2-1 反央会よさらば!
三すくみ。それがこの頃の里高文化祭を表すに相応しい言葉だった。
一に、十年続く体制を維持せんとする、文化祭実行委員会。
二に、文化祭改革に乗り出したい、生徒会長前田派。
三に、文化祭と生徒会双方を妬む、反中央の会。
この三者が、一般生徒のあずかり知らぬところで互いに牽制しあい、あるいは脳内で相手をケチョンケチョンに罵り合いながら、それぞれの目的を果たさんとしていた――。
ところがそのかわいい三国志状態も終焉に向かうことになる。
当初紛糾するかに思われた新たな役員人事は、井上幸樹たちの柄にもない献身の末に着地点を得る。それは生徒会長、前田健の妥協できるラインにも収まり、見事に中央委員会審議を通過。前田に近い坂本悠人が、実行委員長の座に就くことになった。
これでようやく、長きにわたる生徒会と実行委員会との確執が解消されるかに思われた。ところが高校生活という名の青春は平和を許さない。
これ以後文化祭情勢は、それぞれの信念によって、さらなる混迷へと歩を進めることになる。その一端は、人事発表直後から現れ始めるのだった。
「俺は生徒会長になろうと思う」
放課後の美術室。反央会の形式上のリーダー、谷山隆司は教卓から身を乗り出して訴えた。ところが。
「えっ、なに、無反応?」
聞いた者のほとんどがポカンとしている。――ように谷山には見えた。文化祭人事発表を受けて、緊急招集された反央会メンバーである。
この美術室は扉にカーテンが掛けられ、外から中は見えない。しかし彼らの本心はさらに厳重に隠されていた。少数派の癖というものである。
大方は口や表情にこそ出さないが、「またやりやがった」という感想を胸に秘めていた。
そんな中で声を上げたのが、今や反央会の実権を握る向田寛人である。
「ちょ、ちょっと落ち着こうか。なんでまた」
「実はこの前、工作部の奴らと話す機会があったんだ」
「えっ、なんで」
意外そうな顔をした向田に、谷山は噛みついた。
「お前、『工作部の連中に肩入れするか』って言ってたじゃないか」
「まあ確かにそうだけども……」
あの発言は向田にとって選択肢の提示であって、決定ではなかった。
「ってまさか、あの人事もお前が?」
「いや、俺は鈴木先輩に詫びを入れに行っただけ。種も仕掛けもあいつらだ」
谷山はため息をつき、奸計を巡らせた向田を睨む。
「あいつらには、こっちのことも全部見抜かれてたぞ」
「マジかよ……」
向田の脳裏に、工作部随一のお調子者の顔が浮かぶ。大畑と向田は、いわば犬猿の仲である。今回の件も、大畑にすっぱ抜かれたのであろうことは向田にすぐ理解できた。
そんな智者の悔恨など知る由もなく、谷山は遠い目で続ける。
「それに言われちまったんだ。『表で堂々とやれ』ってさ。それで思ったんだ。このままじゃまずいって。今を変えるにはやっぱり力が無きゃだめだ」
「それで生徒会長を目指すと?」
「そうだ」
「バカモン!」
食い気味に向田は怒鳴った。
「敵に塩を送るどころか調略されてどうする!」
教室ごと吹き飛ばしそうな勢いで向田はまくし立てる。
「それは罠だ。今部費の増額なんて公言してみろ。前田一派に叩き潰されて終わる」
「だとしても、全校に訴えるだけの価値はあるだろ」
「ないんだよ」
向田は首を横に振った。
「お前忘れたのか? 二月の生徒総会を」
話は八か月前に遡る。
生徒会予算を決める生徒総会。議題は文化祭予算の増額と、一部部費の減額。
施策の大義は何か。向田は質問という形で壇上に上がり、前田を問い詰めた。
「覚えてる。お前が根暗を発揮して大こけしたやつだろ」
「根暗は余計だ」
この向田という男、生徒会に喧嘩を売っておきながら、かなりの臆病者である。
結局壇上では挙動不審になり、最後は司会者に降ろされるという、それはもう見事な負けっぷりであった。
しかしそうでなくとも、過剰な部費を元手に甘い汁を吸っていた部の話など、だれも耳を傾けようとはしなかっただろう。たとえそれが先代たちの間違いであっても。
そして予算案はそのまま通過し、新聞部は大幅に減額される。過剰配分から、ゼロへの転落であった。盛者必衰。
さらに生徒たちは批判を強めた。前田への質問はそのまま、“反逆”に映ったのである。部費泥棒。銭くい虫。あげくは犯罪者。それが向田たちに押された烙印である。
「あの総会で俺たちは何もかもを失った。それをもう一回やろうってのか」
「いや、そうじゃない」
谷山ははっきりと否定する。
「あの時は急すぎて、準備もなにもできてなかった。だから今度は地道に準備する。幸い前田は八方美人じゃない。今の生徒会に不満がある人間は、俺たち以外にも必ずいる。その票を着実に拾うんだ。そうすれば、少なくとも三分の一は狙える」
「……三分の一って……負けてるじゃねーか」
「そうだな」
谷山はさほど深刻そうでもなく呟いた。向田は困惑の度を深める。
「ひょっとして……馬鹿なのか」
「ああ、そうだ」
谷山はあっさりと言ってのける。
「でもたとえ相手が馬鹿でも、話は最後まで聞くもんだ」
やれやれといった風に向田は首を振る。谷山は続けた。
「去年前田は圧勝だった。でも今年、三分の一も他候補に票が流れれば、さすがの前田も意識せざるを得ない。それが大義名分となって、部費が適正な額になるかもしれない」
「大義名分というと、前田が部費を元に戻したがってるようにも聞こえるが、そうなのか」
「ああ」
断言するように答えた谷山に、向田は思わず訊き返してしまう。
「その根拠は……」
すると谷山は、にわかに戸惑いの顔を見せた。だが向田がその真意を推し量るよりも前に、それは消えてしまう。
「今年前田は文化祭予算を増額したけど、上手くはいかなかった。そのことで、会計や監査委員会から不満が出てるらしい」
その点は反央会の考えとも一致しているが、向田が舌を巻いたのはその情報そのものである。情報通を自負する向田でも、そのような話は聞いたことが無かった。だが会計や監査委員会は、実際に部との矢面に立たされる部署。不満が出ても不思議ではない。
「もちろん今すぐに部費が上がるわけじゃない。でもこれは部費問題を訴える大きなチャンスなんだ。勝っても負けても得るものは大きい」
メンバーからため息がもれる。こうも熱弁されれば、少しは明るい未来を想像するものである。それを見て、谷山はさらなる攻勢に出る。
「俺たちには時間がない。もう高校二年生。来年には後輩に引き継がなきゃいけない。俺たちの代でしぼんだ部を、そのまま押し付けていいのか?」
良いわけはない。彼らの後輩は、部が正常に回っていた時代を知らない。勇んで入った部は、急激に求心力を失っていく最中。悲劇である。それになにより“戦犯”の汚名を着せられることは、彼らのプライドが許さない。
「もう裏でこそこそやるのはやめよう。結局それで得たものは何もない。でも俺たちはここのおかげで、お互いの部の事をよく知ることができた。それはこれから使える武器だ。今こそ打って出て使う時なんだよ」
谷山はそう締めくくった。
まばらではあるが、拍手があがる。部屋の空気は谷山へと傾きかけているが……。
「ちょっと待ったァ!」
それを向田が制した。
「黙って話を聞けば、具体的な話がないじゃないか。公約は? 戦略は? どうやって無派の票を引き込む。そもそもどう計算したら三分の一になるんだ」
矢継ぎ早に詰問されて、谷山は面食らっている。
もちろんこれは向田の作戦である。相手に返答する猶予を与えない。
「反央会全員がお前に入れたとしよう。それでも三分の一に遠く及ばなかったらどうする。ザルな選挙だ。どうせ誰が誰に入れたかなんてわかる。そしたら俺たちは笑いもんだぞ」
「そうならないようにするんだよ」
「じゃあちょっと訊いてみようじゃねーか」
向田は不敵な笑みを浮かべて、メンバーの方へ向き直る。
「リーダーは俺たちを道連れに、無謀な作戦を強行しようとしてる。これに賛同できる奴は手を挙げてくれ」
そう言われれば手を挙げにくくなるものである。先ほど拍手していた生徒たちは手を挙げていたが、それ以外は全く挙がらない。その結果を見て、谷山の顔に落胆が満ちていく。
勝敗は決した。
「これで決まりだな。多数決だ。反央会はお前の出馬を認められない」
追い打ちをかけるように、向田は明言する。谷山は崩れるように俯いた。
またも向田が谷山を制し、主導権を握ったかに思われた。
「……わかった」
そう呟いて、谷山は顔を上げる。
向田はその顔を見てぞっとすることになる。その目に諦めなど一点も映っていない。あるのは明確な決意の色だけ。
「だったら俺はここを抜ける」
きっぱりと谷山は宣言した。
部屋に衝撃が走る。
向田はその時、またも失敗したことを悟った。
谷山の行動指針は彼と真逆である。ひとまず動いてから深く考えるタイプだ。
生徒会選挙に出馬するなら、当然反央会の票は重要なはず。しかし谷山は、反央会の票は重視していない。そこを向田は見誤ったのである。
「今までありがとう。頑張って。さよなら。あと、グッバイ……」
別れの言葉を残して、谷山はそのまま教壇を降りる。
半年策謀を巡らしても目的を果たせない。そんな向田の負のパワーが遺憾なく発揮されてしまった。
部屋を出ていこうとする背中に、慌てて声をかける。
「このままじゃ、お前は負けちまうぞ」
「だったら、前田の票を切り崩すだけだ。望みはある。……のかもしれない」
やや頼りなく言い残して谷山は去る。その後に幾人かが続いた。
「何考えてんだ……」
向田はそう呟くしかなかった。
十月二十日金曜日、反央会はその半身を自ら失った。部の垣根を越えて協力してきた二人の、あまりにも急な物別れであった。
次回、「2-2 第42回文化祭実行委員会、始動せず」