其の伍 3
どれほどの時間を歩いたのだろう。
ヌンの云った通り、陽の高さがちっとも変わらない。
なぜかそのことに苛立ちを覚えながらも、ベアトリクスはヌンの後を、遅れないように歩いていた。
あの砂浜を出た後は、ずっと鬱蒼とした森が続いている。足元は、決して良いとはいえない。下生えに隠れた節くれた樹の根に、何度も足を取られて転びそうになる。靴を、この新調した頑丈なブーツにしたのは、まさに正解だった。アキコやアインがあんなに薦めたのは、こういう事態を見越してのことだったのだろうか?
ヌンは二ザスほど先を、あの凶悪な大鎌を振りながら進んでいる。この森に道らしきものはかけらもなく、湖の縁は、高くは無いが崖となっていた。おまけにやたらと蔓草や茨が生い茂っていて、まともに歩くことはままならない。そのため、ヌンが大鎌でそれらを刈り、道を切り開いているのである。
時折、蛇や妙に大きい芋虫、ナメクジが出現する度に、ベアトリクスはビクビクと身を縮こまらせていた。
ザクザクと切り開いていた道が、急に開けた。
砂浜に出たのだ。
たちまち陽射しが強烈になる。これではまるで夏の海辺だ。
ちっとも変化しないお陽様を、不遜にもベアトリクスは忌々しく感じた。
だいたい、まるっきり位置が変わらないこと自体、異常なのである。
あれは本当にお陽様なのかしら?
ベアトリクスは顔をしかめて、口をへの字に曲げた。
ヌンはまっさきに水辺に行くと、ザブザブと大鎌を洗いはじめた。蔦の汁や、一緒に斬った、なんだか得体の知れないものの体液を洗い流しているのだろう。
ベアトリクスは右手に聳える崖を見た。崖の上には城が建っている。オレンジ色の帽子を被った尖塔がみっつほど見える。城としての規模は、あまり大きくはないようだ。
崖の端に階段があるのが見えた。あそこから崖上の城にまで登れるのだろう。
ヌンが大鎌を振って水を切ると、ベアトリクスのところへ戻ってきた。
「さて、いくとしようか」
「……それ、そのまま担いで行くの?」
ベアトリクスが大鎌を指差した。
正直、この大鎌を担いだヌンは、ある種の歪んだユーモアを具現化したような姿といえる。
巨大な鎌を担いだ黒髪長髪白メイド。
それも、息を飲むくらいの美女ときている。
おそらく、どんな人でも彼女がいきなり現れたら、驚くに違いない。……いや、驚くだけですめば、きっといい方だ。
「なにか問題でもあるのか?」
ヌンが聞いて来た。
彼女のことだ。きっと、大真面目で聞いているのだろう。
「問題というか、相手が腰抜かすわよ。そんな大鎌担いで行ったら。女の子なんでしょ。びっくりするどころの騒ぎじゃなくなるんじゃないかしら」
ベアトリクスがいうと、ヌンは担いでいた大鎌を持ち替え、その凶悪な刃を見つめた。
「まだ乾いていないのだが。解除」
ヌンが命じると、大鎌はたちまち柄に巻きつき、そして柄は元のように短くなった。それをふたつに分解すると、ヌンは左太腿のホルスターに差し込んだ。
「また随分と便利な武器なのね。そんなに小さくなるなんて」
「マスターが神々の遺産を分析し、作り上げたものだ。武器としての威力は比べるべくもないが、この携帯形状への変化については、完全に複製したと云っていた」
ベアトリクスは目を丸くした。
神々の遺物がこの地上に存在しているという話は、ベアトリクスも聞いた事がある。だがまさか、それを参考に、レプリカとでもいうべきものを創ることのできる者がいるとは、思ってもいなかった。
どうやらヌンたちを生み出した人物は、ベアトリクスが考える以上の術師であるようだ。会ってみたい。いや、見てみたい衝動に駆られるが、それはこの得体の知れない場所から帰ってからの話だ。
ふたりは鳴き砂を踏みしめ、砂浜を抜けると階段を登り始めた。
思ったよりも緩やかな階段は、途中で右に折れていた。
階段を登りきり、城の入口を探して周囲を見回す。
そしてベアトリクスは、崖上からの眺めに、目を奪われた。
青い空。緑の森。真っ青な湖。彼方のくすんだ山々。あのちぐはぐだった世界が、ここからみると見事に調和し、まさに芸術的だった。
そう、芸術的なのだ。確かに美しいが、それはどこか不自然だった。
その違和感が、ほんの少しばかりベアトリクスの心に引っかかる。
とはいえ、この景色に、心洗われるような気分になるのは確かだ。
「ベアトリクス。入口があった。行こう」
「あ、うん」
ヌンに呼ばれ、ベアトリクスは慌てて彼女の所に駆けて行った。
ふたりは城の正面に回り、扉の前に立っていた。
扉は普通の大きさだった。大抵、こうした城の入口というものは、これ見よがしな巨大な扉が付いているものだ。そしてそれらが開かれることはほとんど無く、その隣にある通用門だけが使われていたりするのが、城というものだ。
ベアトリクスはずっとそう思っていた。
事実、彼女が住んでいた帝都の皇城は、大門が開かれるのは式典などの時だけだった。
「……ここ、お城よね」
「見たところそうだ」
ヌンが真面目な声で答えた。
「でも、お城っていったら、大門があるものなんじゃない?」
「ふむ。確かにそうだが、ひと括りにするわけにもいくまい。事実、この城はこうなのだから。恐らくは城主の趣味なのだろう」
ヌンの答えに、ベアトリクスは目をぱちくりとさせた。
ヌンは大物だ。
ベアトリクスは突然それを確信した。
目の前に立ち塞がる、青銅製の扉を見つめる。一面に、角を生やした獅子の面がレリーフされたそれは、一種、異様な雰囲気をかもしだしていた。
「ノッカーが見当たらんな」
「閉まってるのかしら?」
ベアトリクスがドアの取っ手を押して見た。すると扉は簡単に開いた。
ふたりは顔を見合わせた。
「また無用心だわね」
扉をくぐると、そこは城の前庭。だが踏み固められた赤土の地面が広がるだけで、まったく持って殺風景だ。まるで、騎士団の訓練場である。
城壁沿いに花壇のように煉瓦で区切られた場所があるが、そこには草が生えているだけだ。
「また随分と実用性一辺倒の城だな」
「これを実用性のひとことで済ませるのは問題だと思うわよ」
ベアトリクスが呆れた声を上げる。
まぁ、城主の趣味はこの際どうでもいい。とにかく、ここがどこであるのか、情報がほしいのだ。そのためには、まず、ヌンが見たという女の子に会わなくては。
彼女はこの城にいるはずだ。
ふたりは前庭を突っ切ると、場内への入口と思われる観音開きの大扉の前に立った。
今度はちゃんと、ノッカーが付いている。獅子がリングを咥えたデザインのノッカーだ。もちろん、この獅子にも角が生えている。
ゴンゴンゴンゴン。
ヌンが、えらく鈍い音のするノッカーを鳴らした。
だが、誰も出てくる気配がない。
ゴンゴンゴンゴン。
もう一度鳴らす。
やはり結果は同じだ。
「こんなに鈍い音じゃ、聞こえてないんじゃないかしら」
誰とも無く呟き、ベアトリクスはドアの取っ手を押して見た。
すると、これまた扉は容易く開いた。
無用心さにベアトリクスは顔をしかめた。
中に入ると、そこはホール状になっていて、一面に赤い絨毯が敷かれていた。正面には階段。もちろん、そこにも絨毯が敷かれている。階段の上に視線を向けると、そこで十歳くらいの少女が肩で息をしながら、手摺にもたれて立っていた。
どうやらここまで走ってきたらしい。
生きていれば、ベアトリクスの妹は、この少女と同じ年頃であったはずだ。
ベアトリクスと少女の目が合う。
するとたちまち少女の顔に満面の笑みが浮かんだ。
『やった! やった! これで、これで、これで物語が進むわ!』




