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カフェモカココア  作者: 桐葉
13/15

すまないね、仕事が立て込んで。

ついに迎えた学園祭当日。

昨夜から妙にそわそわしてしまってなんだか落ち着かなかった。

ひとまず朝ごはんを、とダイニングへ降りると千鶴(ちづる)さんがまだ料理をしている最中だった。


「あら、萌果(もか)ちゃん。早起きしてえらいわねぇ。」

「なんだかワクワクしちゃって。」


ふふ、と笑うと千鶴さんが小鉢を渡してくれた。

卵焼きの端っこだった。


奈津希(なつき)さんには内緒よ。」


そういってウインクをくれる。

お腹すいてるのがバレてしまっているようだ。

私は素直に甘えて、いただきますと手を合わせる。


姫愛(ひめ)ちゃんのバンド上手くいくといいわねぇ。」

「ステージすごく頑張ってましたし、大丈夫ですよ。」

「そうね、萌果ちゃんもうんと頑張ったもの。いい報告待ってるわ。」


千鶴さんと奈津希叔父さんはお店があるから学祭には来れないらしい。

代わりにいっぱい楽しんでお土産話をたんまりと持って帰ることを約束している。

そうこうしているうちに卵焼きは食べ終わり、お茶も飲み切っていた。


「楽しそうだね。」

「わ、叔父さん! おはようございます。」

「おはよう萌果ちゃん。」


ちょうどテーブルに朝ごはんが揃った頃に奈津希叔父さんがやってきた。

千鶴さんもエプロンを取って席に着く。


「「「いただきます。」」」




☕️




大学の最寄駅に着くと、既に紡木(つむぎ)君と七海(ななみ)ちゃんが待っていた。


「お待たせっ……。」

「そんな待ってないわ、おはよう萌果。」


七海ちゃんがひらひらと手を振ってくれたので、私もひらひらと振り返す。

すると横から紡木君に指を差されて聞かれた。


「その袋どうしたの。結構大きいけど。」

「これ? 差し入れだよ。といっても、叔父さんたちからなんだけど。」

「へぇ、律儀だねぇ。」


袋の中は叔父さん特製のサンドイッチと、これまた千鶴さん特製のジャム入りクッキーがたっぷり入っている。

余ったらお友達にもと言ってくれていたから、帰りにみんなに渡そう。

それから三人で何が楽しみか話していると、千賀(ちが)君と亜由奈(あゆな)ちゃんがほぼ同時に着いた。


「ごめーん。電車遅れちゃってて。」

「俺は寝坊です。」


二人ともはぁはぁと息を切らして走ってきた。

それでも予定していた時間から八分しか経っていない。


「大丈夫だよ。むしろ来てくれてありがとう。」

「萌果っちからのお誘いだよー?! むしろめっちゃ楽しみにしてた!」


亜由奈ちゃんが元気に答えてくれる。

また、袋について聞かれて、似たような問答をしてから私たちたちは大学へ向かった。




☕️




「萌果。こっちじゃないの。」

「え、えっと……。今クラスの屋台にいるみたいだから……。」

「これだろ、これ! 絶対!」


私たちは着いて早々迷子になっていた。

結局しばらくしても正解が分からず、姫愛さんに電話して案内してもらうことに。


「あんた……散々来てなかった?」

「あはは……。」


返す言葉が見つからなかった。


「それで、一緒にいるのが呼んできたお友達なの?」

「あ、はいっ。えっと、男の子が千賀君と紡木君。女の子が亜由奈ちゃんと七海ちゃん。」


みんなが次々と会釈をしても、姫愛さんはふぅんとあっさりした返事をして目配せするばかりだ。

きっと、みんなの顔と名前を覚えているのだろうけど。


「それで、えー、バイト先の常連さんの廣瀬(ひろせ)姫愛さん。」

「姫愛でいいよ。」


私が回すのが下手だ。

会話が続かない。

これ以上どうしようもなくなってしまい、奥の手を出すことにした。


「それでそれで、これ姫愛さんとバンドの人達でどうぞって千鶴さんたちから預かってきました。」

「わ、ありがと。なっちゃんとちーちゃんにお礼言っておいて。」


そういうと、袋に手を入れて数個だけ受け取る。

姫愛さんは嬉しそうにしていた。


「多分残りは(はな)ともかりんたちのだから食べな。」

「わ…ありがとうございます。でも、私珠綺(たまき)さんがどこにいるか分からないので姫愛さんから渡してくれませんか。」


珠綺さんの分があることは聞いていたけれど、今まで学祭のことなんて珠綺さんからは一言聞いていなかった。

だから本当に珠綺さんが何をしているか、そもそも来ているのかどうかすら知らなかった。

それを話すと、姫愛さんはわかったと言って珠綺さんの分も取ってくれた。


「もし華に会ったら姫愛のとこ来いって言っておいてよ。」

「わかりました。」


そうして、叔父さんたちからのミッションを終えて、みんなで出店を堪能する。

姫愛さんのクラスは牛串を出していてそこら中いい香りで充満していた。


「話は終わり。付き合ってくれてありがとう。」

「いいよー! むしろ姫愛先輩が誘ってくれなきゃ来なかっただろうし。」

「先輩……?」

「え、年上だし先輩じゃないの。」


牛串の二本目を頬張る亜由奈ちゃんに言われて気づく。

普段から珠綺さんも叔父さんも距離が近いから、正直先輩というより“姫愛さん”だった。


「そうだね、姫愛先輩だね。」

「じゃあ姫愛先輩に感謝してもう一本食べようかなぁ。」

「そんな一気に食ったら後で何にも食べられなくなるよ。」

「つむつむに言われたくないね。」


亜由奈ちゃんと紡木君は三本目を巡って言い争っていた。



姫愛さんの出店を出た後、千賀君が行きたがっていた大盛りの焼きそば屋さんに行き、七海ちゃんが食べてみたいと言ったアイスまんじゅうクレープ屋にも行き、お腹はかなり満足していた。

自販機でジュースを買って、ちょうど空いた広場のベンチに五人で座った。


「あー食べた食べた。」

「相変わら千賀はよく食べるなぁ。」

「まーね。」


同じ男の子同士なのに倍以上食べる量が違っていて、一日ずっと同じことを話しているようだった。

ニコニコ聞いていると、七海ちゃんから話しかけられる。


「萌果。この後どうするの。」

「どうしようかな。あんまり行くとこ決めてないというか。」

「それならこのベンチでちょっとダラダラしようよ!」

「僕は賛成。足疲れちゃったし。」


紡木君がおもむろに学祭のパンフレットを取り出した。


「パンフレットとかもらってたっけ。」

「入口で配ってたよ。千賀は無視してたけど。」


くすくすと紡木君は笑って、千賀君はどこか気まずそうに頭をかいていた。

亜由奈ちゃんと七海ちゃんも笑いながら一緒にパンフレットを覗く。


「んー、結構回ったぞーって思ってたけど、まだまだたくさんあるや。」

「そうだね。こっちの方とか全然気付かなかったよ。」

「どこかしら……紡木ちょっとこっちに傾けてちょうだい。」

「はいはい。」


私は、西側の体育館付近のB棟を指して、七海ちゃんに見せる。


「そこって、先輩がバンドやるステージ付近じゃね。」

「本当じゃん! ちがれんナイス!」


体育館の反対はライブステージになっているようだった。

実際に組み立て終わったところは見ていないから、日の高いうちに見てみたい。

みんなに話すと、今から行こうと賛成してくれた。







「わあぁ…………っ。」

「すごいじゃない。これ、萌果が作ったんでしょ。」

「あっ、でも、私は直しただけだから。」


ステージでは既にイベントが開催されているようで、人混みの後ろからステージを見た。

最初に見たボロボロな雰囲気はなく、割られたり、ペンキが撒かれていたことを感じさせない程立派なものになっていた。

姫愛さんと頑張った数日間が報われたような気がした。

すると、隣で突然亜由奈ちゃんが大声を出した。


「ってかやばい! ステージに居る人めっちゃカッコいいんだけど!」

「亜由奈よくここから見えるわね。」

「センサーが反応したって感じ?!」


すごくテンションが上がっているようだった。

私もなんとなくステージを見るが、小さくて顔立ちはあまりよく分からない。


「萌果っち萌果っち、横のモニターに映ってるから!」


亜由奈ちゃんに言われるがまま、モニターに目を移す。

そこに映るのは、向けられたマイクに笑顔で応える珠綺さんの姿だった。

知っている人を指していると思ってもみなくて、なんて言えばいいのか急に分からなくなった。

亜由奈ちゃんの声が聞こえるまで、時間がかかったように思う。


「萌果っち見えてるー?」

「あ、うん。見えるよ。」

「まあまあ亜由奈。あーいう綺麗系とか、萌果ちゃんのタイプじゃないでしょ。」

「……確かに。」

「いやっ、そうじゃない……というか、知ってる人だったからびっくりして。」


そういった途端、亜由奈ちゃんと紡木君の目の色が変わった。

ぎらりと。


「ちょっと詳しく教えて。」

「僕も知りたいその話。」


急に周りの目が気になってしまい、とにかく場所を変えてもらうことにした。

観念して洗いざらい話した方が早そうだった。



バイト先の人だと話したら、誤解が解けたといって亜由奈ちゃんと紡木君は胸を撫で下ろしていた。


「びっくりしたわ。萌果ってまだ引っ越して半年も経っていないでしょう。大学生に知り合いがいるだなんて思わないもの。」

「ああ、確かに……。七海ちゃん達とはすぐに仲良くなれたから気付かなかったよ。」

「全く……可愛いことばっか言うんだから。」


七海ちゃんがそっとぎゅっとしてくれた。

なんだか変に心配させたようで申し訳なくなってきた。


「でもお家がカフェってことは他にも学生のアルバイトの人いないの。」

「今はいないかな。入れ替わりで辞めちゃったらしいけど。」

「へぇ、カフェなのに学生いないって珍しいね。」

「そうかも。でも駅からちょっと遠いし、近所のパートさんが手伝ってくれるからバイトはあまり取ってないって言ってたかな。」


紡木君には引き続き、根掘り葉掘り聞かれていた。

嘘を吐いても仕方ないので、聞かれることにはできるだけ答えていく。

すると、ずっと静かにしていた千賀君が口を開いた。


「……紡木。一応言っとくが俺は珠綺さんに会ったことあるから。」

「やだなぁちがれんったら。」


あはは、と若干オネエ混じりの語彙になる紡木君を見て、千賀君は大きなため息をついて。


「珠綺さん、超カッコいいよな。男から見てもそう思うよ。」


そう苦笑いする。

そうだね、と相槌をうつと、知ってか知らずか亜由奈ちゃんが楽しそうにしている。


「男から見てもカッコいいんだあ。」

「そりゃあそうだろ。俳優とかでもカッコいいとかあるし。」

「千賀に限っては分かんねえ~とか言いそうよね。」

「そうそう! さっすが七海っち!」

「俺から見れば紡木も顔綺麗だなとかちゃんと思うっての。」

「やだあ。褒めても何も出ないよ。」

「うるさいな!!」


わいわいといつもの調子に戻っていく。

漫才のようなやり取りに安心するようになっていた。







ライブまでの暇つぶしにとB棟を見て回っていれば、あっという間に時間は経っていた。

姫愛さんにもらったチケットを見せると、係員の人が前の方に通してくれた。

かなり見やすくて、ライブが終わったらみんなでお礼を言おうと話した。


「あ、始まるね。」


ばぁん、とお腹の底に響く音と共にステージがライトアップされた。

姫愛さんはギターを手に立っている。

周りからバンドメンバーを呼ぶ声が聞こえてきて、なんだか胸がドキドキした。


「姫愛さーーーーん!」


精一杯大声を出すと、気づいた亜由奈ちゃんたちも声を出してくれた。


「姫愛先輩ーーー!!」


するとこちらに気づいたらしい姫愛さんがにこりと笑いかけてくれた。

それがとにかくカッコよく見えて、ライブ中はずっと姫愛さんばかりを目で追っていた。







ライブが終わり、みんなで姫愛さんの元に挨拶に来た。

ステージ横には大型のテントが建てられて、楽屋代わりに使われていたようだった。

姫愛さんは、挨拶に来た私たちを笑って迎えてくれた。


「姫愛、超カッコよかったでしょ。」

「超カッコよかったです!」


汗を拭いながらも、満面の笑みを浮かべる姫愛さんはとても輝いていた。

そんな姫愛さんにみんなで矢継ぎ早にライブの感想を述べる。

満足そうに頷く様子の姫愛さんがちょっと子供っぽくて可愛いかった。

姫愛さんがペットボトルを机におくと、思い出したようにこちらを向く。


「そういえば華が萌果っちのこと探してたよ。サンドイッチのお礼するって。」


それは叔父さんに言って欲しいと言いかけた、本当にちょうどのタイミングで息を切らした珠綺さんがやってきた。


「いた、萌果ちゃん……っ。」

「ほら、噂をすれば。」


そう言ってじゃあねとひらひら手を振り、姫愛さんはそそくさとどこかへ行ってしまった。

引き留めようとした言葉が空を切る。

いいのだろうか、珠綺さんが来たのに。


「はっ…はぁ、すっごい探したんだけど。」

「え、あ、すみません……。」


珠綺さんは一緒にいる千賀君たちに気づいたようで、軽く会釈をする。


「友達と一緒に来てたんだ。言ってくれればいいのに。」

「聞かれなかったのでいいかなと……。」


なんとなく、亜由奈ちゃんがニヤついているであろう視線を感じた。

距離感が掴めなくて、とにかく気まずく感じてもごもごとするしかできなかった。

ひとまず姫愛さんからの言伝を、と思ったのも束の間。

珠綺さんが軽く手を伸ばしてきた。


「お友達にはごめんだけど、この後百名さんのこと貸し切ってもいい?」


そう言うと軽くにこりと微笑んだ。

どこかからきゃーきゃー聞こえたようにも思うが、私の頭はサンドイッチのことしかなかった。


「ちょっ、珠綺さん。私まだ……!」


しかし何も言えないまま、亜由奈ちゃんと七海ちゃんがさっさと答えてしまう。


「あははっ、いいですよぉ。ねっ。」

「ええ。じゃああたし達は先に帰ってるわ。またメールちょうだい。」

「え、いや私、その……。」

「さあさあ行くよー男どもー。」


そうこうしている間に亜由奈ちゃんはみんなの背中を押して帰ってしまった。

珠綺さんと二人、取り残されてしまった状況にいまいち頭が追い付かなかった。

そうして三分くらい突っ立っていても珠綺さんが何も話さないので、私は余計にどうしたらいいか分からなくなった。


「えっと、その。片付けとかは……。」

「ん? いいんだよ。」


絶対に良くないと思う。

近くでスタッフらしい人たちが忙しそうにしている声が伺えた。

顔に出ているようで、珠綺さんはにこにことからかうように笑っている。


「ちょっと疲れたからさ、付き合ってよ。」


上手く断り切ることができずに言われるがまま着いて歩く。

珠綺さんといい、姫愛さんといい、こうホイホイ着いていく私もどうなのかと自問しつつ、後ろを追うと端っこの教室に誘導された。


「今日見てたでしょ。ステージから見えたよ。」


そう言って、近くにあった椅子に座る珠綺さん。

軽く足を組んで、自由に放り出す。


「本当は友達といるの知ってたけど、急に帰しちゃってごめんね。」

「まあ、いや……大丈夫です……。」


あははとまた笑ってごまかされる。


「俺が百名さんと話したかったの。」

「でも、別にお店とかでも……。」

「分かってないな。」


口を尖らせて少し怒っている様子だった。


「心配してたんだけどな。百名さんのこと。」

「それは……ありがとうございます……?」

「廣瀬の手伝いしてたって、なんで言わなかった。どうせ廣瀬に絡まれたんだろ。」


あ……と言葉が詰まる。

私のせいでバレてしまったのかと、急に委縮してしまった。


「ねえ。」

「…………内緒って言ってたので。ごめんなさい。」

「女の子二人でやる作業じゃなかったよね。相談してくれれば良かったのに。」


どう言えば誤解なく伝わるのか見当も付かなかった。

何を言っても姫愛さんが知られたくないことを言わなきゃいけない気がしてしまい、上手く言えずにひたすら口をつむぐばかりの私に、珠綺さんは呆れたように言う。


「どうせ廣瀬がいじわるされてて、俺に言うなとかそんなとこだろ。」

「…………はい。」

「それで俺に黙ってたと。」


だから俺に言えば、とぼやいていたが、そんなの言えるわけがないと心の中で返す。

気まずそうにしている私に気づいたらしき珠綺さんが、うーんと顎に手を置く。


「百名さんって俺のことまだ怖い?」

「怖い、というかどう話していいのかいまいち分からないです。バイト先の先輩ですし、気軽に口を利けるわけでもないので友達でもないと言いますか。」


もごもごとしながら返すと、珠綺さんは少し頷いてからにこりと笑った。


「俺ね、もっと仲良くなりたいなって思ってるんだよ。バイトでもそうだけど、友達としても。むしろ年下に固執するような真似してる俺の方が気まずいって思ってるよ。」


そう言って、あっけらかんと笑う。

言われてみれば、年齢も離れているから余計に話しにくいのは当たり前だ。

珠綺さんはそういうのを一切考えていない人だと思っていたけれど、それが失礼だったのかもしれない。


「いつも一生懸命頑張ってる様子はすごいなって思っているよ。」

「ありがとうございます。」

「どういたしまして。」


ふふっと笑うと、珠綺さんに椅子に座ればと促される。

とんとんされた珠綺さんの隣の椅子に座る。


「率直に聞いてもいい。」

「聞くだけなら……。」

「俺のことどう思う?」

「えっと、うーん……。不思議な人というか、いつも何考えているかよく分からなくて、すごい仕事ができる人っていうイメージです……。」

「ひどいね。」

「ごめんなさい。」


我ながら素直すぎて怒られるだろうと思い身を固くしていると、そっと私が座る椅子に片手をかけられる。

ぎいっという音が教室に響いた気がした。


「うーん。そろそろ目を見て話して欲しいんだけどなあ。」


気怠そうに聞かれて、それは――と言いかけた。

口に出すと同時に顔を上げると思っていた十倍は顔が近くて、髪の先が触れ合う。

一瞬の出来事だったと思うけど、三十分は見つめ合っていたような気がする。

水晶のような珠綺さんの瞳がすうっと細くなり、頭に焼き付くような初めて聞いた優しい声で話す。



「ね、萌果ちゃん。このことは内緒だから。」



そっと肩を寄せて、優しく私の髪に頭をすりつける珠綺さん。

こめかみに当たる珠綺さんの髪がくすぐったくて、撫でるでもなく、触れるでもないのに、すごく近く感じる。

呼吸できているのかも分からなくて。

心臓が今すぐでも張り裂けそうだった。


「いじわるなことしてごめん。嫌なら俺のこと突き飛ばして。」


そう言ってすりすりと頭をとにかく小さく振る。

耳元には優しくてとにかく甘い小さな珠綺さんの声がこれでもかと響いている。

何かは言わなきゃ、と回らない頭で必死に言葉を探す。

でも、真っ白な中じゃ言葉は見つからなくて、出てくるのは言語になっていない声ばかりだった。


「あ、えっ……わ……たし。」

「……ふふっ、急に怖いよね。ごめん。」


また、ぎいっと椅子を鳴らして離れていく珠綺さん。

身勝手にも少し寂しく思ってしまい、その反動なのか頭に言葉が戻ってきた。


「怖い、というか。びっくりしました。」

「うん。」

「でも、その、嫌じゃないというか。」

「……うん。」


懸命に、慎重に、言葉を選ぶ。

それでも珠綺さんは、ゆっくりと耳を傾けてくれた。


「そりゃ、大学生って、大人なので。……えっと。」

「うん。」

「珠綺さんってお顔綺麗じゃないですか。」

「うん。」

「綺麗な顔が近くにあったら、誰でも緊張します。」

「うん。」

「でも私、珠綺さんが嫌いじゃないですし、本当にただびっくりしたんです。変な勘違いもしそうになります。」

「うん。」


少しずつ話して、段々と冷静になってきた。

珠綺さんのことは嫌いじゃない。

ただじゃあ好きなのかと言われると、どうとも言えなくて。

たぶん。


「私、珠綺さんのことは嫌いじゃないです。仲良くなりたいとも思ってます。でもまだ私どうしていいか分からなくて、今も戸惑ってるんです。」


これは本心で。


「珠綺さんは綺麗でカッコよくて、距離が近いとドキドキしちゃうんです。なんでか分からないんですけど、泣きそうになるんです。だから……えっと……。」


このどうにも縮まり切らない距離に名前を付けようと思って。

雰囲気のいいものは見当たらなくて。


「私……っ! ちゃんと珠綺さんの友達になりたいです……っ!」


もう涙はすぐそこまで込み上げてきていた。

この感情は誰にも伝わらない感情だった。

その間ずっと静かに聞いてくれていた珠綺さんは、しばらくしてから口を開いた。


「じゃあお友達から始めよう。萌果ちゃん。」

「えっ、あ……。はいっ……!」


優しく差し出された手を握ると、ふわっと体が浮いたようになる。

気付けば、珠綺さんに抱き締められていた。


「はあーーーっ。怖かった。」

「あの……。」

「ごめん。今はこうさせて。許して。あとでひっぱたいてくれていいから。」


そういう珠綺さんの腕が、分かりにくいほど震えているのが伝わった。

なんで震えているのかはいくら私でも察しはつく。


「珠綺さん。」

「……やだ。」

「珠綺さん、私、気持ち悪いとかは思わないですよ。」

「思わなくても聞きたくないからやだ。」


ぎゅうっと力が込められる。

正直ちょっと痛いけれど、耐えれなくなるまでは言わないことにした。


「……俺、自分でも気持ち悪いって思うから。」


ゆっくり腕が緩められて解放される。

顔を上げると、珠綺さんは苦笑いをしてばつが悪そうにしていた。


「きっと上手く話せない自分にもやもやしていたんだと……思う。迷惑かけたい訳じゃないから、本当に。」

「大丈夫です。」

「優しいね。普通男にあんなことされたら怒るもんだよ?」

「知らない人だったら嫌ですよ。」

「知ってる人なら誰でもいいんだ?」

「自分のことを棚に上げないでください。」


ごめんなさい、としゅんとしてしまった。

どこか子犬っぽくて可愛いと思ったことは胸にしまい、頭を切り替える。

いいよと言ってもずっとしょんぼりする様子に、どうしたものかと悩んで、思いつく。


「じゃあ珠綺さん。ほっぺた貸してください。」

「ほっぺた……?」


不思議そうに左頬をこちらに向ける珠綺さん。

心の中で神様に謝ってから、ぺち、と指先で触れる。


「はい。これで終わりです。」

「え、なに……え?」

「ひっぱたいたんです。」


よく分かっていないような顔で、"ひっぱたいた"頬をさすっている。


「自分で言ったじゃないですか。ひっぱたいていいからって。」

「……ああ、言ったね。」

「なので、ひっぱたいたんです。」

「それはそうだけど、嫌ならってつもりで――」

「いつまでもしょんぼりされてる方が困ります!」


意外と心に来るから、なんて言われても私にはどうしようもできないから無視をした。

もうよく分からなくなって、二人でふき出してしまう。

なんなんだ、って笑い合っていると丁度アナウンスが入った。


『ご来場頂きました皆様にご案内です。只今を持って、1日目のプログラムを終了いたします。繰り返します。』


学祭終了のアナウンスだった。

気付けば廊下や窓の外が騒がしくなっていて、来場者はすぐに帰宅した方が良さそうだった。

少しだけ見合ってから、どちらからともなく言う。


「帰ろっか。」

それから二曲じっくり聞いた後、彼が来た。

「すまないね、仕事が立て込んで。」

「いや、構わないよ。」

重たくも軽い色のジャケットを脱ぎ、彼は断りもせず隣に座る。

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