其の参 4
「ほら、もう痕も残ってないよ」
メムがお腹をぺしぺしと叩いた。
確かに、みたところ傷ひとつない。
「そうはいっても、括ってある方程式に異常があるとまずいからね~。しっかり確認はさせてもらうわよ。……うん。大丈夫。問題ないわ。あとは中か」
ミディンは札をテキパキとメムの体に貼りつけていく。
印を組み、なにかしら呪文を唱えると、たちまち腹部の装甲が消えうせ、メムの内部の樞があらわになった。
人間でいう肋骨を思わせるものの周囲を、表面が網目状の管が規則正しくならんでいる。そして下腹部にはなんだか丸いものがあり、その周囲を得体の知れない樞が覆っていた。だがベアトリクスが想像していたよりも、そこは隙間だらけで、そして――
「うわ。何よこれ。酷いな~。いったいどうしたのよ?」
ミディンがメムの内部の有様に思わず声を上げた。
「泥被った」
のほほんとした調子でメムが答えた。
「泥?」
「うん」
「泥土の悪魔だっけ? このあいだトラップブックから召びだされたのよ。メムはまともに攻撃を受けて装甲に亀裂が入っちゃたから。そこから入りこんだんじゃない?」
アインがメムの代わりに答えた。たちまちミディンが顔をしかめる。
「悪魔って、そんなのまで出てくるの? うへぇ、さすが迷宮図書館。侮れないわね」
いいなから彼女はメムの体内を調べる。
しかし、まがりなりにも悪魔を侮れないの一言で済ませる辺り、彼女もまた只者ではない。
「むー。これは………ちょっとダメかな」
「……え? 酷いの?」
メムが心配そうな声をだした。
「ん? 異常はないわよ。けれど泥が……分解して洗わないとダメね。ま、動くのに問題はないだろうけど、そんなのあたしは嫌だし、メムも嫌でしょ。中が泥だらけって」
「嫌だ」
悲しそうな声でメム。
「じゃ、分解整備ね。四、五日かかるわよ。ちょっと待ってて。アキコさーん。メム、連れてきますねー。ここじゃどうにもなりませーん。あとで荒事専門のをひとり寄越しますから、それで凌いでくださーい」
「えぇ、そんなに酷いの?」
アキコが困ったような顔で司書室に飛びこんで来た。
「問題はないんですけど、体の中が泥だらけなんで、一度分解して徹底して洗います。四、五日くらいかかりますよ」
「あぁ、なんてことなの。それじゃ上級の魔獣が複数でたら……あ、そーだ。ヨッド! 【力の塔】へ行ってジョアン呼んで来て。確かいま暇なはずだから」
「行って来ます!」
奥で整備の順番を待っていた、緑色のエプロンドレスの自動人形が慌てたように立ち上がった。彼女の瞳は紫と黄色のツートンカラー。アメトリンだ。
「あ、ジョアンさん、いまいませんよ」
ミディンの言葉に、司書室から飛び出して行こうとしていたヨッドが足を止めた。
そしてアキコが慌てたようにミディンに詰め寄る。
「なんで? 戻って来てまだ十日のハズよ。こんな早く次の任務に――」
「ほら、ファル・ノークの麻薬騒動ですよ。なんだか子供にまで出回り始めたとかで、本格的に組織壊滅に塔が乗り出したみたいですよ。で、ジョアンさん、帰ってくるなりそっちに行っちゃいましたから。エンレラさんが云ってましたけど、ジョアンさんたち先週末に組織を壊滅させて、いまは残党狩りしてるみたいです。首領が逃亡中で、まだみつからないって聞きました」
ミディンが答えた。するとアキコは納得したようにポンと手をひとつ叩いた。
「あー。そうか。そういえばクラリッサも十日くらい前に、そっちに行くようなこと云ってたものねぇ。まいったなぁ。新しい子が来ても、すぐには使えないでしょう? ここのことを知ってもらうまでは」
「それは大丈夫ですよ。図書館の情報部分の記憶を複製して移植しておきますから。すぐに仕事に入れます。まぁ、この図書館についての説明をする醍醐味はなくなっちゃいますけど。……どうします? なんでしたら、移植しないで連れてきますけど」
ミディンが首を傾ぐようにしてアキコに尋ねた。
「醍醐味って……」
「アキコのささやかな楽しみよ」
あはは……は。
アインに耳打ちされ、ベアトリクスは乾いた笑い声をあげた。
まぁ、確かに、この図書館についてかけらも知らない者に、ここがどういう場所かを教えるのはきっと楽しいに違いない。
それこそいくらでも驚く顔をみることが出来るのだから。
実際、自分は今日いったい何度、驚かされたことか。
アキコは腕組みをすると難しい顔で天井を睨んだ。
そ、そんなに悩まなくても。
ふとミディンに視線を向けると、気が付いたのか彼女は楽しげな顔で肩をすくめて見せた。
「んー……いいわ。移植しないで寄越して」
「あはは。趣味が優先ですか」
「そのくらいの楽しみがないと、もうやってられないのよ~」
いうやアキコはミディンに抱きついた。
どうやらアキコには、抱きつく癖があるらしい。
「相当キちゃってるみたいですね。安定剤でも持ってきましょうか?」
「うー……薬はちょっとねぇ。エンレラの薬、効き過ぎるからちょっと怖いのよね。変にクセになりそうで」
「クセって……」
ベアトリクスが苦笑いを浮かべたまま呟く。するとふたりが瞬時に彼女に視線を向けた。
「な、なんですか?」
一瞬息を飲み、ベアトリクス。
「麻薬の類じゃないわよ」
誰もそんなこと思ってませんよ。
大真面目な顔をしているふたりに、ベアトリクスは少しばかりたじろいだ。
「それじゃハーブ飴をラメドに持ってこさせますね。喉にもいいですし、鎮静効果もありますから、多少は気分が落ち着きますよ。あ、ラメドっていうのがメムの代理ですから。ちょっと融通が効かない子なんで、そのあたりはお願いしますね」
「ラメドね。意味と象徴はなに?」
「意味するものは鞭。象徴するものは正義。……頭の固いあの子か」
アインが呻いた。おまけに笑顔まで消えている。
「どうしたの?」
「いや、ラメド、いわばアインの天敵なんです」
ミディンがアインの反応を見ながら答えた。
「あら珍しい。アインにも苦手な相手がいたのね。と、それじゃあたしは戻るわね。ベアトリクスもいらっしゃい」
アキコはベアトリクスの手を引いて司書室からでると、彼女を隣の席に座らせた。そしてじっと彼女の顔を見つめる。
「で、どうだった? 戦いのご感想は」
「いや、その、えと、私に勤まるんでしょうか? 私、荒事とかからっきしダメなんですけど。もし魔獣なんかと鉢合わせしたら、あっというまに……」
うぅぅ。
胸元で両手を握り締めて身震いする。
きっと自分なんか、抵抗する間もなく、頭から齧られて、一巻の終わりに違いない。
「あー。そうねぇ。それも考えないとダメか。しばらくは誰かと一緒に組んで仕事をしてもらうつもりだけれど、いつまでもそういうわけにもいかないしねぇ。あ、そうだベアトリクス。パティから聞いたけど、傀儡操士の才能があるって云われたのよね?」
「はい。なんだかよくわからないんですけど。傀儡操士ってなんなんです?」
ベアトリクスは問うた。
なにしろ昨日、初めて聞いた名なのだ。
「傀儡操士っていうのは、いわゆる人形使いのことよ。ゴーレムを自在に操る専門家ね。
サメクたちみたいな自律行動するゴーレムは特殊でね、本来ゴーレムは操られてはじめてまともに行動できるものなのよ。
で、ゴーレムなんだけれど、これは契約した者以外の命令は聞かないの。けれど傀儡操士は違うわ。契約の行われていないまっさらなゴーレムはもちろんのこと、主を失ったゴーレムであれば契約無しに操ることのできる者なのよ。達人ともなれば、他者の操るゴーレムを乗っ取ることもできるらしいわ。
……まぁ、いまの時勢じゃ、あんまり役にたたない技能ではあるけどね。戦争でもあれば別だけど」
「はぁ」
二千六百年前に勃発した八ヶ国大戦の時ならまだしも、国家単位での戦争でもないかぎり戦闘用のゴーレム、石像巨兵とか鉄騎巨兵の必要はないも同然だ。はっきりいって、あっても場所を取って邪魔なだけである。帝都にも数輛あるが、そのどれもがもはや街の巨大なオブジェと化していたるのをベアトリクスは思い出した。
確かにあんなデカブツを操るような必要性はまずないだろう。石切り場とかで岩石の塊を運んだりするのには便利だろうけど。
「そうね。あなたには傀儡を一体、持ってもらいましょう。あなたの護衛役ね。荷物を運ぶのにも役に立つしね。予算は図書館が出すから安心して。もし買い取りたくなったら、云ってくれればそうするから」
「はい、わかりました」
ベアトリクスは素直に返事をした。
正直なところ、ひとりでこの図書館内を行動するのは、あまりにも危険過ぎる。
となると、一般来館者は、どうやって本を探しているのだろう?
アキコさんに聞いてみた。
「もちろん自分で探しに行くのよ。もっともその前に、ここで本の在り処を聞いてから行くんだけれどね。あまりに危険な場合にはアインとかが探しにいくのよ。まぁ、見つかったとしても、早くて数日かかるんだけれど」
……なるほど。ということは見つからない場合もあるんだ。
というか、そっちのほうが多そうだ。
となると、この図書館の整理が急務であるというのは事実なのだろう。
とはいえ……二層整理するのに九十年。
ベアトリクスはなんだか気が遠くなってきた。
それからややあって、司書室からミディンたちが出てきた。
「点検、終わりました。また誰か手酷いダメージを受けた時には呼んでください。すぐ来ますから」
「ありがとう。ご苦労様。あともうひとつお願いがあるんだけど」
「あぁ、靴屋さんですね。いいですよ。いいところを紹介します」
アインから頼まれたのであろう、ミディンがベアトリクスに笑いかけた。
慌ててベアトリクスがお願いしますと頭をさげる。
「いえ、そうじゃなくてね。人形を作って欲しいのよ。ベアトリクスのサポートと護衛をしてくれるようなのを。ホラ、ここ危険でしょ」
「傀儡ですか? それは構わないですけど……。彼女のサポート兼護衛ってことは、人型がいいですよね」
「えぇ、そうなるわね」
ミディンは腕を組むと、首を捻って考え込んだ。
「自律型ですか?」
「自律型でなくてもいいわよ。多少あいまいな命令でも判別できれば問題ないわ」
アキコが注文をつけた。
「あぁ、よかった。自律型……というか、自動人形はまだ造る許可がでていないんですよ。……以前やらかしまして」
「やらかしたって、なにしたの?」
「なんというか、思考論理の組み方を人間そっくりにしたところ、問題が山ほど発生しまして。いろいろと厄介なことが」
「――良くない方向?」
「というより、ある意味最悪な方向ですね」
表情を曇らせてミディンが答えた。
「半自律型なら問題ないですよ。外見はどうします? 人間そっくりにします? それとも人形と一目でわかるようにします?」
「そうね……ベアトリクス、どうする? さっきも云ったけど、あなたの護衛みたいなものになるわけだけど」
「えっ?」
いきなり話を振られ、ベアトリクスが声を上げた。
「え、えと、護衛というと、鎧を着た騎士とか戦士ってイメージしかないですけど」
「って、ことみたいよ」
「鎧か。そういや鎧は作ったことなかったわね……」
ミディンが天井を見上げる。
「でも、まぁ、大丈夫か。わかりました。暫くかかりますよ」
「うん。いいわよ。ありがとう。あ、あと練習用の傀儡を貸してもらえる?」
「えぇ、いいですよ。それもラメドに持たせますね。それじゃ今日はこれで失礼します。じゃ、ベアトリクス。行こうか。道すがら、外見についても詰めるよ」
ミディンはそういうと、持っていたマントを羽織った。




