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【三章】



「ここはどこだ……」



 額を押さえながら、藤宮レクは目を覚ました。

 考えうる限り、最悪の事態が起きてしまった。



 さよの背筋が凍りつく。動揺を誘うためなのか、あえて時間をかけた樹梨の思惑に気付いたが、すでに遅い。兄は目をこすり、周囲を見渡している。



「なんだ、これは……。これ、俺が……」



 だんだんとレクの意識が覚醒していく。



「あっ……」



 困惑したさよの口から声が漏れる。すると、兄がこちらを向き目が合った。

 レクが息を飲む。



「……なんだ、だ、誰だよお前! さよは……俺の、俺の妹は……さよをどこにやった!」



 レクは倒れていた体を起こし、警戒心を露わにする。混乱しているはずの頭で、妹の居場所を探す。



 そんな妹思いの兄の言葉が今は余計にさよの心を傷つける。

 さよは卒倒してしまいそうになるが、なんとか意識を保つ。



 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。



 先ほどからその五文字が頭でとぐろを巻いている。

 なんて言えばいい。

 どうすればごまかせる。



 いや、もう真実を告げるしかない。

 いやだ、他に、何か方法は。



 そうだ。一つだけある。

 そうだ……。



 視線を下に落とし、拳を強く握りしめる。



 そうだ。



 この拳でもう一度、兄の息の根を―ッ。



 浮かんだ考えを、さよは頭を振って追い払う。

 その瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。

 私は、私はなんてことを考えているんだ。



 そんなこと、できるわけない。お兄ちゃんに拳を振り上げることなんて。

 絶対に、できない。

 それだけは、絶対に。

 やってはいけないことだ。



「おにい、ちゃん……」



 口から声が漏れる。

 言わないと。

 今まで隠していた自分が悪いんだ。お兄ちゃんが傷つかないように。



「お兄ちゃん……」



 ああ、やっぱり。



 言いたくないな―。



 藤宮レクは目を凝らし、覚醒したさよを見つめている。その眼差しは、自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ見慣れない人物に向けられる。



 しかし、その声に聞き覚えがあったのか。

 レクはそっと「さよ……なのか」と呟く。



 さよは下唇が切れるほど噛みしめる。

 言え、言うしかない、わたし。

 早く。



 お兄ちゃん、実は―。

 口が横に開き、喉から声が出る瞬間、さよの言葉はかき消された。



「おはよう、藤宮くん」



 サディスティックな声に。



「お前は……安西、だよな……ッ! お前、これ一体どういうことだ!」



 レクは裁くような眼差しで樹梨を睨む。



「どうもこうもないわよ、ねぇさよちゃん?」



 樹梨は心底楽しそうに、語尾を強めた。



「お前………………ほんとに、さよ……なのか?」



 さよは疑いの眼差しで見つめられる。兄の瞳に、うっすらと自分に対しての恐怖を感じた。

 ああ、お兄ちゃんそんな目で見ないで。



「さよちゃん、大好きなお兄ちゃんに説明してあげたら?」



 いやらしい言葉が耳に入るが、今は彼女に対する怒りも湧いてこない。



「ごめんなさい……」



 やっとさよから出た言葉は、謝罪。



「ごめん……ごめんなさい、お兄ちゃん」



 その場に崩れる。

 地面に膝をつく。

 頭がひどく痛い。

 それは先ほどの樹梨から食らった殴打のせいではない。

 締め付けるような頭痛がする。



「安西……お前、さよに何をした!」



 レクは怒声を上げる。



「私は何もしてないんだけど……いいわ。さっき、さよちゃんは私の話を聞いてくれたから、今度は私がさよちゃんの話をしてあげるわね」

 レクは固唾を飲んで言葉の続きを待っている。

 さよは、樹梨の言葉を遮るわけでもなく、黙って俯いていることしかできない。



「至ってシンプルな話よ。藤宮くんはずっとさよちゃんに騙されていたの。本当のあなたの能力は『ただ不死身なだけ』。藤宮くんはただ、毎回の戦闘でやられて気絶していたのよ。


しかも幸か不幸か、前後の記憶を失くしてね。その間にさよちゃんが覚醒して、敵を倒し、目が覚めた藤宮くんに都合の良い話を作って聞かせていた。それで合ってるわよね? さよちゃん」



「私が調べた限りはそのはずだけど」と、にこやかに微笑んで付け加える。



 さよは返事をすることもできない。



「…………」



 レクも無言のままだ。



「藤宮くん、まだ疑ってるでしょ? ……そう言えばさっきあなた達、八重歯がどうのって揉めてたわよね。藤宮くん、タレ目の女の子に歯を抜かれたみたいだけど、ねぇ、どうなの? 藤宮くんの歯、本当に抜けたままなの?」



 ああ、もう終わりだ。

 しばしの沈黙。



 さよは俯いたままだが、その間に兄が、自分の口に手を入れているのがわかった。

 そして絃歩ちゃんに抜かれたはずの歯が、回復していることを確認したのだろう。



「さよ……今の話、本当なのか……」



 レクの視線が、自分に注がれているのを感じる。



「どうして、なんで今まで黙ってたんだよ!」

「…………ごめん」

「ごめんじゃないだろ!」

「私は、ただ……お兄ちゃんが……」



 さよは一瞬言い淀む。



「お兄ちゃんが……悲しむと思って―」

「違うでしょ」



 ぴしゃりと、樹梨は咎めるように言い放つ。



「さよちゃん、これ、なんだかわかる?」



 そして、樹梨は懐から小瓶を取り出した。月明かりに照らされたそれには、何やら赤黒い液体が詰まっている。



「これね、藤宮くんの血よ……」



 その言葉に、さよの心臓が大きく跳ねた。


残り4話で完結します。

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