落ち葉の名残り
「秋も終わり」と落ち葉が教える。楓やイチョウの誰もが思い浮かべてくれる葉にまじって、その他ひとくくりの落葉樹も葉を落とす。ハナミズキ、ジューンベリー、アオダモと、順々に指が追う。
昨年建て替えした我が家には2年ぶりの秋の庭仕事が待つことになるが、かつてのブナや柿の木の大樹は新築の縄張りにかかってしまい、整地のうえには跡形もない。
この秋は、ため息のでるような大仕事はないのだ。
それでも、掃き集めた落ち葉は思いのほかに多かった。バケツ3杯はゆうに超え、用意したネットをぎゅうぎゅうにしても押し込めない。追加を買い足しにホームセンターへ行かなければと、余計な手間なのに妙に浮き立つ。
できるだけダンゴになるよう押し込めていると、掃いているときは気にも留めなかった斑模様した柿の葉がワシワシ混ざっている。柿の実の橙色が乗り移ったような暖色の絵の具すべてをパレットに落としたような鮮やかな大小の点々が丸ぁるく混ざっている。
でも、どこから。
こんなにも大量の柿の葉っぱは、どこから舞い込んできたのか。大して実を付けないとお隣が零していた柿の木は、うちの建て替え工事のついでに切ってもらったのだ。見渡す周りに柿の木は1本もない。
毎年、柿の実のなっている樹には手の届く限りの八方から果敢に向かっていった。脚立を架けかえ架けかえ、危ない天辺からのつま先立ちで二つ、トタン屋根の雨どいギリギリの腹這い姿勢で四つ、危険を承知で幹にまたがり左右の胸ポケットに3っつづつ入れたら、枝が割さかれて、また割の格好でそのまま落ちたことも。
そこまでして、毎秋、300を超えるのさわし柿を手にして、明るくなった内縁側に順序よく並べる。
縦の七つを軸に、茜色の反物をうつように横広がりへ。半日眺めたら、へたを四十度の焼酎にぬらして、袋詰め。これから廻る相手を指に追り、次の日は順々に無沙汰を詫びながら届けに行くのだ。
そんな述懐をしている間にも柿の木の落ち葉は運ばれてくる。視界の届かない左右の隙間から、天地の隙間から舞い込んでくる。今年の分と去年の分と。根もなく幹もなく果実もなく葉もなくなった柿の木は、こうして落ち葉だけを晩秋の風に混ぜて運んでくる。
二年分の落ち葉、二年分の秋の景色。