当て馬王子も主要キャラなのでございます
腕を組んだまま黙していたヴィセルフが、疲れたように息をつく。
と、鋭く細めた赤い目で私をとらえ、
「……よし。着替えも済んだことだし、さっそく言い訳を聞かせ――」
「あーっ!!」
「今度はなんだ!?」
「ご覧ください、ヴィセルフ様! こちらのソファーも絨毯も、この通り水がかかってしまっております。これは今すぐに! お掃除せねばなりません!」
ということですので、と。
私はそそくさと扉へ近づき、
「自分の失敗は自分で処理いたします。ヴィセルフ様はしばし、別の場所にてご待機ください!」
「は? ちょっ……」
戸惑うヴィセルフを後目に勢い良く扉を開いた刹那、何やら苦悶の表情でウロウロとしていた男性と目が合った。
深緑の短髪と同色の瞳。軍服めいた騎士衣装。
ひとつ年上の、ヴィセルフに幼少期から仕える、従者騎士のダン・アデリックだ。
彼はぱっと顔を跳ね上げると、焦燥めいた顔で「ヴィセルフは!?」と私に問うので、
「お部屋の清掃のため、ヴィセルフ様は今からお出かけになるそうです」
「え? それって……」
不安気に扉から中を伺ったダンは、ヴィセルフの姿をとらえると歓喜に頬を綻ばせ、
「ヴィセルフ! その服を着ているってことは、パーティーに出る気になってくれたんだな!」
「あ? ちげえ、これはコイツらが勝手に……」
「パーティー! それはとても素晴らしいですね! ちょうどピッタリのお召し物ですし!」
途端、ヴィセルフが片眉をぴくりと跳ね上げる。
「……なるほど。これがお前の"狙い"か」
「なんのことでございましょう? 偶然、うっかりとは時に奇跡を生むものですね」
「ほう……この期に及んでしらを切るたあ、いい度胸だな」
(度胸なんてないし! それもこれも、あなたの為でもあるんですよー!)
凶悪な笑みに内心で震えながら、必死に無害な笑顔を貼り付ける。
するとダンが、部屋とのギリギリの境界線に立ち、
「なあ、今回ばかりは行っておくべきだってヴィセルフ。ただのパーティーじゃないんだ。すっぽかしたら、お前の評判だって落ちる」
「……んなの、今更どうでもいいだろが」
「いいわけ――」
「いいわけないです!」
「!?」
(あ、やば)
ダンとかぶっちゃったと口を抑えるも、時すでに遅し。
しっかり三人ぶんの視線を受けてしまった私は、「……どうよくないってんだ」と先を促がすヴィセルフにおずおずと手を下げ、
「ヴィセルフ様は、いずれ国王になられるお方です。周囲に悪い印象を持たれては、予想だにしないところで敵を作ってしまうこともあります。志半ばで命を失うようなことがあっては……悔しいじゃないですか」
ていうか、このままだと本当に死んじゃう未来が待っているんですよ……!
プレイヤーの時はヴィセルフの結末に同情するどころか「ざまあ」とまで思っていたのだけど、今の私にとってヴィセルフは、こうして会話もできる生身の人間だ。
たとえ侍女として一方的に認識しているだけの関係でも、知ってしまった相手が死ぬのは心苦しい。
ましてや私は一度、"志半ば"で命を終えた経験者だ。
もっと早く、もっと違う選択していれば――。
そんな後悔に最期を迎えた悔しさが、まだ、私の中で渦巻いている。
と、ヴィセルフが大きなため息をひとつ。
知らずに下がっていた視線を上げると、
「……わけわかんねえ」
「……そう、ですよね」
「ああ。最悪な気分が更に最悪だ。……ったく、仕方ねえ。おいダン。身支度の出来る侍女どもを呼べ」
「……へ?」
ヴィセルフはつい、と壁際の大鏡へ歩を進め、
「出るってんなら、完璧にしていかねえと気が済まねえ」
「! ヴィセルフ様……っ」
それって、つまり出席してくれるってことで――。
背後ではダンが廊下に向かって大声で「ヴィセルフがパーティーに出席だ! 急いで整えてやってくれ! 気が変わる前に!」と叫んでいる。
ざわめく廊下。ヴィセルフは乱雑に頭を掻くと億劫そうに私を睨み、
「いいな。今回限りだ。このままじゃこの部屋にいる限り、お前の顔が浮かびそうだからな」
「……はい! ありがとうございます、ヴィセルフ様」
下げた頭の向こうから「……ふん」と素っ気ない反応。
すると、どこからともなく現れた侍女さんたちによって、ヴィセルフは髪を整えられ、香水をふられ、装飾をあしらわれ……。
あれよあれよという間に、煌びやかな"王子様"が出来上がった。
「……こんなもんか」
自身の姿を確認し呟くヴィセルフに、「実に麗しゅうございます、ヴィセルフ様」と侍女さんたちが頭を下げる。
そういえば、この目で実際にパーティー仕様のヴィセルフをまじまじと見るのは初めてだ。
……うん。
隠しルートにヴィセルフルートが存在してもおかしくはないくらい、文句なしに光り輝いている。
(この姿を見ればエラも少しは……ううん、でもヴィセルフはヴィセルフだからなあ)
悲しいかな、どんなに見た目が良くたって、そう簡単に性格は変えられない。
(ならせめて……そうだ、周囲の陰口を減らすだけでも)
「さあ、行こう。今すぐに行こうヴィセルフ。門の前に馬車も待機済みだ!」
扉前で急かすダン。
ヴィセルフが履き替えた靴で歩を進め、
「ったり前だ。俺サマを一秒でも待たせやがったら、即座にこの服脱ぎ捨ててやる」
と、ヴィセルフはすれ違いざまに私を見下ろし、
「お前の処遇については、帰ってからだ。逃げるなよ」
(あー、ですよねえー)
事故を装ったとはいえ、王子に水をぶっかけたのだ。
それ相応の罰は覚悟している。
(解雇にならないといいんだけど……)
「……お帰りを、お待ちしております」
スカートの端をつかみ、片足を後ろに引いて身をかがめ、誠意を尽くしたカーテシーを。
そんな私にヴィセルフは、
「……ふん。戻ってきた時に染みのひとつでも残っていやがったら、承知しないからな」
明かりを反射するまでに磨かれた皮靴が、視界を横切っていく。
――もしかしたら私は、焦るあまり選択肢を間違えてしまったのかもしれない。
だってもしここで解雇されてしまったら、私は王城から離れた田舎の家に戻るしかない。
貧乏っ子伯爵令嬢の私が、王都の社交界に招かれるなんて稀の稀。
おまけに私の魔力はちっぽけで、クラウン学園からお呼びがかかるなんて到底あり得ないし……。
今後どうやっったって、ヴィセルフとエラをくっつけるなんて不可能だ。
(あああ、もっと慎重にやるんだった!)