私のバトルは見せられない
やった。
やっと、勝った。
やった、やったよ。
「お兄ちゃん」
勝ったよ、私、やったよ。
兄に褒めてほしくて。かっこよかったと言ってほしくて。
「やったよ、お兄ちゃんッ!」
しかし、振り返った先から返事が返ってくることはなかった。
さよは絶句した。
そこには、先ほどの攻撃の巻き添えを食らい、丸焦げになったレクの姿があった。
☆ ☆ ☆
「ッ! なんだ今の炎は! 絃歩、急ぐぞ!」
「ンンーーッ! ンンー!」
「テメェ、絃歩オラ! ここにきてシンプルに菓子を食うな!」
「あ~、ごーぉー、キャンディー返すでしょぉ~」
「それどころじゃねぇだろ!」
「だって~もう敵さんどっか行っちゃったみたいだよぉ~?」
「どっか行っちゃったってお前……」
そんなやりとりをしながら、坂本豪と乃木絃歩がようやく駆けつけてきた。
おかしなところだらけの二人のやりとりだが、今のさよにツッコミを入れる気力は残されていなかった。
彼女は今、目の前の問題に手一杯なのだ。
兄妹の兄、藤宮レクは頭を抱えてしゃがみこんでいた。
「まただ……また、やっちまった。どうして、どうして俺は……」
レクは誰に向けるわけでもなく、独り言をブツブツと呟く。
「…………」
兄妹の妹、藤宮さよは無言で立ち尽くし、我が兄を可哀想な人だと見下ろしていた。
「さよ、俺、今日こそは憶えてられるって思ってたんだ」
「…………」
兄の独り言と鼻をすする音。
「ああ、また。これ全部俺がやっちまったのか……」
レクは一面焼け野原になってしまった広場を見渡す。
「…………」
「俺はいつもそうだ。キレると記憶が飛んじまうんだ。気がついたら相手が白目を剥いて倒れてるんだよ」
「…………」
「ハハッ、本当自分でも情けねーよ。哀れな兄を存分に笑ってくれ、さよ」
「…………」
レクは伸びをしながら立ち上がり、肩についた灰を払う。
「しかし……今回は威力が桁違いじゃあねぇか。俺の爆撃能力じゃここまでは……ハッ! も、もしかして俺は、また新たな能力に目覚めてしまったのかッ!」
「…………」
さよは感情を失ったように、兄を見つめる。
「まったく、自分で自分が怖いぜ……。ああ、ちくしょう。またしても、今回も俺は」
少年の叫びまで―約一秒前。
「バトルの記憶が一つもねえええええええ!」
「…………」
兄の叫び声を聞きながら、さよは思う。
何が世界一かっこいい最強の能力者だ。
正真正銘、この兄は最弱の能力者で間違いない。
私の告白を。二人で勝ち取ったはずの勝利を。
こうも簡単に忘れてしまうだなんて。
やはり、やはり、この兄には。
私のバトルは見せられない。
☆ ☆ ☆
翌朝。
藤宮さよは、高校棟の廊下を足早に歩き、レクの教室の引扉を開いた。
「もう! お兄ちゃん、せっかくお母さんがお弁当作ってくれたのに忘れたで―」
だが目の前の光景に言葉を失う。
「や~ん、レッくん、カーワーイーイー♡ 今日は一緒にお昼食べようね~」
教室中の視線を集めている窓際の席。兄の膝の上にまたがるようにして座る美少女が一人。
水晶のように澄んだ瞳、すらりとした鼻筋、赤みを帯びた唇。どこか幼さを残した顔立ちと、スタイルのいい体つき。
胸元のボタンは大胆に開けられており、短いスカートからは肉付きの良い太ももを惜しげも無く衆目に晒している。
「ちょっ、ちょ、おま、じゅ、じゅ~り~、やめろって~み、みんな見てんだろ~?」
鼻の下を伸ばし、締まりのない顔をする我が兄。
「なっ…………なっ…………なんで」
さよは、片手に持った巾着袋を思わずその場に落としてしまった。
「なんであんたがここにいるのよッ!?」
さよは思わず声を張り上げる。
「お、どうした~さよ~お兄ちゃん今ちょっと忙しいんだ。な~、じゅり~」
「お兄ちゃん! 嘘でしょ、憶えてないの!? そいつは昨日戦った罪ンガゴモフガ……」
言いかけたさよの口を急いで立ち上がった樹梨が手で塞ぐ。
「きゃ~藤宮くんの妹さん!? ちょ~かわいい~萌える~小動物みた~い、小さすぎてミジンコと間違えるレベル~、ちょぉ~っとお姉さんとお話ししようね~」
樹梨は半ば強引にさよを教室の端まで連れて行く。
「ブハァッ! 離せ罪獣! なんで生きてるのよ! 今ここで倒してやる!」
「やれるもんならやってみなさい、このちんちくりん! レッくんの力がないと何もできないクセによくそんな大口が叩けるものね!」
「だいたいその『レッくん』って何よ気持ち悪い! あんたもしやまだお兄ちゃんの命を狙ってるの!?」
「そんなわけないでしょ! 私は昨日思ったの。レッくんこそが私の王子様なんだって。躊躇なく自分の命を賭して無力な妹を守る姿、そして変貌した筋肉怪物を見ても受け入れる寛容さ。
レッくんに出会い結ばれることが、私の運命。この人間界に送り込まれた理由なの!」
「あんた昨日復讐がどうとか言ってたじゃない!」
「あーそんなこともあったわね」
「軽ッ!? いいんだ! その程度でいいんだ!?」
「言ったでしょ、私の能力は『適応』することだって」
「ただ自分に都合よく解釈してるだけでしょ!」
二人は教室の端で舌戦を繰り広げる。
「おーい、どうしたさよ、じゅり~」
「あ! なんでもないよ~レッく~ん」
樹梨は猫なで声で返事をして、「あんたレッくんに私が罪獣だってことバラしたらタダじゃおかないからね」と一言さよは釘を刺される。
「レッくぅ~ん、たーだーいーまー」
樹梨は抱きつくようにレクの元まで戻る。
すると後ろの席から、ポキポキと指の関節を鳴らす音が聞こえる。
「…………」
「ヒィッ! ど、どうしたんだよ、薫子、え? 誰を殺すんだよ!? 物騒なこと言うな!」
「…………」
「やーん♡ こんな根暗とも話してあげるレッくんやーさーしーいー」
甘えた声をあげてレクの首に腕を回す。
「…………コロス」
ぼそりと呟きが漏れる。
「表出ろこのアバズレが! それ以上レクきゅんにきったねぇ声で話しかけてみろ、その顔ミンチにしてやるからな!」
クラス中に聞こえる声で。
田中薫子は椅子から立ち上がり、怒号を上げた。
「しゃ、喋った……」
クラスの誰かが声を発する。
「喋った」
「あの、薫子さんが……」
「喋ったぞーーー!」
それまで周りを囲っていたクラスメイト達は一斉に薫子の元に駆け寄り、彼女を神輿のように奉り胴上げを始める。
「離せえええ! 私は今からこいつの体を肉片に変えてドブ川に捨てるんじゃああ!」
空中に持ち上げられながら薫子が叫ぶ。あっという間にクラス中が阿鼻叫喚と化す。
そしてさよは一人教室を後にして、深いため息を吐いた。
それは、キャラが一八〇度変化した安西樹梨に。
それは、死闘を繰り広げた相手すら忘れて鼻の下を伸ばしている残念な兄に。
朝日が窓から差し込む。その眩しさに、さよは思わず目をすがめた。
キンコンカンコンと古典的なチャイムに紛れて。
藤宮さよは、もう一度大きなため息を漏らした。




