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戦いの幕開け

 藤宮さよは、目の前の光景がスローモーションに見えた。出来事がコマ送りのように流れる。

 さよからは全て見えていた。

 側にいた、顔の作りが整った、怖いほどに美しい罪獣。彼女が飛び立つと、レクの頭上を越え背後に立ち、一瞬間を置いて兄の体から鋭利な刃物が飛び出した。



 全てを目の当たりにした。

 兄に知らせようと、叫ぶことは出来たかもしれない。だが、さよは見ているだけだった。それしか出来なかったのだ。兄を失った悲しみは湧いてこなかった。湧く暇がなかったのだ。

 あるものを目にしたせいで―。



 レクは正面から崩れ、その場に倒れる。そして水の入ったグラスが割れた時のように。兄の皮膚が破れ、それまで包まれていた「中身」が一気に溢れ出す。

 それはゆっくりと彼の体から流れてくる。まるで攻め込んでいくように。ゆっくりだが着実にこちらに迫る。



 ドクリ。



 心臓が激しく脈打つ。



「ハァ……ハァ……」



さよは、どうしようもない胸の痛みを感じた。そして次に頭痛が起こり、息をすることが難しくなった。その痛みはこれまで罪獣から受けた攻撃によるものではなかった。



 体の、内なる部分。

 そこから熱が広がり、体温を急上昇させる。

 上気した頬は赤く染め上がり、視界が揺らいだ。

 さよは苦しみのあまり、スカートの裾をぎゅっと握った。



 ―なにこれ。



 中学生の彼女にとって経験したことのないものだった。

 下唇を固く噛み締め、波に飲まれそうになるのを耐える。


 ―たすけて。


 朦朧とする意識の中、彼女は視界の隅に兄を仕留め終えた罪獣を捉えた。


 ―たすけて。


 レクの体から、爪を引き抜く。

 そしてそのまま口元まで運ぶ。



 ―たすけて、お兄ちゃん。



 ペロリ。



 罪獣は拭き取るように、爪に付着した血を舐めた。

 その光景を、さよは直視してしまう。



 ドクンッ。



一層大きく心臓が脈打つ。


「あーーーーーーーーーーーッッッ!!!」



 さよは絶叫する。

 そして、覚醒する。



                       ☆   ☆   ☆



 履いていたクリーム色のサンダルは壊れた。地面を裸足で踏みつける。ふくらはぎから太ももにかけて、鋼のような筋肉が盛り上がる。ゆったりと着ていたブラウスも、頑丈な上半身に窮屈そうに張り付く。

 一四五センチしかなかった身長は四〇センチ伸びた。



 広い肩幅、そして細い首には血管が浮き出ていた。今まで年相応に幼かった表情は、大人の女性の顔つきに変わり、どこか色気を醸していた。肩までしかなかった髪は、腰のあたりまで伸び、月明かりを反射させ凛と輝く。



 一瞬のうちにしてさよは、華奢な女の子から、筋肉質の女性へと変貌した。

 そのエナジーは留まることを知らずに、次々と内から溢れ出し、ついには目に見えるほどその量を増した。紫の光が、守護するように彼女を包む。



 その光景を目の当たりにした罪獣は翼を使い、低空飛行のまま、さよとの距離を詰める。

 罪獣は強靭な爪で標的の首を切り裂こうとした。しかしその一撃は空振る。



 攻撃を外したと同時に、罪獣の頬をさよの右ストレートが捉える。拳は、めり込むように顔面に命中した。

 後方に殴り飛ばされる。さよは敵に痛みを感じさせる間も与えない。飛んでいった罪獣との間合いを一歩で詰めると、うずくまる敵の首根っこを掴んだ。そして罪獣の体ごと広場の中央へ投げ飛ばす。噴水の水を貯める、石製で作られた縁に体を打ちつける罪獣。



 さよはすぐに次の動作へ移る。投げ飛ばした方向に向かって駆け出し、無防備な罪獣めがけ拳を振りかぶる。振りかぶった右手が灼熱の炎に包まれた。さよは腰をひねり力を溜め、魔力を宿した拳を振り抜く。

 拳は弧を描き、爆音と共に大地を割る。

 噴水もろとも破壊され、水が溢れ出す。



 その一撃を間一髪のところでかわした罪獣は、空へと逃げた。漆黒の翼をはためかせる。

 罪獣が空中から、月と街灯の微かな光量が照らす地上を見下ろす。

 しかしそこに、さよの姿はなかった。



 さよは人の域を超越した跳躍力で、空舞う罪獣の、頭上まで跳んでいた。罪獣の表情が焦りに歪んだ次の瞬間、かかと落としが命中する。物凄い勢いで蹴り落とされ、大地に顔をつける。

 衝撃で砂塵が舞うなか、さよは着地すると罪獣の翼を掴み、思い切り引っ張る。そのまま力任せに右の翼をもいだ。罪獣の悲鳴にひるむことなく、吹き上がる黒い血液のようなものを冷静に見下ろしながら、とどめを刺すため、その拳に炎を宿す。



 しかし罪獣は、鋭利な爪を振り回しながら体を起こし、さよとの距離を取る。


「おのれ……小娘が……憶えていろ」


 威嚇するように吐き捨てると、片方だけの翼で不自由そうに飛び去っていった。

 その様子を確認したさよは追うこともせず、別の方向へ歩き出す。

 彼女の唇が微かに動き、声にならない呟きを漏らして足を止める。



 さよの足元には横になったレクの死体があった。膝をついて身を屈めると、うつ伏せに倒れるレクを起こし、冷たくなった兄の体を抱きしめる。その途中に手のひらに付いた兄の赤黒い血を、一心不乱に舐め出した。

 息が荒くなる。レクのジャージをめくり、深い傷口に接吻をして、溢れる血を愛した。

 頬は再び熱を持つ。



「お兄ちゃん……」



 彼女の舌は激しさを増す。



「お兄ちゃん……」



 何度も兄を呼んだ。体から蒸気が立ち始める。

 膨れ上がった肉体は、元の姿へ戻る。



「お兄ちゃん……」



 瞳から、涙が零れた。一粒零れると、堰を切ったように溢れ出した。一層強く兄を抱きしめた、その時。



「え」



 さよは腕に抱き寄せた兄の体が、一瞬動いた気がした。すぐに体を離し、レクを凝視する。

 勘違いではなかった。

 レクの睫毛が瞬いた。

 そして固まっていた指先が二度三度、ピクリと動き出した。

 奇跡だ、奇跡が起こった。

 心の中で繰り返した。早く助けを呼ばないと。



 そう思った時、レクの傷口に目を向けた。すると先ほどまで深く刻まれた傷跡は、完全に消えていた。目の前の光景に言葉を失う。


 そして、レクは目を覚ました。深い眠りについていたかのように、体を起こし、目をこする。



「お兄ちゃんっ!」



 思い切り抱きついたその勢いに、レクは押し倒される形になった。



「さよ、無事か。……うぅ、頭いてぇ」

「大丈夫? けっ、怪我は、ない? 本当に生きてるの?」



 さよは目を赤くして尋ねる。

 兄の温もりが愛おしかった。



「さよ、苦しい苦しい、離れろ……」

 ごめん、と妹は謝り、その身を離した。「痛いの?」潤んだ瞳で兄を見つめる。



「いや、体は大丈夫なんだが……」


 レクは額を手で押さえ、上半身を起こす。


「お兄ちゃん、敵はね、私が」


 やっつけたから安心してね、そう続けようとした時だった。



「どこだ。ここ……」


 兄の口から漏れた言葉。


「さよが敵に、罪獣に連れて行かれて、俺が清水さんから能力を継承してもらったところまでは憶えてるんだけど……」


 レクは自身の記憶を思い出しながら話し出す。



「お、お兄ちゃん…………」

 さよは戸惑いの表情を浮かべる。レクは周囲に目を向けると信じられないと驚くように声を上げる。

「おい、嘘、だろ……」

 レクの表情は明らかに動揺しきっていた。

「もしかして……これ……」



 レクは息を飲む。



「俺が、やったのか……」



                ☆   ☆   ☆



 以上が、藤宮兄妹が能力に目覚めてから最初の戦闘に至るまでの経緯である。


 藤宮さよの能力は『兄の血液に興奮すると、無敵の筋肉質少女へ変身する』。

 藤宮レクの能力は『不死身だが、気絶する前後の記憶が綺麗に抜け落ちる』。



 さよは兄に、血液に興奮している姿と覚醒して兄の身長を越す筋肉質少女へ変貌する姿を見られたくなかった。

 そこで、初めての戦闘が終わり、兄が意識を取り戻した後、決意した。


 記憶を失い、あろうことか自分が罪獣を倒したと勘違いする兄を見て。

 兄であるレクをこのまま、勘違いさせ続ける。

 嘘をつき通すことを決意したのだ。



 レクの能力と、ド級の「勘違い癖」を利用して。

 こうして残念な兄妹二人の戦闘譚は幕を開けた。



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