選ばれし者・ハインツ
思い付きで書きました。
ハインツは村に住む青年だった。街の雑踏に紛れれば見分けられないような、どこまでも平凡な男である。彼は朝早くに起きて森に行き、キノコや薬草、果実を取って木の根元で昼飯を食べ、日が暮れる前に帰って来る。ある程度溜まったら街の商人に売りに行く。そして溜まった金で飯や道具、時折本を買う。週に1度は村の小さな教会に行く、常人並みの信仰心を持っている。
とにかく、彼はそうやって暮らしていた。彼の亡き両親もそうだったし、祖父もそうだったと聞いている。村の住人も、大体似たような事をして生活している。
そんな彼が王城に招かれた事を、一体誰が予想出来たであろう。
ある日彼の村に馬に乗った兵士5人と、豪華な客用馬車が1台訪れた。村の人々は作業をやめ、鎧を着た兵士と、王家の紋章の描かれた場所を見つめていた。
「この村の者を全員集めよ!!」
1人の兵士が高らかに叫び、村人を広場へと集めた。集まった数10を馬車の上から隊長らしき人物が見下ろす。
「先日聖官女様がお告げをお受けになった。この村に勇者の資格を持つ青年がいると。勇者に選ばれし者は、聖剣を手にし、魔王を討ち滅ぼす名誉を手にする事が出来る」
彼は1枚の紙を手にし、それと村人を見比べている。村人達は話の理解が追い付かない者、自分が勇者なのでは、と声を上げる者、誰が勇者なのかと話す者でざわついていた。だが、隊長が手を叩くと、一斉に静かになった。
「そこの者!!短い茶色髪に中肉中背の青年よ、前に出よ!!」
ハインツは声をかけられ、ビクッとした。まさか、自分が選ばれるとは思わなかった。
「お、俺ですか?」
「そうだ、君が勇者だ。お告げにそう記されている」
友人に背を押され、人垣から前に出る。
「名前は?」
「ハインツです。ハインツ・グレイマン」
「ハインツよ。仕事は何をしている?」
「森でキノコや薬草を取って、売っています」
「素晴らしい……お告げの通りだ……」
隊長は満足気に髭を撫でた。
「聞け!!この者こそが選ばれし勇者、ハインツだ!!容姿も仕事も、全てお告げの通りなのだ!!」
隊長が声を上げると、村人達が歓声を上げた。
「嘘だろ?ハインツが?」
「頑張って来いよ!」
だが、ハインツは実感が出来ず、未だ呆然としている。
「隊長さん、まだ実感が持てません。それから、せめて村の皆んなとお別れする時間を1日下さい」
ハインツは隊長に頼んだ。だが、彼はそれを断る。
「気持ちは分かるが、君が選ばれたのは神のご意思だ。それに、魔王の手はすぐそこまで迫り、我が国を飲み込み始めているのだ。別れは、今告げてくれ」
その間に兵士たちは出発の準備をしていた。ハインツは名残惜しいが、友人達に感謝と別れの言葉を告げ、家から最低限の荷物を取って来た。
「しっかりやってくれよ!」
「帰ったら、話を聞かせろよな!」
勇者に選ばれる。ほとんど噂や伝説と思われていた事が起こったのだ。友人らは彼を祝福し、今できる中最大限で送り出してくれた。
馬車に揺られ、王城へと着いた。裏口の様な所に馬車を止めたので、城の外観はよく見えない。それでも初めて見る、巨大な城壁や塔を見上げていると「こちらへどうぞ」と召使いの女性に案内された。王城で働くだけあって、綺麗な人だった。
彼が通されたのは、謁見の間だ。とにかく広い空間に真っ赤な絨毯が敷かれ、部屋には装飾の施された柱が左右均等に立ち、煌びやかな壁には絵画が飾られている。目の前には少し高い台があり、そこには玉座がある。そして、立派な服を着て、立派な髭を生やした国王が堂々と座っていた。
「お、お初にお目にかかります陛下。俺…………私は、ハインツと申します」
声が上ずりながら、何とか名前を名乗る。こんなに豪華で広い部屋は初めてだし、無言で立つ騎士や召使い、そして座っている国王を前にして、心臓が潰れそうだった。姿勢を正しながらも、その指先は当てもなく動いている。
「うむ。ハインツよ、良くぞ来てくれた。既に知っての通り、お主に魔王討伐を引き受けて貰おう。長年封印されていた魔王が蘇り、既に3年が経った。これまで99人の勇者が向かったが、生きて帰って来たものは居ない。しかし、お主にならやれる。そう信じておるぞ」
荘厳な王の声を聴いている内に、ハインツはだんだんと怖気付いて来た。今思えばそうだ。魔王はずっといるのだ。つまり、何人もの勇者が敗れている。そんな相手に、自分が勝てない事は分かっていた。何とかして辞退しなければ。これまでは祝福の雰囲気と、現実味が無かった事で討伐に向かうつもりでいたが、ようやく現実を見た。
「陛下、お言葉ですが、私は勇者を辞退したいのです。私はしがない村人です。聖剣の力があったとしても、一体どうして魔王に打ち勝てましょうか。私など、一瞬で殺されてしまいます」
「お主はまだ気付いていないのだ。自分の力にな。……ミーア」
王が人の名前を口にした。すると、ハインツの背後から足音が聞こえた。振り返ると、白い装束を身に纏い、祭事用の杖を持った少女が歩いて来る。服装からして聖官女、神からのお告げを聞き、さまざまな儀式を執り行う人物だ。
「突然の事で驚きかと思います。ですが、これは神のご意思であり、貴方の運命なのです」
彼女はハインツの横を過ぎると、彼の斜め前に立った。王との会話を邪魔しないためだ。
「しかし、私は武芸をした事がありません。それに対して、かの魔王は剣術の達人という噂じゃあないですか」
「ええ。魔王は優れた剣の技を持っています。しかし、貴方にはそれすら上回る、光の力があるのです」
「光の……力?」
「剣術では魔王に及ばないかも知れません。ですが貴方の、神がお授けになったその力があれば、魔王は貴方を殺す事ができません。むしろ、逆に魔王を葬り去る事が出来るのです。これまで何人もの勇者が挑み、敗れました。ですが、貴方の力は他の誰よりも強く、純粋なのです」
「俺に、そんな力が……」
聖官女のミーアはハインツに、「貴方は選ばれし者で、強大な力を持っている」と何度も説明した。そして
「お願いですハインツさん。どうか、あの邪悪の化身を倒して下さい。神は今回で全てが終わるとお告げになりました。お願いです、どうか。魔王を倒したあかつきには、私の身も心も捧げても構いません」
ミーアはハインツの手を取り、懇願した。それはまるで、神に赦しをこう信者の様でもあった。
「……わかり、ました。……引き受けます」
まだ迷いはあった。だが、彼は引き受けたのだ。こんな少女に、ここまで頼めれてしまっては、断る事が出来なかった。もはやこれは、ある種の呪詛にも感じられた。それほどまでに、ミーアの強い思いを、ハインツは感じていたのだ。
「よくぞ言った勇者よ。ではこれより、出発の儀式を行い、聖剣をそなたに授けよう」
略式ではあるが、厳かな雰囲気で儀式が執り行われた。ミーアと国王が言葉を述べらハインツに聖剣が託される。鈍く光る剣で、鍔の部分には赤い宝石がはめられている。
「こちらは私個人からです。貴方を、魔王の剣撃や呪いから守ってくれるでしょう」
ミーアはハインツに、星を象った首飾りを渡した。これには青い宝石が使われていて、キラキラと輝いている。
「ありがとうございます。では、行って参ります」
聖剣を腰に差し、首飾りを下げ、食料品の入った袋を持って、彼は出征の準備を整えた。
用意された馬車にはハインツ1人だけだ。だが、馬は利口なようで、王から渡された地図に沿って歩みを進める。彼の出征を見送る人も見えなくなった。ふと、彼は考えた。見送りの人が少ない気がすると。しかし、こうも考えられる。皆んな、何人もの勇者が殺されていると知って、もう諦めているのだろうと。
魔王の根城は意外に近い。馬車で2日程である。その間彼は手綱を握り、いたずらに馬を早く走らせてみたり、今度はゆっくり走らせ、そのまま寝たりもした。時折聖剣を抜いては陽の光にかざしたりもした。
「魔王は呪いで多くの人を苦しめている。俺が、何としても倒さなくては」
彼は何度もそう口にした。実際、彼は少し後悔していたし、悩んでもいた。それを打ち消すかの様に、自分は使命を持った勇者で、魔王を滅する光の力を持つ選ばれし者なのだと唱えていた。
はたして魔王はどんな姿をしているのだろうか。剣の達人というからには腕があるのだろう。怪しい魔術を使い、人に災いをもたらす。であれば、マントを被った老人の姿が思い浮かぶ。いや、腕があるから人とは限らないぞ。本に出て来た4本腕の怪物であったらどうしよう。
「いや、大丈夫だ。俺には聖剣と首飾りがある。どんな恐ろしい姿でも、俺を傷つける事は出来ないはずだ」
ミーアの言葉を思い出す。そういえば、中々に可愛い子だった。ハインツには魔王退治の道中でそんな事を考えるほどの、妙な楽観さもあった。
馬車にゴトゴトと揺られ、遂に魔王城の近くに到着した。王城よりは小さいが、それでも立派な城が夕陽の中に待ち構えている。外観は思っていた程、恐ろしくは無い。普通の灰色の白だ。馬はそこから動こうとしない。
「待っていろ魔王。今から行ってやる」
ハインツは意気揚々、城へと歩いて行った。
城の赤い大きな扉は彼が近づくと自然と開いた。冷たい空気が彼を迎える。一瞬怯んだが、己を奮い立たせ、薄暗い城内へと踏み込む。
「来たか、勇者よ」
部屋の上の方から、老人の声が響く。広間の奥にある階段から魔王が降りて来る。黒のマントに身を包んだ、老人の姿をしている。だが、その真っ赤な相貌は炎の様に輝き、ハインツ睨んでいる。
「今ここで、お前を倒すぞ、魔王」
ハインツは腰の聖剣を抜く。軽くも重くもなく、よく手に馴染む剣だ。
「貴様で遂に100 人目の勇者だ。さあ、どこまでもつかな」
魔王がマントを開くと、腰に差したサーベルが目に入った。彼はそれを抜く。そのしなやかな刀身はよく研がれているようで、建物の中にも関わらず、煌めいていた。ハインツの聖剣より切れ味が良さそうだ。しかし、聖剣とハインツには光の力がある。
「さあ、かかって来い」
魔王は軽く両手を広げ、挑発した。ハインツが雄叫びを上げ、魔王に斬りかかる。魔王はそれを容易く避ける。続いて連続で斬りつけるも、全て回避されてしまった。途中で突きも加えたが、僅かに胴を掠めて終わってしまった。
「その程度が。今度は私の番だ」
慣れぬ動きに息を切らし、整える間もなく魔王が攻撃を仕掛ける。サーベルの長さと軽さを生かした素早い斬撃だ。ハインツはどうにかそれを聖剣で防ぐ。刃が当たる度に高い金属音が響く。
「どうした?守りだけでは勝てんぞ?」
「くそ!」
攻撃の合間にどうにか一撃を入れるも、後ろに飛んで避けられた。
「100 人目だと言うのに、随分な出来損ないを寄越したものだな」
魔王は笑っている。そこに渾身の力で剣を振り下ろすもサーベルに弾かれ、胴に一撃を貰ってしまった。
「ぐう……」
傷口を触ると、血が滲み出ていた。
おかしい。俺には光の力があり、首飾りもある。魔王の攻撃は効かないはずでは……?実際、彼の傷はジクジクと痛み、血で濡れる感覚がある。
「俺に……光の力があるの……」
「なんの事だ?まあいい。お前はもう死ぬ。関係のない事だ」
先程の斬撃で動きの鈍くなったハインツに、魔王は連撃を叩き込む。鞭を振るうかの様に、わざと浅く傷を付ける。
「本当に弱い勇者だ。せっかくの100人目がこれとは私も不運な者だ」
大笑いしながら魔王に何度も斬りつけられ、ハインツは遂に膝を床についてしまった。
「食らえ!」
不意をついたつもりで剣を振るうも、虚しく空を切るだけだった。
「その身体では動けまい。もう少し楽しめるものかと思ったが残念だ。まあ、私の目的は貴様の命だ。斬り合いなど、ただの遊びに過ぎん」
勝利を確信した魔王はゆっくりと近づく。魔王の靴音が大きくなる。俺は死ぬのか?魔王に殺されるのか?光の力は?聖剣は?首飾りは?
「終わりだ。勇者よ」
視界の端でサーベルが光る。無数に浮かんだ疑問と恐怖の中、ハインツの命は尽きた。
ハインツが7日間帰らぬ事となり、彼は死んだと判断された。魔王に挑み、敗れた彼の葬儀は村で行われ、そこには聖官女のミーアも訪れた。
葬儀を終え、王城の一室でミーアと国王が話していた。
「これでようやく、終わったな」
「はい。100人の生け贄を送るだけで許して頂けるのは、不幸中の幸いでしたね」
王は椅子に深く座り、息を吐いた。
「それにしても、若者を100人、その上1人づつ集めるのには中々骨が折れたものだな」
「途中から疑う人も多かったですものね」
それを聞いて王は笑った。
「だからお主を雇ったのだよ。流石は一流の役者だな」
彼女は少し照れ臭そうにして、「そんなことありませんわ」とやんわり言った。
「ところで、この後はどうするおつもりですの?」
彼女は思い出したかの様に王に質問した。国王と2人きりでも緊張を露わにしないのも、一流の役者ならではだろう。
「この後か。魔王の奴は別の土地に行くらしい。だから私は「魔王は遠くへと行った。この国に限っては安全だ」と国民に伝える。次に魔王とあった君主がどうするかは知らぬ。私のように契約を結ぶか、愚かにも戦いを挑むのか。と言っても後者を選べば国が滅ぶだろう。魔王には勝てんのだからな」
「聖剣も、光の力もありませんものね」
いかがでしたでしょうか。
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