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覚醒

 兄の悲鳴を聞き、さよは急いだ。足場の悪い道に何度も転びそうになる。そしてたどり着いたさよの目に、衝撃的な光景が飛び込む。



 倒れた兄。


 その傍らには弱々しい一匹の子犬。

 さよは言葉を失う。レクはピクリとも動かない。



「お兄ちゃん……」


 さよは乾いた喉から言葉をひねり出す。

 もちろん返事はない。

 どこか遠くで車のクラクションが鳴った。とても大きな音だった。もしかして向こうでも、事故が起きたのか。誰かが、亡くなったのか。



「ワン!」と兄の横にいる犬が吠えた。 可愛らしい姿をしたそれは、先ほどからさよが捉えていた「気配」の根源だった。


 さよはその場に崩れる。

 そして。




「はぁぁぁぁぁぁ~~~~っ」



 深いため息が自然と溢れた。



「お兄ちゃん、何やってるの……」


 額に手を当て彼女は兄と過ごした十四年間を振り返った。


「さよは思うの。情けない、情けないよ、お兄ちゃん……最期がこれなの……」



 脱力しきった体では、そうそう立ち上がることもできない。

 クゥ~ン。と、またも甘えた声で鳴きながら、トテトテと犬はさよの元まで近寄る。



「私の、私のお兄ちゃんは、こんっっっなイヌ以下なの!?」 



 さよは兄の命を奪った相手に目を向ける。四つ足で歩き、尻尾を振り、潤んだ黒目で彼女を見つめる。

 どこにでもいる可愛らしい子犬だ。



 そんな犬を見つめるさよの目線が、ある一点で止まる。全身から生えている毛は、フサフサと柔らかく立っているのに、口元と、首元のあたりはそうではない。毛は固まり、濡れている。

 それが、飛び散ったレクの返り血によるものだと気がついた時、さよの様子は一変した。



 ドクン。



 周りに聞こえるくらい心音が激しくなる。


「ハァ……ハァ……」



 胸が痛い。呼吸が荒くなる。

 頬から帯び始めた熱は全身へと広がる。



「ハァ……ンッ!……ァァッ、ハァ……」



 悶え、喘ぐ少女。

 さよの目線はレクの死体へと移る。

 くの字に曲がり、命を落とした兄。



 ―やめて!



 さよは吹っ飛びそうな意識の中で叫んだ。

 彼女の目は、本能は、あるものを見つけるため、目にするため、兄の体を凝視する。



 ―見たくない。



 それは、大好きな兄の死から目を背けたい、という意味ではない。

 むしろ逆だ。

 そして、その時は来る。

 彼の温もりがまだ残っているであろう体。その傷口から溢れ出すのは。



 ―兄の鮮血。



 流れる兄の血液をさよは双眸で捉えると、バットで後頭部を殴られたような衝撃が全身に走った。

 ぐらりと視界が揺らぎ、体は痙攣を始める。口はあんぐりと開き、だらしなくヨダレが垂れた。

 震えを抑えようと、彼女は両腕を交差させ、自身の肩を抱く。



 いやいやと首を振るも、押し寄せる波にその身を委ねることしかできない。

 そしてさよは恍惚の表情を浮かべ、残された僅かな理性の中、思う。



 ああ。

 くる。

 きてしまう。



 ―発動してしまう。



 ドクンッッッッッッ。

 一層大きく彼女の心臓が脈打ったのを合図にして。

 少女は、藤宮さよは。



 覚醒する。



「あーーーーーーーーーーーッッッ!!!」



 絶叫とともに。


 彼女が内に宿していた「エナジー」の量は倍増し、可視化できるほどに膨れ上がる。

 半透明の神々しい光を全身に纏い、さよの能力は発動する。

 その衝撃で彼女の周りの落ち葉は舞い上がり、宙を踊った。


 華奢だった彼女の体が、変化する。


 細く、折れてしまいそうだった体型は、何倍も厚みを増す。

 彼女の体は隆起し、何重もの筋肉の層を手にいれる。

 すらりと伸びた太ももは、岩のように盛り上がり、立ち上がると地面が窪んだ。



 細く、しなやかに引き締まった上半身。鋼鉄のごとく強靭な肉体。

 さよの身長は四十センチほど伸び、一八〇センチをゆうに超えていた。

 身長と同じく、肩で切りそろえられたボブカットも腰のあたりまで伸び、月明かりの下で美しく、妖しく光った。

 今までは十四歳の少女らしく幼さが残る顔立ちをしていた。



 しかしそこには、余計な肉が削ぎ落とされ、凛と精悍な表情をした大人の女性がいた。

 ブカブカだったTシャツも、布が足りなくピチリと張り付く。



 さよの覚醒を目の当たりにした子犬の罪獣は、尻尾を丸めてその場から一目散に逃げ出す。

 それを彼女は横目で捉えると、一歩で犬の正面まで回り込み、右腕を振り上げる。

 固く握られた拳は、炎に包まれ燃え上がる。

 宵闇の中、光り輝く業火。



「フンッッッ!」



 さよは勢いよく拳を振り下ろす。

 爆発音が轟き、地面が割れた。

 罪獣は文字どおり消し炭と化す。



 力を込めた反動で、右腕部分の服は破れ、水玉模様のスポーツブラが露わになる。

 敵を秒殺した彼女は何事もなかったかのようにフゥと息を吐くと周囲を見渡す。



「ここじゃ、微妙か……」



 薄暗い裏道を見て呟くと、さよは動かないレクの首と膝の下に腕を通し、軽々と抱きあげる。

 兄をお姫様抱っこした彼女はその場を立ち去ると、グラウンドまで移動した。

 そして中心のあたりまで兄を運ぶと、さよはそっと側に下ろし「ここでいいかな」と辺りを見る。



 綺麗な月明かりが、彫刻のような彼女の肉体を照らす。



 両手に力を込める。

 さよの周囲に風が集まり、次第にその勢いは増す。彼女は暴れ狂う暴風をその手に宿し、地面に向かってチョップを繰り出した。 かまいたちのように鋭利な風の刃は、グラウンドの中心に十字を刻む。



 さよはまるで、壮絶な戦闘があったかのようにその場を演出したのだった。

 二つの跡が交差する中心に兄を運ぶと、さよはその横に跪く。そして彼女は荒い息のまま、手を合わせる。



「いただきます……」



 そう呟くと、さよはまず、兄の傷口に優しく口づける。

 そして彼女は一度唇を離すと、もう一度繰り返す。また離して、繰り返し。

 二回目の接吻は一回目より激しく、三回目は二回目より荒々しく。はじめは固く閉ざされた彼女の唇も、段々とだらしなく緩み、舌を使って兄の血液を口に含む。



 藤宮さよは、非力な能力者では決してない。

 彼女の能力は、



『兄の血液に欲情すると、強靭な肉体と魔法の力を手にいれる』。



 無敵の#超筋肉質__マッチョ__#少女へと覚醒する。



 あまりにも歪な性癖。

 あまりにも不釣り合いな力。



 一心不乱に兄の血液を愛撫するさよ。

 すると体からは湯気が立ち、風船がしぼむように彼女は元の体へと戻っていった。

 能力を解除する方法は一つ。



『兄の血液を心置き無く堪能すること』。



 この力に目覚め時間は経つが、彼女も未だ自身の能力に困惑していた。年相応の少女の姿を取り戻したさよは、深く息を吐き、その身を兄の上に重ねる。


 そして彼女は後悔する。


「ああ、また今日も、やってしまった」と。



 妹が静かに自身の運命を呪っている一方、能天気に横になっている男が一人。

 早々に戦闘からあっけない最期をもって離脱した藤宮レクの能力は。


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