其の壱 3
能天気なリューマムの相手にため息をついたベアトリクスの耳に、パタパタとした足音が聞こえてきた。
さらには話し声も。
「いったいなんだね、パティ」
「いーから、ウォーレン。はやくはやく」
エルフのお姉さんが、初老のおじさんを連れて部屋に戻ってきた。そしてベアトリクスの目の間に前来ると、お姉さんは容赦なく彼女を指差す。
「さぁ、この娘を視て!」
「パティ、そうはいうがね」
「術に対して過敏かどうかを調べるだけでいいんだから。ミディンちゃんのときで、それはもう分かるようになったんでしょ!」
お姉さんはおじさんを急かしている。
視て! とか、一体なんのことだろう?
「あ、あの、一体なんの話し……」
「大丈夫。お姉さんに任せておきなさい」
お姉さんがばんとベアトリクスの肩を叩いた。その顔はどういうわけだか嬉しそう。
どうやらベアトリクスの云うことなど聞こえていないようだ。
「……あははは」
こ、これは、どうしたものだろう。
見ると、おじさんも諦めような顔をしていた。
「やれやれ、君にはとんだ災難という感じなのかな? まぁ、いきなり呼びつけられた私も似たようなものだが。とにかく、私と君、こうして揃ったわけだから、諦めるとしようじゃないか」
「ちょっと。それじゃ、まるで私が災難の元凶みたいじゃない!」
お姉さんが憤慨したように云った。
「みたいではなく、そう云っているんだよ。パティ。まぁ、私のような若造が、年長のあなたに意見すること事態、間違っているともいえるがね」
「それはいわないでよ! 気にしてるんだから!」
「エルフが歳を気にしてどうするんだね」
「エルフだって歳を気にするのよ!」
お姉さんが頭を抱えた。
「……漫才?」
目をぱちくりとさせていたリューマムがボソリと云った。途端、お姉さんががっくりと打ちひしがれるようにうなだれた。
どうやらかなりのショックだったらしい。
妖精族たるエルフは長命な種族だ。このお姉さんも、見た目どおりの歳ではないのだろう。
「さて、パティも大人しくなったことだし、君も私もここにいるわけだ。さっさと終わらせてしまおう」
「あ、あの、なにをするんですか?」
ベアトリクスが問うた。するとおじさんは咎めるような目つきでお姉さんを見つめたが、やがて首を振るとため息をひとつついた。
どうやらこの手のことは、これが初めてではないようだ。
「まったく。そのことも話していないとは。私はウォーレン・チャップマン。この【智の塔】の感知者。いわゆる、個人の魔術的資質を見抜く者だ。パティには、君が魔法具などに囲まれても、問題ない体質かどうか視るように云われてね。なに、ちょっと話をするだけだから、なにも怖いことはない。安心したまえ」
「はぁ」
ベアトリクスはなんだか怪訝な顔。
それだけで、わかることなのかしら?
思わず首を傾ぐ。
「さて。それじゃ……そうだね、最近の一番の出来事を話してもらえるかな?」
ウォーレンさんに云われ、ベアトリクスが真っ先に思い出した事。
それは、リューマムが自分のもとに飛び込んできた、あの夜の出来事。
別に聞かれて困るような話でもない。
ベアトリクスは緊張した面持ちでひとつ息を吸い込むと、ゆっくりと話し始めた。
リューマムが厄介な代物と共に、自分の所にやって来た夜のことを。
寝付けず、宿屋の二階の部屋で、窓を開けてぼんやりと月を眺めていた時の事。リューマムは窓から飛び込んできたのだ。
巨大な蝙蝠に追いかけられて。
あの夜は酷かった。部屋の中を暴れまわる大蝙蝠。椅子でぼこぼこに殴り付けて、どうにか撃退したものの、あまりの騒々しさに、宿屋の主にさんざん怒られたのだ。夜中に追い出されなかったのは救いであったが、迷惑料を取られたのが痛かった出来事である。
以来、リューマムはベアトリクスを命の恩人としてくっついてきている。
いずれこの恩を返すのよ! とかのたまっているが、ベアトリクスは最近、こう疑っている。
タダ飯食えるからくっついて来てるんじゃないかしら?
ベアトリクスはその夜の出来事を話し終えた。……最後の、いま、自分がリューマムに対して思っていることを除いて。
なんだかリューマムが、ベアトリクスの肩の上で、申し訳なさそうにしている。
「ふむ。攻撃系魔術、防御系魔術ともに標準的資質。精霊魔術の資質は無し。傀儡操士、一般召喚術の才能有り。他はいたって普通といったところだね。もちろん、魔法具に関しても、なにも問題はない。安心したまえ」
ウォーレンが結果を伝えた。
「あの、標準的なものと、普通なのと、どう違うんですか?」
不思議に思い、ベアトリクスが尋ねた。
どちらも同じようなものじゃないのかしら?
「あぁ。標準的というのは、準導師級になれる資質ということだよ。それこそ死に物狂いで努力をすれば、導師級にもなれるだろう。
普通というのは、導士級の術までなら、問題無く身に付けられるだろうということ。
それと才能があるというのは、問題無く導師級になれる資質だということだ。
まぁ、君の才能は傀儡操士だから、攻撃系、防御系ともに、身を護るのに必要な術だけを覚えて、あとは傀儡の扱いを鍛えるのがいいだろうね。召喚術も、魔獣ではなく、自らの傀儡を召ぶことに使うのが一番だろう。それじゃ、これで私は失礼するよ。頑張りたまえ」
チラリとパティを見ると、ウォーレンは訳知り顔で笑みを浮かべて、ベアトリクスの肩をポンポンと叩いた。
「じゃ、パティ。私は戻るからね」
ウォーレンはお姉さんにそういうと、慌てた様子で戻っていった。どうやら忙しいところを無理矢理連れて来られていたようだ。
お姉さんは気を取り直すように首を振ると、ひとつ息をつき、しっかりとベアトリクスに向き合った。
「あなた。えーと、あれ? そうだ、名前をまだ聞いてなかったわね。私はパティよ。パムルウェラティルノーク。よろしくね」
「あ、あたしはベアトリクス・ブライト……じゃなかった。ベアトリクスです。ただのベアトリクス」
「ただのベアトリクス? セカンドネームはどうしちゃったの?」
パティの首が傾く。
「いえ、ちょっと事情がありまして。いまはただのベアトリクスなんです」
パティは暫しじっとベアトリクスを見つめていたかとおもうと、やおらうんうんと頷いた。
「うん。わかったわ。安心して。お姉さんは細かいことなんか気にしないわよ。えーと、確か住む所も探しているのよね。ちょうどいい仕事があるのよ。この【智の塔】の管轄の場所なんだけれどね。あなたにはそこで働いてもらうわ。職員寮も空いているから、そこに住めばいいわよ。いいかしら?」
パティが勝手に話を進めていくことに、ベアトリクスは少し慌てた。
「あ、あの、それはどういった仕事なんでしょうか?」
ベアトリクスに問われ、パティは目をぱちくりとさせた。そして、重大な事実に、いまさらながらに気付く。
「ああっ! そうだった。まだ云ってなかったわね。ごめんなさい。あんまり嬉しかったものだから、つい」
ごまかすように笑うと、パティはずいと顔を近づけ、ベアトリクスの目をじっと見つめた。
「図書館よ。図書館。中央図書館で本整理の仕事。あぁ、でもこの時間じゃ、ちょっとアキコの時間をとれないわね。寮の準備もできないし。えーと、明日からでいいかしら?」
もはやパティの中では、ベアトリクスが仕事を引き受けることは決定しているようだ。
ベアトリクスは苦笑いを浮かべた。
とはいえ、仕事が決まるのはいいことだ。
それに、無茶苦茶な仕事でもなさそうだ。本の整理は、きっと体力を使うだろうが。
「わかりました。明日また来ます。えーと、でも図書館の仕事ってどんなことを? 整理だけでいいんですか?」
「大丈夫。本の修復、復元とかは専門のチームがいるから。あなたにしてもらうのは、もっと切実なこと。即ち、図書館の整理整頓! それだけよ。どっかのボケナスが馬鹿なことをしてくれたおかげで、いま大変なのよ。ただでさえ大変なところなのに」
ボケナスが馬鹿なことをしてとても大変。
……いったい、どんなことをしたんだ?
想像してみるが、ベアトリクスにはさっぱり見当がつかなかった。
「それじゃ、明日の朝一番にここまで来て。私が寮に案内するから。それから図書館の方へいきましょう」
よかった。これで仕事はみつかった。おまけに住むところまで。
ベアトリクスはなんだかわくわくとした気分になってきた。少しばかり気になることはあるが、とにかく、このウィランで生活していくための一歩は踏み出せた。
あとは、明日から一生懸命頑張ればいいだけだ。
「はい。お願いします」
ベアトリクスは晴れやかな笑みを浮かべると、元気よく頭を下げた。