其の参 3
アインを先頭に指輪が作り出した魔法陣をくぐりぬけ、臨時討伐隊の面々とベアトリクスたちは図書館奥地から帰還した。
そこは受け付けカウンターのすぐ隣の壁。
ベアトリクスが確認するようにあたりを見まわすと、真っ先に目に入ってきたのは、まず図書館には絶対にあり得ない物だった。
それは、この看板。
本日の行方不明者 1人
重軽傷者 0人
死亡者 0人
ベアトリクスはもう、言葉もでない。
本当に、ここは図書館なのだろうか?
本が沢山あって、それを貸し出しとかしていれば図書館である。というような定義は、なにかしらの欠陥があるに違いないと、彼女は思いはじめていた。
臨時討伐隊の一団はふらふらになりながら図書館を出て行く。行き先は分かっている。塔の医療施設だ。
メンバーの唯一の女の子であった魔術師だけが、アキコに軽く会釈をしていった。
「挨拶も報告も無しなんて、なんて礼儀知らずなんだろ」
ベアトリクスが顔をしかめた。
もしこれがウチであったなら、母にいったいどんな目に遭わされるか……。
想像し、ベアトリクスは思わず身震いした。
「やれやれ、そんなに優秀なのかしらね。それにしてはまた、随分とボロボロだけど」
少しムッとしたようにアキコ。
やはり無礼な態度が気に喰わないようだ。
「それでアイン。どうだったの?」
「ちょっと使えなさ過ぎね。誰か実戦経験のある者と組ませないと死んじゃうわよ」
疲れたような口調のアキコに、アインが容赦のない意見をした。するとアキコはため息とともに、頭を抱えた。
「それがねぇ、ダメなのよ」
「どうして」
アインが目を瞬く。
「自分たちだけで大丈夫って云って聞かないのよ。ま、いま見た感じじゃ、口ほどでもなかったみたいね」
「あ~……それじゃリューが云ってた通りなんだ……」
ベアトリクスが苦笑いを浮かべた。
「どういうこと?」
アキコがベアトリクスを見つめた。アインは思い出したらしく、ニコニコしながらリューマムを見つめている。そしてそのリューマムはというと、もうすっかり忘れている様子。
ベアトリクスは肩をすくめた。
「身の程知らず」
その言葉にアキコは額に手を当て、天を仰いだ。
まったくもって、その通りなのだ。
「身の程をわきまえさせたらいいじゃない。前みたいに」
「それもちょっとダメなのよ」
アインが眉を潜める。
「どうして?」
「新任の塔の教官。えーと……トム? トマス? まぁ、どっちでもいいわ。それがね、云って来たのよ。お願いだから自信喪失させて、腑抜けにさせないでくれって」
「それは……なにか違うんじゃない?」
「いわないで、分かってるわよ。でも、どうにもならないでしょ」
アキコは再びため息をついた。
「ま、いいわ。次に顔を出しに来た時に、部隊編成については考えましょ。それでアイン。相手はどんなのだったの?」
「犬よ犬。こーんなにでっかいの!」
いままで黙っていたリューマムが突然大声で云った。
両手を一杯に広げていながらも、さらにどうにか伸ばそうとばかりに、プルプルと震えている。
「犬?」
「魔犬の類よ。体高二ザスくらいあったかしらね」
「あら、珍しく大型のがでたのね。死体は?」
「召喚系のトラップブックじゃなかったわ。幻影実体化の方よ。だからまた本に戻してきたの。死体処理の手間はないわよ。安心なさいな」
アインが請け合った。
「……絶対に図書館で起こる会話じゃないわね。これ」
ベアトリクスが顔をしかめた。
はたして、自分はここで働いたものなのだろうか?
というか、ちゃんと無事に働けるのか?
なんだか心配になってきた。
「でも幻影実体化って、上級魔導書の類じゃない。上層にもあったんだ」
「タグがなかったから見落としのひとつね。まぁ、わざと無視したもののひとつかも知れないけれど」
「あれ? トラップブックって、片っ端から確認してあるんじゃないんですか?」
アインの言葉に、ベアトリクスが思わず口を挟んだ。
これはどうしても聞いておかなくては。
一層と二層の整理は一度完了したと聞いた。ならば、トラップブックの確認も済んでいるはずなのだ。
つまり、すべてのトラップブックにはタグが貼り付けてあると、ベアトリクスは思っていたのである。
「ん。えぇ、確認はしてあるわよ。ただ、注意を促すタグをわざとつけていないものもあるのよ」
アキコがベアトリクスに答えた。
「どうしてです?」
「一応、防犯のひとつだから。手にすれば、ほぼ必ず開くことになるトラップブック。本泥棒対策にはもってこいなのよ。だから比較的安全と思われるものは、そのままにしてあるの。今回のは……まぁ、見落としでしょうけど」
「でなければ、トラップブックではなく、単なる召喚の類の魔導書だろう」
看板の数字を掛け換えていた自動人形が付け加えた。
それは今朝方、アキコを呼びに来たあの自動人形だ。
看板の重軽傷者数が4人となっていた。
「あ、えっと……」
「この子はサメクよ。事務関連全般を請け負ってるわ」
「意味するものは支柱。象徴するものは節制。真面目でつまんない子よ」
「つまんないは余計だ」
サメクがムッとした顔でアインを睨みつける。だがアインの笑顔にはかけらほどの変化もみられない。
「でも事実じゃない」
「事務仕事をどう面白くやれというのだ。歌でも唄えというのか?」
バチバチと火花を散らさんばかりにふたりが睨みあう。
「アキコさん、ふたり、仲悪いんですか?」
その光景を眺めながらベアトリクスがアキコに尋ねた。
「いーえ。見ての通りよ。喧嘩するほど仲がいいってね」
クスクスとアキコは笑っている。するとふたりは同じように口をへの字に曲げた。
「見苦しいところを見せた。私はサメクだ」
差し出された手を、ベアトリクスは握り返した。その手は、暖かかった。人形であるというのに。
「私はベアトリクス」
「そしてあたしがリューマム!」
いつものように、無意味にどこだかを指差して、リューマムが名乗った。
「あ、そうだ。アイン、ミディンちゃん来てるわよ」
「本当! よし、ベアトリクス。レディマスターに会わせるわ。そうそうアキコ、
レディマスターが帰る時、ベアトリクスも外に出すから」
「どうかしたの?」
アキコが怪訝な顔をした。
「靴よ。ベアトリクスの革靴だとここの仕事には向かないから」
「あぁ、そういうことか、うん、いいわよ」
アキコの了承を得ると、アインはベアトリクスの背中を押すようにしてカウンターへと入り、司書室へと向かった。
司書室の扉を開けると、ちょうど目の前の椅子に彼女は背を向けて座っていた。
栗色の髪を赤いリボンで束ねた女性。袖の無い白い上衣に、白いズボン。見るからに、活発そうな恰好をしている。
その彼女の前に、その彼女は背を向けて座っていた。
裸で。
羨ましくなるくらい、長くて黒いつややかな髪に、真っ白な肌。だが、もっとも目立つのは肩や肘、腰の関節部分。そこはまさしく人形であることを示していた。
そして背中は大きく口を開け、内部が剥き出しになっていた。
そこから見える複雑な樞にベアトリクスはなんだか目が回ってきて、思わず頭をプルプルと振った。
「おはようございます。レディマスター」
「ん、おはよう。ちょっとまっててね、アイン」
レディマスターと呼ばれた女性は工具を口に咥えたまま、器用にアインに答えた。
「うん。見たところ問題はないわね。なにか具合の悪い所はある?」
「なにも問題はない。好調だ」
「よし。それじゃこれで終わり」
そういうと彼女は、自動人形の肩や腰のあたりに貼り付けてある札を剥がした。するとたちまち背中一面に空いていた大穴が塞がる。いや、それだけではない。関節部分も人間のそれと同じように変じていた。
「はい。じゃ、もう服を展開していいわよ」
黒髪の自動人形は立ちあがると、胸のペンダントに手を当てた。すると、あっというまにペンダントの縁から溢れ出した鉛色の何かが全身を覆い、次の瞬間には、純白のエプロンドレスとなっていた。
所々黒のアクセントのある真っ白いドレスに、真っ黒なエプロンのエプロンドレス。
彼女の目は、髪の毛同様に真っ黒だった。
ブラックオニキスの目をした自動人形。
「手間を掛けた。感謝する」
抑揚の無い声で彼女が礼を云った。
「相変わらず愛想ないわね。まぁ、そうじゃないとヌンらしくないんだけど」
あきれたような口調でいうと、彼女はベアトリクスたちに振り向いた。
「あ、その恰好、あなた新人さん? あたしはミディンよ。いまは臨時でここの皆の整備を担当しているわ。よろしくね」
「あ。はい。私、ベアトリクスです。よろしくお願いします」
ベアトリクスは慌てて頭をさげた。
そしてミディンに少しばかり驚いていた。
アインがレディマスターというから、それなりに年配の人物であろうと思っていたのだ。だがミディンは若かった。
自分と同い年か、下手すると若いかもしれない。
「どうしたの?」
驚いたような顔をしたままのベアトリクスに、ミディンは怪訝な顔をした。
「いえ、なんでもないです」
「そんなにかしこまらなくていいわよ。みんな、あたしのことレディマスターだなんて呼んでるけど、あたしはまだ見習いの身だからね。そんな大層なものじゃないのよ。
あ、ヌン。あんたの得物。ソーマが新しいのを送ってくれたわよ。持ってって」
ミディンが腰に下げたポーチから、意匠をこらした金属製の小杖をヌンに投げ渡した。
「助かる」
「ヌンは武装ばっかり充実してくね」
「いまの武器は館内では扱い辛いからな。小さな物をお願いしたのだ」
ヌンが褐色の自動人形に答えた。
彼女はすでにミディンの前に座っている。
「それじゃ次はメムね。装甲を抜かれたんだって?」
「罅が入っただけだよ。……すぐに治った」
云いながら銀髪褐色の自動人形が、胸のブローチをいじった。
するとあっと云う間に、深紅のエプロンドレスが、そのブローチの中に吸い込まれてしまった。
ブローチは、いまはペンダントとして、彼女の首に掛かっている。
「うわ、便利」
「あれはメムとヌンだけの仕様なのよ。布に見えるけど、実際は魔法金属なの。なにしろ戦闘用でしょ。普通のドレスじゃ防御のものの役に立たないからね」
「それに本格的な戦闘には、ドレス姿では動きが鈍るからな。場合に応じて形を変じられる流体金属の鎧
は便利なのだ」
黒髪の自動人形はベアトリクスの前にまでくると、優雅な動作で一礼する。
「御主がアキコの云っていた新人だな。私はヌン。この図書館における荒事を担当している。以後、見知り置きを」
だがベアトリクスはぼんやりとヌンを見つめたままだ。
「どうしたのベアトリクス?」
アインが怪訝な顔をして、彼女の肩を揺さぶった。
「え、あ、あんまり綺麗なんで、つい見とれちゃって。ごめんなさい」
ベアトリクスが慌てて謝る。するとヌンの無機質な顔に驚いたような表情が生まれた。
「お、珍しいわね、ヌンがうろたえるなんて」
「う、うろたえてなどいない。何を馬鹿なこと」
「どもってるわよ、ヌン」
アインがにたりとした笑みを浮かべると、ヌンの口元が引きつれたように歪んだ。
「私は業務に戻る。あの騒音の原因を元に戻さなくてはならないからな。失礼する」
再び一礼すると、ヌンはそそくさと出ていってしまった。
「ど、どうしたんだろ?」
「さぁ?」
ベアトリクスにそう答えながらも、アインの顔にはいやらしい笑みが浮かんでいる。
「なにか気が付いたんでしょ?」
「ダメよ。だって、面白くなくなっちゃうじゃない」
……この人は悪魔だ。
ベアトリクスは改めて認識した。