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まるで目が覚めた様な感覚だ。これまでは見守るだけで、満足していた。なのに、彼女が他の男のモノになったと聞いた瞬間、言い知れぬ焦燥感に苛まれた。
『彼女は……渡さない』
あんな弟に彼女は相応しくない。彼女に相応しいのは……他の誰でもない、この自分だ。それに優しく慈悲深い人柄である彼女は王太子妃いや延いては王妃に相応しい。きっと民衆から愛され聖女の様な国の象徴になれるだろう。政治に置いて無垢である事はある意味罪深いが、それは自分が幾らでも補う事が出来る故懸念はない。
そして家柄や血筋からしても、彼女は使える駒だ。そんな彼女を他の男に渡すなど不利益でしかない。
ただ自分には数年前に婚約をしたジュディットがいる。無論これは父が決めた政略的なもので、今の自分ではどうする事も出来ない。とは言え、このまま大人しくジュディットと結婚するつもりはサラサラない。あんな女を将来の王妃にと考えている父等は正直言って、気でも触れたとしか思えない。あの女の父親であるラルエット侯爵の権力を取り込もうとしているのだろうが、考えが甘過ぎる。父と侯爵との間にどんな交渉が行われたかは知らないが、あの男は娘を利用して何れ王家を延いてはこの国を掌握するつもりだ。危険分子だ。まあ、そう言った事柄を省いたとしても、ジュディットを妻にする事は万に一つもない。持って生まれた性悪さに加えて、甘やかされて育てられた所為で、兎に角自意識過剰の利己的な最悪な娘などに王妃が務まる訳がない。次第に民衆からも不信感や不満が生まれ、暴動が起き国が乱れる未来が見える。
『今は、静観するしかないね』
あくまでも表向きは、だが。ラルエット侯爵は叩けば幾らでも埃が出る人物だ。ただラルエット侯爵とてそう莫迦ではない。自分みたいな若造がそう安易と暴く事は出来ない。長期戦となるだろう。それでもジュディットと正式に婚姻を交わすまで後数年……それまでには必ずけりをつける。
「っ……寝ていたのか」
ヴォルフラムはゆっくりと重い瞼を開く。今の自分を見遣ると、まるであの日の様に中庭の木に背を預け座り込んでいた。辺りは茜色に染まり夕刻なのだと分かった。まだ頭がボンヤリとしている。額に触れると、汗をかいている事に気付いた。それに疲労感が凄い。
『いいこ、いいこ』
「っ⁉︎」
彼女の声が聞こえた気がして、一気に覚醒して目を見開き周囲を見渡すが、誰もいなかった。脱力する。
「幻聴、か……」
どうやら相当疲れているらしい。幻聴まで聞こえる様になるなど、しょうもない。自分自身に呆れ苦笑した。
「ユスティーナ……」
無性に今すぐに、彼女の顔を見たい、声を聞きたい。会いに行きたい。だが会うのが、怖い。何とも無様な有様だろうか……情けない。
ヴォルフラムは立ち上がると、フラつく足取りで自室へと戻って行った。




