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文化祭紛争録  作者: 田子蛸也
2 変わる潮流
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2-8 生徒会長のシナリオ

「お前んところの文化祭、なんかつまんねえな」


 ある人物が、第四十回文化祭を評した言葉である。この一言さえなければ、巡り巡って井上が勤労意欲に目覚めることも、向田が得意でもない謀略に明け暮れることもなかったのかもしれない。

 しかし実際には、まずある二人の生徒を焚きつけ、それが学校中に延焼していくことになる。


 後の生徒会長、前田健はこの友人の言葉に衝撃を受けた。それは前田が文化祭に対してもやもやと抱えていた違和感を、的確に言い表していたのだ。その瞬間、前田の本質を見抜く視力は回復し、内輪ノリや士気の低さといった実情が輪郭を持った。

 この文化祭が終わった後で、前田は盟友坂本悠人にこう告げた。


「文化祭を変えよう。誰もが羨む文化祭を作るんだ」


 坂本は前田と中学からの付き合いである。二つ返事でその提案に乗った。後の生徒の中には、この出来事を場所からとって“校庭の誓い”と呼ぶ者もいるとかいないとか。

 ともかくもこの文化祭の後、前田と坂本は共通の目的地へ向けて別々の道を行くことになる。文化祭を変えるには、そうするのが一番効率的であった。

 坂本は文化祭実行委員会に残り、実行委員長への階段を上っていく。

 一方の前田は実行委員会を去り、志を胸に生徒会長選挙へ出馬する。


 そしてそこから一年経ち、二人は互いにとりうる最高の地位を得ていた。

 ついに実行委員会と生徒会の両面から変革が進む。そのような期待が生徒の間に満ちていた。

 前田が坂本から相談を受けたのは、そんなある日のことである――。




「珍しいじゃないか、お前から話があるなんて」

「忙しいところごめんな」

「なにいいさ、悠人の相談を蹴っちまったら、気になって他の事に身が入らん」


 言いつつ前田は安物のソファーに腰掛ける。この部屋ではそこそこ古株なソファーで、座るとわずかに軋む音がする。

 坂本に話を持ちかけられた時、ここを指定したのは前田であった。学校の有名人にとって、プライベートに話せる空間は少ない。だが幸い、前田は自由に使える部屋を持っていた。生徒会室である。


 十一月十三日月曜日。今日、生徒会の会合はない。内側から鍵をかけてしまえば、一応の機密は保てる。

 坂本が反対側のソファーに座ると、前田は表情を引き締めた。


「じゃあ、話を聞かせてくれ」

「うん……文化祭の事なんだけど、実はこの前の会議でだいぶ批判が出たんだ。文化祭を大きくするのはまずいと」

「へぇ」


 前田に驚きはなく、わずかに冷笑しただけであった。


「それは誰が言ってたんだ」

「工作部の連中は全員だけど、一番は井上だな」

「……誰だっけ。聞いたことねえな」

「副実行委員長だよ……」

「……ああ」


 どうも前田の井上たちに対する知識は、工作部の連中という程度でそれ以上はないらしい。ただこれは井上たちに限った話ではなく、見るべき人材以外あまり名前を覚えないというのが、前田健であった。にもかかわらずここまでの名声を得たのは、奇跡的な手腕によるのかもしれない。


「あいつが言うには、今は文化祭を大きくするべきじゃない。むしろ小さくして一から作り直す時期だと言ってた」


 それを聞いた前田の表情は、打って変わって厳しいものになった。

 坂本はおそるおそる意見を求める。


「……どう思う?」

「どうって言われてもな……」


 前田にも井上の理屈は理解できた。むしろ一年前の前田なら、喜んで井上と手を携えただろう。だが一年で状況は変わった。口調には諦めが滲む。


「たぶんその井上ってのは、削る改革がどんなに難しいものか、分かってないんだろう。そんな簡単に全てを変えられるわけじゃない」

「……そうか」


 坂本は落胆したように表情を墜落させた。坂本としては井上案も判断に迷うところがあったようだが、こう真っ向から否定されては一言もない。

 前田は歯がゆそうに続ける。


「前にも話したけど、一番の問題はホンキだ」

「そうだな……それを考えなくていいなら井上の案も……」

「可能性はある」


 この会話を他人が聞けば、おそらく驚愕しただろう。

 ホンキ――正して企画係本部企画班と言えば文化祭の花形。前田派の人間で多くが占められている。それを目の上のたんこぶ扱いしたのだ。


 しかしそれは一面の事実でもあった。前田が改革を志した時、本部企画班のほとんどは前田に賛同し、すぐに最大勢力となった。だがこれこそが前田の誤算だった。

 彼らは前田を支持した。だが意識は何も変わっていなかった。派閥意識として前田を推しているだけで、前田の改革がいかなるものかを理解していないのだ。

 七月のストライキ、八月のクーデター未遂など、数々の事件を起こしたが、それらは前田の本意ではなかった。そして坂本も、事態の収拾に奔走しなくてはならなかった。


「ホンキの規模は小さくしないといけない。あいつらは人数が多いわりに閉鎖的で、それが内輪ノリに繋がってる。生徒や来場者を楽しませようという気概もない。しかもやってる企画が多いときた」

「なんだか耳が痛い話だ」

「ああ、すまん」


 前田は軽く詫びた。坂本の出身は本部企画班である。そこを直球で批判するというのは、なかなかに酷な話でもある。だが坂本は気にしなかった。


「いや、いいんだ。健が言ってるのは間違ってないよ。今のホンキがやってる部分を有志に回さないと、学校全体で文化祭を盛り上げようって流れにはならない」

「そう。長く委員会企画中心でやってきたせいで、この学校の生徒には客意識が染みついてる。それをなんとかしなきゃいけない」

「もはや他人事って感じだもんな。文化祭が向こうから来るもんだと思ってる」


 坂本は苦々しく愚痴る。

 どんなに盛り上げようとしても協力する意思のない生徒たち。その様子は彼の記憶に新しかった。


「自分が神様か仏様にでもなったと勘違いしてるんじゃないか?」

「いや神様はともかく、仏様になっちゃまずいだろ……」


 前田のツッコミに、坂本は咳払いで応じた。


「とにかく、学校のみんなの意識を変えないといけない。そのための有志枠拡大なんだろ?」

「ああ。丸投げになっちまうが、そこはしっかり頼む」

「まあなんとかするよ。ただ……」


 坂本の顔が曇る。俯いてためらい、そして踏ん切りをつけたように切り出した。


「……正直、難しくないか。文化祭を大きくして成功させるのは」

「どうしたんだよ急に。工作部の連中に脅されて不安にでもなったか?」

「そんなことはない。で、どうなんだ」


 表情を崩さずに坂本は問う。前田はため息を一つつくと、一言で答えた。


「難しい」

「……健はそれでいいのか。失敗しても」

「よくはねえよ」


 前田は吐き捨てるように否定した。


「でも、今文化祭を小さくするのはもっと愚策だ。居場所を取り上げられた実行委員が黙っちゃいない。そしたら文化祭改革どころじゃなくなる」

「……そうだな」

「今ホンキやその周りを暴発させるわけにはいかない」


 生徒に当事者意識を持たせ、前田派の人間を制御しつつ、実行委員会の規模を削り、文化祭の質を上げる。その四つを同時に成し遂げる方法は多くない。前田の取れる選択肢は一つしかなかった。


「今回は先に有志団体を増やして、次回本部企画を大きく削る。これしかないんだ」

「ああ。……わかってる」


 答えた坂本だが、その顔はまだどこか腑に落ちないものだった。しかし数瞬で表情を切り替えると、より実務的な話を切り出した。


「ところで、今回ホンキを削らないにしても、新しく入ってくる人数は減らさないといけないだろ?」

「それは、そうだな」

「人員を削ること、ホンキの連中にはなんて言ったらいいか……」

「有志団体が増える分出展管理班に回したい、と言えば言い訳は立つ」

「なるほど」


 とにかく今、本部企画班のメンバーを刺激するわけにはいかない。この計画の全貌は、来年の今頃に明かされなければならなかった。それは坂本も分かっている。


「ありがとう、聞きたかったのはこれぐらいだ」


 言いつつ、坂本はソファーから立ち上がる。


「そっちも大変だろうけど、頑張れよ」

「ああ」

「……悠人」


 扉に向かう坂本を、前田は呼び止める。


「これは二年計画、三年計画だ。今はその第一歩。忘れないでくれ」

「わかってるよ」




 坂本を送り出した後で、前田は自分の立場を恨んだ。

 彼は生徒会長である。だがその権力は砂の上に立っているに過ぎない。学校という場において支持の源は周りの空気である。空気を読み違えれば、あっという間に人心は離れていく。

 文化祭人事の一件で、今生徒の中には鬱憤が溜まっている。前田の引力が弱まったら、一体誰が彼らをコントロールできるだろうか。

 生徒会長の矜持として、学校の治安を悪化させかねない施策は打てない。今後のためになるより、今いる生徒たちにとって喜ばしい未来を、彼は選択しなければならなかった。たとえ自身が望んでいない選択肢であっても……。


次回、「2―9 元実行委員長の憂い」

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