてくる。
「これくらいでだらしないわね。……助けに来てくれたんじゃなかったの?」
やはりリーメイの口調はひどく冷たい。瞳の色もさっきのままだ。
「きみは……リーメイなのか?」
ゼキの問い掛けに、目の前の少女はくすくすと笑う。それから、両手を広げた。
「あら、この姿形はリーメイのものじゃないの? これがリーメイじゃないなら、ここにいるのは誰かしら?」
自分でもバカな質問をしたと思う。だが、さっきまでのリーメイとは明らかに違った。
「リーメイの中にいるきみは、誰なんだ? 少なくとも……きみは俺達の知ってるリーメイとは違う。別の誰かだ」
「ふぅん。じゃあ、あなたの言うリーメイはどこかしらね? 俺達の知ってるリーメイ……あなたはどこまで彼女のことを知ってるって言うの? ふふふ……魔のあたしを消すなんて、できないわよ」
「え……誰だって? 消すって」
リーメイの言葉を理解できなかったゼキは、思わず聞き返した。しかし、彼女は答えない。
「きゅん」
ゼキに言われて隠れていたチカルが、三人の前へ現れた。
魔物の気配がして、チカルは草むらでずっと息をひそめていた。その気配がなくなって、出て来たのだ。
自分の目の前で魔物に連れて行かれたリーメイが無事に立っているのを見て、チカルはそちらへと走って行く。
それを見たゼキとカーデュは、行くな、と言い掛けて、でも声が出なかった。その言葉が刺激となって、リーメイがチカルを殺してしまいそうに思えたから。
ゼキ達の気持ちなど知らず、チカルはリーメイの肩に素早く乗る。彼女と出会ってから、何度もしてきたように。チカルにとっては、ゼキの次にできた新たな居場所だ。
頼む、傷付けないでくれ。
ゼキは心の中で叫んだ。
今の彼女なら、その小さな動物の細い首をへし折ることなど、顔色一つ変えずにやりそうな気がした。相手がたとえ魔物でも、あれだけ冷酷な仕打ちをした彼女なら。
「きゅーん」
だが、チカルは何でもないように、リーメイの頬に顔をすりつける。まるで、無事でよかった、と言っているかのようだ。
ゼキもカーデュもチカルのそのしぐさに驚いたが、それはリーメイも同じらしい。その顔は「え?」と言いたげだった。
「チカ……ル……」
チカルは自分の方へ差し出されたリーメイの手をなめた。
気配に敏感なはずのチカルは、リーメイの異変に気付いていないのだろうか。いや、それはありえない。
人間のゼキとカーデュでさえ、いやという程にわかる彼女の変化。チカルがそれをわからないはずがないのに。
加えて、この場に漂う魔物の血の臭い。肉食の獣ならともかく、異様な状況だと感じられるはずだ。
そんなことは気にならないくらい、チカルにとってリーメイの無事は大切なことなのだろうか。
チカルの動きに、ゼキとカーデュは見ているだけしかできなかったが、ふいにリーメイの身体が揺らいだ。
「リーメイ!」
ゼキは反射的に駆け出し、ゆっくり倒れる少女の身体をかろうじて支える。食人鬼の前では動かなかった身体も、この状況では何とか動いてくれた。
リーメイの顔を覗き込むと、気を失っている。目を閉じていることもあってか、さっきまで感じた冷たい雰囲気はもうない。
「今のは……誰だったんだ?」
「ぼくに聞かないでくれ。身体の痛みと気持ち悪さで、生きてきた中で頭が一番混乱しているんだから」
ゼキのつぶやきに、カーデュが律儀に答える。今起きたことに、さすがのゼキも頭が混乱していた。
そんなゼキの顔に、空からの滴が落ちた。振り仰ぐと、次々に水滴がかかり、その水滴はどんどん大粒になってくる。山の天気は変わりやすい。
「こんな時に……。仕方がない。そこの横穴を使うか。たぶん、あいつの巣だろうけど、ぜいたくは言ってられないからな」
すぐそばに、雨宿りにはうってつけの横穴がある。元の主人が魔物だけに、あまりいい気はしないが、今から他の場所を探してはいられない。
ゼキはリーメイを抱えたまま、食人鬼の巣である洞窟へ向かった。
「ぼくは荷物を取って来る」
「……足、すべらせるなよ」
荷物を置きっ放しにしてある場所へ向かうカーデュの背中に、ゼキは声をかけてから中へ入った。
洞窟の奥は思っていたより広く、食人鬼の巣だから人骨の一つも転がってるかな、と思ったが、案外きれいだった。と言うより、何もなかった。
ゼキは聞いていなかったが、あの食人鬼は本当にエサを残さず喰うタイプだったらしい。あの大鍋は、食人鬼にとって唯一の持ち物だった、ということだろう。
これなら、今晩はここで過ごせそうだ。血の臭いも、風上であるおかげでここまでは漂ってこない。
外に広がった魔物の肉は肉食の動物がそのうち片付けてくれるだろうし、血は雨が洗い流してくれる。
本当に何もないことを確認してから、ゼキはそっとリーメイを寝かせた。無垢な寝顔は、あんなに大きくて丈夫すぎる魔物を八つ裂きにした少女……とはとても思えない。
ゼキは癒しの魔法で、リーメイの傷を治療していった。ゼキの手の平に青白い光が浮かび、光が触れた傷はみるみる消えてゆく。得意な魔法ではないが、ひどい傷がなかったのでうまくできた。
リーメイの額に触れてみたが、熱はなさそうだ。医者ではないので断定はできないが、この様子ならしばらく眠り続けるだろう。
その後で、ゼキは自分の傷も治しておく。
別の魔物に憑かれてた訳じゃないよな。それに、あの瞳の色は……。
ゼキの中に、答えとなりうるものは一つしか浮かばなかった。