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文化祭紛争録  作者: 田子蛸也
1 妥協の十月体制
11/48

1-11 文化祭人事定まる

「たとえ罠だったとしても、最終的に判断したのは我々だ。その決定に揺るぎはない」


 罠に引っかかった、という物言いは、彼のプライドを傷つけた。しかしそれだけではない。愚直とも言える彼の誠実さは、朝令暮改を許さない。その両者が交り合い、実行委員長・飯田友則は言い切った。

 ”我々”と挟んだところに、裏切りかけた同志たちへの牽制の意味があり、そしてその効果はてきめんだった。他の役員たちは閉口してしまう。


「確かに坂本には問題がないかもしれない。けど他の奴はどうだ。生徒会長の人気に胡坐を書いたような奴らだぞ」


 飯田の言うことは紛れもない事実である。

 前田という夢の成る木にすがりつき、ただその場その場の楽しみだけを享受する。その行動が大木を腐らせつつあるということにも気づかずである。そんな生徒が掃いて捨てるほどいる。そしてそれは外された係長候補たちに当てはまる事だった。


「そんなのが文化祭を率いたらどうなるか、わかるだろう」


 井上たちは心の中で賛同しつつも渋い顔を作った。飯田が指摘していることは、今回の説得においては井上たちの弱点であった。ここを突かれて押し通されれば、人事が覆ることはない。

 そんな四人の焦燥をよそに、飯田の口調には熱が帯びる。


「文化祭改革だってそうだ。あいつらの口から具体的な方策なんて一つも聞いたことがない。生半可な気持ちで改革なんてやれば、文化祭を骨抜きにするだけだ」


 これも道理である。しかし――。


「俺たちは来年だけじゃなくて、再来年、その先にも責任がある。たとえ来年失敗するにしても、その先のために文化祭を守らなければいけない」

「ちょっと待ってください」


 井上が声を上げた。


「来年は失敗してもいい、って言うんですか」

「今後のためには、そうなっても仕方がないだろう」


 飯田はさも当然のように言い切る。

 井上は顔を硬直させた。


「……理解に苦しみます」


 その様子を見た飯田は、ため息交じりにこう応えた。


「君らも聞いたことがあるだろう。“文化祭暗黒時代”。そう言って茶化す奴がいるからな」

「うぅ……」


 大畑から声が漏れる。茶化している本人に自覚はあった。

 飯田は話を続ける。


「十五年前、そのころは今より文化祭が盛んではなかった――」


 しかしその流れを変えようという動きはあった。多くの実行委員長が、それぞれの手腕でこの課題に挑み続けた。

 ところが人材不足、予算不足、能力不足……。

 様々な理由で改革は失敗し、その間に五年の歳月が過ぎてしまう。

 そして同じ期間で生徒たちの関心をも失ってしまった。

 今の文化祭体制は、こうした暗い時代の戒めとしてある。


「先輩たちの努力を無駄にしないためにも、今は将来へこの芽を残さなければいけない」

「でも、だからって失敗してもいいっていうのは……」

「責任は我々がとる」


 ......なんと固い意志だろうか。聞いていた井上はついに呆れた。

 その肩に重い責任を負う。なんと崇高な行いだろう。しかし......。


「だったらどうやってその責任を取るつもりなんですか」


 井上は問うた。


「例えば来年、僕らが失敗した時、責任をとって学校に来てくれますか。代わりに文化祭を開くんですか。来年はいいにしても、再来年もその先も、責任を取り続けるんですか?」

「それは……」


 飯田は言いよどんだ。

 代わって田中が独り言ちる。


「......無理だな」

「再来年なんてどうでもいい。来年のことを考えてくださいよ。僕らを捨て駒にしないでくださいよ」


 井上の心からの叫びが会議室にこだまする。


「僕らだって名ばかりだろうが実行委員ですよ。文化祭を何とか成功させようって頑張ってます。それを最初から否定されちゃったら、どうやって仕事しろって言うんですか」

「しかし……ここまで作り上げられてきた文化祭を引き継ぐ責任がある……」


 思わぬ反駁を食らい、飯田の声は消え入りそうなほど弱弱しい。

 これまで為されてきた文化祭を守る努力。それは目に見えないものだが、他方で今目の前には後輩の苦悩がある。どちらを優先すべきか。飯田には決心がつかなかった。

 しかし井上にとってはそんな葛藤は知ったことではない。


「先輩たちに責任なんか取れるわけがないんです。これから卒業するんですよ。そしたらもう、取れるのはデカい態度だけでしょう。文化祭に来て、『今の文化祭は程度が落ちた』と言い合って、過去を美化する。それだけなんですよ!」

「我々にも責任はある。いや、なければならない。そうでなかったら、文化祭人事は無責任なものになってしまう」


 ほとんど喘ぐように飯田は返した。この時の飯田は、責任という言葉の大きさにとらわれ、自縄自縛に陥っていた。井上はそれに一つの方向性を示す。


「皆さんが持つべきものは責任感であって、責任そのものじゃないんです」

「どう違うっていうんだ」

「……僕にも分かりません」


 井上の回答は至って素直なものだった。


「でも責任なんて曖昧で得体の知れないものよりも、責任感の方が等身大で分かりやすいと思います」


 「感覚派」とは、大畑が井上を指して言った言葉である。井上の発言は、まさに心で思うものありのままだった。飯田はそれを仏頂面で聞いている。


「無責任ではなく、責任感か。しかし誰かは責任を取らなければならないだろう」

「その通りです。だからこそ、後輩に責任を譲り渡すというのが、文化祭人事のあるべき姿ではありませんか」

「それは分かっている。だからこそ、坂本たちに責任を委ねるわけにはいかないと考えたんだ。彼らに意思はあっても能力はない」


 熱を持って諫める井上と、氷のような意思の飯田。その対峙に、誰も口出しはできない。


「坂本たちに任せて失敗したなら、それは坂本たちの責任です。他人を責めようがない。でもこのまま外せば、坂本たちはできなかったことをあなた方のせいにするでしょう。何の恥じらいもなくです。それでいいんですか」

「たとえ失敗することになっても、か」


 飯田にも意地の悪い返答であることは分かっている。坂本の意思が十分であることは、飯田も承知している。だが坂本を実行委員長にすれば、良かれ悪しかれ文化祭は変わる。その決断ができずにいたのである。案の定、井上は飯田に噛みつく。


「だからなんで決めつけるんですか。成功するか、失敗するか、それはやる人間が決めることです。先輩方が決めないでください」


 言葉の痛みに耐えながら、飯田は腕を組み、井上の諫言を黙って聞いた。


「先輩たちは責任を取れない。坂本たちは責任を取らない。だったら誰が責任を背負うんですか。意思も能力もない人間に任せるんですか。それこそ無責任というものでしょう」


 その時、飯田は目を見開いた。せめて意思ある者に文化祭を委ねるべきである。彼はついに、求めていた答えを見つけることができた。彼を覆っていた迷妄は吹き払われたのである。一方そんなことには気づかない井上だったが、息を整え姿勢を正した。


「どうか、文化祭を成功させた者の矜持をもってご再考ください。お願いします」


 そう言って井上は深く頭を下げた。

 重苦しい沈黙がしばし続いた。だが飯田はもう迷っているわけではなかった。井上の意見を咀嚼し、飲み込むのに時間が必要だったのである。


「……わかった」


 十数秒の後、その返答は紡ぎ出された。


「人事については、一度考え直すことにする。誰か異論のある人は」


 飯田の問いかけに、応える人間はいなかった。

 十月十七日午後三時四十五分、第四十二回文化祭の役員人事は、振り出しに戻された。


「いやあ、お手柄だったな幸樹」


 会議室を出たところで、さっそく大畑は井上を労った。


「『僕らを捨て駒にしないでください』か。泣かせるねぇ」

「茶化すな。本心だっつの」


 一番仕事をしていない佐藤は、特に上機嫌である。


「いつもしかめっ面の実行委員長があんな顔するなんて、見ものだったなあ」

「ところで大畑、坂本の美談はどうやって集めたんだ。何人も証言取ってくるほど、聞き込みする時間は無かったろ」


 田中が訊くと、大畑は悪びれずに答えた。


「ああ、あれはほぼハッタリだな」

「ハッタリィ!?」


 井上は思わず声を裏返す。大畑は慌てて辺りを見回した。


「おい、あんまり大声上げんなよ、バレるだろ」

「やっぱりそうだったか」


 冷静な田中を見て、井上は咎めるように呟く。


「なんだ、知ってたのかよ」

「だって考えてもみろ、大畑がそこまで真面目なわけないだろ」


 指摘された大畑は、不本意そうに顔をしかめた。


「これでも手は尽くしたんだぞ。サボりじゃないからな。情報ってのは加工貿易もできるんだよ。あれは断片的に集めた話をまとめたのさ」


 それが結果的に正鵠を射ていたことを、大畑は知る由もない。


「さすがに高校生活が懸かってれば手は抜かないんだな」


 皮肉を言いつつも、佐藤も納得する。


「まあ何はともあれ、あんだけ言ったんだ。もう役員にされることは無いだろ」

「それよりお前、あの飯田さんも鈴木さんも騙したってのか?」


 一人納得していない井上は、なおも大畑に噛みつく。


「坂本の話は、あれはなんだったんだ?」

「あーもうめんどくせえな! 坂本が真面目かどうかなんて知らん!」

「おいちょっと待て!」


 その日、大畑は日が暮れるまで井上に追いかけ回されたという逸話が残っているが、真偽のほどは定かでない。


 そして翌日。

 井上幸樹は三度会議室に呼び出されていた。


「それで、お話というのは……」

「人事の件で話があったんだ」


 何回も聞いたような台詞で、元実行委員長は応えた。


「これが、今日提出する来年の人事だ」


 そう言って飯田は一枚のコピー用紙を手渡す。


「……あのこれ……渡すの間違えてません?」


 井上はそう言うほかなかった。驚くというより困惑。というより全く同じ状況。

 その人事表にも、井上幸樹の名が記されていた。


「もしかして古い版ですか?」

「いや、それは最新版だ」


 飯田はきっぱりと否定すると、姿勢を正した。


「井上幸樹君。君には改めて、副実行委員長を頼みたい」

「ちょ、ちょっと待ってください。それはお断りしたはずでしょう」

「確かにその通りだ。だけどこれは、消極的に決めたわけじゃない。君を第一候補として決めたんだ」


 そのあまりの真剣さに、井上も断固拒否とはいかなかった。


「……理由を聞かせてもらえますか」

「見てもらえばわかるが、今度の人事では実行委員長に坂本を据えることにした」


 井上は手元の紙に目を移す。先ほどは驚いて見逃してしまったが、確かにそうなっている。


「ただ、他の係長候補については大方、やはり役員にはできないという結論になった。しかしそうなれば、文化祭改革を望む声は坂本に集中することになる」

「まあそうなるでしょうね……」


 前田に連なる係長候補が多く席を失うことで、彼らの改革は思い通りには進まなくなるだろう。その鬱積や不満。それは協力という形ではなく、敵対という形でぶつけられるであろうことは、容易に想像できた。


「そういった重圧から、実行委員会を守れるのは君だけだろう」

「自分にそんな力はないと思ってるんですが……」

「しかし君は昨日、我々を説得しきった。それだけでも十分だ」

「なら大畑とか田中とかでも良かったんじゃないですか?」

「彼らも悪くはないが、人を動かす一押しがまだ足りない。昨日の様子を見ていれば分かる。喧嘩を売買するには困らないだろうが、折衝となると話は別だ」


 飯田の物言いは少し根に持っているようであり、井上は苦笑いした。


「確かにそうですね」

「というわけだ。どうにか頼めないか。責任は取る」


 飯田はなおも責任に執着した。しかしそれはもはや身に染みついた習慣のようなものである。それを井上も分かっている。

 やれやれ、といった風に井上は天井を見上げる。

 今この瞬間一年の命運が決まってしまうことに、ほんの少しの怖れを抱きつつ――。


「責任は取らせませんよ」


 井上はついに承諾した。

 会議室から出てきた井上に、大畑はすぐに飛びついた。


「どうだった。話ってのは」

「僕が副実行委員長に決定だとさ。あとお前も役員入りだ」

「えっ、なんで」

「昨日の説得が効果てきめんだったらしいぞ」

「マジかよ!」


 大畑は頭を抱え、天を仰いだ。必死の説得はなんと逆効果であった。


「でもなんで断らなかった」

「僕はおだてには弱いんだよ。適任だなんて言われちゃったらやるしかないでしょ」

「この野郎、後先考えず……」


 憤る大畑に、井上は飄々と問いかける。


「で、お前はどうする」


 いつになく真剣に考え込んだ大畑は、やがて大声で叫んだ。


「やるよ! やってやるよ、やりゃいいんだろ! その代わり成功させるぞお前」

「当たり前だ。そうしないと飯田さん達が責任を取りに来る」

「あー、それは面倒だな」


 井上と大畑が承諾してしまったことで、あとは雪崩を打って次々と承諾していった。


 こうして、第四十二回文化祭実行委員会役員人事は決定する。

 実行委員長、坂本悠人(さかもとゆうと)。副実行委員長、井上幸樹(いのうえこうき)。企画係長、木下浩二(きのしたこうじ)、企画係出展管理班長に大畑松雄(おおはたまつお)。広報係長、佐藤宏(さとうひろ)。会計係長、富田紗代(とみたさよ)。渉外係長、望月里奈(もちづきりな)。製作係長、田中真(たなかまこと)

 十月二十日金曜日、以上八名の人事が生徒会により承認される。後の生徒たちはこの体制のことを「妥協の十月体制」と呼ぶことになる。その名も、その意味するところも、彼らはまだ知る由もなかった。

次回、「2-1 反央会よさらば!」

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