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その言葉

「俺の……血…………」



 息が苦しい。呼吸が乱れる。体が熱い。焼けてしまいそうだ。

 全身が震え出す。



「そうよ、あなたの。……憶えているかしら、私が偶然を装って学校を抜け出したあなたに会った日。一緒にさよちゃんが監禁されている、あなた達の組織に行ったでしょ? その道中、ようやく藤宮くんと二人きりになった時に、あなたを殺して抜いた血よ」

「あのときに……」

「そうよ。しばらくしてから目を覚ましたあなたには笑わせてもらったわ。『妹を想うばかりに意識を失った』とかなんとか勘違いしてて。本当に、面白いね、藤宮くんは」



 レクは呆然と立ち尽くす。さよはその場で悶絶したままだ。

 そんな彼女に樹梨は目を向け、「藤宮くん、よく見ててね」と口にする。



「さよちゃん、これ、あげるわ」



 次の瞬間、小瓶を持っていた手を離した。重力に従い一直線に真下へ瓶は落下すると、音を立てて割れた。ガラスの破片と一緒に、レクの血が飛び散る。



「がッ……あああッ……」



 さよの脚が力む。ふくらはぎの筋肉は破裂してしまいそうに膨張している。

 地面に広がる兄の血を目がけて駆け出そうとする自分の顔面を、さよはわずかな理性を振り絞り殴りつけた。鼻血を出して、後方に倒れる。しかし、すぐさま飛び出してしまいそうな体を、必死に抑えつける。

 まるで獣のように低い呻き声を漏らす。体の中に時限爆弾のようなものがある感覚だ。

 タイマーの時刻は一秒ずつ減っていき、もう少しで爆発してしまいそう。



「ああ、ああ…………がッ、ああッッ……」

「どうしたッ! さよ、大丈夫か!」



 駆け寄った兄が心配そうに覗き込む。



「こ、……こないでッ…………」



 頭の血管は切れそうだ。

 失いそうな自我を必死で繫ぎ止める。



「さよに何をした安西ッ!」



 レクの怒号が響く。

 一連の光景を見た樹梨は高い笑い声をあげる。



「藤宮くん、さよちゃんがあなたに嘘をついていた理由はこれよ」



 樹梨の冷たい声。



「さよちゃんは、実のあなたの妹はね、兄であるあなたの血液にとんでもなく興奮するらしいわよ? あなたの血にね、どうしようもなく、気が狂うほど興奮してしまうらしいの。あなたの血で興奮して、能力を発動する体になってしまったのよ……」

「本当に、気持ち悪いわよね……」軽蔑するような冷たい声音。



 凍てつくような風が吹き抜ける。



「さよ…………」



 ああ、やめて。

 そんな顔しないで。



「見ないでぇ……お兄ちゃん」



 そんな顔で見ないで。

 こんな、こんな気持ち悪い私を。



「お願い、見ないで……ごめん、ごめん、なさい……」



 視界がぼやける。

 雫が手のひらに溢れて、それが涙のせいだと気がつく。乱れた呼吸をなんとかただし、懺悔の言葉を紡ぐ。



「お兄ちゃん、ごめん。ごめんなさい。今までお兄ちゃんのことを騙していて……許して。……こんな、こんな姿になって、本当に、……ごめん。ごめんなさい」



 そうだ、本当は、私は。

 これを恐れていたのだ。



「お兄ちゃんに、嫌われるのが、イヤで。……最近、この一ヶ月、お兄ちゃんと一緒にいる時間が、増えて。嬉しくて、楽しくて。だから、嫌われるのが、怖くて……」



 私は、ただ兄に嫌われたくなかったのだ。

 その一心だけだ。

 今までは兄のためだなんてうそぶいていた。

 そう、自分に言い聞かせていた。



 綺麗事を並べていた。けど、本当は違う。

 私は、ただ。

 自分のために、自分の勝手で。

 お兄ちゃんに、嘘をついていたんだ。



「……こんなおかしくなった私を見られたら、捨てられるんじゃないかって……怖くて……それで」



 その先に私はなんと言おうとしたのだろう。

 言葉の続きは嗚咽で遮られる。

 そしてようやく出た言葉は。



「本当に……ごめんなさい」



 やはり兄への謝罪だった。



「さよ……」



 レクの口が開く。ゆっくりと空気を吸い込んで。



「お前、何言ってんだよ」



 レクは満面の笑みを向ける。



「お前のことを、嫌いになるわけねぇだろ」



 慈愛に満ちた口調。



「それに言ったろ? 俺が守ってやるって。お前は俺の唯一の妹だ。藤宮レクの妹の、藤宮さよだ。大事な俺の家族だ。それを気持ち悪いなんて思うわけねぇだろ」



 レクの瞳が輝きを帯びる。



「それによ、お前、めちゃくちゃカッケーよ。覚醒すんだろ? 今までの敵も、お前が倒してきたんだろ? なんだよその能力。めちゃくちゃ憧れるよ。早く言えって。その力のために、お前の覚醒のために、俺の力が必要なんだろ? それって、俺もめちゃくちゃカッケーってことだろ? だったらさ―」



 レクの手がさよの頭へと伸びる。月夜に輝く黒髪を、愛おしそうに撫でる。



「俺のことなんて気にせず、思う存分戦ってこいよ。血なんていくらでもくれてやる。早くあいつを倒してさ、帰ろうぜ。俺たちの家に」



 八重歯が覗く兄の笑顔。

 眩しい笑みは、まさしく太陽のように私の心の闇を晴らした。さよは一筋流れる涙を拭い、立ち上がる。その表情に、もう戸惑いはない。

 


 もう恐れることはない。

 そうだ、私のお兄ちゃんは。

 世界一カッコいい、最強の能力者だ。

 だって、妹の私を、こんなに勇気付けてくれるのだから。

 


 そんなことは、世界中探してもお兄ちゃんにしかできない。

 さよは膝に手をつき、立ち上がる。



「帰ろう、お兄ちゃん」

「おう!」

「そして帰ったら、スマホのお金払ってね」

「は? なんのことだ?」



 目を丸くして、マヌケな顔をする兄に、思わず破顔してしまう。



「なんで……」



 すると前方から刺々しい呟き声が聞こえる。



「なんで! なんでよ! どうして藤宮くん! もっと、絶望してよ! もっと、あんたたち兄妹二人で」

「安西」



 レクの声が樹梨を鎮める。



「ほざいてろ。お前の負けだ」



 レクは射抜くような視線を向け、中指を立てる。

 その気迫に樹梨は思わずたじろいた。



「雑魚どもが! 今更お前ら二人に何ができる! 兄妹もろとも、一撃で終わらせてくれるわ!」



 雄叫びを上げトドメを刺そうと踏み出した樹梨の足が、固まる。

 言葉を失い、目前の光景が信じられないという風に見つめている。

 それもそのはず。エナジーはまばゆいほどに輝く。神々しいほどに。

 毎秒その輝きは増し、火花が散り出す。



 そして、そのままさよの体は炎上する。

 荒れ狂う炎に包まれる。発される熱風に思わず樹梨は顔を腕で覆う。



「そんな……」



 その声も動揺のせいか震えている。そして全身を業火に飲ませたさよは、距離を詰めそのまま樹梨の体に腕を回す。灼熱の炎はさよが歩いた大地を焼き尽くした。



「私たちの勝ちよ」



 さよが呟くと一層炎の勢いが増す。火竜が天に昇るように。火柱が立った。巨大な灼熱の炎の束が闇に包まれた街を灯す。



 渾身の一撃。



 炎はだんだんと収束していく。全身を包んでいた炎も鎮火した。さよは辺りを見回した。辺り一帯が焼け野原になっていた。灰が風に吹かれ宙に舞う。


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