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喋らない幼馴染と急接近の転校生

藤宮レクは既にクラスメイトと挨拶を交わし、自身の席に座っていた。


「おう薫子かおるこ、おはよう」


レクは振り返り、後ろの席に座る少女へ声をかける。

その口調は普段に増して爽やか。だが浮かべた笑顔は不自然なものだった。


決まった。


レクは心中で拳を握りしめる。

朝の練習の成果が出た。

今の笑顔は、相当カッコいいはずだ。


そんな期待に満ちた眼差しで見つめられる田中薫子たなかかおるこ

彼女はレクの挨拶に対して無言のまま。静かに文庫本のページを進める。


「…………」


 彼女は目も合わさず、小さく頷く。その動きに伴って胸まである茶色がかった髪が揺れる。

 仮面でもつけているかのように、表情筋一つ動かさず読書に集中している。


「…………」

「いい天気だな。……え? おい! 可愛いじゃなくてかっこいいだろ!?」


 薫子の返事は聞こえてこないが、レクは一方的に話を続ける。


「…………」

「ほんと。お前いい加減俺のこと可愛いって言うのやめろよな」


 側にいる生徒は二人のやりとりを「またやってるよ……」と呆れた様子で眺める。


「…………」

「嫌に決まってんだろ! 男はかっこいい方がいいの!」

「…………」

「はぁ~僕も子供が欲しかったですワン。ってオイ! 誰の顔が去勢手術を終えたマルチーズだよ!」

「…………」


 藤宮レク渾身のノリツッコミに対しても薫子は微動だにせず、ページをめくる紙ずれの音だけを立てる。

 だがレクの心は折れない。


「…………」

「あーさよ? 相変わらず元気だよ。確かに最近俺のクラスには来ないな」

「…………」

「え? あいつが良いお嫁? ハハハ! 笑わせるなよ。無理だろー」


 無言の少女と笑い出す少年。


「…………」

「まぁ確かに薫子よりは家事もできるな!」

「…………ッ!」


 そこで初めて、薫子は顔を上げる。

 切り揃えられた前髪の間から眼光鋭く睨みつける。

 どうやらレクの話は聞こえていたらしい。


「怒るな怒るな! ドードー」


 薫子はプイと顔を背けた。

 田中薫子はとても無口な女の子だ。



 彼女とレクは小学校からの幼馴染。けれどレクは彼女の肉声を忘れてしまうほど耳にしていない。

二人は少し前まではお互いの家を行き来していた。もちろん薫子はさよとも付き合いが長い。

 小学一年の時から現在、高校一年に至るまで毎年クラスは一緒だった。時が経つに比例し仲も深まり、気がついたらレクは無口な薫子とコミュニケーションが取れるようになっていた。


 

 ジリリという小さなノイズが黒板の上にあるスピーカーから漏れると、間も無くしてキンコンカンコンと古典的な鐘の音が校内に響き渡った。

それを合図に、何人かの生徒が駆け込んで来た。

各々立ち話をしていた者も自分の席に着きだす。

騒がしかった教室は次第に落ち着きを取り戻す。

レクも最後に一言「冗談だからなー」とフォローを加えると、後ろを振り向かずにスマートフォンをいじりだした。



「…………」



 薫子は未だ無言のまま。

 チラリと前方のレクを一瞥する。

 彼の意識が携帯電話に向いているのを確認すると、今まで静かだった彼女の呼吸が荒くなり、肩で息をするようになる。



 本に顔を埋め誰にも見られていない中、それまで慎ましく気品を保っていた筋肉は崩れ出し、口端から溢れ出るヨダレをじゅるりと音を立てて啜る。



―はぁぁぁぁぁぁ~~~レクきゅん今日も可愛いよぉぉぉぉぉぉ~。


心中で彼女は呟く。鼓動は早く、頬は熱を帯び出す。


―さっき! さっき「ワン」って言った! 言、っっった! ワンちゃん? レクきゅんはワンちゃんなの?????


締め付けられる胸を彼女は両手で抑える。身体が疼き、身をよじらせる。


―しゅき! レクきゅん! しゅきぃぃぃいぃいぃぃぃいいい!!



 心の中で愛を叫び、恍惚な表情を浮かべる薫子。その目にはハートマークが何重にも出来ていた。  

 田中薫子はとても無口な女の子だ。

 だが、心の内までもそうとは限らない。


                 ☆   ☆   ☆


 程なくして前方の扉が開き、三十代前半と見られる女性教師が姿を現した。

 規律、礼、着席と男子生徒が掛け声をして全員がその通りに動く。

 教卓の前に立つ彼女も気怠げに頭を下げた。



 藤田ゆり子。担任。未婚。

 全員の名前を呼ぶこともせず、空席の机だけを見て出席簿にチェックをつけると「はーい今日はお前らに転校生を紹介しまーす」と頭を掻き、ぶっきらぼうな口調で言い放つ。


 突然の知らせに皆はざわつき、先ほど号令をかけた生徒が「せんせーい! 女子ですかー!?」と大声で尋ねる。


「おーう女子だぞー」

 藤田先生が返すと男子は色めき立つ、期待値が高まる。

「しかもなかなか可愛いぞー」



 その言葉にテンションはさらに上がり、男子は歓喜の雄叫びを上げ、女子達も「どんな子だろうね」と話し合っていた。

 先生は目線を廊下に移し転校生を呼ぶ。


「安西入っていいぞー」


 全員の視線扉へ向かい、一瞬時が止まったように静まり返る。

 沈黙の中、コツンと硬質な足音が鳴る。肉付きの良い純白の太ももが見えた。

 ゴクリ。誰かの唾を飲み込む音がする。



 麗しい黒髪を静かに揺らしながら、一人の少女が姿を現す。

 水晶のように澄んだ瞳、すらりとした鼻筋、赤みを帯びた唇。どこか幼さを残した顔立ちと、スタイルのいい体つき。

 それまでのクラスの期待を遥かに凌駕する美少女だった。

 レクを含むその場にいた男子全員があんぐり口を開けている。

 少女は段差になった足場を登り藤田先生の横に立つ。



「#安西樹梨__あんざいじゅり__#です。よろしくお願いします」



 清涼感のある声が後ろまで通り抜ける。


 ニコリと彼女が小首を傾げて微笑むと、薫子を含む女子全員の頬が緩んだ。

 僻みや妬みの感情を超えて、同性でさえ見惚れてしまう。愛嬌のある笑顔は、親しみを与えた。



 守りたい、この笑顔。

 男子を中心にクラスからは歓声が飛び交う。



「やっべー!」「キターー!」「え! 待って超可愛いんだけど!」「じゅりたんマジ天使!」



 田中薫子も思わず、無意識に彼女へ向けてゆっくり手を振った。

 樹梨の長いまつげが動き、彼女を捉えると柔和な笑みと共に手を振り返した。

 薫子は目があった嬉しさと照れ臭さからか、一瞬顔を赤くして一層強く手を振る。

 だが、嬉しそうな顔を浮かべる薫子の顔が硬直した。



「樹梨ちゃ~ん」



 薫子の前でレクが、鼻を伸ばし猫なで声を上げながら、樹梨に向かって手を振っていたのである。



「藤宮、誰もテメェなんかに振ってねぇよ!」



 どこからか野次が飛んでくるとクラス中が笑いに包まれる。

 樹梨も口元に長い指を添え、上品な笑みを浮かべた。

 一方のレクはキョトンと周りを見渡し、首を傾けていた。



「えー安西さんはご両親のお仕事の都合で引越しをすることになりー、本当なら四月からクラスに合流する予定だったんですがー、」


 担任の藤田先生は転校してきた安西樹梨の紹介をする。


「え、やばい」「マジ可愛い」「萌えるわ~」「安西さん! 前はどこの学校だったんですか~?」

 しかしその声は大半の生徒には届かない。


「えー、不幸にも交通事故にあってしまいー、入院してしまったためー、えー一ヶ月入学が遅れてしまいましたー、えー、皆さん気にかけてあげて、困っていたらー積極的にー……」

 騒がしいなか、先生は尚も話を続ける。


「俺今の彼女と別れるわ、決めた」「お前なんかが樹梨ちゃんと付き合えるわけねーだろ」「じゅーりちゃーん、この中で誰がタイプですか~?」

 藤田先生の説明には誰も耳を傾けず、生徒同士で盛り上がる。

 

 それまで機械的に話していた先生だったが、「チッ」と舌打ちをすると、出席簿を教卓に叩きつける。



「うっせーぞ猿ども! 人の話聞きやがれゴラァ!」

「うるせーババア!」「樹梨ちゃんに嫉妬してんじゃねーよ!」「いきおくれ!」

「おいオラァ! 今ババアって言ったの誰だ! しばくぞガキ供!」



 狂乱の渦にのまれたクラスはとうとう収集がつかなくなり、筆記用具やチョークが投げられ、怒号が行き交う。

 それを横目に安西樹梨は黒板の前から窓際までゆっくりと足を運び、レクの席までやってくる。着席した彼に合わせて膝を曲げ、顔を近づける。



 その動作には洗練された美しさがあった。

 レクの鼻を女性特有の甘い匂いがくすぐる。

 彼女のクリクリとした瞳から目線を下ろせば、襟と首筋の隙間から鎖骨が覗き、さらに先にはブラジャーが見えそうであった。



 狼狽するレクの頬を艶やかな黒髪が撫でる。

 肩に手を置き樹梨は耳元で囁く。



「藤宮くんって面白いね」

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