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よくあるパンデミック   作者: いりかわしょう
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第一話 前編

怖がりなので、スプラッター映画とかパニック映画とか、あんまり見ないです。昔はよく、怖い映画を見た後、夜はうなされてました。これは、そんな僕の悪夢から広げた話です。

スポーツは好きではない。


正確には、「レクリエーションとしてのスポーツは好きだが、真剣に勝ち負けを競う試合は好きではない」、だ。観る側であっても同じ。熱さも度を過ぎれば狂気にしか見えないのだ。


私はビデオカメラの画面をたたみため息を吐いた。


確認していた動画にはまさに狂気が映っていたからだ。


監督と対立でもしたのか、選手の一人が喚き散らしながら暴れる光景。止めに入ったチームメイトや大会スタッフに殴り、引っ掻き、噛みつきと、道具なしでできるあらゆる抵抗を見せていた。


今目の前のドアの向こうでは、私の甥を含む、狂気に巻き込まれた何人かが手当を受けている。


兄には既に連絡した。息子の勇姿の記録は残念ながら、訴訟する時の証拠ぐらいにしかならないことも報告済みだ。同じくスポーツマンだった兄は事件に激昂するかもと想定していたのだが、電話口での兄は我が子の身を案じる父親だった。


「一緒に帰ってきてくれ。」


出張で物理的な距離のある父親は私に言った。彼らは父子家庭なのでこういうことをよく頼まれるが、正直私は兄の息子とウマが合う訳ではない。今日も気まずい帰り道になることは彼らにも予想がつくだろうが、そこに不満を言うほど私は子供ではない。それにあの親子も私に対し一度だって文句を言ったことはない、誰かが責められるべき問題ではないと分かっているのだろう。


それにしても長い。


甥っ子に知らせると言って救護室に入っていったスタッフはまだ戻ってこない。動画を見る限り怪我は大したことないと思うのだが。


そもそも部屋の外で待機という状況もおかしい。こちらは保護者代理なのだ。甥っ子の無事を確認するくらいの資格はある。


痺れを切らしてドアの取手に手をかけようとした時、バンッと向こう側から大きな音がした。


思わず飛び退いた。


ドアの向こうと言ったが訂正する、ドアから音がした。何かがドアにぶつかった音だ。


さらにドアの向こうからうめき声のようなものが聞こえた。


何かトラブルの予感がする。私はドアを急いで開けようとしたが、いつの間にか内側から鍵がかけられていた。


「くそっ、なんで……!すみません!何かあったんですか?」


中にいる誰かに向けて激しめのノックをする。しかし返答はない。うめき声は空耳だったか?


「そこにどなたかいらっしゃいますよね?ここ開けられますか?!」


反応無し。


他のスタッフを探しに行った方がいいかもしれない、そう決断しドアから離れた時だった。


声がした。


うめき声よりハッキリと。


甥っ子が私を呼んでいた。


「おい……そこにいるのか?」


小さな声も聞き逃すまいとドアに耳を当てる。


かなり苦しそうに甥っ子はもう一度、自分の名前を呼んだ。


「今そっちに行く。ここの鍵開けられそうか?」


急な叫び声が帰ってきた。


「どうした?」


一体中はどうなっているんだ?他に誰かいるだろうに。


「今助けを呼ぶからな、そこで待って―」


遮るように、2度目の叫び声。


いや、叫び声のようだが違う。これは言葉だ。私には「ダメ」と言ったように聞こえた。甥っ子から制止するようなニュアンスを感じ取った。


「何がダメ?ここにいて欲しいの?」


甥の声がしたが、聞き取れない。


「ごめん、もう一度頼む、なんて言った?」


とっさに聞き返してしまったが、なんて残酷な仕打ちだろう。


甥はゆっくりと振り絞るように声を上げた。一音一音に耳を澄ませる。


に……げ……て……


逃げて?「開けて」や「どけて」ではなく?


「逃げるって何から?」


返事が止んだ。全身至る所に冷や汗が滲んできた。


「今開けるから!すぐに!」


ドアノブにはもう頼らない。廊下に置いてあった観葉植物の鉢を掴み、ドア窓に叩きつけた。ガラスの割れる不快な音が今だけは福音だ。これで腕を入れて鍵を開けられるようになる。


だが、中を覗いて絶句した。


血だ。床も壁も、天井にさえも血が飛び散っている。鼻がおかしくなりそうな匂いだ。奥にもう1つ部屋があるのだが、その半開きのドアの隙間から腕が飛び出し床に伸びている。


3度目の叫び声で我に返った。ドアに背をあずけ床に座り込んで、こちらを見上げている者がいた。


甥……のはずだ。


見た目ではもう分からない。顔の皮膚はただれ、身体中から血を吹き出している。血溜まりになっていてよく見えないが、左目の眼球がない。


「何があった……」


咄嗟に出てきた言葉はそんなものだった。


甥は血塗れの頭を横に振り、「逃げて」を繰り返した。


「連れて帰るよう言われてるんだ!それに逃げるって何から?」


甥がまだ動く腕を挙げ、奥の部屋を指さす。流されるように私は目を向ける。


ドアが完全に開いていた。


そこに立っているのは、先ほど私を待たせた運営スタッフだ。血塗れで顔も変形しているため服装からでしか判別できないが。


「だ、大丈夫なんですか、何が起きたんですか?」


スタッフが声を上げた。声と言うより音に近いがそれは「お待たせ」とも聞こえる。


そしてこちらへ、ヨタヨタと近づいてきた。


「あ、あの、今助けを、」


甥がドアを叩いた。立ち上がり、スタッフに飛びかかった。


「何やってるの!」


甥がスタッフに、スタッフが甥に噛み付き、そして恐らく、肉を食いちぎっている。動きに殺意がある。


「やめろ、おい!」


私はドアの鍵を開け中に入る。


近くのパイプ椅子を掴み、ちょうど甥を押し倒したスタッフの後頭部にぶつける。


予想に反しスタッフは倒れることはなく、振り向いて今度はこちらに襲いかかってきた。


「やめてください、よ!」


咄嗟にパイプ椅子を開き食い止める。スタッフの無造作に伸ばした手が私の手首を掠める。普通人間は拘束されたら逃れようとするはずだが、こいつはただがむしゃらに暴れているだけ。正気ではない。


「早く逃げろ!誰か見つけて手当をしてもらえ!」


しかし甥はスタッフに掴みかかった。今度は押し倒す側だ。そして私が止める間もなく、相手の首に食らいついた。


暴れていたスタッフの手足から力が抜けていくのが分かった。


「そこまで、しなくても……」


甥が振り向いた。1つしかない目が合った。


彼とちゃんと目を合わせたことは意外に少ない。


だが甥はこんな、獲物を狙う獣のような目はしていない。


「なあ……帰ろう。兄さんが心配してたぞ。」


パイプ椅子を握る手に力を入れながら私は言った。


緊張を破ったのは、廊下側から聞こえてきた足音だった。


つい振り返ってしまったことを私は二つの意味で後悔した。


一つは、部屋に入ってきた人物は既に両目が落ち、血塗れで片腕がもげた状態だったこと……事態は救護室の中だけではなかったのだ……もう一つは言うまでもなく、甥が襲いかかってきたことだ。


壁に突き飛ばされパイプ椅子を取り落とした私は死を覚悟したが、甥は私を突き飛ばしただけで、今は入口にいた人物に噛み付いていた。


放置された束の間に、私はようやく理解した。甥の「逃げて」という言葉の意味と、まだ私を気遣うだけの理性が残っていることを。


入口にいた怪我人は大男で、もともと小柄な甥を体格差で圧倒していた。視力がなく隻腕なのにも関わらずだ。


逃げるなど有り得ない。私はパイプ椅子を拾い立ち上がると、イスを閉じた。


部屋の隅まで追い詰められた甥が大男につまみあげられる。そのまま所かまわず食らいつかれ、悲鳴が部屋に響く。


私は背後から大男に忍び寄り、椅子を横に構えた。膝裏を狙い大きく振りかぶって―


大男の方が速かった。


強烈な回し蹴りを食らい、廊下側のドアまで転がった。


痛い。彼は格闘技でもやっていたのか。視界がチカチカする。立ち上がれという命令を体が拒む。


ふと、さっきまで聞こえていた悲鳴が止んでいることに気付いた。


嘘だ。


視界が戻り、甥を探す。


肉体はあった。だが肉塊と呼んだ方が正確かもしれない。


時間にして数秒もなかっただろうが、この光景を生涯忘れる事はないだろう。


大男は腹を満たすのに夢中なのか、私がまだ生きていることに気付かない。


体はまだふらつく。しかし立てる。


私はいつ頃からか、熱い感情を避けるように生きてきた。


音を立てないように静かに後退を始める。


大男への恐怖だとか、甥の想いを無駄にしないためとか、そんな感情は習慣的に湧かないのだ。


廊下に出て、自分のリュックを拾う。


そして冷静で最適な行動を、習慣的に取ってしまう。


救護室から遠ざかりつつ、撮影用の三脚を取り出し、バットのように構えた。


それほどまでに、頭が真っ白だった。



第一話前編 完



まだ前編ですが、読んでくださった方、ありがとうございました。怖い話って、怖がることを楽しむんだなと最近気付きました。ドキドキする体験が人生には必要なんだな、とも。ではまた、後編のまえがきでお会いしましょう。

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