1-8 生徒会長の依頼
部室を施錠せずに留守にするわけにもいかず、三人は谷山の帰りを待つことにした。
今までの話を整理しつつ、待つこと三十分。谷山が部室に戻ってきた。
「なんとか聞いてもらえた」
その顔は少し疲れが滲んでいたが、やり遂げたようでもあった。聞けば明日の放課後、役員が集まったところでもう一度話し合ってみるという。
三人は礼を言い、谷山と別れる。
教室に戻る途中、三人の先頭を行く大畑は、ふと足を止めた。
「おっとまあこれは、これは……」
大畑のひるんだ相手は、廊下の向こうから歩いてきていた。眉目秀麗な顔立ちに、平均よりも高い身長。それはこの里高で最も名の知れた生徒。
そう、生徒会長――前田健のお出ましである。
前田は三人を見るなり鋭い表情に切り替え、立ち止まった。
部室棟と本棟を結ぶ渡り廊下、そこでお互いが対峙する形になる。経緯はともかく、三人は前田たちの文化祭計画の障害になってしまっていた。否が応でも緊張が高まる。空気もピリピリと帯電する。
次の瞬間、話は前田の方から切り出された。
「谷山に会いに行ったらしいな」
その声は低く、問いただすような口ぶりだ。
「そこで何を話した」
問われた側の三人――。
ところが大畑が先頭なのをいいことに、田中も井上もそっぽを向いてしまった。
「お前ら……」
仕方なく大畑が対応する。
「それはこっちの勝手でしょ。プライバシーってもんがある」
不本意に嫌われ役を押し付けられている手前、大畑も言葉の棘を隠そうとしない。
それを見て、前田は一層機嫌を悪くした。
「お前らが文化祭人事の話をしたのは分かってる」
「ほーう。でも生徒会長に盗聴なんて権限、ありましたっけねぇ」
「……密告があった」
奥歯に物が挟まったような物言いで前田は返した。
大畑は呆れる。
「密告を信用して、俺たち下っ端を詰問ですか」
不当な疑いを持たれていると感じて、三人は一層不機嫌になった。
しかしどこにでも面倒な事をしてくれる輩はいるものである。先ほどまでの会話を前田派の一人が聞いており、それが中途半端に伝わってしまったのである。
「お前らは、文化祭をどう思ってる」
探るように前田は訊いた。言葉に先ほどの刺々しさはない。
前田の方も密告を信用しきっているわけでもなかった。だが確証がないので、敵意の有無を直接確かめに来たのである。
大畑もそれに勘づき、警戒を緩める。
「どう、って言われても、なあ……」
大畑は言いつつ、後ろで知らんぷりを続ける木偶の坊たちにも投げかけた。
三人は答えに難儀した。
「面倒なイベントではあるな」
田中は包み隠さず言ったが、井上はフォローに回る。
「でも、参加するのは嫌ってわけでもないし……」
「なきゃないで、それは味気ないような……やっぱわかんねえや」
結局、大畑はそうまとめた。
つまるところ、工作部三人衆にとって文化祭とはその程度のものなのだ。無くなっても嘆きはしないだろうが、無くなってほしいわけではない。
それが伝わり、前田の表情は最初より和らいできている。
「じゃあ、文化祭の改革はどう思う」
「あんたも疑い深いなあ」
大畑は再び困り顔になった。
この話題はかなりデリケートだ。下手をすれば針山のごとく痛い視線で刺されかねない。いや、痛い視線ならともかく、前田を信奉する人間に聞かれれば本当に刺されるかもしれない。
「……まあ、とにかくやってみりゃいいんじゃねえの。どんなに大きい事言ってたって、身がなきゃ意味がないだろう」
ためらいつつ出たそれは、大畑の率直な感想だったろう。
「正直、何をしたいのか分かってなくて……」
井上も補足したが、これは別に彼らがそういった話題に疎いからではない。この時点で文化祭改革の全容を知る者など、前田と坂本を置いて他にいなかったのである。
三人の様子を見た前田はしばらく考えていたが、やがてためらいつつもこう切り出した。
「あのさ……。そういうことなら、俺たちの文化祭改革を手伝ってくれないか。……頼む」
その場は四人の他になかった。居ればおそらく、どよめきが起きていたろう。あの生徒会長が頭を下げたのだ。生徒たちの心を掌握し、さらには畏怖する者さえいる、あの生徒会長が。
そういうことか、と大畑は察する。前田の文化祭改革の野望は今、危機に瀕している。前田派の係長候補たちの復帰のメドも立たない中で、早々にこちらに乗り換えようとしている。
そこまで洞察したうえで、大畑の返答は冷めたものだった。
「それはできない注文だな」
「……なんでだよ」
頭を上げた前田の顔は、再び厳しいものに戻っていた。それは敵に見せる鋭い目線でもあった。
再び張りつめる空気。
「ちょっと待てって」
慌てて井上が二人の間に割って入ろうとしたが、大畑はそれを制止した。
「まあ聞け。もしその改革が上手く行くもんだったら、上だって止めはしねえよ。でも正面切って突っぱねられた。しかも馬鹿げた人事にしてまでだ。この意味を、もう一回頭冷やして考えた方が良いんじゃないか」
前田の顔はさらに険しさを増したが、何も言い返さないのは思い当たる節があるからである。
その様子を見て、大畑は速攻に転じる。早いことこの場を終わらせたかったのである。
「今回外された係長候補だって悪いだろう。あいつらに係長が務まると思うか」
「ああ、思わない」
「ええっ」
大畑の目論見はいきなり外れ、前田はあっさりと認めてしまう。それどころか、前田は思わぬことを口にする。
「だからお前らに頼んでる」
三人は目を見開いた。大畑が前田の意図を測りかねていると、
「いやだね」
後ろで煽るような声が上がった。
「文化祭改革なんて面倒なもんはおたくらでやってくれ」
田中は進み出ながら言い放った。大畑を押しのけ、生徒会長の前まで出た田中はこう続けた。
「明日、俺たちが先輩方を説得して、辞退する。文化祭役員なんて願い下げだ」
そう言うと、田中は歩を進めた。ここぞとばかりに大畑も続く。
「今度発表される人事まで、あんたは指をくわえて見てな」
生徒会長が二人に悔しさをにじませる姿など、他の生徒に見せられたものではない。
「おいおい……」
勝手に歩き出してしまった二人を追いかけるように、井上も踏み出した。
前田とのすれ違いざま、井上は声をかける。
「ごめん。あの二人、口が悪くて」
「……坂本だけでも頼む」
その一言だけが、井上の耳に届いた。
教室に戻った井上は、例に漏れず二人をたしなめた。
「なんで喧嘩売る必要があった。あれじゃ生徒会長を敵に回したようなもんじゃねえか、どうすんだよ」
「まあそうカッカするなって。寿命が縮むぞ」
「実際さっき縮んだわ」
怒る井上に対し、大畑はやはりあっけらかんとしている。
「体よく傀儡にされようとしてたんだぜ。怒りたくもなる」
「しかし、前田は何を考えてるんだ。いきなりこっちに手伝ってくれって」
井上の混乱は収まっていなかった。前田には面と向かって敵対されると考えていたのだから、当然である。
「さあね。まああの様子だと、元の候補の奴らが力不足ってのは、薄々分かってたみたいだな」
「力不足って言うなら、僕らの方じゃないか」
「まあそんなことより、今は明日の説得だ」
二人の間を割って、もう一人の悪びれるべき男が切り出した。
「昨日のうちに山本さんには話を通してもらった。明日の話し合いは役員全員集まるそうだ」
田中の言葉に、他二人の表情も引き締まる。
「こりゃ、一世一代の大勝負ってわけだ」
大畑はそう自らを鼓舞した。
十月十六日月曜日、長い一日はようやく終わりを告げた。しかし、それ以上に長い明日が来る事を、三人とも感じ取っていた。
次回、「1-9 文化祭役員攻略」