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迷宮図書館  作者: 和田好弘
其の壱 「あぁ。やった。やったわ。これこそ神様の思し召しよ」【智の塔】にて:パムルウィラティルノーク
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其の壱 1

 ベアトリクス・ブライトナー。それが彼女の名前である。

 いや、名前であった。

 だが、いまやブライトナーの名は消え、ただのベアトリクスだ。


 彼女の父はティ・ウェン・=ルン帝国貴族、クーノ・ブライトナー男爵。もっとも、男爵とはいえ領地を持たない宮使いの男爵である。だがその爵位はもう剥奪されてしまった。ブライトナー家が所属していた政治派閥のトップ、マンハイム伯爵が謀略により失脚したあおりを受け、剥奪されてしまったのだ。


 事実上、お家のお取潰しである。


 だが派閥に名を連ねていたとはいえ、政治活動らしいことをなにひとつしていなかったクーノは命まで取られることはなかったのだから、それは由としよう。もっともそのためにクーノは、宮廷内で並々ならぬ努力と工作を行ったわけではあるが。


 かくしてブライトナー男爵家は一市民と成り果てたのだ。


 だが彼女の両親はふたり共、この事態を喜んで受け入れている節があった。いやいや、それをいえば弟のパウルと彼女自身もなのだが。

 この一家の誰もが政治にはまったく無関心であったのだ。

 そう、政治よりも豪商の出であった母の影響により、働くことの方が性に合っていたのである。

 事実、父の貴族時代の収入など、母が個人で経営していた宝飾品店の収入に比べるべくもなかった。

 ベアトリクスも十歳の頃から、この店で帳簿整理の手伝いをさせられていた。


 もっとも、没落を期に帝都を離れなくてはならなくなったため、母は店の経営権を売り渡し、母方の祖父が隠居して始めたギーンハイム地方の牧場へと移ることになったわけであるが。

 クーノの工作の関係で、このまま帝都に留まることは厄介事を招き兼ねないからだ。敵対派閥の執念深さを侮るわけにはいかない。とはいえ帝都から離れてしまえば、追ってくることもないだろう。


 かくして一家は祖父の元へと身を寄せることとなった。


 そこで母は新たな商売をはじめる計画を練り始め、クーノとパウルは牧場経営に取り組みはじめている。パウルに至っては羊の毛刈りがことのほか楽しいらしく、毎年この地方で行われている毛刈りコンテストに優勝することを目標にまで掲げ、祖父を喜ばせている始末だ。

 いずれパウルがここの牧場主となるだろう。


 そしてベアトリクスは。

 彼女はというと、これを期に自立することを決意し、こうしてひとり、いや、ここに来るまでの道中、どういうわけか自分にくっついて来たリューマムと共にウィランへとやってきたのである。

 神都ウィラン。あらゆる武術、魔術の殿堂。

 この西方七王国でもっとも魔法技術が施された都市である。



 ふたりは大門を通り抜けると、そこはちょっとした広場となっていた。

 ゆっくりとあたりを見回してみる。


 左には駅馬車の発着場。右にはこのウィランの略地図の描かれた案内板がある。

 そして広場中央には女神像。二千六百年前と、ほんの十数年前に勃発した神々の戦を終わらせた女神様の像だ。戦装束に身を固め、大刀を手にする女神様は勇ましく、そして美しい。


 女神像に暫し見とれた後、ふたりはキョロキョロとしながら、教えて貰った通りへと歩き出した。さすが魔法都市。ちょっと見回すだけでも、奇妙に思える物がいくつか目につく。


 まずは足元に敷かれている敷石。いや、タイルだろうか?

 表面に細かな溝が彫られているこのタイルは、足に伝わる感触が実に不思議だ。どうやら石を削って作り上げたものではなさそうだ。どちらかというと、素焼きの焼き物のように思える。だが、馬車や馬が踏み付けても割れない焼き物があるのだろうか?


 それと道端に等間隔でならんでいる金属製の柱。天辺にはカンテラのような物が乗っている。これは帝都で見たことがある。街路灯というやつだ。あのカンテラの中に魔法の石が入っていて、夜になると光るのだ。

 だが、こんな街外れともいえる外壁にまで整備されていること自体、驚きだ。


 ベアトリクスは大きく深呼吸をひとつすると、あらためて気を引き締めた。

 これからここを生活の基盤とするのだ。

 そう決意して、ここまできたのだ。

 ふたりは広場を通り抜け、通りの入り口にまできた。


 ベアトリクスが足を止め、不思議そうな顔をした。

 おそらくはきっと、それはこの通りの名を記していたものなのだろう。

 道端にある歪んで曲がった黒い柱。その高さは、真っ直ぐであればベアトリクスよりやや背が高い柱であったのだろう。だが柱はすぐ側の店舗の壁に張り付くように曲がっていた。おかげで通行の邪魔になるようなことはなさそうだ。先の部分には、穴がふたつ空いている。きっとここに、通りの名前を記したプレートがとり付けてあったに違いない。


 なんでないのかしら?

 というか、これ、こんな風になって、もうかなりの時間が経っていそうよね。

 直さないのかしら?


 ベアトリクスは首を傾いだ。

 あらためて通りに目を向ける。

 左手には小間物を扱っている店。いわゆる、みやげ物店といったところだろう。そして右手には、金属細工のお店。ここもみやげ物店といった感じだ。

 ここから左右数件は、みなみやげ物店といった感じのお店が建ち並んでいたが、そこをすぎると、いきなり広い平屋の並ぶ住宅街の様相を呈してきた。とはいえ、ここは住宅街ではない。それを示すかのように、各家のドアの上には看板が下がっており、ドアには店の名を刻んだプレートが掛けられている。

 どれもこれも意匠をこらしたデザインで、ただ眺めてまわるだけでも飽きない。


「ねぇねぇ、お嬢。看板、どれも金属製だよ。どうやって色をつけてるんだろ?」

「こら、リュー。叩いちゃダメよ」


 ベアトリスが慌ててリューマムを止めた。

 どうやらこの通りは職人の通りらしい。

 そこかしこから、色々な音が聞こえてくる。

 特に、金属を鍛える音は、耳に響く。

 野鍛冶、鋏鍛冶、そしてもちろん刀剣鍛冶に鎧鍛冶。金属細工の職人が多数軒を並べている。他にも仕立て屋や革細工職人の工房も見える。


「うわぁ。凄いなぁ。帝都には、ここまで職人がまとまった通り無かったわよ」


 ついつい扉の開け放たれている工房を覗いたりしながら、ベアトリクスたちはゆっくりと通りを約一時間ほど歩き、ようやく教えて貰った宿屋をみつけた。


 【ユニコーンの尻尾】


 ここが、その宿屋に違いない。二軒続きの宿屋だ。もともとは別個の建物であった物を、壁を抜き、渡り廊下でつなげたらしい。右の建物はすべて宿のようだが、母屋たる左の建物は、一階が食堂となっているようだ。

 ユニコーンが振り向いた看板の店を確認すると、ベアトリクスは店の階段を登った。

 入り口脇に掛けられた黒板には、本日のおすすめメニューが書かれている。

 今日のおすすめはパドラケル芋の煮付け。


 店内に入ると、目に付くテーブルは軒並み空で、客は六人くらいしかいない。もっとも、今の時刻を考えると、酒場でもないのに六人もいることのほうが珍しいといえる。


「こんにちはー」


 ベアトリクスはカウンターに行くと、赤茶色の髪をしたお姉さんに声を掛けた。


「いらっしゃい。こんにちは。お食事かしら?」

「宿、取りたいんだけど、空いてるかな?」

「大丈夫よ。ふたり?」


 ニコニコしながらお姉さんが問う。

 するとリューマムは胸元で両手を握り締め、文字通り飛びあがった。


「やったぁ。ねぇねぇ、聞いた? お嬢。あたし、ひとりって数えられたよ!」

「ちょ、落ち着きなさいよ」


 慌ててベアトリクスがリューマムを止めた。

 なにぶん、この身の丈である。いっつもリューマムは人形の類と一緒くたにされ、人数に数えられたことがないのだ。

 リューマムはカウンターの上に降りると、なんだかわくわくとした顔で、お姉さんの顔を、じっと見つめている。


「また見た目と随分ギャップがあるわね」


 しみじみとお姉さん。ベアトリクスは苦笑いを浮かべた。

 それはもう、よくわかっている。リューマムの桃色頭脳っぷりは筋金入りだ。

 それはさておき、ベアトリクスは気になることをお姉さんに尋ねた。


「えーと。やっぱり、宿代はふたり分になるのかしら?」

「その格好のままならひとり分でいいわよ」


 ベアトリクスはきょとんとした。

 その格好のままならって、どういうことだろう?


「あれ? 知らない? その娘、バットウィングよね? バットウィングとかバードウィングって、人間大の大きさになれるのよ」

「そうなの?」


 リューマムが驚いたような声を上げた。


「そうなの? って、あんたのことでしょ」

「だって、あたしそんなの知らないもん」


 なんだかリューマムは自信満々だ。

 ベアトリクスは顔をしかめた。

 その様子にお姉さんがケラケラと笑っている。


「あはは。いいわよ。ひとり分で。一晩千五百リープ。食事は別料金。というか、ここで食べるなら注文してね」


 リープってことは、七王国共通銀貨で十五枚。帝国銀貨だと十七枚くらいか。

 確か財布にはまだ王国銀貨は二十枚くらいあったはずだ。あとで帝国銀貨の価値を調べておかなくては。

 帝国銀貨は純度が若干低いため、王国銀貨より価値が下がるのだ。


「それじゃ、一泊お願いします」

「十五枚、確かに。じゃ、ついてきて。部屋に案内するわ」


 銀貨を数えて渡すと、お姉さんはカウンターから出て、ふたりを二階へと案内した。

 階段を登ると、右に廊下が一本。部屋は廊下の左右に五部屋づつ並んでいる。いずれの部屋も、扉が開け放たれている。

 お姉さんは右の一番手前の二人部屋をふたりに指し示した。


「ここよ。もしかしたら、相部屋を頼むことになるかも知れないけど、いいかしら?」

「なんで? 隣とか空いてるじゃない?」


 リューマムが隣の部屋を覗きながら尋ねた。


「あぁ。他の部屋は貸し切り状態なの。ウチはここと隣で宿屋をやっててね。で、こっちは基本的に、ウチを拠点に動いてる冒険者パーティ専用なのよ。全十部屋中、九部屋が彼等の家ってわけ。留守の間はあたしが掃除とかしてるけど」


「じゃ、いまは仕事にでてるのね」

「全滅とかしてたら、部屋空けておくのは無駄なんじゃない?」


 リューマムが云った。

 酷い話ではあるが、あり得ない話ではない。


「契約期間が過ぎたら終わりにするわよ。それじゃ、なにかあったら呼んでね」


 そういってお姉さんは鍵をベアトリクスに渡すと、階段を降りていった。


「よし。これで今晩の寝床は確保できたわね。それじゃ、塔にまで行ってみようか」

「うん! 行こう!」

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