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料理上手な妻の野望

作者: 続木悠理

 僕の妻の明梨(あかり)は料理が得意だ。

 彼女と知り合ったきっかけは、僕の姉が花嫁修業的な感じで通っていた料理教室に明梨も来ていて、そこで2人は意気投合し、そして、姉から明梨を紹介してもらった。

 当時僕は27歳で、明梨は23歳だった。黒髪ウェーブボブが似合うかわいい子だった。

 僕は会社員で、彼女も普通のOL。デートといえば、映画を観たり、遊園地や動物園に行ったりと、ごく当たり前の恋人時代を過ごした。

 たまにお互いの家(2人とも一人暮らしだった)を行き来し、そのたびに、彼女は食事を作ってくれた。

 その食事が、とにかくおいしかった。

 なんとか人並に料理が作れるように、と料理教室に通っていた姉と違って、明梨の場合、一通り作れるけれど、さらなるスキルアップのために通う、という感じだったのだ。


 例えば、どちらかの家に泊まったときの翌朝は、和食ならば、炊き立てのご飯に、きちんと出汁をとった味噌汁に、焼き魚やだし巻き卵、納豆などが並ぶ。

 洋食ならば、基本はトーストにハムエッグ、サラダなどだが、たまにはピザトーストとか、寒い日には、具沢山のスープがついたりとか、とにかく朝から豪華だった。

 休みの日の昼ご飯も、基本的には、麺類が多かったけれど、うどん、そば、いろいろな種類のスパゲティ料理、夏の日のソーメンや冷やし中華、と多彩だった。

 晩ご飯ともなれば、それこそ、僕がリクエストしたものは、ほとんど作ってくれた。

 カレーライス、シチュー、オムライス、ハンバーグ、とんかつ、鶏のから揚げ、中華全般(市販のソースとかに頼らずにだ)、肉じゃが、天丼、海鮮丼、上げればきりがない。

 そのすべてがおいしかった。本当においしかったのだ。

 僕は、すっかり胃袋をつかまされてしまった。


 明梨は、顔もかわいかったし、僕は身長が170センチなのだが、彼女は155センチ程度と小柄だったことも、僕にとっては良かった。ぼやぼやしていると、誰かに取られてしまうかもしれない、と、僕はあせった。

 付き合って1年ほどで、僕はプロポーズした。彼女は、快く受けてくれた。

 住むにあたって、分譲マンションの購入も多少検討してみたが、まだ子供もいないし、とりあえず賃貸の駅近の2LDKのマンションで暮らすことにした。



 そして、結婚して2年がたった。

 明梨は今も仕事を続けていて、忙しそうではあったが、料理をおろそかにすることはなかった。

 僕は、毎日おいしいご飯が食べられて、とても満足していた。

 しかし、最近、明梨は僕に、今日何が食べたい?と聞くことがなくなってきた。

 なぜなのかと訊くと、あなたの好みに合わせて作り続けていると、食費がかさむ、と言われてしまったのだ。

 共働きだし、そこまで家計は苦しくないはずだったが、将来子供をもうけることも考えると、まぁ、節約するにこしたことはないか、とも思い、メニューは妻に任せることにした。

 まぁ、何を作ってもおいしいのだから、それほど不満には思わなかった。

 しかし、そこらへんから、徐々に、いろいろなことが変化してきたのだ……。


 明梨は、仕事帰りに、多少の買い物はしてきても、そんなに多くの物は買ってこない。

 代わりに、土曜日に、僕に車を出させて家から30分ほどの業務スーパーで、1週間分の食材を買うようになったのだ。

 そこは、確かに安かった。

 僕が大きなカートを押し、そこに妻が、どんどん商品を入れていく。大きなパックに入ったひき肉や豚小間、輸入牛肉、にんじんやジャガイモ、玉ねぎ、ピーマン、長ネギ、キャベツ1玉、なぜか、もやしはいつも2袋は買う。その他、豆腐や小麦粉や、パン粉、ときに米10キロなど、とにかく、たくさんの食材を買う。

 家に着いて、一休みすると、妻は、今度は、買ったものをいろいろ加工していく。

 肉類は、小分けにしてラップに包み、冷蔵庫のチルド室や冷凍室に入れていく。

 野菜類も、ある程度切り分けて、野菜専用の冷凍室に入れていく。

 非常に手際がよい。


 そして、翌日の日曜日は、ひたすら料理を作り続ける。

 もちろん、その日食べるためではない。

 1週間分を作り置きするわけだ。

 会社から帰って、ひと手間加えるだけですむ状態にして、タッパーなどに詰めていく。

 だから、我が家の冷蔵庫は、それらのもので、いつも満杯だった。

 そうやって、料理を作りつつも、掃除や洗濯もきちんとこなし、我が家はいつも片付いていた。

 

 僕は、明梨が、こんなにすごい子だとは思っていなかった。

 料理が得意な、かわいい子、くらいにしか思っていなかったのだ。

 だから、結婚しても、普通に、たまにはどこかに出かけたり、2人で外食を楽しんだりするのだと思っていた。

 しかし、土・日は、明梨は家事が全てという感じだった。


 料理がおいしいのは、うれしいことだったけれど、僕は、なんとなくむなしい気分になってきて、ゲームに逃避するようになっていた。

 会社から帰ると、寝室兼趣味部屋にこもり、ひたすらゲームをやった。

「ご飯出来たよー」

 と明梨から声がかかっても、きりのいい所までゲームを続けていて、すぐにはダイニングに行かないことも、ままあった。

「ご飯冷たくなっちゃったじゃない」

 明梨にそう言われても

「ごめん」

 と、あやまっておけばいい、という感じになっていた。


 そんな日が続きつつも、とりあえずは、あまり変わらない日常が続いていた。

 しかし、明梨は、なぜか、食卓が散らかることを妙にいやがるようになってきたのだ。

 雑誌や漫画などを置きっぱなしにしていると不機嫌になる。

 そして、夕食のときには必ずランチョンマットを敷き、そこに、わりとおしゃれな感じの皿を並べ、箸置きも、今までよりも品のいい物を使うようになっていた。

「そういうの、別にいらないんじゃない?」

と、僕は言ったのだが、

「丁寧な暮らしって、素敵でしょ?」

という返事が返ってきて、丁寧な暮らしって何だ?と思ったのだが、まぁ、妻がそうしたいのならば、そうすればいいか、くらいに考えて、深く追及することはなかった。



 結婚して3年目になっていた。

 それまでは、そこそこ僕の好きな料理を作ってくれていたのだが、だんだんと創作料理的な物が増えてきていた。

 それはそれでおいしいのだが、やっぱり、僕としては、定番の料理の方が食べたかった。

「そんなに凝った料理じゃなくてさ、もっと普通のやつ作ってよ」

 僕がそう言っても、

「わたしは、もっと料理の可能性を追求したいの!」

 と言われてしまう。

「それに、今作っている料理もおいしいでしょ?」

 そう訊かれると、確かにおいしいことはおいしい。

「おいしいなら、いいじゃない」

 そこで、終わってしまう。

 家事に関しては、完全に明梨が主導権を握っているので、僕はどうすることも出来ない。

 粛々と、妻の作る料理を食べるしかなかった。


 梅雨が終わって夏になり、当然のように暑い日が続いた。

 ある日の金曜日、僕は、むしょうにアイスが食べたくなって、会社帰りに近所のコンビニでアイスを買って帰った。ひと箱に6本が入っているソーダバーだった。

 明梨はまだ帰ってきていなかった。

 とりあえずアイスの箱を開け、2本ほど食べた。あと4本残っている。

 冷蔵庫の冷凍室を見ると、一応空きスペースがあったので、とりあえずそこに入れた。


 ほどなくして明梨が帰って来た。

 僕は、趣味部屋でゲームをしていた。

 すると

「何やってるのよ!」

 ものすごい剣幕で、明梨が部屋に入ってきた。

「ど、どうしたのさ?」

 僕は、わけがわからなかった。何をそんなに怒っているのだ?

「アイス!なんで、あんな大きいの、買ってくるのよ!」

「大きいって、普通のアイスひと箱じゃん」

「明日、買い出しの日でしょ?あんなのがあったら、入らなくなっちゃうじゃない!」

 ……そういうことか……。

「今日、猛暑日だったし、なんか、すごいアイスが食べたくなったから……」

「だったら、カップアイスとか、1個ですむやつにすれば、それ食べるだけで、冷凍室ふさがれること、なかったじゃない!」

「明日も、あさっても、食べたいんだよ、アイス!それくらいの自由も、僕にはないのかよ!」

僕が大声を出すと、さすがに明梨はひるんで、

「もう、いい!」

 そう言って部屋を出ていった。

 もしかして、アイス捨てられるかも?

 そう思って、急いでキッチンに行き、冷蔵庫の冷凍室を見ると、アイスの箱は捨てられていたけれど、アイス自体は、ビニール袋に入れられて無事だった。

一応、ホッとはしたものの、明梨がどうしているか気になって、流しに立っている妻を見たが、一心不乱に玉ねぎを刻んでいる様子は、鬼気迫るものがあった。

 僕は、自分の妻が、何か、とても怖い人のように思えて、そっと趣味部屋に戻った。

 なんで、こんなことになってしまったんだろう……。

 どうしたら、元の明梨に戻ってくれるんだろう……。

 僕は、そればかり思った。


 土用の丑の日が近づいていた。

 そこで、僕は、ある提案をした。

「今度の土用の丑の日さ、一緒にうなぎ食べに行かない?」

 しかし明梨は

「行かない」

 の一言だった。

 まぁ、ここまでは想定内だ。

「じゃあさ、うちで食べようよ、普通のうなぎをさ。スーパーとかで売ってるのでいいんだよ。2枚1パックのを買って、一人1枚ずつ食べる。どんぶりにご飯をよそって、そこにうなぎをのせて、たれをかけて、山椒をふってさ。おいしいと思うよ」

 うんと言ってくれ。僕は祈るような気持ちで明梨の答えを待ったが

「うなぎに関しては、あるアイデアがあるの。どうしてもそれを試したいの。だから、ごめん」

 僕の要求が通ることはなかった。だめだったか……。


 そして、土用の丑の日当日。

 食卓にあったのは、うなぎのちらし寿司のようなものだった。

 たぶん、うなぎは1枚しか使われていないのだろう。その1枚のうなぎが、1センチほどの幅に細かく切られていた。錦糸卵やら、しいたけやら、いろいろな具材が散りばめられていた。

 確かに、見た目は華やかだ。

 でも、僕の食べたかったうな丼とは違いすぎた。

「絶対おいしいから、食べてみて」

 明梨は言った。

 しかし、僕は、どうしても食べる気がしなかった。

「ごめん、ちょっと出てくる」

 そう言って、僕は、家を出て、当初明梨と2人で食べようと思っていたうなぎ屋に行った。

 土用の丑の日とあって、店は、そこそこ混んでいた。

「うな重1つ」

「うな重1つですね、かしこまりました」

 店員が去って、僕は1人になった。

 店内には、1人の客もいたが、カップルや家族連れも多くいた。

 皆が幸せそうに見えた。なぜ僕は、1人でここに居るのだろう……。

「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」

 ややあって、うな重が運ばれてきた。

 切り刻まれたうなぎではなく、ちゃんとしたうなぎ……。

 これが食べたかったんだよ……。でも、それって、そんなに難しいことなのだろうか……。

 うなぎはおいしかった。でも、やっぱり、なんだか哀しくもあって、僕は、複雑な気持ちでうな重を食べた。


 家に戻ると、僕の分のうなぎのちらし寿司のようなものは、もう食卓にはなかった。ためしに冷蔵庫を開けてみたが、そこにもなかった。流しは、きれいに片付いている。

 捨てたんだな……。

 僕は、ちょっと胸が痛んだけれど、仕方がない。

 明梨は風呂に入っているようだった。

 明梨とは、顔を合わせたくなかった。しかし、趣味部屋は、寝室をかねているので、そこで顔を合わすはめになってしまう……。

 風呂には入りたかったけれど、今日は仕方がない。

 僕は、早々にベッドに潜り込んだ。幸いダブルベッドではなので、僕が起きていようが寝ていようが気づかれることはない。

 明梨には背を向けるような感じで、寝ることにした。

 風呂から上がった明梨が、しばらくして、寝室に来た。

 何か話かけられるかと思ったが、明梨は無言でベッドに入った。明梨も、僕とは話したくないのだろう。

 重苦しい空気が漂う。それでも、僕は、いつしか眠りについていた。

 

 いつもより早くに寝たせいか、いつもより早くに目が覚めた。

 明梨はまだ寝ている。

 僕は、軽くシャワーを浴びた。そして、ミネラルウォーターを飲み、ワイシャツを着て、ズボンをはき、その後家を出た。

 やはり、明梨と顔を合わせたくなかったのだ。

 駅の近くにハンバーガーの店があるので、そこで、朝限定のバーガーを食べて会社に向かった。

 こんなことをしていてはだめだ、と思いつつも、どうしても、このようにしか行動できなかった。


 会社に着き、その後、外回りをして、再び社に戻る途中。

 電車はわりとすいており、僕はシートに座ることが出来た。

 右隣りは明梨と似た年頃の女性が座っていた。

 その女性はスマホを見ていた。

 別に、のぞき見るつもりはなかった。

 しかし、なんとなく目に入ってしまった。

 すると、そこには、昨日のあのうなぎのちらし寿司のようなものの写真が表示されていた。

 しかも、ランチョンマットや、箸置きなど、どう見ても我が家の物と同じだった。

 この女性は、明梨の友達か何かなのか?明梨が彼女に写真を送ったのかと最初は思った。

 しかし、そうではなかった。

 形式からして、それは、ここ数年はやっているPhoto pageに違いなかった。

 フォトページ映えなどと言って、特に若い女性などが利用しているSNSのうちの1つである。

 明梨がフォトページをやっているなど、全く知らなかった。

 昨日の写真には、『昨夜は土用の丑の日。我が家では、うなぎのちらし寿司風にしてみました。夫も喜んで食べてくれました。詳しい作り方は、ブログの方を見て下さいね』

 などという文章が書かれていた。ハッシュタグは、時短、土用の丑の日、うなぎのちらし寿司風など……。

 そして、その下には、『あかりんさん、相変わらずセンスいいですー』とか『すごいきれいです。めっちゃ映えますね』とか『こんなおいしそうなお料理がいつも食べられてあかりんさんの旦那様は幸せだー』などというフォロワーとおぼしき人からのコメントが書かれていた。

 ううん!隣の女性が咳払いをした。見ると、ものすごく怪訝そうな顔で僕のことを見ていた。

 僕は、隣の女性のスマホをガン見していたのだ。

 女性は、立ち上がると、違う車両に行ってしまった。

 不審者扱いされた……。

 それは、それでショックだったが、今はそれどころではなかった。

 社に戻る予定だったが、熱中症っぽいと嘘をついて、直帰することにした。

 熱中症というのは嘘だが、なんだか軽いめまいに襲われそうになっていた。

 何が何だか、わけがわからなかった。


 とりあえず、僕は、まず家に帰った。(途中でコンビニに寄って500ミリリットルほどのミネラルウォーターを買った。)

 そして、いつもは玄関に脱ぎっぱなしにしている革靴を下駄箱にしまった。

 洗面所で、手や顔を洗い、うがいをした。ワイシャツを脱いで洗濯用のかごに入れようとしたが、それはやめて、趣味部屋に直行した。

 趣味部屋には、パジャマ替わりにしているTシャツや短パンが置いてある。僕は、とりあえずそれに着替えた。そして、先ほど買ったミネラルウォーターを一気飲みした。このままくつろぎたい気分だったが、そうはいかない。

スマホで時刻を確認すると午後4時30分。

 明梨が帰ってくるまで、あと2時間半ほど。それまでに、いろいろ調べたいことがあった。

 

 まずパソコンを立ち上げた。

 僕は、フォトページには登録していない。登録していないと見ることが出来ない。でも、ブログならば、登録していなくても見ることが出来る。

 ブログ名がわからないので、探すのに手こずるかもしれないが、とりあえず、それっぽいワードを検索にかけてみる。

『あかりん 時短 土用の丑の日 うなぎのちらし寿司風』などだ。

 すると、思ったより早くにヒットした。意外と人気のブログなのか?


ブログのタイトルは『あかりんの幸せ夕飯日記』。

 ブログの説明欄には、時短、節約、簡単料理、いろいろ紹介しています。良かったら作ってみて下さいね。

 とある。

 そして、一番最新の記事が、昨日の夕飯。

 記事のタイトルは、『うなぎのちらし寿司風』。

 まずは大きな写真。やはり、我が家の物だ。間違いない。

 次に文章。

 フォトページと違って、こちらは、やはり文章が長い。一応書き分けをしているらしい。


『昨日は土用の丑の日でしたねー。我が家もうなぎにしました。でも、うなぎって、やっぱり高いですよね。なので、うなぎ1枚で作れるレシピを考えてみました。』

 その文章の後に、材料や作り方の手順が書いてある。

 その後に、

『夫が、すごくおいしいと言ってくれてうれしかったです。来年の土用の丑の日も、これがいいな、とリクエストしてくれました。でも、私としては、来年は、さらにグレードアップしたものにしたいんですけどね(笑)』

 などと書いてある。


 そして、この記事に関してのコメントがいろいろと載っている。

 だいたいフォトページと似たような感じだが、若干年齢層が高いのか、言葉遣いが丁寧だ。

『あかりんさんのお料理は、本当にいつも華やかですよね。私も、いろいろ参考にさせて頂いています。来年は、私もちらし寿司風に挑戦してみようかな。』

『うちは、普通にうな丼にしちゃいました。でも、うなぎって、やっぱり高いから、きついです。あかりんさんのもやしレシピ、いろいろ活用させて頂きます!(笑)』

『うちは、1枚のうなぎを3等分して家族3人で食べました。少なすぎるって文句言われました(怒)。だったら、もっと稼いでこいって感じですよね。』

『我が家は、もともと金欠なので、うなぎなんて、最初からあきらめています。あかりんさんのもやしレシピ、常に参考にさせて頂いています。いつもお世話になっています~。』

などなど。

 週に2~3回は、もやしを炒めたり、ゆでたり、あえたりする料理が出てくるので不思議だったが、ブログの読者に人気だからということだったわけだ。

 中には、こんなコメントもあった。

『あかりんさんのご主人さんは、いつもおいしいって言ってくれるんですね。うちの夫は、うまいともまずいとも言わず、ただ食べて、それでおしまい。あかりんさんがうらやましいです。』

 僕がこのうなぎのちらし寿司風を食べてすらいないと知ったら、このコメントを書いた人は、何て思うのだろう。


 他の記事もだいたい似たような感じだった。

 ふと、一番最初の記事を見たくなり、最古記事のページを開いてみた。


 タイトル『初めまして』

『お料理が好きなので、ブログを作ってみました。これからよろしくお願いします。』

 やたらシンプルだ。コメントも0。


 その2日後。

 タイトル『ハンバーグ』

『夫の好物のハンバーグを作ってみました。夫はおいしいと言ってくれました。男の人って、やっぱり、なんだかんだハンバーグ好きですよね(笑)。子供のままなのかなー、なんて思ったりします(笑)。』

 コメント0。時期からして、僕のリクエストに応えていた頃だろうか……。

 この頃は、不定期更新で、僕の反応が良かったときに投稿している感じだ。


 しばらくして、ブログの雰囲気が変わってくる。

 タイトル『豚小間と野菜の炒め物』

『夫のリクエストに、ずっと応えてきたのですが、家計的に、ちょっと、どうなのかな、と思い始めました。なので、私なりに、これからは、節約料理とか、いろいろやっていきたいと思っています。』

 それまで、ほぼコメントが0だったが、この記事には2つほどコメントが書いてある。

『あかりんさん、初めまして。家計には、ほんと、悩まされますよね、お互い頑張りましょう。』

 それに対しての明梨のコメント。

『みほみほさん、コメントありがとうございます!お互い頑張っていきましょう!』

 もう1つのコメント。

『あかりんさん、初めまして。豚小間と野菜の炒め物、おいしそうですね。野菜のしゃっきりしている感じが写真でもわかります。私は、いつもべしゃっとした感じになってしまうので困っています。』  

 それに対しての明梨のコメント。

『よっぴーさん、初めまして。野菜炒めは、ニンジンとか、固めのものは初めに炒めて、もやしやキャベツなど、すぐ火が通る物に関しては、最後に投入すると、わりとうまくいくかもしれません。といっても、私も、まだ、試行錯誤している感じなんですけどね。』

 明梨のコメントを受けて、よっぴーと名乗る人が再びコメント。

『あかりんさんは、何度かに分けて炒めているんですね。すごいです。私は、一気に投入しているので・・・。ひと手間って大事なんですね。勉強になります。』


 ここらへんから、たぶん、業務スーパーに通いだし、時短や節約料理の方にシフトチェンジしていったのだろう。

 きっかけは、家計のためだったのだろうが、料理をするモチベーションに関しては、僕に対してというより、明らかに、ここの読者に向いている感じだ。


 読者が増えていくにつれて、さらにブログは変化していく。

 タイトル『リメイクコロッケ』

『昨日の肉じゃがを多めに作ったので、残りはリメイクでコロッケにしてみました。夫は全く気付いていないようです。普通においしいと食べてくれました(笑)。』

 これについては、ぼんやりと覚えている。なぜなら、僕は、牛肉コロッケが好きだからだ。でも、これはこれで、一応おいしかったので、なぜこれなのか、と追及はしなかったのだ。

 それがこういう風に書かれているのは、あまりいい気分はしない。

 この記事に対してのコメントも好意的だ。

『肉じゃが、あえて多く作ってコロッケですかー。コロッケって手間かかりますものね。私もやってみます。』

『あかりんさんの旦那様は、おおらかでいいですね。うちがもし、これやったら、嫌み言われちゃうかも。』

『肉じゃががあまったときは、自分が昼ご飯に食べていました。昨日の晩に食べて、また昼もって、なんだかな、と思ってたんですよね。いいアイデアですね。』

 その他にも、似たようなコメントが10件ほど。

 この頃には、明梨は、個別にコメントというより、まとめてコメントしている。

『リメイクコロッケ、意外に評価して頂けてうれしいです。これからも、いろいろなレシピを載せていきますね。』


 そして、そこから数か月後。

 タイトル『お知らせ』

『いつも「あかりんの幸せ夕飯日記」、読んで頂いてありがとうございます。この度、私は、フォトページデビューをさせて頂きました。そちらの方もご覧いただけるとうれしいです。』

 その記事には、フォトページの自分のページとおぼしきURLが貼り付けられている。クリックすると飛んでいけるようになっているようだ。

 それに対してのコメント。

『あかりんさん、フォトページデビュー、おめでとうございます!ぜひ、そちらの方もうかがわせていただきますね!』

『私も、絶対見に行きます!ますますのご活躍、期待しています!』

など。


 そして、たぶん、このタイミングで、ランチョンマットや皿や箸置きなどにこだわりだしたのだろう。

 ブログよりも、フォトページの方が、なにしろ映えを重視しなくてはならないからだ。

 明梨は当時、丁寧な生活がしたい、と言っていて、意味がよくわからなかったのだが、要するに、見栄えを気にしなければいけないところに参入するにあたって武装してみた、といったところが正解なのだろう。


 業務スーパーに行くようになったあたりから、365日、毎日更新している。

 そりゃ、外食はもってのほか、そして、定番料理を作ると、最初の頃のようなコメント0状態になりそうでこわいのだろう。不定期更新にすると、せっかくついた読者やフォロワーが離れそうで、それもこわくて出来ないのだろう。

 

 ちなみに、明梨のブログは、そのブログサイトの料理部門としては、全体の3位となっている。総合では150位ほど。

 2位は『ずぼら飯極めてみた』というタイトルで、ざっと見たところ、缶詰やレトルト食品、冷食などを使いつくす、という感じで、明梨とは目指している方向性がまるで違う。

 そして1位は『SALAの気ままLIFE』。

こちらのブログは、料理中心ではあるが、夕食に限らず、おしゃれな感じの朝食、休日のブランチ、夕食の場合でも、意外と定番料理を載せていたりするのだが、テーブルに、さりげなく季節の花が飾られていたり、食器類も、クールで上質な感じの物が多かった。

 たまには外食もしていて、おすすめの店を紹介したり、お気に入りのインテリア、雑貨など、まさに生活そのものを、それも無理なく、まさに、ハンドルネームそのままに、さらりと紹介している感じだった。

 コメントしている人達も、それなりにいろいろなことに詳しく、優雅に会話がなされているように感じられる。誰も、もやしの話などしていない。

 明梨と比べて、格上感が半端なかった。総合でも10位。150位の明梨とは、かなり差がある。

 我が家の食卓に、雑誌や漫画を置くな、とやたらと言うようになったのは、このSALAさんを意識しているのかもしれない。


 だいぶ日が沈んできた。時計を見ると午後6時45分。そろそろ明梨が帰ってくる頃だ。

 僕は、部屋の電気を消し、スマホの電源も切った。

 まだ僕が帰ってきていない風を装うのである。そのために、靴やら何やら隠しまくったわけだ。

 僕には、どうしても確認したいことがあった。

 

 午後7時。明梨が帰ってくる気配がした。

 「まだ帰っていないんだ」と声が聞こえる。一応僕のことを気にしているようだ。

 それでも、妻は、いつものように夕食を作り始めたようだ。

 趣味部屋からは、キッチンを見ることは出来ない。しかし、ダイニングの隣なので、食卓の様子は見ることが出来る。

 やがて2人分の夕食が完成して、明梨はそれらを食卓に並べだした。

 僕は、明梨に気づかれないよう、ほんの少しだけ、静かにドアを開けた。

 全部の料理を並べると、明梨は、スマホで、それらの撮影を始めた。

 1度撮影したものを確認し、気に入らなかったのか、再び撮影。皿の位置を変えたり、いろいろと苦労している。少しでも良く見えるように、必死になっている感じだ。

「精が出ますね、あかりんさん」

 僕は、趣味部屋のドアを開け、明梨の前に姿を現した。

「帰っていてたの?」

まるで、幽霊でも見たような顔をしている。

「それに、あかりんって、なんで……?」

「今日、たまたま電車で隣に座っていた人が、スマホで、明梨のフォトページ、見ていたんだよ。昨日のうなぎの写真が出ていて、僕は僕で、ものすごくびっくりしたんだ」

「見てくれてる人、実際にいるんだ!」

 と、明梨は、一瞬、ものすごくうれしそうな表情をした。しかし

「それで仕返ししようと思ったわけ?」険しい顔をして僕の方を見た。

「いや、どうしても明梨が、そういったことをやっているというのが信じられなくて、で、料理を作った後、写真を撮るのかどうか、確かめたかったんだ。まさか、こんなに何度も撮りなおしていたとはね。もしも自分用ならば、1枚撮れば十分なわけで、これは間違いなく、やっているんだな、と、今確信出来たというか……」

「とりあえず食べたら?」

 明梨にそう言われ

「そうだね」

 と、僕は素直に従った。昨日のうなぎのちらし寿司風を食べなかった罪悪感みたいのは確かにあった。

 しかし、今日の料理は、グリーンカレーとトマトサラダだった。

 僕からすると、グリーンカレーはカレーの部類に入らない。

 一応口には入れたが、どうせ食べるのならば、やっぱり普通のカレーが食べたかった。

 しかし、材料を見るに、鶏肉や、今が旬であろうナスやピーマンを使っているから、節約料理にはなるのだろう。

「明梨はさ、どこを目指しているの?」

 再び僕は尋ねた。素朴な疑問だった。

 明梨は言った。

「前に料理ブログで1位だった人とか、フォトページのフォロワー数がすごい多い人とかは、書籍化されてる」

「じゃあ、明梨も書籍化を目指しているわけだ」

「まぁ、そうだけど……」

「本が出せたら満足出来るの?」

「わからない。第2弾、第3弾と出したい気もするし、主婦雑誌に自分のコーナー持たせてもらうとか、もし可能ならば、テレビのバラエティとか料理番組みたいなのに出れたら、とか、いろいろ……」

「意外と野望持っているんだね、知らなかったよ」

「どうせ思い上がった変なやつ、とか思っているんでしょ?」

 自虐気味に明梨が言った。

「料理のことは、僕はよくわからないからね。可能なのかもしれないし、わからないよ」

「ふーん……」ふてくされた感じで明梨は言った。

「1つ訊きたいんだけど、もし本が出たとして、僕が例えば昨日みたいに食べたくないと言ったような料理に関しても、夫がおいしいと言ってくれた料理です、みたいに紹介するの?」

「それは……」

 明梨は言い淀んだ。

「明梨のブログ見たけどさ、今の明梨の料理に対するモチベーションは、間違いなく僕ではないよね?」

明梨は黙っている。やはりそうなのか……。沈黙が、僕にとってはきつかった。

「これからも、いちいち夫がおいしいと言ってたとか、喜んでいた、とか、そういうの書くの?それって嘘だよね?」

「ブログとかに全部ほんとのこと書いてる人なんて、いないんじゃないの?」

「それは、確かにそうかもしれない。でも、僕を巻き込まないでほしいんだ。なんか正直不愉快なんだよ。あまりにも事実と異なりすぎて」

「ひどい。そこまで言うことないじゃない!」

明梨が泣きながら言った。

「僕だって、ずっと耐えてきたんだ。明梨は、自分の読者受けする料理を作って賞賛されれば満足かもしれないけど、僕は、もやしは、それほど好きじゃない。でも、週に何回も食べないとならない」

「主菜じゃないし、それくらいいいじゃない」

「主菜だって、もっとシンプルなものが食べたいんだよ。僕も明梨も働いている。今のところ、そこまでお金に困っていないよね。でも、君の読者は、はっきり言って、結構金銭的にきつい生活を送っている人が多そうだよね。そういう人達に受けるために、僕は犠牲になっている。そのことに関して、なんとも思わないの?」

「……」

「じゃあ、訊くけど、僕と読者と、どっちが大事?」

「それは……」

 明梨は即答出来なかった。

「もうブログとかフォトページとか、やめてもらえないかな?」

「それはいや!」

明梨は、それに関しては即答した。

「わたしの料理を頼りにしてくれている人がたくさんいるんだよ?そういう人達を見捨てるの?それこそひどいことじゃない!」

「別に、君がやめたところで、そういう人達は、また違うブログなり、料理サイトなりを見つけるよ。正直、君の創作料理も、ちょっと検索すれば、似たような料理がいっぱい出てくるしね。そこまで独創的じゃない」

 それは本当だった。何気なくうなぎのちらし寿司と検索したら、それこそ、似たような料理が星の数ほども表示されたのだ。

「明梨は料理がうまい。それは本当だと思う。でも、自分で料理を開発するとか、それとこれとは、また別なんじゃないの?」 

「さっきは、料理のことはよくわからない、とか言ってたのに、結局本音はそれなんだ!どうせ人のこと、馬鹿にしてるんでしょ?」

「馬鹿にはしてない。ただ真実を言ったまでだよ」 

 みにくくて不毛な言い争いだと思った。いい加減に疲れた。

「離婚する?」

 僕が言うと

「え?」

 さすがに驚いた様子で、明梨は僕の顔を見た。

「なんで、そんなこと言うの?」

 離婚する気はないらしい。少しホッとしたものの、いっそ離婚に同意してくれた方が楽だったかもしれない。

「どうしてもブログとかを続けたいなら、君1人分の料理だけ載せればいい。僕の分は別に作って、それは載せない」

「そんなこと出来ない」

「どうして?」

「だって、ブログのタイトル、幸せ夕飯日記だよ。夫がおいしいと言ってくれる料理を作る幸せな妻、ってことなのに、1人分じゃ、それじゃ、違うってなっちゃう……」

「幸せ自慢したいだけか……」

「そうじゃない!どうしてわかってくれないの!」

わかってないのは君の方だよ。時短だの節約だのは読者を増やすため。離婚したくないのも、ブログ継続のために僕を利用したいだけなのだ。本当に気づいていないのだろうか?

「本当にわからないの?僕は、アイスを自由に食べることすら出来ないんだよ?」

そう言っても

「え?そんな事?だったら、趣味部屋に、あなた専用の小型の冷蔵庫、置けばいいじゃない。それで解決でしょ?」

と、言うのみだった。


結局小型冷蔵庫は買わず、妻の言うように、アイスは単体の物を1つだけ買うことにした。

 部屋のスペース的に、やはり置くのは厳しかった。一応もう一部屋和室があるのだが、そこは客間になっていて、そこに冷蔵庫を置くのは、やはり違和感があった。明梨も、きっと文句を言うに違いない。とにかく、妻とはもう、言い争うことはしたくなかった。

 

 それから、しばらく冷戦状態が続いた。明梨は黙々と料理を作り、僕は渋渋その料理を食べ続けた。

 会話することが、どんどん減っていった。

 明梨は食後、片付けが終わると、リビングで、ひたすらスマホを見ていた。

 僕は僕で、ゲームばかりしていた。

 最早家庭内別居のような感じになっていた。


 いつしか、季節は、秋になっていた。

 そんなある日、明梨が言った。

「わたし、フォトページもブログもやめるわ」

「え?」

僕は驚いた。あんなに固執していたのに、と信じられなかった。

 しかし、明梨のブログをチェックすると

『ご挨拶』

 とあって、『仕事の方が忙しくなってしまって、ブログ、及びフォトページを続けるのが困難になって参りました。今まで多くの方にご覧頂いていたので、終わらせるのは非常に残念なのですが、ご了承下さい。今まで、本当にありがとうございました。感謝しています。』

 と書いてある。

 それに対して

『突然の事で驚いています。でも、今までありがとうございました。身体には気をつけて下さいね。』『びっくりです。本当に残念です。ブログは、このまま残しておいてもらえませんか?』『私も残しておいてもらいたいです。また気が向いたら書いて下さい。ゆっくりお待ちしてますから』

 などというコメントがついている。


 そして、明梨は、元のように、僕のリクエストに応えて、定番料理を作るようになった。

 極端な節約術もやめて、ほぼ以前と同じような生活になった。

 冷蔵庫も、タッパーでびっしりということはなくなった。

 普通の料理は、やはりおいしかった。

「明梨は、やっぱり料理がうまいね」

 と僕が言っても妻は

「そう?」

 と、そっけなく言うだけだった。

 元に戻ったはずだった。

 しかし、何か違和感のようなものが、どうしてもぬぐえなかった。

 ブログには仕事が忙しくなって、と書いてあったが、特にそんなことはなさそうだった。

 そして、僕に対しても、定番料理は作ってくれるものの、義務で作っている感が、どうしてもしてしまうのだった。



 結婚して4年目。淡々と日常が過ぎていった。明梨はスマホ、僕はゲームという習慣は続いていた。


 そして、再び夏がめぐって来た。



「このアカリーナちゃんねる、いいよなー」

 会社の同僚が、スマホを見ながら僕に話しかけてきた。

「アカリーナちゃんねる?」

嫌な予感がした。

 同僚に動画を見せてもらう。

 顔出しはしていないが、顎あたりは映っている。

 服装は、かなり露出が高めで、かがむと、ブラが見えそうで見えないというようなきわどい感じで料理をしている。

 動画の紹介としては、男性でも作りやすい定番料理教えまーす!一緒にがんばりましょー!

 となっている。

 同僚は

「ただ料理作ってるだけなんだけどさ、なんかこう、色っぽいんだよね。俺、チャンネル登録しちゃったよ」

 などと言っている。

 明梨は、半年ほど前に会社を辞めていた。僕の給料だけでも生活は出来るので、辞めた理由は訊かなかったし、明梨も、特に言わなかった。去年の夏以来、必要最低限の会話しかしなくなっていた。だから、明梨が昼間何をしているのか、僕は知らなかった。

 動画を見ると、キッチンの様子はどう見ても我が家だし、声も明梨とそっくりだ。僕が会社に行っている間に、こんな事をしていたとは……。

 ずっとスマホばかりを見ていたのは、料理動画を作るためだったのか? 

 そして、定番料理を、また作るようになったのは、僕のためではなく、この動画を作るためだったのでは、という疑念がわいてきた。

 以前、テレビのバラエティとか料理番組みたいなのに出れたら、みたいなことを明梨は言っていた。

 動画が人気になれば、それも可能になるかもしれなかった。

 書籍化より、むしろ、そちらの方が、明梨にとっては、おいしいのではないか?


 その日の夜。

 僕は、明梨に、動画のことを問い詰めた。

 明梨は、悪びれることなく

「あ、それ、わたし」

 と、すんなり認めた。

「動画の編集とか、いろいろ大変なんじゃないの?」

 と僕が訊くと

「わたしも最初は無理かなーと思ってたんだけど、スマホにやり方とか出てたし、機材とかそろえれば出来るかなーと思って。会社辞めて、じっくり取り組んだら、普通に出来た」と、あっけらかんと言った。

「機材?」

「まー、ノートパソコンとか、三脚とか、いろいろ?和室の押し入れ、あまり使ってなかったから、そこに入ってるけど」

 全く知らなかった。確かに和室は、一応客間という感じになっているので、普段その部屋に入ることは、ほんどなかった。

「まだ始めて3か月くらいなんだけど、再生数とか、登録者数とか、順調に伸びてるんだよね」

 明梨が少し自慢げに言った。

「それは、明梨が、きわどい服着て、料理作っているからだろう?そっち見たさに登録しているだけってやつがほとんどなんじゃないのか?」

「別にいいじゃない。理由なんて、なんでもいいよ」

「本気で言っているのか?」

「まぁ、確かに、わたしに創作料理の能力はなかったかもね。それは認めるわ。でも、これなら、定番料理で充分だし、あなたもその方がいいでしょ?食べたい物、食べられるわけだから。よかったね?」

「そういうことじゃないだろう!人妻だって自覚あるのか?」 

「じゃあ、離婚する?」

「え?」

「だって、今回は夫婦の幸せ動画ってわけじゃないからね。むしろ独身の方が、いいんじゃないかな、と思って」

 明梨は、けろっとしている。


 きれいに片付いた部屋。おいしい食事。かわいい妻。

 世間的には良い結婚相手を選んだ、と思われるのだろう。

 でも、それさえそろえば幸せな生活を送れるのかといえば、やっぱり違うのだ。



 結局、僕達は離婚した。



 数年後、彼女は、動画に普通に顔出しするようになっていた。

 髪型は同じだったが、茶髪に変わっていて、顔も、メイクのなせる技なのか、少しいじったのかはわからないが、以前より、更にかわいくなっていた。

 上目遣いの視線、指についたたれなどをなめるときの唇の動き、甘えた声など、明らかに蠱惑的(こわくてき)で、更に、裸エプロンかと思わされるような過激な服装のときも少なくなかった。

 圧倒的に男性ファンが多いが、基本的に料理の腕はいいので、少しは女性ファンもいた。

 もちろん、やり方が邪道だ、と責める女性の方が多いのは間違いなかったが……。

 テレビの深夜のバラエティ番組にも、出たりしているようだ。

 これで、彼女の夢は叶ったのだろうか?

 いや、こんなものではないだろう。彼女の野望は果てしないのだ。

 そんな女の配偶者が僕に務まるわけがない。



 会社帰りに寄ったコンビニで買った弁当とサラダが、食卓の上ある。

 冷蔵庫の冷凍室には、ソーダバーとチョコアイスが入っている。夕食後のお楽しみだ。


 弁当を食べながらテレビを見る。

 女性タレントが『すごーい!肉汁たっぷりですねー!』とハンバーグを紹介している。


 明梨の作ったハンバーグ、おいしかったな。

 ふと、そんな事を思ってしまい、僕は苦笑する。



 何もかもは手に入らないのだ。それが人生だ。

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