2-6 そして会議は混迷へ
坂本はまず、今日の議題を羅列して述べた。
――今日の会議は、第四十二回文化祭の基本方針を決定するためのものであること。スローガンや企画検討の前段階であり、文化祭成否の肝となる部分であること。
そして、この結果は生徒会長選挙にも影響を及ぼすであろうこと――。
今年も前田健は生徒会長選挙に出る。となれば昨年同様、文化祭が争点となることは明らかである。だが昨年と今年では明らかに状況が異なる。
昨年の実行委員会は選挙に対して素知らぬふりであった。だが今年は坂本が実行委員長である。そして坂本は前田に与している。前田の意図と反する方針は打ち出さないし、打ち出せない。これは反対意見を繰り出している井上たちへの、坂本なりの牽制でもあったろう。
坂本の宣言が終わると、一糸の間も置かずに手が挙がる。そのまま企画係長の木下が発言する。
「次の文化祭は、やっぱり規模を大きくするべきだと思う」
木下は最初から熱を入れて訴えた。
対面に座る井上はそれをげんなりした顔で受け止める。なにせこの流れは二回目である。よくも諦めないものだという感想は胸に秘め、井上は一応耳を傾けた。
「里高の文化祭の一番の問題は、有志団体の枠だと思う。一般の生徒が盛り上げたいと思っても、本部企画優先で取り合ってもらえないって話も聞いた。うちの有志団体枠は他の学校に比べても少ないし、これを広げれば活気は生まれると思う。というより、むしろ今の文化祭に活気を生むには、これしかない」
自信満々といった具合で身を乗り出して、木下は言い切った。だが出席者の反応はあまりにも薄い。木下に同調するのは坂本のみ。木下にとってはやりにくいアウェー戦である。それに何といっても二回目である。
そのまま話の切れ間を狙って別の手が挙がる。井上であった。
「有志団体の枠を広げることは良いと思う。でもそれだったら、本部企画をそれ以上に減らさないとダメだと思う」
坂本と木下の顔が曇る。彼らは本部企画班の出身だ。井上の発言はつまり、同胞を削れということになる。
「文化祭予算は去年大きく増えた。けどそれでも全ての企画に行き渡ってはいない。そうだよね?」
井上は富田に話を振った。井上にしてみれば、少しでも味方は増やしておきたい。
「今年の全企画の出費を賄うなら、あと五十万円はないと足りないんじゃないかな」
富田は簡潔に答えた。
生徒会に金のなる木が植わっているわけもない。つまるところ、現状ですら全企画を賄うのは難しいということである。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
焦り気味に、再び木下が立ち上がる。
「本部企画を維持して有志団体を増やすってのは、無理なわけじゃないだろ。そもそも有志団体の予算は、委員会から回すわけじゃないし……」
「じゃあ聞くが、自分の金を出してまで文化祭に取り組みたい人間は、果たして今この学校にいるのか?」
「それは……」
それは坂本たちの、唯一にして最大の弱点であった。
木下は苦い顔になる。井上の指摘は、反論しようのない事実であった。
「里高ではもう十五年も、文化祭が野ざらしにされてきた。生徒の文化祭への不信感は根深いし、先輩後輩という関係の中で代々受け継がれてきてる。だから前田が生徒会長に立った今年も、状況は変えられなかった」
前田支持者は数あれど、文化祭を変えようという意識を持って支持している人間は少ない。大方、周りが賛同しているから、という“みんな意識”によるものである。あるいは前田の文化祭改革への思いや闘争それ自体を祭りとして消費しているきらいもあるだろう。
人事決めの際、前田派の係長候補が軒並み外されたのは、こうした事情もある。文化祭そのものへの意識の低さ。それは実行委員も例外ではない。
「もし仮に有志団体を増やせたとしても、その分装飾したり管理したりしないといけない部分が増える。そしたら結局、委員会の出費も増えることになる」
座ったまま、落ち着いた口調で田中は補足した。
一方の坂本は腕組みをしたまま、話の成り行きを聞いている。
「田中に付け加えると、企画運営が本当にできるのかって問題もある」
田中の横で、今度は大畑が発言する。
有志団体が増えるということは、出展管理班の管理する企画が増えるということでもある。班長の大畑にとって他人事ではない。
「井上から聞いたけど、本部企画班が生まれた年はだいぶ苦戦したらしい。初めての運営で右も左もわからない。それが今度は有志団体で起きるかもしれない」
「だけどそれは、次回以降それぞれの団体で直して行けばいい話じゃないか」
本部企画班長を兼ねる木下は、苛立ち混じりに反論した。
「いや、それは全くその通りだけど、そもそも今回面倒を見きれるのかって問題がある」
「それが出展管理班の仕事だろ」
「やるだけのことはする。だけど今回規模を大きくして失敗したら、文化祭はもっと失望される」
文化祭準備室は数瞬、沈黙に包まれた。
木下の提案はことごとく反論され、改革をしようにも打つ手なしに見える。しかし坂本にしてみれば、簡単に引き下がれるものではない。
「だったらお前らは……このままでもいいのか?」
沈黙を破り、坂本は思うがままを口にした。机の上で拳が強く握られている。彼の肩には、実行委員たちの期待がかかっているのだ。
「学校の外からだけじゃなく中からも、つまらないとか内輪だとか言われてる。そんな文化祭を、来年も続けていいのか?」
「よくはない」
きっぱりと井上は答えた。
「今の文化祭には問題が多い。だからこっちも変えようと提案してる」
「それで規模を小さくしようってのか」
坂本は呆れたように返す。
「でもそれじゃ、みんなの納得は得られないだろ」
「確かに今は得られないかもしれない。でも終わった後は違うと思ってる」
「その根拠は」
「規模を小さくするから……」
「……」
「おい幸樹、なに耄碌してんだよ」
大畑はすかさずツッコんだが、
「ちょっとお前は黙っててくれ」
井上はそれを制した。
「あーつまり……規模を小さくするってのは目的じゃないんだ。みんなが楽しめる文化祭をゼロから作るには、一度規模を小さくしないといけないって話なんだ」
「……文化祭をゼロから作る!?」
木下の声が驚愕に震える。文化祭改革を訴えてはいても、そこまでは考えていなかったらしい。むしろたいていの生徒は木下と同じ反応を示しただろう。今あるものを一度なくしてしまおう、というのはなかなか思いつく考えではない。
「それはつまり……委員会から企画まで、全部を考え直してみるってことで合ってる?」
訝しげではあるが、渉外係長の望月が食いついた。少しの手ごたえを感じつつ井上は答える。
「そうだね」
「確かにそれなら、規模は小さくしないと中途半端になるかもしれないけど……そこまでしないといけないの?」
「今の文化祭は風呂敷を広げ過ぎて、何がしたいのかを見失ってる。この学校のみんなは果たして文化祭を大きくしたいんだろうか。たぶん違うだろう。おそらくは――文化祭を楽しみたい。これだけなんだと思う」
そこに異論はなかった。
本部企画にすら熱気がない現状。それは前年の焼き増しをただ淡々と続けているから、というのも一因であろう。文化祭をより大きくという政策は言葉こそ魅力的だが、果たして生徒たちの望んでいる答えなのだろうか。
「それに文化祭をより良くとは言っても、誰にとって良い文化祭にするのか。自分たち実行委員にとってなのか、一般生徒なのか、それともお客さんなのか。全体を考えて文化祭として完成させるまで、一年でやりきるのは多分無理だ。でも、文化祭の骨格を作ることぐらいはできる」
「骨格?」
聞き返した富田に、井上ははっきりと答える。
「そう、揺るぎない骨格、つまり……これからの文化祭の基本形を作る。それができるのは今しかないし、今はそれが求められてるはずだ」
「バカな。その骨格ってのが失敗だったら、結局俺たちの提案と同じじゃないか」
木下はまくし立てたが、井上も引かない。
「規模をいきなり大きくしようとした例は、過去にことごとく失敗してる。それに人材が無くて改革に失敗した例もある。それで今回成功すると思うか?」
「……」
木下はいよいよ言葉に詰まった。言い返すだけの材料を全て封じられてしまっている。
勝負あった。事前知識の差である。
「他も同じ意見なのか」
坂本は低い声で問うた。製作係長田中、出展管理班長大畑、広報係長佐藤の三人はすぐに賛成の意志を表明する。
そして部屋全体の目線が女子二人に向けられた。
「私は井上君の案、いいと思うよ。なんか面白そうだし」
今まで意見を言ってこなかった渉外係長望月が、ついに賛意を示した。
「私も賛成」
会計係長の富田も続く。これで六対二。井上の提案は過半数を取ったことになる。坂本と木下は、その結果を見て俯いた。
「委員長は……どう思う」
おそるおそる聞く井上だったが、次の瞬間その表情は困惑に包まれる。
「俺は……それでも賛成するわけにはいかない」
坂本ははっきりとそう言った。部屋は再び張りつめた。
ここまで反対されてなお、坂本を突き動かすのは何なのか……。しかしその答えはすぐに明かされる。
「井上の提案を進めれば、前田の公約と対立することになるんだぞ……」
役員の面々に電撃が走る。
ここにいるのは文化祭実行委員長坂本悠人ではない。今いるのは前田派の筆頭、坂本悠人であった。
身を守るために出たとっさの一言は、つまるところ脅迫である。強大な他者の存在によって相手を黙らせる。それはあらゆる場面で効果を発揮してきたはずであった。しかし――声は上がった。
「ふざけるな! 実行委員長は誰だ」
広報係長、佐藤であった。
「前田か。前田が実行委員長なのか? 違うだろ。今はお前が実行委員長だろ。なんで前田の顔を窺う必要がある」
だが坂本は必死に訴える。
「前田は生徒会長、生徒の代表なんだ。それと対立するってことは、生徒を敵に回すのと同じだ」
「そ、それは実行委員会の論理じゃないだろ」
佐藤がうろたえた隙に大畑は手で制した。
「頼むから短気を起こしなさんなよ」
大畑の注意を受けて佐藤も、そして坂本もひとまず鎮火した。しかし問題はそのままである。
「……とにかく、今日の会議はここまでにします」
坂本はそう宣告すると、そそくさと準備室を出て行ってしまった。井上にそれを追うだけの力はない。
議題は再び、先送りされることになった。
翌週月曜日の昼休み、ふて寝を決め込む井上を起こしたのは、いつも通り大畑であった。
「……なんだよ、また大変なことでも起きたか?」
寝ぼけなまこの井上に、大畑は大げさに身振りする。
「その通りだ。さっき生徒会長選挙の公約が発表されたんだが……」
「それがどうした」
「なんと前田の公約が、“文化祭を大きく”だったんだ。去年の“文化祭をより良く”から変わってやがる」
その報に、井上の眠気も吹き飛んだ。
去年の前田の公約は大畑の言う通り、“文化祭をより良く”だったはずである。だが今回の公約はより具体的になっている。つまり生徒会長選挙の行方によっては、文化祭実行委員会の方針に大きく影響することになる。
「じゃあなんだ、坂本たちの提案自体が前田の公約だったってわけか」
「ああ。坂本がこだわったのは、これだったんだな……」
――十一月十三日。生徒会長選挙の火蓋も切って落とされた。坂本の説得は、より困難を極めつつあった。
次回、「2-7 烏合の勘ぐり」