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恋を教えてくれたのは

 置いたカップが、決意を示すようにしてカチリと鳴る。


「わかりました、白状します。確かに婚約者を選ぶにあたって、ラッセルフォードのご令嬢をと考えていたのは事実です。……隣国とはいえ、いいえ、隣国だからこそ、ラッセルフォードに睨まれては、カグラニアはひとたまりもありませんから」


「……同盟条約があるだろうが」


「それだって、現国王同士の仲が前提のようなものです。現状、ラッセルフォードに"うまみ"はたいしてありませんからね。王権が交代してしまっては、結びつきが弱くなる。兄上は他国の姫君を迎え入れました。幸い、僕はまだ特定のお相手がいませんし、ならば僕がと」


「……なら、ティナである必要はねえってことだな」


「…………」


 視線を落とした先。気付けば残りのパスタスナックは、三分の一ほどまでに減っている。

 赤褐色の水面に浮かぶのは、図書室で見た、真剣な彼女の眼差し。


 この菓子ひとつを完成させるにも、あんな風に悩んで、悩んで。

 完成の際には誰かと共に、輝く笑顔を溢れさせたのだろうか。

 ――どうして僕は、その場にいなかったのか。


「……確かに、ティナ嬢に声をかけたきっかけは、彼女が僕の求める"条件"に近しく感じたからです。ヴィセルフ達からの信頼も厚いようでしたから、身元に関しても問題ないだろうと。さらには会場に置かれていた、目新しい数々の品が彼女の考案だと知り、ますます興味をひかれました」


「……だったら、俺の提案を――」


「いいえ」


 薄く息を呑んだヴィセルフを、僕はまっすぐに見据える。


「言ったでしょう? あくまで、"きっかけ"だと」


「なに?」


「ヴィセルフ、僕はですね。"恋"を、したことがないんです」


「……っ!」


 驚愕に引きつる頬に苦笑を返し、僕は言葉を続ける。


「知識としての理解はあります。けれどどうにも、感情よりも思考が先んじてしまうのですよ。どんなに美しい容貌も僕の理性を溶かしてはくれませんし、どんなに愛らしい唇も、甘く掠れた囁きも。この心臓を縛るどころか、奪いたい衝動を駆り立てるまでには至らないのです」


 ですが、と。僕はその脳裏に、彼女の姿を思い浮かべる。

 この"僕"と二人きりだというのに、わき目もふらずに没頭する瞳。

 子供のようだなどと嘲笑せず、僕自身の"好き"を堪能できるようにと祈ってくれた唇。

 僕の"役立たず"だった知識が誰かの笑顔を生むのだと語る、歓喜に上気した頬。


(今なら、"彼女をこのまま手放したくはない"と告げた、兄上の気持ちがよく分かる)


「艶めく瞳を通した世界をもっと知りたい。柔い唇が紡ぐ心に、もっと寄り添いたい。ほころぶ笑みを曇らせる全てを薙ぎ払う剣になり、許されるのならば、この手で包み込みたい」


 わかるでしょう、ヴィセルフ。

 うたうようにして笑んだ僕に、彼は眉間の皺を深める。


「恋をしたんです、僕。……おそらく、アナタと同じように」


 険しい眉間をそのままに、ヴィセルフが剣呑に瞳を細める。


「……後悔するぞ、レイナス」


「それは最後までわかりませんよ。以前も申し上げましたが、選ぶのは彼女ですから。それに、現段階ではヴィセルフよりも僕の方が身をゆだねやすいでしょうし」


「なんだと?」


「ヴィセルフ、エラ嬢との婚約はどうするおつもりです? 表向きは彼女を妃にすえ、ティナ嬢を愛妾にとでも? 彼女に後ろめたい想いを抱えさせるつもりですか」


「なっ……! んなワケねーだろ! 俺はアイツだけが――!」


「なら、エラ嬢との婚約は破棄するおつもりで? 僕の知る限りでも、ヴィセルフとエラ嬢は仲睦まじい理想の婚約者同士だと評判が高い。それなのに婚約を破棄し、ティナ嬢が新たな婚約者となったなら。真実はどうであれ、周囲はティナ嬢がお二人の仲を引き裂いたのだと捉えるでしょう。彼女が心無い罵詈雑言に晒され傷つくのは、明白です」


「だああああああっ!! んなこたあテメエに言われるまでもなく分かってんだよ……! ほんっとにテメエは昔からネチネチネチネチ……っ!」


 ヴィセルフが頭を乱雑にかき乱す。

 僕が追い打ちをかけるようにして、「分かっているのでしたら、なおさら彼女に相応しいのは僕では?」と笑んでみせると、彼は即座に、


「うっせえ! テメエの薄っぺらい口車になんか乗らねえぞ!」


「なら、どうするつもりなんです?」


 途端、ヴィセルフは苦々し気に顔を歪め、


「……考えはある。ただ、時間が必要だ」


「……うまくいくと、確証がおありで?」


「うまくいくかどうかじゃねえ。確実に、結果を出す。それだけだ」


 ともかくテメエの意志は分かった、と。

 立ち上がったヴィセルフは、扉へと歩を進め、


「レイナス。ひとつ、忠告しておいてやる」


「はい?」


 首を傾けた僕に、ヴィセルフは顔だけで振り返り、


「ティナは大人しくテメエの掌で踊るような、"お行儀のいい"女じゃねえぞ」


「……だからこそ、これほどまでに強く惹かれたのかもしれませんね」


「ふん。譲歩してやるのはこれが最後だ。テメエの泣き面を見る日が楽しみだな」


「ヴィセルフ」


 呼び止めた僕に、扉へと手をかけていたヴィセルフが億劫そうにして視線を向ける。


「"魔岩石"。まだ、灯せたんですね」


「!」


「彼女から、アナタの魔力の気配がしました」


 ヴィセルフは一瞬だけ視線を外したものの、再び僕を捉え、


「使えるモノは使う。それがティナの為になるなら、なんだってな」


「……いい心がけかと」


 忌々し気な睨みを残して、今度こそヴィセルフが退出する。

 残された僕は背をソファに沈ませ、クツクツと堪えていた笑みを吐き出した。


「"魔岩石"を、ティナ嬢のために……ですか」


 庭園の垣根に隠れ、ヴィセルフが石を灯そうと躍起になっていた幼少期が瞼裏に浮かぶ。

 テメエに出来て、俺サマに出来ないはずがないと。大嫌いな僕を、追いかけ回してまで。

 幼子用の、ほんの小石程度の魔岩石。

 ヴィセルフがそれを灯したのは、確か、僕たちが国に戻る直前のことだった。


『見やがれレイナス! 俺サマにも出来たぞ!』


『……すごいじゃないですか、ヴィセルフ』


 他国の人間は"魔岩石"を扱えない。はずなのに。

 ――まさか、本当に灯すとは。


 この時、僕は直感した。

 ヴィセルフは王の器ではなくとも、生まれながらにして、"王の素質"があるのだと。

 結局、灯せただけで扱うことは出来なかったらしいヴィセルフは、早々に"魔岩石"から興味を失ったらしい。

 あれから灯すどころか、"魔岩石"を手にする素振りすらなかったというのに……。


「自覚はあるんですかね、ヴィセルフ。自身の魔力を常にまとわせるなんて、とんでもない"独占欲"ですよ」


 これはこれは、なかなか手強そうですね。

 けれど負ける気は毛頭ないと、すっかり冷めた紅茶を飲み干した。

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