其の参 1
「アキコ、ひと廻りしてくるわね。ついでに、アレも見てくるわ」
「あー。お願いね。あ、ベアトリクスとリューマムは巻きこまないでよ」
まだ開館前だというのに、もはや疲れきったようにアキコはカウンターに突っ伏していた。
「分かってるわよ。じゃ、いきましょう」
アインが後ろのベアトリクスとリューマムに、なんとも妖し気な笑みを浮かべた。
「アイン。アレっていうのは……アレ?」
ベアトリクスが苦笑いを浮かべながら、書架の向こうに目を向けた。
うわー。
ずごーん。
いまだに騒ぎは続いている。
「そう。アレ。上層は比較的弱い魔物しか召喚されないから、あの連中でも大丈夫だと思ったのに。予想以上に使えないみたいね。しょうがない、先にあっちを片付けましょ」
やれやれというようにアインが首を振った。
「あの連中って、誰?」
「塔の学生の有志。一応、成績優秀者のパーティよ」
リューマムに答えながらカウンターを出ると、アインは一階の書架へと歩を進める。
「そ、そんなに凄いの? 召喚される魔獣って」
成績優秀者のパーティであるのなら、それなりの力量を持っているはずだ。それがあの様ということは……。
「違うわよ。成績優秀者。だからといって、強いとは限らない。っていうことね」
え?
ベアトリクスとリューマムは目をぱちくりとさせた。
このウィランには魔術の殿堂たる【智の塔】、武器戦闘術の殿堂たる【剣の塔】、そして徒手格闘術の殿堂たる【力の塔】がある。その塔の学生、それも成績優秀者となれば、それこそ各国の騎士並の力を優しているというのが、ベアトリクスをはじめとする一般的認識なのである。
だがどうやら、それは事実ではないようだ。
「もしかして役立たず?」
リューマムが容赦無い問いをした。
「そこまでは云ってないわよ。ま、実戦経験の有る無しが問題っていうところね。そんなわけで、彼等は優秀だからこそ、ここで実戦経験を積もうとしたわけ。そしてあの有様」
あはははは。
ベアトリクスが乾いた笑い声を上げた。
「うん、そうか。わかったよ、アイン。身のほど知らずってことだね」
「いや、身のほど知らずってね、リュー。ちょっと微妙に違うと思うわよ」
胸を張っているリューマムに、ベアトリクスが云った。
「でもアイン。討伐隊は他にもいるんでしょう? アレは学生の有志なんだから、臨時の討伐隊なんでしょ?」
「討伐隊本隊は、地下へ行ってるのよ。変な鎧竜が本から召喚されて、いまだに捕まらないの。地下は上層とは比べ物にならないくらい厄介だから、学生さんたちに任せるわけにはいかないのよ」
「どうして?」
ベアトリクスが問う。すると、アインはゆっくりと振り向き笑みを浮かべた。
「……死ぬから」
だから、どうして「死ぬから」のところで、そんな風ににやぁって笑い方するの?
ベアトリクスの口元が引きつる。
果たして、彼女についていって大丈夫なんだろうか?
三人は既に書架の群れに足を踏み入れていた。
もはや前後左右、どこをみても整然と並ぶ書架しか見えない。時折、一瞬だけアインの姿が掻き消えたりするのは、話にあった空間転移の罠に掛かっているからだろう。この空間転移の魔法罠は、困ったことに、罠に掛かったという自覚をまるで感じない。
なるほど、これではますます迷うというものだ。
まったくもって厄介な。
書架を眺めてみる。
ほとんどの書架には、本はまばらにしか納められていない。
ここにくるまでに見た、例の赤いタグと黄色いタグの貼られた本は、四、五冊程度だ。
思っていたほど、トラップブックはたくさんあるわけではないようだ。
これでもくら……。
どがしゃ!
ぐあっ。
明らかな戦闘の音が聞こえてきた。もう、相当近くにまできたという証拠だ。
ベアトリクスは緊張に胸がドキドキしてきた。
戦いなんて、なにしろ生まれてはじめてのことである。
自分が参加するわけではないにしろ、恐らくは、今日ここで、間近に見ることになるのだろう。
「そういえば、戦闘用の自動人形が二体配属されてるっていってたけれど、アインがそのひとりなの?」
先ほどアインが云っていたことを思いだし、ベアトリクスが尋ねた。
「違うわよ。私は業務支援用。とはいっても、基本的には同じなんだけど」
「なにが違うの?」
「戦闘における思考論理くらいかしらね。とはいっても、これは対人戦闘にしか役に立たないんだけれどね。対魔獣戦闘となると、まるっきり別物だから。だから、まぁ、さして違いはないわね。あと、瞬間的にだせる力は、戦闘用のふたりの方が上かしら。こんな狭いところで魔獣相手となると、どうしてもパワー勝負になるときがあるから」
そういって、アインが不意に足を止めた。
「さてと、準備はいい? この隣の隣の書架の辺りよ」
アインが箒を手に、左の方に視線を向ける。
「びっくりして、気絶したりしないでよ。ここは、こういうのが日常な場所なんだから、魔獣に驚いてばかりいると、身がもたないわよ。とりあえず、今回は戦いを見て頂戴。それから、あとで、魔獣と鉢合わせしたときの逃げ方について説明するから」
「わ、わかった」
カタカタと足を震わせながら、どうにかベアトリクスが答えた。
だが、もはやリューマムはそれどころではない。
ごがぁぁぁぁ!
すぐそこに聞こえる魔獣の声に、すっかり怯えきっている。
かくして、三人はその書架から左へふたつ移動した。
そしてそこに目にした物は、酷い有様になった、ふたつの討伐隊八名の姿だった。
もはやまともに戦える状態ではなく、いまは防戦一方だ。全身鎧に身を包んだふたりが、身の丈に近い大きさの盾を前面に出し、仲間を護っている。
みたところ、誰も彼も、ベアトリクスと同じ年頃のようだ。
既に戦闘不能状態になっている四人を、魔術士の男の子と女の子が、魔法で応急処置をしていた。倒れている戦士の鎧には、いたるところに引っ掻き傷や、ところどころに穴が空いている。
ベアトリクスは、再び盾となっている戦士たちの方に目を向けた。
そして――
「で、でか!」
「な、なにあれ? 牛?」
リューマムとベアトリクスは目を丸くした。
ふたりが立ちはだかる向こう。そこには、まるで牛のような姿の黒い魔獣がいた。それも、牛といっても南方大陸にいるという、肩が盛りあがり、首と胴体が一体化したような姿のバドウ牛にそっくりだ。そしてもちろん、その大きさも。
バドウ牛は巨大な牛で、普通の牛の二倍近い大きさがある。
魔獣が下げていた頭をもたげた。
その、短い鬣のような茶色い毛を首に生やした頭は――
「い、犬?」
ベアトリクスは怖気た。リューマムにいたっては、ベアトリクスの髪にもぐりこんで、ガタガタ震えている。
「あー。魔犬ってヤツかしら? ヘルハウンドとかの類ね。確か、火を吹くのよね。また面倒ねぇ。ベアトリクス、少し下がって見てて。焦げると大変だから」
「こ、焦げっ?」
ベアトリクスは慌てて書架の影に身を隠した。身を隠し、首だけひょいとだしてアインの姿をみつめる。
「はい。ちょっと失礼するわよ。ほら、そこ。あけて頂戴」
アインはずかすかと倒れている連中の間を縫って前線にまでいくと、大盾を構えるふたりの戦士に云った。
「馬鹿を云うな! ひとりでどうする気だ!」
「いいからどきなさいよ。退治するから。あんたたちじゃ無理なんでしょ」
「人形ごときが何を云いやがる!」
戦士のひとりがアインを睨み付けた。
「あら、この私に意見するんだ? 役立たずのクセに。捻るわよ」
にこにことした笑顔とは正反対のトーンでアインがいうと、ふたりは真っ青になった。




