1-6 首謀者陥落
昼休みが始まってすぐ、田中は谷山隆司のクラスを訪れた。喧騒の教室で、一人机に向かい悩みこむ谷山は、珍客の訪問には最初気づかなかった。
「谷山、久しぶり」
田中は気さくに声をかける。あくまで級友としての体である。
「おお、どうしたんだ」
声をかけられた谷山は、まず田中の来訪に驚いた後、目を泳がせ、怪訝な表情を作った。田中はその警戒した様子に、単なる知り合いの態度ではない何かを感じ取った。
「急に来てごめんな。谷山ってどこの部活だったっけ。校庭モリモリ部とか?」
「なんだそれ。普通に卓球部だけど」
「へー、強い?」
「いや、全然。うちは地区大会止まりだよ」
答えた谷山の顔に影が差す。それを確認した田中は話題を逸らした。
「卓球部と言えばさ、今年文化祭の副実行委員長だった鈴木さん、あの人綺麗だよな」
鈴木綾乃は卓球部員である、というのは大畑が仕入れてきた情報だった。鈴木の話題が出た途端、谷山の顔にはより深い影が落ちたが、それは一瞬で引っ込む。どうも浮いた話題だと考えたらしい。
「まさか先輩を狙ってるのか。それで俺に?」
「いや、やめておくよ。あの人『氷の女王』って言われてるだろ。実際怖かったし」
田中は素直な感想を漏らす。何度か文化祭の役員会に出たことのある田中は、鈴木が指示を飛ばすところを見たことがある。丁寧な指示を出す人で、仕事が上手く進めば適度に称え、失敗にも的確な助言をしていた。一方で怠慢や不正に対する詰問はシベリアの吹雪のように過酷で、相手を凍てつかせていた。田中はその仕事ぶりに憧れる反面、畏怖を感じたものである。
「鈴木先輩は、言われてるほど怖い人じゃないよ」
谷山は自然と擁護する。
「そりゃ部活でも厳しいけど、大会で負けた時は励ましてくれるし、優しい先輩だよ」
「へえ、お前と副実行委員長って仲いいんだな」
田中はあえて「鈴木さん」ではなく「副実行委員長」と言った。それに呼応するように、谷山の表情が強張る。
「そこまでじゃないよ」
「そうか、すまん」
谷山と別れた田中は、その足で井上と大畑に報告しに行った。大畑は待ってましたと言わんばかりに出迎える。
「どうだった校庭モリモリ部は」
「マジで最悪だった」
田中は思い出して恥ずかしくなった。警戒を解くための大畑の入れ知恵である。
「だけどまあ、効果はあった。あれはビンゴだな。鈴木さんとの関係を訊いた途端に目の色変えやがった。二人は繋がってそうだよ」
「おお、そいつは大手柄だぜ」
大畑は喜びを露わにして田中の肩をポンポンと叩いた。田中の顔には困惑が広がる。
「どうしてコイツはこんなにはしゃいでるんだ?」
田中が指さしながら訊くと、それには井上が答えた。
「今回の人事案を言い出したのが鈴木さんだったからだよ」
「なるほどな」
田中もようやく理解した。田中としては単純に谷山と文化祭との関係を探ったつもりだったが、かなり核心に迫っていたらしい。
「こうなってくると、反央会から谷山経由で鈴木さんっていう線が濃厚だな」
大畑が感慨深げにつぶやく。
「鈴木さんも反央会の人間ってことは?」
井上が訊くと、大畑はきっぱりと否定した。
「それはない。副実行委員長まで立派にやり遂げた人が、文化祭潰しを企む奴らとホイホイ組むとは思えない。それに反央会にいるのはほとんど高二以下って話だ」
関係する部活の高三は、部を率いるにあたり、潤沢な予算の恩恵に預かった世代である。そのため綱紀粛正をされる自覚があり、前田の施策に不満を持ちつつも声を上げられずにいた。鈴木綾乃もその一人である。一方で高二以下は予算の詳しい実態など知らずにいた世代である。特に高二は前田と同学年という対抗意識もあり、それがもとで反央会として大同団結するに至っていた。
「でもそうなると、鈴木さんの背信行為とまでは言えないし、他の先輩方も納得しないんじゃないか」
井上が投げかけると、田中はすぐに提案した。
「そのことなんだが、先に谷山を崩さないか」
それはすでに考えていたことだった。田中は谷山について、一つの確信がある。
「さっき話してみて分かったけど、二人の関係は悪くなさそうだ。むしろ谷山の方は尊敬してるまである。もし谷山が首謀者なら、鈴木さんへの罪悪感でいっぱいのはずだ。そこから切り崩して、谷山から鈴木さんを説得させるのさ」
「その方が、俺たちから言うより面倒がないか」
大畑は提案に乗り気である。
「またで悪いが田中、今度はガチンコ勝負を頼めるか」
「実はもう話を取りつけてある。放課後に卓球部の部室。お前らも来るか」
「おうよ」
大畑は意気込む。
「よーし、そこでまずは谷山攻略だ」
そして放課後、卓球部の部室。本来なら部活の準備で慌ただしいこの時間の部屋も、活動日ではなく誰もいない。
三人を出迎えてから椅子に座った谷山は、表情を硬くした。
「で、大勢で押しかけて何の用だい」
谷山には、三人で来る、とは言っていなかった。鋭くなった谷山の目線を受け流しつつ、田中は即答を避けた。
「実は、俺は文化祭の実行委員長にされかけてるんだ。知ってるか」
「へ、へぇ……」
谷山は三人から目を逸らした。というより目が泳いでいる。どうも大畑の勘が今回は冴えていたらしい。
「そういえば、他の二人も副実行委員長、だったっけ」
井上や大畑のことを谷山は知らないはずなのだが、田中はあえて先に進めた。
「でももともとは委員長に坂本がなるはずだった。なんでだろうな」
「素行が悪かったんだろ? 噂になってるよ」
平静を装うつもりで、谷山はうっかり口を滑らせた。
大畑は気づいている。そんな噂はまだ立っていない。
「坂本にはこれといったスキャンダルが無い」
元級友の表情を窺いつつ、田中は慎重に話を続けた。
「こうなると、何か悪意のある奴の差し金で替えられたって考えたくもなるんだが」
「何が言いたい」
谷山の顔が一気に警戒へと振り切れた。
次の言葉が出る前に、田中が制する。
「そういえば卓球部ってのは、前田に部費を減らされた口だよな」
「言いがかりはやめろよ」
井上でも分かる。言った谷山は動揺している。明らかに何かを知っている。
「部費が減らされたところなら、他にもあるだろうが」
「じゃあ言い直そうか。反中央の会って」
その瞬間、部屋の空気は凍てついた。例年より一か月ほど早い冬の到来。
「……なんで、それを……」
顔面蒼白の末に出たその言葉は、谷山の関与を確信させるに十分だった。田中はもう一歩切り込む。
「お前ら反央会は部の予算を取り戻すために、文化祭の人事を引っ掻き回す必要があった。そこで副実行委員長と同じ卓球部のお前が手引きして、鈴木さんにあんな無茶苦茶な人事を作らせた。違うか」
それは大畑が組み立てた推論であった。
谷山は田中の詰問に答えなかった。だいたいその通りだからである。
「あんな美人な先輩を陥れて、それでよかったのかお前は」
……チェックメイト。谷山はうなだれた。
谷山が今まで隠してきたことは全てバレている。
しかも田中の最後の言葉が会心の一撃だった。敬愛する人を計略にかけた事実は、折り合いをつけようとしてもつくものではない。
「……言い訳みたいになるけど、聞いてくれるか」
田中は静かに頷いた。
「もともと、俺も向田もこんな大事になるとは思ってなかったんだ」
「ああ? そんなはずないだろ」
思わず立ち上がった大畑に、田中が腹パンを食らわせる。
「話の途中だ」
「ああ、すまん……続けてくれ」
大畑が座ると、谷山は事の経緯を三人に聞かせたのだった――。
次回、「1-7 行動力の化け物」