其の参 2
アインの言葉に委縮し、ふたりの戦士は彼女に道を開けた。
彼女の雰囲気に呑まれるのは、ベアトリクスだけではないらしい。
そしてアインは、その巨大な魔犬と対峙した。
魔犬対黒メイド。
なんだか酷くシュールな光景である。
魔犬が威嚇するように吠える。
ぐぁぁ……
「えいっ」
がすっ!
ぎゃいん!
気の抜けるような掛け声と共に突き出された箒の柄が、吠えている途中の魔犬の鼻の下を直撃した。
図体に似合わない、犬らしい鳴き声を上げて、魔犬はアインから距離を取る。距離を取り、前に屈むような姿勢でアインに歯を剥き出した。
剥き出した歯の間から、涎と、焦げたような匂いが流れ出す。
火を吹くのよね。
ベアトリクスはアインの云っていた言葉を思い出した。
魔犬は一瞬仰け反ると、とがった歯の並んだ口を大きく開く。
たちまち赤と黒の入り混じった色の炎が吐き出された。
炎が戦士ふたりの盾に当たり弾ける。そしてアインは。
アインは、事も無げに炎をひょいと避けていた。
炎を避け、一気に間合いを詰めると、彼女はそのまま魔犬の背後にあっという間に回りこんでしまった。
「うわ。すごい」
ベアトリクスが目を見張る。
いつのまにか、もう震えは止まっていた。
「よいしょ」
アインは右手で尻尾を掴むと、ぐいと引っ張る。たちまち魔犬はたたらを踏んだ。
炎を吐き出し終えた魔犬が、この侮辱的な攻撃に対し、アインに噛み付こうと振りかえる。だが、いったいどれほどの力が加わっているのか、噛み付こうとしていた魔犬は、さらに尻尾を引っ張られて引きずられ、バランスを崩してしまった。
前足バタバタとさせてもがくもがく。
もちろんその隙をアインは逃さない。
いや、逃す逃さないではなく、彼女は最初からこうする気だったのだ。
「ほら! 犬は犬らしく、大人しくなさい!」
左手で箒を振り上げると、彼女は容赦なく尻尾の付け根に箒の柄を振り下ろした。
それこそ、ばしばしと、何度も何度も。
たちまち魔犬が狂ったようにギャンギャンと悲鳴をあげる。悲鳴をあげ、逃げようとアインに牙を剥くが――
「やー」
がすっ!
ぎゃいん!
振り向いたとたんに、これまた容赦無く鼻面に箒の柄をつきこまれる始末。
もう、あとは戦闘などではなかった。
一方的にアインが箒で犬をぶっ叩くだけ。
自分よりでかい図体の犬を箒で殴り付けるメイド。
……なんだか物凄い光景である。
ほとんど、云う事を聞かない番犬を叱りつけているようにしかみえない。
ややあって。
もはや最後の抵抗と、犬が後ろ足で蹴ろうとするが――
ぐいっとアインに再び握った尻尾を引っ張られ、べちゃっとひっくり返された。
そして容赦なくアインはバタバタしている犬に追撃を加える。
「たー」
がすっ!
ぎゃいん。
……なんでこんな気の抜ける掛け声なんだろ?
ベアトリクスが疑問に思う中、ついに魔犬は観念して床に這いつくばっていた。
「ようやく大人しくなったわね。まった手間を取らせて。さてと、この図体だと番犬にするにしても、でかすぎるわね。餌代も馬鹿にならないし、本に戻ってもらうわよ。ベアトリクス。多分、その辺りに落ちている本に、犬関係のタイトルの本があると思うから、ちょっと探して持ってきてくれないかしら」
「あ、うん。分かったわ。ほら、リューも手伝って」
「も、もう、怖くない?」
「大丈夫だから」
ふたりは本を落ちている本を漁りはじめた。もっともリューマムはタイトルの確認だけだが。
明らかに違うと思われるものは、ひとまず脇に積み上げる。
そして、一通り片付け、見つかった犬関連の本は一冊だけだった。
【犬の躾かた入門 超上級編:これであなたも名トレーナー!】
「……これ?」
ベアトリクスは唖然とした。
確かに、トラップブックはタイトルがその罠を示していると聞いた。
聞いたが、まさか、こんなふざけたタイトルの付け方はしていないと思ったのだ。
今回のこれは、そう【魔犬の脅威】とか、そういったタイトルに違いないと思っていたのである。
それが……。
えぇ……。いくらなんでも、これはないでしょう?
だが、他に犬関連の本は見当たらない。あるのは、害虫駆除に園芸関係の専門書、それに医学書に昆虫図鑑に恋愛小説といった類だ。
「これしか見当たらなかったけれど」
ベアトリクスが恐る恐るアインのところにまで本を持っていった。
「だ、大丈夫よね、その犬……」
ベアトリクスが問う。すると這い付くばっている魔犬が歯を剥き出し唸り声を上げ出した。
ガッ!
アインが箒の柄を床石に叩き付ける。途端、魔犬は腹を見せるように転がった。
「大丈夫よ。もしダメでも、あなたに噛み付く前に、頭を叩き割るだけのことよ」
恐ろしいことをさらっと云う。
やっぱり笑顔で。
ベアトリクスは乾いた笑い声を上げて、アインに本を手渡した。
「またふざけたタイトルねぇ」
呆れたような声でいうと、アインは無造作にページを開いて魔犬に本を押し付けた。
するとたちまち、魔犬は本に吸いこまれて消えてしまった。
「はい。これで終了。ちょっと持ってて。あ、開いちゃダメよ」
ベアトリクスに本を渡すと、アインはポケットから赤いタグを取り出した。二枚剥がし、一枚を背表紙に貼りつける。そしてもう一枚は、不用意に本が開かないよう封印するように表紙と裏表紙とを貼り付けた。
「これでよし。あんたたち、自力で帰れるかしら? ダメなら送っていくわよ」
アインがそういうと、臨時討伐隊の面々は情けなさそうに顔を見合わせ、こう答えた。
「……お願いします」
彼等がそういった時のアインの顔は、それはもう本当に楽しそうだった。




