其の肆 1
間に合わせに、鍛冶屋御用達の丈夫なブーツを新調し、板金のはいった一際頑丈なブーツをオーダーメイドで注文し終え、ベアトリクスが図書館に戻った時にはもう開館時間は過ぎていた。
そしてベアトリクスの予想に反し、図書館には大勢の人が詰めかけていた。
もっとも、彼等の目的が本を読むことではなく、そのほとんどが図書館の探索であるということがあまりにも明白ではあったが。
なぜなら閲覧スペースは人がまばらであるのに、あちこちから聞こえてくる悲鳴や歓声(?)は、朝方の比ではないのである。
「おかえりなさい。どうなさいました?」
図書館の内扉を開け、思わず驚きに立ち尽くしていたベアトリクスは、のんびりとした声を掛けられて我に帰った。
入り口のすぐ隣にはテーブルがあり、そこに自動人形がひとり座っている。
青色のエプロンドレスの自動人形。砂色の髪をした彼女の目はオパールだ。
「えっと……」
「私はダレスと申します。来館者の管理をしております。そうしておかないと、行方不明者がでたかどうかも分かりませんから」
「あー。そうか、そうよね」
ベアトリクスは納得した。テーブルの上には紙葉の束が文鎮で押さえられており、そこには名前がずらずらと書かれていた。名前の脇にチェックがしてあるのは、無事、図書館から帰ったということなのだろう。
ベアトリクスはダレスと握手を交わすと、受付カウンターへと戻った。
「ただいま戻りました。アキコさん」
「お帰りなさい。いいのはあった?」
「既製品のブーツを買って来ました。あとは板金の入ったのを注文してきました」
ベアトリクスは抱えていたブーツをアキコに見せた。
「靴の代金はこっちに回してね。支給品にするから。規則的にはこっちで靴を履き替えてもらうことになるんだけれど、あんまり気にしなくていいわよ」
「いえ、こっちで履き替えます。それはしっかりしておかないといけません」
うん。
はっきりそう云い、ベアトリクスはひとつ頷く。
そんな彼女の姿を、申請書類を渡しながらアキコは不思議そうな顔で見つめた。
「もしかして前に働いてた職場って、厳しかったの?」
「厳しかったというか、母が経営者でしたから」
その答えにアキコは納得した。
なるほど。娘に甘くしては、規律は保てまい。
ベアトリクス更衣室へ行くと靴を履き替え、すぐに受付へ戻ってきた。
「それじゃ仕事に戻ります。えーと……」
ベアトリクスは辺りを見まわした。とりあえず、今日はひとりではどうにもならないのだ。アインはいったいどこだろう?
「あー。それがね、アインは奥にいっちゃってるのよ。リューマムと一緒に。多分、暫く戻ってこないわね。だから……」
「アキコ。地下の封鎖は解いて構わないぞ。鎧竜は討伐隊が仕留めた」
戻ってきたヌンがベアトリクスの脇からずいと乗りだし、アキコに報告した。
そして後方を指差す。
見ると、地下への階段から巨大な大八車を引っ張っている一団がいる。
「アキコさん、討伐完了しました。魔獣知識教室が欲しがってるので、あの竜の屍骸はもらっていきます。構いませんよね?」
見たところ二十歳そこそこであろう女魔術師が小走りにカウンターにまで来ると、アキコに確認する。
大八車は階段という難所を越え、一階フロアに上がっていた。そこには巨大な鎧竜が括り付けられ、その前では軽鎧や全身鎧を身に付けた戦士や、ローブ姿の術師が整然と並んでいる。
その姿を確認するとアキコは満足げな笑みを浮かべた。
「いいわよ。あんなの邪魔なだけだもの」
「ありがとうございます。みんな! 許可がでたわよ。運んで~」
彼女が大八車の一団にそういうと、彼等は一斉にアキコに敬礼した。
その揃った動作は実に美しい。
「うわ。しっかりしてますね。さっきの連中と大違い」
「準守護者と餓鬼の違いだ」
相変わらず抑揚のない声でヌンが云った。
「なにかあったの?」
女魔術師が眉を潜めた。
「気にするな。また魔獣が出たら連絡する」
「えぇ。分かったわ。ヌンもお疲れ様。それじゃアキコさん、私たちは戻ります。報告書は明日、提出しますから」
女魔術師が一礼する。ニコニコと笑ってはいるが、その顔には疲れの色が滲んでいる。
「えぇ、ご苦労さま。今日はゆっくり休んでね」
「はい。ありがとうございます。それでは失礼します」
彼女は大八車のところへと戻っていった。
全長五ザスはあろうかという大きさの鎧竜を乗せた大八車が運ばれていく。
さすがにこの大きさだと一般の出入り口から出すことはできないため、閲覧スペースの閉め切ってあった大きな硝子戸を開いていく。
たちまち鎧竜のまわりには人の群れができた。
「あんなのも出てくるんですか?」
「あぁ。それも、あんなずんぐりしているくせに、実に素早い。おかげで連中は三日間寝ずにヤツを追いかけ回していた。相当疲れただろう」
ヌンの口元に笑みが浮かんだ。
「あぁ、やっと終わったのね。良かったわ。これで地下にも行けるってものよ」
アキコが安堵の息をついた。
「あれ? そういえば、あの騒音なくなりましたね」
気がつき、ベアトリクスが辺りを見まわした。今朝方響き渡っていた騒音は消え、いまはざわめきばかりが聞こえる。そして時折、奥からの悲鳴と歓声がそれに混じる。
「あぁ。あれもトラップブックのひとつだからな。開きっぱなしになっていたものを閉じてきた。また学生の悪戯だろう。書架の上に放り投げてあった」
アインも云っていたが、どうやら悪戯も後を立たないようだ。
きっと悪戯者を見つけて仕置くのも、ここの職員の仕事に違いない。
「あ、そうだ。ヌン、あなたこれからベアトリクスと一緒に仕事してちょうだい。一層の第一区画第一書架の整理。あそこは魔術関連の本だけにして、それ以外は引き上げてきちゃってほしいのよ。台車が物置にあるから、持って行ってね。はい。これ地図」
「待て、アキコ。なぜ私が?」
「本探しのほうがいいかしら?」
にこにことアキコ。
ヌンはがっくりと肩を落とした。
「わかった。整理を手伝おう。ベアトリクス、台車を取りに行くとしよう」
諦めたようにヌンは答えた。
果たして、ふたりは台車をガタゴトと押しながら、図書館奥地へ向かって歩いていた。
「ごめんね、ヌン。私のせいで」
「いや、御主が気にすることはない。ただ私は荒事専門で、そればかりをやって来たからな。いきなり違うことをするとなると、少しばかり不安なのだ」
「……うまく出来ないかもしれないってこと?」
ベアトリクスが問う。だが、ヌンはそんな融通が効かない様には見えない。
「いや、違う。あーゆー馬鹿者を野放しにすることになるということだ」
ヌンは足を止めると正面を指差した。ベトリクスは彼女の背からひょいと首をだし、そちらに目を向ける。
ひとつ先の書架で、無闇やたらに本を引っ張り出している男がいる。その幼さの残る顔から察するに、まだ十代だろう。
足元に敷かれた風呂敷には、十数冊の本が積まれている。
「……なにしてるのかしら? あれ」
「見ての通りだ。本泥棒の類だろう」
本泥棒って、あんなあからさまな。それに、本にどれだけの価値があるのだろう?
いや、稀覯本の価値というのは、私もちゃんと知っている。
でも、そういった書物は別に管理してあるハズだ。
だが売買ルートを知らなくては、稀覯本でもロクに売りようがない代物だし、盗品だとモノだけに足もつきやすい。
だいたいあんな無作為にバサバサと。あれはいくらなんでも価値がどうとかいうものではないだろう。
ベアトリクスの疑問を察したのか、ヌンが説明を加えた。
「この図書館にはかつて焚書にされた禁書の類はもちろんのこと、魔導書の類も無造作に置いてあるからな。見るものが見れば、わずか数冊で一生遊べるだけの価値ある代物をみつけられる。故に、本泥棒が後を絶たない。あれもその類だろう。かなり荒っぽいが、一応選んではいるようだしな」
ベアトリクスは目をぱちくりとさせた。
ということは……。
ベアトリクスは顔をしかめた。
「……それって無用心なんじゃないの?」
ヌンは口元に笑みを浮かべた。
「ここは迷宮図書館だ。私たちの許可無くして書物を持ち出すことなど不可能だ。すこし待っていてくれ。片付ける」
「か、片付けるって……」
ベアトリクスが問う間もなく、ヌンはスタスタと少年の元へと歩いて行った。




