姉が悪役令嬢拾ってきた
勢いのまま書きました。
「明日、姉さんのところに行ってこようと思うんだけど、君も来るかい?」
「まあ、行ってもいいの?急なことで申し訳ないわ」
「是非おいでと言っていたよ。なんでも、パウンドケーキとクッキーを焼いたので
持て余しているそうだ」
そういうと愛しい妻は、「じゃあ、お土産には美味しい紅茶がいいわね」と言って、ウキウキした様子でスマホを開いた。行きがけに紅茶専門店へ寄ろうという考えらしい。僕はほほ笑んでから、風呂に入るべく立ち上がった。
我が姉は、モップ用ワイパーでオーク6匹を撃退した猛者である。異世界と地球をつなぐ「ゲート」なるものが神の気まぐれとやらで地球上のあちこちに開いてから六年。トラブルもまあまあ発生していた。姉が撃退したオーク六匹は、果樹園の労働者として雇われてきた連中で、最初から悪事を働く予定で「ゲート」を潜ったらしい。可憐な若い女子高生を手籠めにしようとしたところを、偶然モップ用ワイパーの本体を購入した帰りに通りかかった姉に発見されたのである。
結果としてオーク共は、泣きながら土下座する羽目になった。あちこちの骨をへし折られ、ついでに男の大事なところも叩き潰されたのでやつらの雄としてのプライドもまた、粉々に砕け散ってしまったのである。
僕の姉は駆けつけてきた警察にオーク共を引き渡した後、「最近の若者は根性がないねえ」と言って、新しいモップ用ワイパーの本体を買いに行った。
そんな女である。
「姉さん、こんにちは」
「あの、お義姉さん、これつまらないものなんですけど、よろしければ」
「いらっしゃい、よく来てくれたね。あらあらありがとう、じゃあお湯の準備をするね」
姉はそう言ってキッチンへ行った。僕たちはソファに座ろうとしたが、先客がいることに気づいた。
可憐な少女である。おそらく外国人なのであろう、はちみつ色の髪をゴージャスな縦ロールにしていて、大きな青い瞳に、ピンクの柔らかそうな唇をしていた。我が妻には負けるが、ちょっと気の強そうな美人である。下には姉のものと思しきサイズの合っていないジャージを着ていた。丈が合ってないので、つんつるてんになってしまっている。
少女の白眼の部分は充血していて真っ赤になっていた。泣いていたのであろう。それでも僕らに気づき、怯えた表情を見せた。
「ああ、大丈夫ですよ、座っててください」
僕が何か言う前に妻は素早く言った。
「姉さん、この子はどこの子なの」
僕はキッチンに叫んだ。姉がトレイを手にしてキッチンから姿を現す。そして、ゆるゆるとした口調で言った。
「さっき、牛乳を買おうと思ってコンビニに行こうとしたら道端ですごく豪華なドレスを着てうずくまっていたの。話を聞こうとしても泣いてばかりいるし、どうしたもんかと思って交番に届けて保護してもらおうと思ったんだけど、すごく嫌がるからとりあえずおまわりさんにお話しだけしてうちに連れて帰ってきたのよ」
相変わらず我が姉はなんというか、豪胆な人である。少女が悪意ある存在とは考えなかったのだろうか。ふとリビングの片隅を見ると、そこには傷だらけのモップ用ワイパーの本体が立てかけられていた。なるほど、たとえ少女が悪意ある存在だとしてもなんとかできると確信を持っているからこそ、家に連れてきたのであろう。
「ほら、はちみつ入りのミルクができたからお飲みなさいな、ソフィアさん」
そう言って姉はマグカップを彼女の前に置いた。
「熱いからね、フーフーしてから飲むのよ」
そう姉が言ったとたん、少女は号泣しだした。しゃくり上げながらつっかえつっかえに言う。
「も、申し訳ございません…わたくし、こんなに優しくしていただいたことは、お母様が亡くなって以来で…」
少女が語ったのは、以下のような内容である。
彼女は誇り高きアクィラ王国のカリーノ公爵家に産まれた令嬢、ソフィアである。自国の第一王子、アガピト王子は幼いころからの婚約者であった。成人とされる18歳になったら結婚する予定だったそうである。そのため彼女は幼いころから厳しい教育を受けてきた。それはそれはものすごいスパルタ教育だったそうだ。
「わたくし要領が悪いものですから、教師の皆様には散々ご迷惑をおかけして…」
おまけに第一王子の婚約者となってからは、政治的中立性とやらのために友達もできなかったという。ソフィアは社交界でも、家でも孤立しており、心の休まる場所は自室だけだったそうだ。肝心の第一王子といえば、ソフィアは控えめに表現したが、どう見てもぼんくらの暗愚としか思えない男で、こちらもさっぱり頼りにならなそうだった。
それでもソフィアは耐え忍んだ。いつか幸せになれるという、亡き母の教えを信じて。
ところが、そんなソフィアを憎んでいる存在が身近にいた。
異母姉妹のアンナである。元からソフィアのことを妬んでいたアンナは、アガピト王子に横恋慕した挙句、その豊満な胸と、かわいらしい顔立ちで王子を篭絡したのである。
かくして昨日の国王主催の夜会で、ソフィアは馬鹿王子のアガピトからアンナをいじめていたとの虚偽の口実で婚約破棄され、必死に弁解したにもかかわらず会場から叩き出され、わけのわからないまま「ゲート」をくぐり、この世界にやってきたのだった。
そうしてうずくまっていたのを姉に発見されたのである。
「皆さまに迷惑をかけるわけにはいきませんわ…。わたくし、落ち着いたら王国へ戻ろうと思います。そして陛下からの沙汰を待ち、今後どうするかを決めなければいけません」
ソフィアは18歳になる娘とは思えないほどきっぱりとした口調で言った。
「戻ることはないよ。うちにいなさい」
姉は彼女に負けないくらいきっぱりとした口調で言った。
「でも、おばさまに迷惑をかけるわけには…」
「そんなぼんくら共のところに戻ることはないよ。幸い、旦那は単身赴任中だし息子は独立してるから部屋はあるのよ。それにあなた、話を聞いてて思ったけど、幸せになろうという気概がないのよ。いい?幸せになりたいなら、じっと耐え忍ぶだけじゃダメなのよ。勇気をもって行動しなくちゃ」
「姉さん、いいの?もしかしたら異世界と我々の国際問題に発展するかもしれない」
僕が言うと姉は鼻を鳴らしていった。
「ふん、そうなったらそうなったでどうとでもするわよ。とにかく、この子は私が面倒を見ます」
「お義姉さんがそういうなら何とかなるわよ、あなた。その恰好なんとかしなきゃいけないわね。美鈴のお下がりでよければ、持ってきましょうか?」
美鈴というのは僕たちの娘で、今はニューヨークでファッションの勉強をしているのだ。こうなったらもう、僕に止める術はない。僕はため息をつき、上司に連絡するべく立ち上がった。
ソフィアが姉の家の居候になって、三か月が経った。彼女は姉に家事やモップ用ワイパーを使った戦い方、ご近所づきあいの方法などを教えられて、幸せに過ごしている。僕たちは今日、久しぶりに姉の家へお邪魔しに来ていた。
「このクッキー、ソフィアちゃんが焼いたのかい?美味しいね」
「ありがとうございます、おじさま。お口に合ったようで光栄ですわ」
あの、不幸そうな顔の少女はもうどこにもいない。そこには、自分に自信を持つことに成功した一人前の大人になりつつある女性がいた。あのゴージャスな縦ロールはバッサリと切り落とし、美容師さんに勧められたボブヘアーにしている。夏休みに帰省してきた美鈴が選んだ可愛らしいが大人っぽいワンピースがよく似合っていた。
「ソフィア、こっちに来てトレイを持って行ってくれる?」
「はい、おばさま」
ソフィアが姉に呼ばれてキッチンへ向かう。
「ソフィアちゃん、幸せそうでよかったわねえ」
妻がのんびりと言い、僕もほほ笑んだ。
「そうだね。心なしか顔立ちも柔らかくなって、ますます美人さんになった気がするよ」
「どうなる事かと思ったけど、これなら安心ね。あなた、ちゃんと用意してきたものは持ってきたわね?」
「もちろんだよ。忘れるわけない…おや、誰だろう?」
チャイムが不意に鳴った。約束の時間にはまだ早すぎる。姉が出てほしいというので、僕は慎重に玄関に行って「どなたですか」と問いかけた。
「この扉を開けよ。アクィラ王国第一王子、アガピト殿下のおなりであるぞ」
その厳めしい声にまじか、と僕は思った。なんで今更のこのことやって来れるんだろう?
「何の用ですか、王子殿下。もう話は終わったはずですが」
僕の言葉に、さっきの厳めしい声とは違う若々しい声が怒鳴った。
「違う、あれは何かの間違いだったのだ!私はソフィアに会いたい!会って話をせねばならぬのだ!」
「何度も言いましたが無理です。諦めてアンナ嬢と結婚なさることですね」
「無理だと言っておろう!あのような女と結婚するわけにはいかぬ!あの女は結婚前だというのに、数多の男を寝室に引き入れていたのだぞ!我が側近たちもだ!」
僕は、外務省にある「ゲート」を管理する部署に勤めている。あの後僕は上司と掛け合い、アクィラ王国の国王に連絡を取ったのだ。僕が連絡を取ったころ、アクィラ王国上層部ではそりゃもうしっちゃかめっちゃかの大騒ぎになっていた。どうも、婚約破棄のことは国王のあずかり知らぬところにあったらしい。カリーノ公爵家はアクィラ王国の国土の4割ほどを領地とする名門で、この度のソフィアとアガピトの結婚によってカリーノ公爵家の領地は吸収され、分裂しがちな王国はめでたく統一されるはずだったのだ。それならばアンナ嬢と結婚してもよいのではないかと国王に問いかけたのだが、彼は首を振った。
「カリーノ公爵家の当主は、ソフィア嬢なのだ」
なんと、カリーノ公爵家の正当な血筋は何かとソフィアを虐待し、挙句の果てに夫人亡きあと愛人とすぐに再婚した父親ではなく、病気で亡くなった母親の方なのだという。父親の方は侯爵家の三男坊で、婿入りしただけの存在らしい。
領地の所有権はソフィア嬢にあるのだ。
「あの馬鹿息子め、あれほど言ったにもかかわらずそれを婚約破棄などしおって…馬鹿の極みだ」
彼はすでに第一王子を廃嫡し、第二王子を立太子する方向で話を進めているという。ソフィア嬢については、息子が誠に申し訳なかった、婚約は解消する、慰謝料も支払う、カリーノ公爵家領を無事に治めてくれればいい、と確約してくれた。
カリーノ公爵家はもし、ソフィア嬢が跡を継げなくなったら仲の悪い隣国と極めて近しい従兄弟の手にわたってしまうからだ。
そうなった場合、アクィラ王国には破滅が待っている。
さて、これで話は片付いたのかと思ったのだがそうではなかった。馬鹿が残っていた。
アガピトとアンナである。アンナは第一王子と婚約して気が緩んだのか、数多いる男性を閨に引き込んでいるところをアガピト自身に踏み込まれて自滅した。今は、アガピトに必死ですがっているという。
アガピトはアンナに構うどころではない。廃嫡され、一騎士として戦場に立たされるという未来が差し迫っていた。そこでアガピトが思ったのは、ソフィア嬢とよりを戻せば、カリーノ公爵家の当主の地位が手に入るということだったのである。
僕はその考えをきっちり粉砕してやったつもりだったのだが、どうやら力加減が弱かったらしい。
「ソフィア、ここを開けてくれ、頼む!ともに王国へ帰ろう、そしてやり直そうではないか!」
アガピトの声は必死だ。僕がどうすべきか考えていると、扉の向こうからすさまじい音と悲鳴が聞こえてきて、やがて静かになった。
ガチャガチャという音とともに、鍵が開いて扉が開いた。
「叔父さん、ただいま。何こいつ」
黒髪のがっしりとした体躯のハンサムな青年が、ひょっこりと顔を出した。姉の息子で僕にとっては甥っ子の貴博君である。普段はバリバリのビジネスマンとして働きながら、休日はゴブリン退治に精を出す彼がその手にぶら下げているのは、ずたぼろになった美青年だった。手には短剣を持っていたが、貴博君にあっさりと取り上げられた。
「お帰り貴博君。そいつがソフィア嬢の元婚約者だよ」
「ふうん。こいつが?」
そういうと美青年は猛反撃をした。
「何を言う、今も婚約者だ!まだ正式に認めたわけではないのだから!おおソフィア、早くこんなみすぼらしいところは出て、早く帰ろ…ふぎゃっ!」
貴博君が手を離すと、玄関の三和土に顔を打ち付けて静かになった。
「さて、役者はそろったね」
僕は言った。ソファにはガムテープで雁字搦めになったアガピト、アガピトの横には貴博君、その横には僕、向かい側には妻とソフィア、そして姉が座っている。
「さて、これが書類だ。貴博君とソフィアちゃんとの結婚を認める正式なやつ」
「なんだと!」
アガピトが叫ぶ。その様子を見て、僕はアガピトの口も塞いでおけばよかったと思った。
「ソフィア、何かの間違いだろう?私を捨て、このような下賤な男と結婚するというのか!いつのまにかそのような女に成り下がっていたとは!」
「黙れ」
貴博君にぎろりと睨まれて、アガピトはひっと言って静かになる。
「おじさま、わたくしはそれにサインすればよろしいのでしょうか?タカヒロ様、本当にわたくしと結婚してくださるのですか?」
「もちろんだよ、ソフィア。俺でよければ」
貴博君とソフィアはうっとりと見つめあっていて、そこに他人が入る隙は髪の毛一本ほどもない。
二か月前に帰省してきた貴博君は、ソフィアに出迎えられて一瞬で恋に落ちた。あまりのラブラブっぷりに僕は妻との新婚時代を思い出したほどである。それからビデオ通話や貴博君の週末ごとの帰省で、二人は順調に愛を育んできたのだ。
二人は結婚したらアクィラ王国に戻り、カリーノ公爵領を治めることに話がまとまっている 「ゲート」が開いている限りは帰省も出来るし、二人を阻むものは何もない。本当はこの場に貴博君の父で僕の義兄も加わるはずだったのだが、インドネシアからの飛行機が大雨で欠航して今日中に来られなかったのだ。
「こんな可愛いお嫁さんができるなんて、私は幸せ者ね」
「おばさま…いえ、お義母さまとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ、ソフィア。でもその前に、アガピト王子に何か言うことがあるでしょう?」
「そうでした」
ソフィアは黙りこくってしまったアガピトに向かいなおって言った。
「殿下、さようなら。ずっと前から言いたかったのです、わたくしは貴方が大嫌いだと。何も勉強していないのに知ったかぶりをかますところも、大言壮語をしては何も実行しないところも、途中で「公務に戻りたくなった」と言っては二人きりの茶会を途中で切り上げるところも、自分が年上だからと言ってすべてが正しい、黙って従えというところも、自分の意に染まねば暴力をふるうと脅すところも、わたくしの勧めたものを理解しようとせず、否定するところも、わたくしをただ、「年下の女性」としてしか扱わず、わたくし自身を見てくださらなかったところも、そのすべてがわたくしは大嫌いでした。でも、感謝せねばなりませんわね。
わたくしはわたくしを尊重して、大切にしてくださるお方と、こうして知り合うことができたのですから」
「…ソフィア…」
「どうぞアンナと幸せになってくださいな。さようなら」
僕は貴博君とソフィアが書類にサインをしている間、姉と二人で茫然自失としたアガピトをつかんで玄関に引きずっていき、外に放り出した。
これから楽しいパーティの時間なのである。