2-4 里原高校文化祭略史
第42回文化祭実行委員会は、すでに内戦の様相を呈している。
――文化祭をもっと良くしたい。その大枠では一致しているものの、問題はその先である。
坂本や木下ら、いわゆる前田派は、規模の拡大を主張している。
里原高校文化祭の有志枠は、他校に比べて半数以下である。これを他校と同じ水準に引き上げて、一般生徒の参加意欲を高めるべきだ、というわけである。
一方の井上ら工作部勢は、それに異を唱えている。
ただでさえ本部企画は手が回っていなのに、これ以上規模を広げる余裕などない、という主張である。
二回目の会議では両者譲らず、大畑がまたも匙を投げた次第である。
日は跨いで十一月二日、昼に井上を訪ねた広報係長の佐藤は驚愕する。
「おい、アレは一体、何を読んでんだ」
問われた大畑は遠い目で答えた。
「聞くな。あれは幸樹の性癖だ。同志たるもの、プライバシーは守ってやらんとな」
「聞こえてるぞ。誰がそんなもん教室で熟読するか」
井上が軽く反論すると、大畑がにやついた。
「家では熟読するのか」
井上はあからさまに無視して、再び書類に目を落とした。
「それにしても幸樹が昼休みに勉強なんて、珍しいじゃないか」
「枯れ果てた泉から突然勤労意欲が噴き出したらしい。今は議事録にご執心さ」
「議事録?」
「ああ。今までの文化祭の議事録だ。その年何があってどういう判断をしたか、事細かに書いてある」
「ふーん」
興味なさそうに応えた佐藤は、ともかくも井上に近づく。がしかし、すぐに結界に阻まれてしまった。
「うげっ、文字しかねえ……」
そこには、とりあえずまとめました、と言わんばかりの乱雑さで綴じられた数多の書類。さらにそこから抜粋してメモを走らせる井上の姿があった。
「まるで勉強だな」
「実際勉強だ」
目を逸らさずに井上は答えた。からかう声で大畑は訊く。
「でもそんなに読み込んでどうすんだ?」
「歴史を知らずに生きるのは、過去問を解かずに受験するのと一緒さ」
「ちなみに世界史の点数は」
「五十点……」
「よく言うよ、その点数で」
「……反省します。でもお前も他人の事言えないからな」
「へいへい」
大畑は軽く受け流した。
「んで、その歴史とやらには何が書いてあったんだ?」
「長くなるぞ」
「手短に頼む」
「難しいこと言いやがる……」
言いつつも、井上はかいつまんで流れを説明した。
現在里原高校の文化祭は、全く誇れないことにかけては県随一を独走している。その遠因は、十年以上前の文化祭暗黒時代にある。そしてそれは模索の時代でもあった。
その幕開けを飾ることになる第二十五回文化祭。
この時すでに、文化祭に対する生徒の士気は低迷していたようである。
実行委員会も人手不足に直面した。生徒たちが文化祭に対する興味を失っていたのだから無理もない。特に深刻だったのは、大道具から小道具までを用意する製作係であった。人手が必要な割に、素人集団であるから質に限度があった。そこで役員たちは一計を案じる。
工作部部長を放課後のラーメンで釣り上げ、製作係長に任命したのである。現在に至る工作部編入制度がここで確立している。普段から工作に慣れている人間が作るので、質の向上は目を見張るものがあった。人手問題については焼石に水ではあったが、水をかけないよりはまだマシであった。
しかしこうした委員会の健闘むなしく、当日になっても教室の半分はがらんどう、という有様であった。
次いで第二十六回文化祭。
実行委員長の斎藤秀一は、入学してきた一年生に訴えた。
「去年のような文化祭は嫌だろう。皆の力で、新しい文化祭をやろう!」
こうしてそこそこの人数を集めた齊藤は、不足した有志団体を本部企画で補填することにした。観客席をサクラで埋めるのと、大して発想は変わらない。
ここに企画係本部企画班の源流があるのだが、唯一にして最大の失敗は、企画運営ノウハウが欠如していたことである。しかも演説にほだされた一年生が主体となったことで、その傾向は顕著に現れてしまった。
第二十七回文化祭は、より大きな改革を行おうとしたことで特筆される。
当時校内一の人気者であった篠原友樹は、ステージの増強や統一的な教室展示という、抜本的な改良を打ち出した。
確かに良い案ではあった。しかし行えなかった。残念なことに、彼の恒星系には優秀な惑星がいなかったのである。彼を支持していた人間は多くいたはずなのであるが、おそらく面倒事まで付き合うのは御免だったのであろう。
結局ある意味で、篠原の政策は達成されてしまう。少数精鋭でその場しのぎをすれば、統一感が生まれるのは必然ではあった。だがそれは当然、来校者を満足させるものではなかった。
これを受けた第二十八回文化祭は、原点に立ち戻ることになった。なにせ失敗続きであったためである。実行委員長の鴻池巧が、情熱的な保守主義者であったことも大きい。鴻池は先代に倣うことを避け、第二十五回を参考に準備を進めた。
それは教師陣を安堵させたが、実行委員たちは史上最高レベルの退屈さに感銘を受けたようである。ある実行委員の感想には、「青くもなく春でもない。ただ全てを出して元の場所にしまう、文化祭という名の大掃除だった」とある。
暗黒時代最後の年にあたる、第二十九回文化祭。ここでは再び改革路線に舵が切られた。
第二十七回で考案された、ステージ増強や統一展示といった施策を継承しようとしたようである。だがそれ以外に議事録から読み取れる記述はない。
実行委員長の加藤大樹はサプライズを好んだようで、その記述は随所にある。あるいはただ思い付きで行動する人間であったかもしれない。
だが、生徒が求めていたものはサプライズではなかった。
さらに不運なことに、文化祭直前に加藤の片腕であった副実行委員長が病欠。教師陣が準備に介入するという、異例の事態を招いて終幕となった。
そして第三十回文化祭。
実行委員長となった渡辺博之は、幹部選出体制を改めた。
それまで実行委員の投票で決めていた実行委員長。それを先代実行役員の会議で決めることにしたのだった。各年の方針決定も役員会で決めることになり、一般委員は意思決定の場から締め出された。
しかしこれにより、確実に運営技術が継承され、安定した文化祭開催に寄与することとなる。
成功する文化祭より、失敗しない文化祭。それは直近五年間の混乱と、教師陣からの要請を受けての戒めであった――。
「なるほどな、俺たちのやりようによっちゃ、第二次暗黒時代に突入するかもしれないってわけだ」
井上の講釈を聞き終わった大畑はそうまとめた。改革を求められている今、失敗すれば始まりの年となる可能性は少なくない。つくづく難しいタイミングで役員にさせられてしまったものである。
「それで、対案は思いつきそうか」
佐藤は先を急かした。
「……一つ、あるにはある」
頬杖をつきながら井上は答える。
「坂本たちの真逆に近いかな」
「その心は」
促した大畑に、井上は小声で、しかし明確に答えた。
「文化祭を縮小する」
「大きく出たな……」
満足げな声を出す大畑と、いまいち理解しきれない様子の佐藤。その二人に井上は語った。
「聞いてたろ、今まで改革と銘打ったものはことごとく失敗してる。唯一成功と呼べるのは、この回だけだ」
井上は第三十回のファイルを指さす。幹部の選び方を変えたこの回。その議事録は他のファイルよりもひときわ分厚く、何度も検討を重ねたことがうかがい知れる。
「しかしなんというか、こう……改革っぽい改革じゃねえよな」
「そう。目立ちはしないけど、でも流れを変えた功績は大きい。地に足付けた改革ってのは、もっと悲観的にやらないといけないのかもしれない」
「それで縮小か」
「手が回ってないなら、手の届く範囲でやるしかない。その方が質も上がると思うし」
「その通り!」
露骨におだてた大畑に、井上はふくれっ面になる。
「お前、今絶対適当に言ったろ」
「でも坂本たちが納得しないんじゃないの。それに前田も」
佐藤は難色を示した。
坂本に反対するということは、その背後にいる前田に逆らうということであり、彼らを支持する多くの生徒を敵に回す行為である。これは井上たちの被害妄想ではなく、一般生徒に浸透した考え方である。これを理由に相手の意見を封じる、というような行為は日常にありふれている。
いずれにしても井上たちの肩にかかる責任と重圧は、相当なものである。
「なんとか妥協点を見つけて、説得するしかない」
机の一点を見つめ、井上は己に言い聞かせるように呟いた。
「坂本の案をこのまま通したら、文化祭はまた失敗する」
大畑も佐藤もそれに頷く。
「で、これからどうする」
大畑に問われ、井上は背もたれに倒れこみつつ言い放つ。
「……全くわからん!」
十一月二日、匙は三度投げられた。
「やめろ、匙に罪はない!」
「お前も投げてたろ」
次回、「2-5 女子二人について」