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「……ごめんなさい、ロイド。少し一人にさせて」
姉はそう言って自室に消えた。ロイドはそれをただ見送るしかなかった。
まあここまでは、予想の範囲内だ。姉は優し過ぎる人だから、あんなクズみたいな婚約者でも婚約解消になれば落ち込むだろう。
ユスティーナは本当に優しい人だ。
ロイドの母は、妾だったユスティーナの母とその娘であるユスティーナを酷く嫌っていた。
昔は姉とその母は公爵家の敷地内にある別邸で暮らしていたのだが、その別邸までわざわざ毎日通い嫌味やら嫌がらせをしていたのを子供ながらに覚えている。「平民の下賤な女」と口癖の様に言っていた。父が気紛れで孕ませた売女と母は蔑んでいたが、本当は違う事をロイドは知っている。母もきっと本当は気付いていたのだと思う。だから幾ら妾だと言ってもあそこまで嫌っていたのだ。父にとってユスティーナの母は特別な存在だった。父は彼女を愛していたのだ。父は忙しい人で母を構う事はしなかったのに、よく別邸に足を運んでいる姿を見かけた。その事が、益々母の怒りを増長させた。
ロイドは母が好きではなかった。逆に母は自分に依存して溺愛していた。ただ厳しい人でもあり、勉強など一つでも間違えたりすると、叩かれたり肌を強く抓られたりした。だが父にバレない様にする為に、必ず見えない所をやられた。母が生きている間は、常に服の下は痣だらけだった。
『みつけた』
ある日、我慢が限界にきて母から逃げた。流石に敷地内からは出られなかったが、広い庭の物陰に身を隠して何時間も過ごした。正直途中雨も降って来て、お腹も空いて辛かった。だが母といるよりはマシだ。兎に角、同じ空気を吸いたくなかった。きっとあの母は今頃、血眼になって自分を探しているだろう。見つかれば恐ろしく怒られる。次第に、雨に濡れ冷え切った身体は震え出し、心が折れそうになる。
そんな中、姉が自分を見つけてくれた。
『だいじょうぶだよ』
ユスティーナは、雨に濡れ凍える自分を優しく抱き締めてくれた。
温かいー。
あの時の温もりはずっと忘れない。
姉から戻ろうと言われたロイドは怒られるからと拒否すると、大丈夫だと言われ手を引かれた。
『ごめんなさい』
手を繋いで屋敷に戻り、ユスティーナはロイドの母に謝った。自分が弟と遊びたくて連れ出したと言って。母は物凄い剣幕で怒り、姉の頬を叩いた。姉はただひたすら言い訳もせずにロイドの代わりに謝り続けてくれた。情けないがロイドは母が怖くて何も言えなかった。それなのにも関わらず、ユスティーナはその後もロイドに優しくしてくれた。
『姉さんを追い出すなら、僕も一緒に出て行く!姉さんに意地悪する母さんなんて嫌いだ!母さんが出て行け!』
姉の母が亡くなり、父の意向で姉は本邸で暮らす事になったが、ロイドの母から相変わらず蔑まれ酷い扱いを受けていた。
優しくて大好きな姉さんを護りたい。だが母が怖くて怖くて仕方がない。そんな時、母はユスティーナを屋敷から追い出す様に父に宣う。その瞬間、自分の中の何かが切れる音がした気がした。全てが限界だった……。
その後、母は病に倒れ、呆気なく死んだ。冷たい人間だと言われても、正直ほっとした。
それからは姉と二人仲良く過ごして来た。平和で穏やかで、幸せだった。なのにあんなクズな男と婚約するなんて……。幾ら将来王子妃になれるとしても、父は一体何を考えているんだと腹が立って仕方がなかった。だが今日……。
「ようやく、あの男から姉さんは解放されたんだ」
独り言つ。
ユスティーナはそう遠くない未来、王太子妃になるだろう。彼がそう約束してくれた。




