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殿下達が立ち去り、ユスティーナは柱の陰から出た。
行ってしまったー。
それにしても殿下という事は彼は王族なのだろう。あんな素晴らしい方がいらっしゃるなんて……とユスティーナは暫くぼうっとしていた。だが直ぐに我に返る。そう言えば迷子だった事を思い出してしまった……。
『ユスティーナ‼︎お前はこんな所で何をしている。中庭で待つ様に言付けただろう‼︎』
『お父様!』
暫くトボトボと廊下を歩いていると、向かい側から父が歩いて来た。その姿を見てユスティーナは一瞬安堵するが、もの凄い剣幕の父に折角見つけて貰ったのに、その場から逃げたくなった。
『全く、どれだけ探したと思っているんだ!陛下等がお待ちだ。早くしなさい!』
明らかに怒っている父に手を引かれ、再び中庭へと戻った。すると誰も居なかった筈の場所に父と同じくらいの年齢と思われる男性とその隣には蒼い瞳の美しい少年が立っていた。
『⁉︎』
ユスティーナは目を見張り、真っ直ぐに彼を凝視した。少し離れた柱の陰から見ていたので余り良くは見えなかったが、先程の彼だと思った。
『ユスティーナ、ご挨拶をしなさい。国王陛下とその御子息の第二王子レナード殿下だ。そして今日よりお前の婚約者になった』
あの時から彼はユスティーナの勇士だった。勇ましく慈悲深い人。王族でありながら平民も貴族も関係ないと言った人。あの瞬間、ずっと抱えていた胸のつかえが取れた気がした。
昔から公爵の父はユスティーナに全くと言っていい程関心がない人だった。父の中ではユスティーナは居ても居なくても変わらない取るに足らない存在であり、弟のロイドの事は可愛がりながらも公爵家の跡取りとして厳しく躾けていた。正直、弟が羨ましかった。
ユスティーナとロイドは母親が違う。ロイドの母は名門貴族出身の侯爵令嬢だったそうだが、ユスティーナの母は所謂妾、しかも平民出身で公爵家の屋敷で侍女として働いていたが、父が気紛れに手を出し孕ませ、産ませたのが自分だった。それを聞いた時、自分への父の態度が腑に落ちた。
二人の母達は早くに他界した。
ユスティーナの母はユスティーナが七歳の頃に病にかかり呆気なく亡くなってしまった。
ロイドの母は昔からユスティーナとユスティーナの母の事を酷く嫌っていた。
『平民の卑しい娘』
『穢らわしい』
『役立たず』
『平民の娘を公爵家の敷地内に住まわせてやっているのだから、感謝しろ』
などなど散々な言われ様だった。
母が亡くなり暫くした頃、ロイドの母はユスティーナの目の前で父にユスティーナを屋敷から追い出す様に言った。だが父が口を開く前に弟のロイドが庇ってくれた。「姉さんを追い出すなら、僕も一緒に出て行く!姉さんに意地悪する母さんなんて嫌いだ!母さんが出て行け!」溺愛する息子に嫌われてしまった彼女はその後憔悴しきってしまい、そのまま病にかかり程なくして亡くなった。
そういった過去もあり、彼のあの言葉や行動はユスティーナの心に酷く響いたのだ。
そしてレナードとの婚約をした頃、ユスティーナは教会へ通い始める。彼の様になりたい。それなら変わる努力をしなくてはならないと気付いた。そのきっかけをくれたのは、彼だ。
ただ婚約者になったレナードは、ユスティーナにまるで興味を持ってくれる事はなく、悲しくなった。その理由は暫くしてから知る事になる。彼は兄の婚約者に恋慕している……。
婚約者の自分との約束を幾度なく反故にして、ジュディットを優先させる彼。舞踏会ではファーストダンスこそユスティーナと踊るものの、その後は何度も何度もジュディットと踊り、彼は常に彼女の隣にいた。彼女の言葉は絶対で、彼は彼女にこれでもかと言うくらい尽くしていた。そこにあの時憧れた彼の面影は何処にもなく、少し落胆してしまった。
それでも我慢しなくてはならない。嫉妬するなんて見苦しい。憧れる彼の婚約者でいられるのだから、これくらい何でもない。父もきっと王子妃になる事を望んでいる。期待を裏切りたくない。父の役に立ちたい。必要とされたい。
そんな風に思っていたが、本当はもう、随分と前から心は擦り減り疲弊していた。
彼は私の勇士ー。
それを支えにしてきたのに、気が付けばそう思う事すら疲れていた。
それでも彼は彼だ。きっと本質そのものは変わらない筈と、信じていた。いや違う。自分で自分に暗示をかける様にして信じ込ませていた。だが……。
「それも、もう終わり……」
ユスティーナは立ち上がり窓辺の花に触れる。倒れた日、彼は来る事なくこの花だけが届けられた。理由なんて流石に聞かなくても分かる。ユスティーナは苦笑した。
ロイドからレナードとの婚約解消を聞いた瞬間、安堵した自分が確かにいた。それが答えだ。
「これ、処分して欲しいの」
侍女のエルマを呼ぶと、ユスティーナはそう言った。
「宜しいのですか……」
「いいの。もう、私には必要ないから」
ユスティーナは笑って見せた。




