特典は「動物と会話できる」だけじゃなかったらしい
書きたてほやほや
私の名前は犬塚都緒。
犬塚家はこの日本という国で最大手の宝石商を営んでいるようだ。
いわゆる大企業というやつである。
開国時に曾祖父が手を出した宝石事業が大当たりし、それを祖父が支え、今現在父が手を広げているのである。
そうこうしている内に犬塚家は成金裕福層の最大手と成ってしまったらしい。
母は身体が弱く、私を産んだ産後の体力低下により没してしまったらしい。
子を産むだけで死んでしまうなど、人間はどれほど弱いのだろう。
とんでもない種族に転生してしまったと頭を抱えずには居られない。
少し落ち着いたらこの子供の身体を鍛えなければ。
身体作りに取り組むなら早めがいいだろう。
前世の記憶が戻った当初こそどうなるかと思われたが、良家の令嬢であったことと五歳児であったこと、『特典その二』に与えられた一般常識等が幸いして文字はある程度読むことが出来た。
私は関東の名家が通う光峰幼稚園に通っているのだが、今は春の長期休暇中なので屋敷に滞在している。
とはいえ一応は大企業の令嬢である
私はよく分からない習い事に追われていた。
「都緒様。ピアノレッスンの時間ですよ。何をそう嫌がっているのですか」
「だってなんだかよく分からないんだもん! なんでりょうほうのおててをべつべつにうごかすの! ピアノがひけることはえらいことなの!? やくにたたない!」
「役に立つ立たないではないのです、ある程度の音楽の教養は一流企業の令嬢として必須なのです。昨日まではあんなに頑張っていらしたではないですか」
「やだ、やだぁ! むつかしい言葉ばっかり! ともはるきらい! はなしてよぉ!」
「きら……、ともかくレッスンには出ていただきますよ」
現在絶賛逃亡中の私を廊下の突き当たりまで追い詰めたこの男は、秋田友晴。
お兄様や私とは違い地味な顔立ちの若い男で高校という教育機関を卒業したばかりらしい。
知佳が言うに、将来的に彼が大学校を卒業した後は正式な仕事として私の護衛につく予定だとか。なんだそれ。
一週間前に私が猫やカラスを呼び出したあの事件以来、一時的に私の護衛として側に居るのだが、彼の動きは素早く腕力もなかなかであり一度捕まると逃げ出すのは不可能なのだ。
ある程度頑張ってはみたが、縦長の白黒で目を混乱させるピアノはどうも私の性に合わないようだった。
だって、なんか、わけわかんないし。
右手と左手が別々に動いて鍵盤を押し込み音を奏でる、いや確かに講師の演奏は素晴らしいものだった。
前世はまともな音楽という文化に触れたことすら無かったのであの空間と時間の美しさに涙を流して感動もした。
なのでいっちょやってみるかと昨日までは真摯に取り組んではみたのだが、どうも記憶が戻る前よりも下手になっていた。
むしろ、練習すればするほど下手になっていたような……。
ようなというか確実に。
だから私はこう判断を下したのだ。
これは、私には、合わない。
友晴の腕が伸び、手加減をして私の肩を掴んだ。
まずい、こうなるともう逃げられない。
私は大きく息を吸った。
「ともはる!」
彼の眉がぴくりと上がる。
「みゃおは、私は、きのうまでとってもがんばりました! でもだめだった! 私はピアノがにがてみたいです、ほかのならいごとはないのですか!」
私の努力を側で見ていた友晴だからこそ、一瞬だけ躊躇した後にゆっくりと口を開いた。
「……例えばどのような」
「何があるのかわかんないけど、からだをつかうことがいい……うんどう……」
「なるほど、日本舞踊やバレエは可能かもしれませんね」
「ぶようとばれえは戦えること?」
「…………いえ、踊ったりするのですが」
「おどるの? 何のために? いみがあるの?」
「むしろ何のために戦うのですか」
「つよくないと、こまるでしょう?」
いまいち友晴との会話がかみ合わないので首を傾げる。
知春はまだマシだが、兄など私(2)よりも2つ年上なのにまともに身体を動かす事も出来ないのだ。
この間、無駄に広い庭でかけっこして圧勝した時は呆れたものだ。
兄の護衛である甲斐幸之助は友晴よりも体格が良いので彼に任せておけば安心なのだろうけど……。
「こうげきされたとき、やられっぱなしじゃこまるわ」
「やられ……、都緒様、一体どこでそういった言葉遣いを学んで来るのですか……。幼稚園が問題なのだろうか。いやしかしあそこも名門庶子が通っていますし……」
私の言語はこの世界のものとあちらの世界の口調が混ざり、ここではまだ知らないはずの単語を何故か知っていたりする。
前世を思い出した時は混乱して幼児らしい言葉遣いだった気もするのだが、頭がはっきりするにつれ、知佳と知子の会話に出てくるような、幼児には難しい単語が理解出来るようになったのだ。
けれどそのことをどう説明したものか。
曖昧に笑ったその時、廊下の奥から女性の悲鳴が聴こえた。
「ひゃっ。もう、やだぁ」
見知った女性、知佳の声に反応した私は顔をそちらへ向け、おもむろに走りだす。
「都緒様?」
友晴は即座に私の後ろを追って来た――のだが、追いつく気配は全くない。
兄もだが、まさか体格で差が出る友晴ですらこんなに遅いだなんて。
本当に私の護衛が勤まるのだろうか。
「都緒様、お待ちくだ」「おそい!」
あまりにもトロいので振り向き一喝すれば、友晴は明らかにショックを受けた表情を浮かべた。
うむ、これを機に身体を鍛えるといい。
人間の18歳がどれほどのものなのかは知らないが友晴は敵を退けるには少し細すぎる。
長いが都緒には短い廊下の一番奥、閉ざされた部屋に知佳の姿はあった。
「ちか!」
私が扉を開け部屋に駆け込めば、知佳がまん丸に目を開いてこちらを見た。
「都緒様!? いかがなさいました?」
「どうかしたのはちかでしょう」
そこで、ようやく友晴が追いついた。
「都緒様、このような倉庫になぜ……、あれ、知佳さん?」
「友晴くん。なぜ都緒様がこちらへ?」
「それが、突然走っていかれまして、私にも何が何だか」
答えを求める2つの双眸を、私はきょとんと見上げた。
「ちかの声がきこえたからでしょう?」
この倉庫は私達が居た廊下の一番端にあり、女性の高い声であれば届かない距離ではない。
悲鳴があれば駆けつけるのは当然ではないのか。
しかし知佳は少し顔を赤くさせて手を口元へと持って行った。
「そんなに大きな声を出したつもりは無かったのですが。申し訳ございません」
「私と都緒様は庭への出入り口、倉庫から25mほど離れた廊下に居たのですが、……それほど大きな声を出されたので?」
「いいえ、そんなつもりは。倉庫の前に居れば辛うじて聞こえたかもしれませんが、扉も閉めていましたし……」
混乱した2人の視線に都緒は首を傾げる。
「みみがわるいのね?」
「いえ、都緒様が良すぎるのかと」
それはあり得ない。
獣人であった頃はもっと細かな音が拾えたのだから。
「ちがうよ。だって、みゃおにはどこにだれがいるのかとか、だれがこっちにくるとかしかわかんないもん」
「誰がいるのか……」
「誰が向かってくるか、分かるのですか?」
「うん。みんなくつの音がちがうもん。ともことちかは同じくつだからむずかしいけど、ちかのほうがはやくてともこのほうがゆっくりしてるよ」
この屋敷は石とはまた違う物質で造られてはいるが、硬質なので音の響き方で上下左右のどこに居るのかは把握出来る。
部屋へと入ってしまえば床に引かれた絨毯で音は消されるし、ピアノのある部屋には防音なる加工がされていてあの中へと入ってしまえば気配すら追えなくなる。
私の話しを聴く2人の顔に表れているのは明らかな困惑だ。
もしかして、この聴覚は人間には備わっていないものなのだろうか……?
いやでも私にとっては獣人に遠く及ばないものなのだけれど。
私は眉を下げて2人を見上げた。
「みゃお、へんかなぁ?」
如何に屈強な身体と鋭敏な感覚を持っていたとしても、いやだからこそ、獣人は頭を動かすことが苦手だ。
私もそのご多分に漏れず頭が悪い。
むしろ筆頭と言うべきだろうか。
しかし“声”は言っていた。
「貴女が次に転生する世界にその能力が無かった場合は貴女を中心に大騒動になる」「それはもう全世界を巻き込んで大波乱の可能性もある」と。
私は頭を動かすことが苦手だ。
思ったことは全て口から出してしまいたいし、じっと座って出されたジュースを飲んでいるくらいなら自らの足で果実をもぎ取り齧り付きたい。
――ここで出される果実のジュースは絶品ではあるのだけれども。ジュースどころか出されるもの全てがとてつもなく美味なのだけれども。
昨晩のチキンソテーの味を思い出し、思わず口内に涎が広がる。
って今はそんな場合じゃないんだった。
知佳と友晴は眉尻を下げて互いを見合わせる。
やがて嘆息した知佳が、しゃがみ込んで私の両肩に手を置いた。
私を覗き込む瞳の色は少し薄く、しかしそこには慈愛の色が濃く映る。
「変ではありませんよ。都緒様は素晴らしい才能をお持ちなのですね。私も友晴くんも、凄くて素敵なことだと思っています。ですが、それは私たちが都緒様のことが大好きで、良い子だというこをよーく知っているからなのです。でも」
知佳は少し逡巡するように視線を彷徨わせた。
言うべきか否か迷っているのだ。
私はこの世界を賢く生きねばならない。
だから目を反らさなかった。
視界に影がかかる。
「失礼します」と言われて顔を上げれば、友晴が優しく私を抱き上げた。
「都緒様、怖いものはありますか?」
初めて見る友晴の柔らかな笑みに、私はぎゅっと目を顰める。
「ピアノ……。あとけんばんとがくふ……」
「そ、うですか。そんなにですか……。まぁそうだとして、ピアノの何がそんなに怖いんですか?」
「何をしてるのか、わけが分からないところ」
「そうですね。理解出来ないこと、分からないことは怖いんです。私も含めてきっと多くの人にとって都緒様の耳は『理解出来ないこと』ですが、私は都緒様が好きなので怖くありません。でも、もし都緒様のことすら知らなければ、どう思うでしょう?」
知らない人に理解の及ばない能力が備わっている。
それはきっと、とても恐ろしいことだ。
“私の集落”に紛れ混み、許嫁を奪った人間の娘のように。
――そう、私はあの娘が怖かったのだ。
怖くて、憎くて。
だからその存在を排除した。
「こわい」
友晴はほっとした顔をする。
「そう、みんな分からないものが怖いんです。だから都緒様は変じゃありません。そんな悲しそうな顔をする必要もないんです」
別に自分が変だということに傷付いた訳ではないのだが、彼らにとっては否定され傷付いたように見えたのだろう。
私が「うん」と頷けば、和やかな空気に包まれた。
……私はただ、この力は異質なのかを問うただけなんだけれど。
いや、うん、だが、この聴覚が人間として異質であるということは明らかなようなので隠した方が良いだろうということは分かったので気をつけよう。
納得のいった私の表情に満足げに頷いた友晴は、抱き上げたまま倉庫を後にしようとしたので私は慌てて腕から逃れようともがく。
こちらの意図に気付いた友晴はそっと私を床に下ろした。
「ちか、なんでおっきな声を出してたの?」
そう、すっかり忘れていたのだがこちらが本題である。
知佳はとても言いにくそうに逡巡したが、見上げる私の瞳に小さく嘆息し「この様なお話は都緒様の耳に入れるべきではないのですが」とい前置き説明してくれた。
どうやらこの倉庫にネズミが出て、驚いて声をあげてしまったらしい。
この倉庫には食料を置いているわけではないので、ここに出るということは地下の食料庫には更に居るだろうとのことだった。
「駆除を依頼しなければなりませんね」
「そうね。早めに今日以内に来てくれるといいのだけれど。嫌ねぇ、この間お願いしたばかりなのに。こんなに広いとすぐに住み着いちゃうんだから」
確かにこの屋敷ほどの広さやがあれば奴らにとっては楽園のようなものだろう。
しかし仮にもこの私の領域を住み家にしようなどと……。
少し侮りすぎではないのだろうか。
私は良いことを思いついたように目を輝かせ、知佳を見上げた。
「みゃお、ねこがほしいなぁ」
突然変わった話題に知佳はきょとりと目を丸くする。
「猫、ですか」
一週間前の野生動物包囲事件以来、友晴は動物に対してあまり良い顔をしない。
児童向けの動物紹介テレビ番組などにすら怪訝な表情をしているのだ。
「テレビで見たよ。ねこはネズミとりがとってもじょうずだって」
「それは訓練すればそうかもしれませんが……。しかしネズミ捕りを躾けた猫を飼うだなんて悪評もいいところですし、旦那様がなんとおっしゃるか……」
「じゃあね、このへんでいちばん狩りがとくいなねこに、ペットになってっておねがいすればいいんだよ。お父さまはあんまりうちに居ないんだから、かえってきたときだけかくれてもらえばいいの!」
「そうですねぇ、それが可能ならば……」
前世のことを思い出したあの日。
同胞たちを呼び出して以来、知佳か友晴の誰かが常に側に居るようになった。
私から目を離さなくなったのだ。
その過ぎる過保護には正直辟易としていた。
人間の寿命は長い。
何せ20~30歳で死んでしまう獣人の2倍以上あるのだ。
これから先ずっとこうなる可能性を考えると、頭がおかしくなりそうになる。
前世は限りなく自由だったから。
なんせ集落で最も強かったのだ、誰も私の行動を妨げることなんて出来なかった。
とにかく、私が呼び出す同胞に危険はないということを彼らに伝えなければならないと、そう思った。
「できるよ。このまえもみんないい子だったでしょ。みゃおはね、どうぶつとおはなしできるから。ひみつだよ?」
これは賭けだった。
彼らが一蹴するにしろ何にしろ、私は本当に動物と会話し、場合によっては従属することが出来るのだ。
今は子供の思い込みだと思われても、長く共に居ればいずれバレる時が来る。
身内に対して隠しているよりはおおっぴらにしておく方が生きやすいだろう。
それにこの間、鳥獣達の整列を見せたところである。
知佳も友晴も、予想通りの困惑顔だ。
不自然に集まったうえ、私の命令に従う鳥や猫を見たのは記憶に新しいだろう。
廊下に出た私は、小さな手でガラスの向こうの庭を指した。
二人も静かに付いてくる。
「おそとには出ないから、ここからねこをよんでもいい? いっぴきだけならだいじょうぶでしょう?」
私の力が本物だったと分かった時、2人は恐れて離れていくか、それでも側に居てくれるか。
それが私の賭けである。
私から離れて行ったとして、その先で私の情報を漏らされるのはあまり良い事だとは思えない。
この世界の常識で、人間と動物は、想いを通わすことは出来ても会話など出来ないのだ。
獣人と関わり信頼関係を得た動物は、ヒトに近い知識や感性を得ることになる。
記憶を取り戻して一週間、テレビ等から様々な情報を得たが、それは限りなく非常識なことだろうということは理解出来た。
もしこの情報が外に出てしまい少しでも興味を持った輩が集まってしまえば、きっと私は大変不自由な人生を送ることになるのだろう。
だが、2人はどうやら非常識だったらしい私の聴覚のことを知り、とても優しい反応をしてくれた。
獣人と獣の従属は信頼から成る。
懐に入れたいのならば、信頼を寄せることが大切なのだ。
まず疑ってかかるのは愚行である。
私はこの2人を信用する。
2人の懐に私が入り、私の懐に2人が入るのだ。
「みてて」
私は意識を外へ向ける。
複数の獣の気配がある。
しなやかで気まぐれな気配。
猫だ。
その中でも特に安定した猫に対して、ピンポイントで呼びかける。
《この間の三毛猫だな、ちょっと来てもらえるか?》
どうやら塀のすぐ向こうで寛いでいたようで、猫はすぐに応じてくれた。
ひょいと表れた三毛猫に、知佳と友晴の呼吸が浅く乱れた。
三毛猫はガラスを隔てたすぐ側まで寄り、なーごと柔らかな声を出す。
《この間の女の子じゃないか。また呼んでくれるとは嬉しいねぇ》
《私も嬉しいよ。すぐに来てくれてありがとう》
《またあなたに呼んで欲しくて近くに居たんだもの。今日はどうしたの、お腹を撫でてくれるのかい?》
三毛猫がごろりと転がり、背中を地に擦りつけながら白いお腹を見せつける。
あそこに手を埋めれば、さぞかし幸福な気持ちになるのだろう。
獣人だった私はどちらかと言えば現代でいう虎や猫の形に近かったので、その温かさを良く知っている。
人間の手のひらはとても敏感で、あんなに気持ちの良いものだとは分からなかったけれど。
《それも魅力的なんだが、今日は頼み事があってな》
《ふむん? 一体何だろうね》
ここからは知佳と友晴にもわかりやすく、声に出して言うことにする。
今の状況では、私と猫が見つめ合ってるだけにしか見えないだろう。
「《えっとね、このちかくにいるねこで、いちばん狩りがじょうずな子とおはなししたいの》」
《お安いご用だねぇ。あいつはすこし若くて無鉄砲だけど、いいかい?》
「《うん。そっちのほうが、みゃおもたのしいよ》」
《少し待っておいで》
言うなり三毛猫は塀の外へと消えて行った。
「ね、ちゃんといい子だったでしょ?」
私の問いかけに、大人二人は開いた口も塞がないままに頷いた。
知佳は困惑しながら両膝を廊下に付き、私と同じ目線に降りてくる。
「都緒様は、いつから動物とお話できるようになったのですか……?」
五歳になる私は、幼稚園へ行く意外に外へ出ることはない。
父親はあまり子供に興味がなく、どこかへ連れて行かれた覚えなど殆どない。
外出するにも車が基本であり、動物と触れ合う機会など無かったのだ。
一週間前のあの日までは。
そのことを一番よく知っているのは、私の世話係として常に側に居た知子と知佳である。
前世のことを言うべきか否か。
それを判断するのはこれが最後の場面になるだろうことを予感しながら、私は大きな頭をコテンと傾けた。
前世を思い出したあの時より、彼女達が甲斐甲斐しく世話を焼いていたあの子供はもう居ない。
元より私ではあったけれど、あれは今の私ではなかった。
ただの幼児であった記憶は確かにある。
だが、それだけだ。
「貴女達が大事に育てていた子供はもう居ない」と言いわざわざ悲しませる必要はないだろう。
私は獣人だった。
亜人は人間とは違い、嘘が苦手なのだ。
だから嘘を吐く必要はない。
ただ、頭を傾けるだけ。
集中して、決して気取られないように。
唇がヒクリと動く。
……人間って凄いな。
何故ああも平然と嘘を吐けるのか……。
私には無理だ。
知佳は顎に手を当て困ったように私を見たが、友晴は私の瞳を覗き込んだあと、何かに気付いたように目を見開き、溜息を吐いた。
……何なのだろう友晴のその反応は……。
不自然なことはしてない。はず。なのだけれど。
思わず友晴から目を反らしてしまう。
野獣囲まれ事件からこちら、私の側には知子や知佳ではなく友晴が居ることが多くなった。
ピアノのレッスンからの逃亡やピアノレッスンからの逃亡等、逃げた私を捕まえるのは友晴の役目な訳なのだが、その回数が重なるごとに捕らえ方に手加減が無くなっているような気がしないでもない。
誰が護衛先の令嬢に、歩き始めの幼児用である天使の羽根と紐付きのリュックを背負わせるというのか。
知子と知佳は大喜びだったけれど……お兄さまには失笑されたけれど……。
嘘は難しいのではぐらかそうとしたのだが、それすら私には向かなかったようだ。
なんだかとても後ろめたくて、自分が悪いことをしたみたいで悲しくなる。
幼児の身体は感情に素直だ。
目頭が熱くなったかと思えばすぐに瞳が潤み出す。
涙がこぼれ落ちる寸前、身体を浮遊感が襲った。
友晴に抱きかかえられたのだ。
「犬塚家の令嬢たるもの、この程度の質問くらいさらりと躱せるようになりましょうね。今はいいのですけれど、今後はね」
ポンポンと背中を優しく叩かれる。
友晴は温く背中を打つリズムも優しくて、悔しいことにとても安心してしまう。
涙腺が崩壊するのは一瞬で、私はなるべく音を立てないように友晴の肩に水分を押しつけた。
友晴は文句も言わず何も聞かず、ずっと背中を撫でてくれた。
身体が細すぎて頼りないと思っていたことは撤回してもいいかもしれない、と私は思ったのだった。
ほやほやって言葉可愛くないですか?
日本語かわいい。