1-9 文化祭役員攻略
日は変わって十月十七日火曜日、時はすでに放課後になっている。
今まさに沈みゆく太陽を、再び天頂近く引き上げられるであろうか。いよいよ、工作部員たちによる役員の説得が始まろうとしている。
「その前に、なんでこいつがいるんだ」
井上は、そばにいる佐藤宏を指さした。先の人事では一応、広報係長ということになっている。だが井上に呼んだ覚えはない。
「いやー、一緒に行った方が断りやすいかなってさ」
佐藤は表向き申し訳なさそうに言った。
「なんでお前の分まで説得してやらないといけないんだ」
井上は呆れたが、田中は満更でもなさそうだ。それどころか大畑は、「利害が一致したんだ」とまで言う。
「上は役員全員で来てる。こっちも人手は欲しい」
田中はそう付け足した。
「別に喧嘩するわけでもあるまいし……」
井上は呆れたように呟いた。しかし役員たち、特に実行委員長の飯田友則あたりは一筋縄ではいかないだろう。喧嘩にならずとも、舌戦にはなりそうである。
こうして井上を納得させた後、四人は足早に会議室へ向かった。
「いいか、目的はこの無謀な人事をひっくり返すことだ。あくまで目標を間違うな」
会議室の扉前、大畑が確認すると他の三人は頷く。
「こちらからの封じ手は二つ。副実行委員長には頭を冷やしてもらった」
「あとは坂本の素行。これは俺が受けよう」
「そういや何も成果聞いていないけど、大丈夫かよ」
田中が大畑に怪訝な顔を向ける。確かに大畑は、坂本についての情報を他に話していなかった。だが大畑は胸を張る。
「任しておけ。一人ぐらい文句言ってきそうな役員がいるが、対処も考えてある」
「そこまで考えてあるならいいか」
さて、ここまで来たのはいいが……。
井上は早々に諦めた。やはり他の三人は井上が扉を開けるのを待っている。
「僕が先頭で入ればいいんだろ」
その言葉で、立ち止まっていた他三人の表情が戻った。
いよいよ役員の説得が始まる。
「全員集まったようだな」
実行委員長の飯田は、部屋に入ってきた四人を見回してそう言った。
「では会議を始めよう」
……というからには会議という体裁らしい。無論四人には聞かされていなかったし、なんなら与えられた席は扉近くの立席であったから、体裁など気にすることもなかった。
大畑などは一言ぐらい皮肉ってやりたい気持ちであったが、そんな余裕もなかった。
「四人から話があるということだが、説明してくれ」
飯田が早速本題へ向かったからだ。まあこれは田中たちの台本通りではある。
事情は、田中から工作部部長の山本を経由して飯田にも伝わっていたのだが、公式の場で再度説明を求めるところに、第四一代実行委員長の性格がよく表れているだろう。
「俺たちは今回の人事、お断りさせていただこうと思います」
田中は一歩進み出て、答えた。
「そうか……」
飯田は少し考える素振りだったが、やがて諦めたような表情で口を開いた。
「では新しい候補者を考えなければいけないな」
「えっ」
大畑から声が漏れる。
「なにか問題が?」
「いえ、ただ台本と違ったもので……」
「台本?」
飯田が訊き返すとともに、井上や佐藤の顔にも疑問が浮かぶ。
「あーいや、お気になさらず」
慌てて田中が大畑の口を押さえ、フォローした。次いで、馬鹿野郎、と小声でくぎを刺す。大畑は頭を掻いて悪びれた。
しかし田中が大畑を咎める余裕はやはりなかった。あまりにも実行委員長の諦めが良すぎる。もう少し引き留められると思われた読みを修正しなければならなかった。
井上が空気も読まず「台本ってなんだよ」と訊いたが、田中は「あとで」とだけ言って突っぱねた。
「じゃあ新しい実行委員長だが――」
飯田が言いかける。話題は今、四人の手を離れようとしている。このまま舞台袖に下がるのでは、ここまで来た甲斐がない。
「ちょっと待ってください」
田中は飯田の声を遮った。
「俺たちから一人推薦させてもらえませんか」
「ほう」
鋼の王は冷厳な目を田中に向ける。見る者の心胆を寒からしめるその目を受けつつも、田中は臆せず続けた。
「次の実行委員長には、坂本がなるべきだと思います」
それを聞いた飯田の顔はより厳しいものになった。案の定である。
「君たちもそういう考えなのか」
張りつめた空気の中、問われた井上たちは言葉が出ず、頷くしかなかった。それを見て、飯田はため息を漏らす。それには憤りの他に、いくばくかの失望も含まれているようだった。
「実は生徒会長にも同じ話をされた。だが前にも言った通り、坂本を実行委員長にするつもりはない」
他の役員も、実行委員長の言葉に頷いていた。このままではあっという間に会議が決着してしまう。それも井上たちの主張が退けられる形でである。
しかし文化祭幹部でただ一人、他の役員に同調していない者がいた。副実行委員長である。
「まあそう言わず、理由は聞きましょう。今後を考える上で、何か助けになるかもしれない」
他の役員たちに向けて鈴木はそう語りかけ、田中に続きを促した。どうやら谷山の説得が多少は功を奏したと見える。それを見て四人は胸を撫でおろした。
「ありがとうございます。では大畑の方から」
そう言って田中は大畑に引き継いだ。押し付けではないので、大畑もそのまま交代する。
「まずは、坂本の人間性について言わせてください」
言いつつ大畑は進み出た。
「坂本が文化祭幹部としての自覚に欠ける。と先輩方は思っているようですが、これは違います」
言い終えた瞬間、役員たちにどよめきが起きた。
「何を言ってる」
「もう少し考えてから発言しろよ」
役員たちは一笑に付したが、ことさらに嘲笑った者がいた。企画係長の富岡である。花形の本部企画班をも取りまとめる立場で、坂本の直属の上司に当たる。
「あいつはよくサボってたんだぞ。どうやって擁護するつもりなんだよ」
富岡は挑戦的な眼差しを大畑に向けた。
「俺も怠け者だと思ってたんですけどね。どうも妄想だったらしいんですよ」
「妄想? 笑わせんな」
今度は呆れるような笑いが飛び出す。
「あいつは夏休みの間、持ち場をよく離れてたんだ。現実なんだよ」
「でも本部企画班の会議には出ていたんですよね」
「会議だけが仕事じゃねえよ。名ばかり実行委員のお前らにはわかんないだろうけど、実行委員会は忙しいんだ。怠け者と思われて当然だろ」
どうもこの企画係長は坂本を好かないらしい。だが言葉の棘の理由はそれだけではない。
名ばかり実行委員――それは工作部三人衆をはじめとする、文化祭製作係につけられた俗称である。志願して実行委員になったわけではない彼らを皮肉ったのが、名ばかり実行委員という呼び名だった。
反論しかけた大畑を遮って、富岡はなおも続けた。
「あのな、念のために釘を刺しておくが、お前らは他に成り手がいなかったから選ばれたんだ。お前らはまだ委員会の事もわからない一般人。その辺はわきまえておけよ」
「ありがとうございます」
大畑は表向きありがたくなさそうに返す。それを見て富岡は一層機嫌を悪くしたようだった。
「まあそのうえで一つ聞きたいんですが――」
しかし富岡はまだ知らない。すでに大畑の術中にはまっているということに。
「本当に忙しかったんですか?」
十月十七日午後三時十分、大畑の舞台が幕を開けた。
次回、「1-10 責任を取ること」