其の陸 1
世界を綴る者・シビル。
彼女の話を整理することにより、この場所が何処であり、そして、現状がどうなっているのかが分かった。
半ば推測も含まれてはいるが。
シビルは古代帝国、ロゴスダウ大帝国の人間である。それはつまり、ベアトリクスたちの時代を遡ること、およそ二万年も昔の人物であるということだ。
そしてこの世界は、彼女の作り上げた書物、物語の世界である。即ち、世界が物語である以上、物語が進まない限り時間も進まない。故に、太陽は天上に居座ったまま、動かないというわけだ。
では、なぜシビルとベアトリクスたちはこの物語の世界で、二万年もの時を越えて会えたのか。これに関しては推測となる。
まず第一に、この書物は古代帝国期に作られ、そして現在まで欠損することなく残っていた稀有な代物である。欠損を免れたのは、シビルが施した術の賜物だ。この書物は、時間が止まっているのである。そのため、いかなるものでも破壊不可能であったわけだ。
ひとつの時間軸において、二万年前と現在、ともにこの書物は存在し、そのそれぞれで、シビル、ベアトリクス、ヌンが物語の中に入った。だが、書物自体の時間が止まっているため、二万年前も現在も、書物から見れば、まったく同じ時なのである。
そのため、彼らは出合うこととなったのだ。
もっとも、この本が完成品であったなら、そんなことはないのだとシビルは云った。
でなければ、本の中は人で溢れる事になってしまうからだ。
そして一番肝心なこと。
どうすれば、この物語の世界から抜け出すことが出来るのか?
シビルの回りくどい話は、ようやくその部分に到達した。
「物語を終わらせればいいのよ!」
シビルが云った。
「そうすれば、本に入った時間プラス物語の時間後に戻れるわ」
シビルは胸を張った。
大きく開け放たれた窓から差し込む陽射しが、部屋を明るく照らし出していた。
そよそよと流れ込んでくる風が心地よい。
部屋自体は簡素なもので、調度品の類は一切無かった。ゆいいつあるのは、壁に掛けられたタペストリー。これも図柄は群れ泳ぐ魚だ。
三人は部屋の中央におかれた円卓に着いて話していた。
「終わらせるって、でもそれなら、私たちに頼む必要ないじゃない。だって、シビルが作者なんでしょう」
ベアトリクスが首を傾ぐ。彼女がこの物語の作者であるのなら、その内容はすべて分かっているはずだ。ならば、どうすれば結末へと辿りつけるのか、当然それも分かっているはずだ。
「うん。そうなんだけど、実はこの話、未完成なのよ」
「へ?」
ベアトリクスは目をぱちくりとさせた。
「隣のじじぃ。どういうわけだかことあるごとに私に嫌がらせすんのよ。一度、大学を退学させられたこともあったし。まぁ、これについては、協会が慌てて退学を取り消して、そのじじぃを徹底的にやっつけたんだけど、ちっとも懲りてなくて。やっぱりちまちまちまちま嫌がらせすんのよ。で、私の知らないうちに、この未完成品の術式を強引に完成させておいたらしいのよ。もちろん。私は作業を進める為に本を開いたわ。で、私はこうしてここにいるってわけ」
シビルは憤慨した顔のまま、ふんっ! と鼻息を噴き出した。
「……その術式を完成云々の辺りは、推測だな」
「でもあのじじぃに違いないわ! 同じ――だし。人の本を勝手に解析したりしてたんだから」
シビルがジロリとヌンに視線を向けた。
「まぁ、それはひとまず脇に退けて。それじゃシビル、この本、完結してないの?」
「うん。そう」
「では、どうやって物語を終わらせるのだ?」
ヌンが尋ねた。
この物語から抜け出すために、もっともな質問だ。
「最終的に、猫が虹の泉の魚を捕まえれば終わるんだけれど、そこに至るまでを、私たちが作らなくちゃならないのよ。私のクセで、話を頭から順にじゃなくて、そこかしこ虫食い状態で好き勝手に作ってるから、終わりだけは書いてあるの。だから、そこまでの物語を、私たちが行動して勝手に作ればいいのよ」
「なんだ。簡単そうじゃない」
「途中、竜が三匹いるわ」
ベアトリクスの顔が強張った。
「竜?」
「うん」
「三匹?」
「うん」
「なんで!?」
ベアトリクスはシビルに詰め寄った。
「ここって、子供の遊び場なんでしょ! なんでそんな竜が……って、そうよ! さっき、私たちも危うく食べられちゃうところだったのよ!」
「えぇっ! お姉ちゃんたち、遭遇したの? 良く無事だったわね」
「私が仕留めた」
いつもの調子でヌンが答えた。
シビルが驚きの表情を浮かべるものの、すぐに顔をしかめた。どうしても図書館の職員と竜を屠る者とがイコールで結びつかない。
「えと、確認したいんだけど、お姉ちゃんたち、図書館の職員なのよね」
「そうよ」
「私は職員とは違う。立場的には備品と云える」
そういう細かいところはひとまずどうでもいい。
「なんで竜を倒せるような人が、図書館で働いてるわけ?」
シビルは困惑した顔をしている。
あぁ。そうよね。普通はそう思うわよね。
ベアトリクスは遠い目をするとため息をついた。
だが、ヌンはそんな感情など持ち合わせていない。如実に事実を語るだけだ。
「決まっておろう。必要だからだ。もし私とメムがいなければ、あの図書館はますます危険な場所となっているだろう」
ヌンが淡々と云った。そういえば、メムは悪魔と戦ったと云っていた。
シビルはますます困惑した。
「図書館って、図書館よね? 本を貸し出す」
「そうよ」
「それじゃ、危険ってなに? せいぜい地震で、書架が倒れたりする程度でしょ」
シビルはオロオロしはじめた。
現状では、自分の常識が多数決で負けているからだろう。
「そうよね、普通はそう思うわよね、図書館って。でもあそこは違うのよ」
この驚き困惑するシビルが、ベアトリクスにはたまらなく嬉しかった。なぜなら彼女の思っている事、それは今朝、彼女自身が思ったことなのだ。
ここに、自分と同じ疑問を持つ者がいる。
ただそれだけで、なぜだかとても嬉しい。
あぁ、そうか。だからアキコさんは、新人へのレクチャーを楽しみにしているんだ。
ベアトリクスは唐突に理解した。
なるほど。確かにこれは、先輩職員の醍醐味だ。
「ち、違うって?」
「今朝はアインが魔犬を退治した。そして昼前には討伐隊が鎧竜を仕留めた。つまりは、そういうことが普通の図書館だ」
ヌンが説明した。
シビルは強張った顔のまま、彼女をみつめた。そして一言ぼそりと云った。
「それ、図書館じゃない」
「それよりも、話を戻すわよ、シビル。竜がなんで三頭もいるのよ」
ベアトリクスは詰め寄った。
「本当は一匹だけだったのよ。虹の泉のほとりに住んでる草食性の蒸気竜だけだったの。その蒸気竜の吐き出す蒸気だって、確かに熱くて近づくのは無理だけど、火傷するほどの熱さのものじゃないのよ。極めて安全なんだから。物語は、泉を護るその蒸気竜を出し抜いて、どう魚を捕るか。そこがクライマックスなんだから!」
「シビル。順を追って話してくれ」
ヌンが的確な指示をした。
「えと、この本のコンセプトは、冒険を間近で見物するっていうものなのよ。要は、演劇の舞台に観客が上がって、観覧してるっていう感じかな」
うんうん。
ベアトリクスは頷いた。
「主人公は二匹の猫。……というか、猫人間?」
「猫人間?」
ベアトリクスは目を瞬いた。
猫人間って、まさか……。
「お茶をお持ちしました」
「あ、ありがと……うっ」
お茶を持ってきた人物の姿に、ベアトリクスは驚き、思わず身構えた。
トレイを片手に持って現れたのは、二足歩行している灰色猫。だがその毛色は少々まだらだ。背丈は子供ほど、およそ八十ミザス程度だろうか。短い毛並みに金色の目をした猫は、紺色のドレスに白い前掛けという恰好をしていた。スカートのお尻の辺りから尻尾がでている。きっと、ちゃんと穴を開けてあるのだろう。
ベアトリクスはこのような姿の種族を知っていた。
「う、嘘、やっぱりキャットマン!?」




