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バルザッグへの旅

 行きなさい。

 魔を封じたいのなら、封じてくれる力の元へ。

 あなたがそれを望むなら、そうなさい。


 行きなさい。

 人を封じたいのなら、封じてくれる力の元へ。

 あなたが生きたいようにすればいい。


 行きなさい。

 何も封じないなら、ここではないどこかへ。

 あなたを受け止めてくれる誰かの所へ。


 私は止めない。止められない。それはあなたの命だから。

 でも、一つだけ。お願い。

 自分の命を絶たないで。自らの手で断ち切らないで。


 生きなさい。


☆☆☆

 ゼキは朝から溜め息をついていた。

 馴染みの食堂レイヴィス。ほとんど指定席になっているカウンター。

 その一角に座り、味も香りも絶品の珈琲を飲む。

 通りを歩く女性へにこやかに手を振っている時は、いつも通り。だが、彼女達が去ると途端に暗くなる。店の窓から見える明るい空とは対照的だ。

「何だい、ゼキ。昼間っからしんきくさい顔しちゃってさ。もしかして、ふられたのかい?」

 ふっくらした身体でいつも元気な女将(おかみ)が、ゼキの暗さを吹き飛ばすように明るい声をかけた。

「まさか。俺は特定の彼女なんていないんだから、ふられるはずがないだろ。俺にとっては、世界中の女性が恋人なんだぜ」

「おやおや……。そんなことを言ってるのをよく聞くけど、その女性の中にはあたしも含まれてるのかい?」

 他の客の食器を下げながら女将が冗談で尋ねると、ゼキは大きくうなずく。

「当然だろ。働く人の姿は美しいが、働く女性の姿は何にもまして美しいんだ。それに、毎日最高の一杯を淹れてくれる女性を、俺が放っておくとでも?」

「まったくこの子は……。よくそれだけ言葉が次々に出て来るもんだね」

 肩より少し下まで伸びた、柔らかで少しくせのある濃い茶色の髪。静かな闇の色を持つ瞳。整った顔立ちに低くソフトな声。

 そんな彼に甘い言葉をかけられたりしたら、たとえそんな気はなくても大抵の女性達の頬は赤くなる。

 親子程に年の差があっても、こうもはっきりほめられれば女将だって悪い気はしない。相手がなかなかの男前となれば、なおさらだ。

 若い娘のように赤くなる、とまではいかないが、素直に嬉しいと思えるのは、ゼキの人柄のせいだろうか。

 女将は笑いながら、ゼキのカップに珈琲をつぎ足してやった。

「ほら、チカルもミルクお飲み」

 女将はゼキの足下にいる真っ白なネコウサギの前に、ミルクの入った小皿を置いてやる。

 普通のねこよりも身体が小さく、ウサギよりやや短い、それでもねこにすれば長い耳を持つチカルは、(うかが)うようにしてゼキの方を見上げる。彼がうなずき、女将が皿を置いて離れてから、ようやくミルクを飲み出した。

「それで? 溜め息の本当の原因は一体何だい? 楽天家のあんたが溜め息をつくくらいなんだから、よっぽどユウウツなことでもあったんだろ」

「俺のことをわかってくれてて、嬉しいね。そう、目一杯ユウウツなことがあったんだ。……当たっちまったんだよ」

「おや、食あたりかい?」

 女将(おかみ)のびっくりしたような口調に、ゼキは笑いながら否定した。

「俺の胃腸の丈夫さは知ってるだろ。どこへ旅に出たって一度も腹を下したことがないのは、ディミアッドの街じゃ俺くらいのもんだぜ」

「そうだったねぇ。あたしもゼキが食あたりなんて、おかしいと思ったよ。いつだったか、あんたに三日前に作った料理を出したことがあったけど、平気な顔してたし」

 関係のないところで、とんでもない事実を知らされた。

「……そんなこと、してたのか」

「まぁ、ちゃんと火は通っているし、何もなかったんだから。で、何に当たったんだい?」

「バルザッグへの旅、ラトラニーロ草お持ち帰り」

 旅行会社の広告みたいなセリフを、ゼキは不機嫌そうに口にした。

「ああ、くじが当たっちまったんだね。はは、そりゃ、あんたにはつまらない旅だわ」

 ゼキの言葉に女将(おかみ)は深く納得し、それから豪快に笑った。

「笑いごとじゃないぜ。俺は旅は好きだけど、それは色んな場所で色んな女性に会えるという楽しみがあるからだ。この仕事でバルザッグじゃなぁ。馬ならともかく、全行程が歩きだし。街の近辺まで行けば、人もいるけどさ。行くまでにあるものと言えば、森に山に草原だぜ。出会うのは野生動物か、気(まぐ)れに現れる妖精くらいのもんさ。まぁ、美人なら妖精もいいけど」

「何を言ってるんだい。これも大切な仕事だろ。あんただって魔法使いなんだから、いつかその役目が回ってくるだろうってのはわかってたことじゃないか」

「そうなんだよなぁ。俺、どうして魔法使いなんて肩書きが付いてるんだろ。剣を振り回す方が好みだってのに」

 敵を目の前にして呪文を唱える暇があったら、剣を使った方が早い。

 ゼキはどちらかと言えば、身体を使うタイプだ。普段は口が一番よく動いているようだが……。

「魔法を使うなら、魔法使いさ。定義なんて、そんなものじゃないのかい? 素人(しろうと)のあたしにはよくわからないけどね。で、バルザッグへは誰と行くんだい?」

「氷みたいな奴と」

「は? 氷?」

 意味がわからず、女将が聞き返す。

「冷血、冷酷、冷淡な赤毛の魔法使いだよ」

「それはぼくのことかな、ゼキ」

 いきなり後ろから、がっしりと首を絞められた。

「きみがそんなふうに思っているなんて、心外だな」

 いつの間に入って来たのか、ゼキの後ろに長く赤い髪を束ねた長身の青年がいた。たった今、ゼキが「氷」と評した人物である。

「るせ。いつも言ってるだろーが。それにきみなんて言うな。わざとらしい」

 ゼキは自分の首を拘束する腕を叩き、青年は軽く力を込めてから解放した。

「何だ、カーデュのことだったのかい。いつものでいいね? いいじゃないか、ゼキ。幼馴染み同士で仲よく行けてさ」

 カーデュはゼキの隣に座り、その前に女将は紅茶の入ったカップを置いた。彼もレイヴィスの常連客だ。

「冗談……。往復一ヶ月近く、ほとんど二人っきりだぜ。かわいい女の子ならともかく、腐れ縁のカーデュとじゃ」

 出された紅茶を一口飲み、カーデュは淡々と言い返す。

「それはお互い様、というものだよ。行程や目的はともかく、旅がどれだけ有意義になるか、同行人によってそこが大きく変わってくるからね」

「俺は若手ナンバーワン、なんて言われる奴みたいな実力はないんだぜ。何だってくじの中に、俺の名前が入れられるかなぁ」

「若手というのは、いくつまでを若手と呼ぶんだろうね……。ゼキは単に修業を(おこた)っているだけだ。実力なんて言葉は、最後まで努力してから使ってもらいたいね」

 カーデュは冷たく言い放つ。

「ふん。どうせ俺はお前と違って、不真面目だよ」

「わかっているなら、もう少し真面目にやれば?」

「メンドーなことは嫌いなもんでね」

「よく言うよ。女性にはマメじゃないか。見ていて感心するよ。どうしてあのエネルギーを魔法の修業へ向けられないのか、不思議で仕方がない」

「女の子と修業を一緒にするな。対象がまるで違うだろ」

「そうかな。集中する、という点では同じだと思うけれど?」

 言われれば、すぐに言い返す。二人の会話は、幼い時からずっとこんな調子だ。

 だが、仲が悪いというのでもなく、何だかんだで結局そばにいることが多かったりする。

 やはり、ゼキの言うように「腐れ縁」というやつなのだろう。

 女将は笑いながら、彼らの会話を聞いていた。

「それでお二人さん、バルザッグへの出発はいつなんだい?」

「明日」

 カーデュは真面目な表情で、ゼキは半分ふてくされた顔で、声をそろえて答えた。

☆☆☆

 魔法使いと呼ばれる者は、薬剤師を兼ねる場合もある。薬剤師の作業をする時、彼らはラトラニーロ草という薬草を使う。

 この薬草は、バルザッグの街の外れにある(やしろ)の中で採れるのだが、その敷地内にしか生えない特殊なものだ。普段使われるような医療用の薬はもちろん、魔法使いが使う魔法道具の一つとしても加工される。

 この草は魔の力が非常に強いので、通常の薬草ではなかなか治らない病気やケガに(もち)いられるのだ。

 この薬草は、摘んでからも魔の力がほとんど抜けないため、普通の商人が持ち運ぶということができない。薬草の出す気に(あた)り、倒れてしまうからだ。

 そんな事情で、行商人から買う、ということができない。必要になってくると、魔法使いがバルザッグの街まで(おもむ)き、入手して戻って来る以外に方法はないのだ。

 魔法使いがいて、このラトラニーロ草を使っている街では、直接バルザッグの街へ足を運ぶことになっている。

 ディミアッドの街ではこの薬草が必要になってくると、この「お使い」に行ってもらう魔法使いをくじで選ぶ。この街ができ、魔法使いが存在するようになり、ラトラニーロ草を使うようになってから、ずっと続いていることだ。

 ちなみに、くじは魔法使い長が引く。

「あーあ。俺、くじ運が悪いとは思ってなかったんだけどなぁ」

 家へ帰っても、ゼキはグチをこぼす。

「案外、くじじゃないのかもよ。今回はこの魔法使いに、なんて決まっているのかもね」

 息子のグチを聞いて、ロベリーンは笑いながら言った。

 ディミアッドは大きな街で、もうすぐ三桁に届こうかという数の魔法使いがいる。その中にはベテランもいれば、当然ぺーぺーの魔法使いもいる訳だ。

 しかし、それら全員がくじの対象者になる訳ではない。

 ラトラニーロ草は刺激が強すぎるため、生半可な魔力の魔法使いでは普通の人と同じように扱い切れないのだ。

 また、バルザッグの街までは人の足で向かうと十日以上はかかるのだが、人間と同じ理由で馬が使えない。もって、二日。ラトラニーロ草入りの荷物をそれ以上運ばせると、丈夫な馬でも倒れる。行きはよくても、帰りは最初の段階で使い物にならないのだ。

 したがって、魔法使い自身が歩いて行かなくてはならない。そのため、体力がこころもとない高齢者や病み上がり、ケガ人も対象から外される。

 魔獣を使えば、もちろんあっという間の移動は可能。だが、魔獣のほとんどがラトラニーロ草の臭いを嫌う。人間にはわからないのだが、人間よりずっと敏感な彼らは、摘んだばかりのこの草の臭いが苦手らしいのだ。

 それなら、往路は魔獣に頼り、帰りは歩いて帰れば……という話になるのだが、これまた面倒な前例がある。

 ラトラニーロ草を持って山を越えようとしたところ、落石で通れなくなったことがあるのだ。魔法使い二人では、とても除去できる状態ではなかった。

 仕方なく山を迂回(うかい)するルートをとったのだが、時間がかかりすぎ、薬を必要とする人が亡くなってしまう。

 落石は数日前に起きていたのだが、往路を魔獣で一気に移動した魔法使い達はそのことを知らなかった。

 そんなことがあってから、往路も徒歩で移動し、帰り道の確認をするようになったのだ。

 他の街はともかく、ディミアッドの街では在庫に余裕があるうちに出発する。往復の時間と通行止めがあっても問題がないように。

 これら諸々(もろもろ)の事情から不適格者を外してゆくと、くじの名前はある程度のレベルに達した若い魔法使いに絞られる。そうすると、数は全体のおよそ半分になり、その中から今回行く魔法使いが二名選ばれるのだ。

 二名で行くのは、薬草を持ち帰る時、何の拍子で倒れてしまうかわからないためと、人災天災の回避のためである。男女のペアになった場合は、女性の魔法使いをもう一名増やすことになっている。

 そして、今回はゼキとカーデュが選ばれた。もちろん、公正な抽選の結果だ。

「対象になる奴って、今は五十を切ってるんだっけか。それにしても、その中からカーデュって……。母さんが言う通り、くじなんて話だけかも。俺達、くじの結果を聞くだけで、実際にくじ引きされてるところを見たことがないぞ」

「あらあら。私、秘密をもらしちゃったかしら」

 冗談めかすロベリーンに、ゼキは苦笑するしかなかった。ちなみに、彼女は魔法使いではなく、腕のいい仕立屋だ。

 カーデュは、自分がこの街にいて魔法使いである限り、遅かれ早かれいつかは回ってくるだろう役だから、と素直に引き受けた。

 ゼキもその点では一応納得しているし、引き受けもしたが……それと感情とは別問題である。

 ディミアッドの街からバルザッグの街までは、さびれた小さな村が三つあり、それを過ぎると大きなジュカの森。森を抜けると、ガントの山。山を越えると、スラグスの草原が広がっている。

 一応、ラトラニーロ草以外の物は行商人が運ぶので、完全に整備がなされていない場所があるものの、人が歩く道はちゃんと通っている。草原に伸びるその一本道を、バルザッグの街が見えるまでひたすら西へ向かって歩き続けることになるのだ。

 ゼキがふてくされる理由は、そこにある。

 これという楽しみ一つなく、ただ草原の真ん中を歩き続けるなど、僧侶の修業のようなもの。それも往復。とにかく、忍耐で目的地へ向かわなくてはならない。草を運ぶのは構わないが、その道のりがいやなのだ。

 しかも、共に行くのがいつも下らない会話しかしないカーデュである。ディミアッドの街を出て戻るまで、どれだけ中身のない会話が繰り返されるだろう。堅苦しい先輩魔法使いよりはいい、と考えるしかない。

「ゼキのことを一番よく知ってるカーデュなら、いいじゃないの。あの子が一緒なら、道中も安心できるわ。あちらのご両親だって、今頃同じ会話をされてるわよ」

「カーデュのセリフも、俺と同じだと思うけどね」

 とにかく、くじで選ばれたからには、足の故障や体調不良などのドクターストップでもかからない限り、バルザッグ行きのメンバーチェンジはなされない。

 早い話、絶対命令のようなものなのだ。

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