其の弐 3
アインはひとつ息をつくと、じっとベアトリクスを見つめた。
息継ぎしてる……人形――なのよね?
呼吸をしているアインの姿に、彼女が本当に人形であるのか、ベアトリクスは疑わしくなってきた。
だがそんなベアトリクスの思いなど他所に、アインは説明を続ける。
「まず、ここが迷宮図書館と呼ばれている理由。それは、この館内に幻術がいたるところに掛けられいることがひとつ。そのため、本を探しに奥に入ったが最後、自分の居場所をまず見失なうわ。それに加えて、空間転移の罠もいたるところに仕掛けてあって、知らぬ間に別の場所に飛ばされるのよ。なにしろ、同じつくりの書架の群れでしょ、飛ばされても気がつかない。かくしてますます迷うわけ。これが、迷宮図書館と呼ばれる所以」
なるほど。ということは、さっきの果ての見えない書架の群れは、幻術の一種ということだ。
ベアトリクスは理解し、うんうんと頷いた。
「それともうひとつ。一番厄介なもの。それがトラップブック。この騒ぎの原因」
「トラップブック?」
またもや首を傾ぐ。
「えぇ。本の形をした罠よ。ページを開く事でその罠は発動するわ。開いた途端に爆発したり、突然ずぶ濡れになったり、街の外へ飛ばされたりするのはいい方でね。酷いと魔獣が出現したりするわ。それが、奥の騒ぎの原因。いま討伐隊が魔獣退治してるのよ」
アインが云った。
グォォォ!
うわー。
増援は、増援はまだかー!
ママー!
ベアトリクスの顔色が変わった。
ま、ママって。
相当な状態にまでいっちゃってるんじゃ……。
大丈夫なのかしら?
「気にしなくていいわよ。いつものことだから」
「いつもの!」
どうやらここは、侮れない場所どころではないらしい。
恐るべし、中央図書館。いやさ、迷宮図書館。
「あと最悪の罠についていっておくわ。それが追放よ。これは対象者を異世界に放り出すの。これに掛かったら……まぁ、帰って来ることは諦めるべきね。大抵はタイトルが、その罠を示しているから、不穏な本は開かないのが吉というものよ。そういう本を見付けたら、黄色いタグを張っておいて、後に危険な罠かどうかを調べることになってるわ」
そういうとアインは、エプロンドレスのポケットから紙の束を取り出した。黄色く色付けのされた紙の束。これがタグだ。
「あ、そうそう。もうひとつ最悪なのがあった。パラサイトブックって呼ばれているものなんだけれど、これ、本を開くと中から寄生虫が……ウネウネしたうすっぺらくて長い蟲がそれこそ噴き出してくるの。それだけならまだしも、体中を這い回って穴という穴から体内に入って来るのよ」
うっ!
ベアトリクスとリューマムは息を呑んだ。
ふたりとも、長くてウネウネする生きものは総じて苦手だ。
思わずその様を想像し、全身に怖気が走り、たちまち鳥肌がたった。
自分の人生では、絶対にそんな経験はしたくはない。
したくはないのだが……なんだって目の前の彼女、アインはこうも楽しそうに話すのだだろう?
「ななな、なんだってそんな酷いものが……」
震える声でベアトリクスが問うた。
「もちろん。防犯目的。盗人をとっちめる罠のひとつよ。エスカレートした結果生まれた、悪趣味な罠のひとつ。でね、このあいだひとり、これに引っかかったのがいてね。それで……その子、どうなったと思う?」
アインの笑みが、にたりとしたものに変わった。
「ど、どうなったんですか?」
ゴクリと唾を呑み、ベアトリクス。
リューマムも、なんだか真剣な面持ちでアインを見つめている。
するとアインはただひとこと、こう云った。
それも楽しそうに。
「壊れちゃった」
「こ、壊れたって……」
「うん。壁を見てケタケタ笑ってるわ。幸せそうに……ずっとね」
はうっ!
あ、悪魔だ。
この人は悪魔だ。
いや、人じゃないんだけど。
っていうか、自動人形って、なに?
あぅぅ。
「さて、それじゃちょっと着替えてもらおうかな。その恰好じゃ一般来館者と区別つかないしね。職員の恰好をしてもらわないと。それに名札も。指輪は……つけてるわね。失くしちゃダメよ。ついてらっしゃい」
そういうとアインは、箒をまるで刀のように持って、カウンターの方へと歩き出した。
「えーと、やっぱりエプロンドレスなんですか?」
ベアトリクスは尋ねた。
まがりなりにも元貴族である。正直、メイドの格好というのは、少しばかりためらいがある。
「いーえ。この恰好は私たち自動人形だけよ。いまこの図書館では自動人形が七体稼動しているわ。業務支援用が五体、戦闘用が二体。あなたはアキコと同じよ。ブラウスにスカート。タイトなのが嫌なら、普通のもあるし、ズボンもあるわよ」
「ふつーのスカートにします」
ベアトリクスが断言した。
足を見せる勇気など持ち合わせてはいない。今朝、アキコの綺麗な足をみてしまってはなおさらだ。
「あ、そうそう。靴は頑丈なブーツにしておいたほうがいいわよ。もし持ってないなら、休憩時間に買っておいたほうがいいわね」
なんだかわからないが、この忠告は心に止めておいたほうが良さそうだ。
さんざん脅かされているが、彼女は嘘を云っているようには思えない。
だって……。
うわぁぁぁ。
なんだこりゃぁぁ!
話しが違うぞ!
腕が、腕がー。
「う、腕っ?」
ベアトリクスが思わず声を上げた。
ごあぁぁぁっ!
たすけてパパヤー!
「……なんでパパヤ?」
「どんなことになってるんだろー」
リューマムはわくわくした顔。
「気にしちゃ駄目よ」
ベアトリクスが釘をさした。こうでもしておかないと、こやつは勝手に奥に行きかねない。
そして再び、アインの背に目を向けた。
のんびり歩いているとはいえ、カウンターにはまだ着かない。
馬鹿げた広さであるいい証拠だ。
「アインさん。その箒はなんなんです?」
なんとなしにベアトリクスは訊いてみた。
なにしろ、柄が鋼でできた箒なのだ。
普通の代物では無いはずだ。
するとアインは足を止め振り向くと、自分より頭半分背の低いベアトリクスに、ぐっと身を乗り出すようにして視線を合わせた。
「私はアイン。『さん』は要らない。自動人形だから。私たちは備品扱いのものなのよ。人間扱いしてもらっているのは、とっても有り難いんだけど、敬称付きで呼ばれるべきじゃないわ。ということで、アインって呼び捨てにして頂戴」
「わかったよ、アイン。ちゃんと呼び捨てるよ、アイン。だから安心しててね、アイン。アインアインアインアインアインアイン!」
リューマムがここぞとばかりに呼びまくる。
するとにっこりとした笑顔のまま、アインがすぼめた右手をリューマムの真正面に向けた。そして一言。
「だからって、無意味に連呼、しないでね」
ずびしっ!
デコピン炸裂。
たとえデコピンとはいえ、リューマムのサイズを考えたら、あばれ馬や猛牛に撥ねられるのと同じような衝撃ではなかろうか。
はたして、リューマムはベアトリクスの肩から弾け飛び、しばらくふらふらと飛んでいたかと思うと……。
ぼと。
いきなり墜ちた。
「ちょっ、リューっ!」
「ふへぇぇ。痛いぃぃ」
床に大の字にひっくり返ったまま、リューマムは目を回していた。
「あ、あれ? ごめんね、手加減したつもりなんだけど」
「て、手加減って……」
「手、すぼめてたでしょ。指を伸ばしてやるより、威力が落ちるのよ」
アインが云う。
試しにベアトリクスはやってみた。右手で手をすぼめた時と、広げたときの威力を、左掌に当てて比べて見る。
確かに、すぼめたときの方が、威力が弱い。
……ような気がする。
「ごめんなさいね。大丈夫?」
「だ、大丈夫だよぉ。な、ナイス悪魔ぁ」