悪役令嬢転生って文字数多くない?
お試し公開
とけいっていうのがとりさんのこえをだしたらおひるごはんだよーってよんでるんだって。
きょうはみやおのたんじょうびだから、よるごはんはみんなでいっしょにたべるの!
おひるごはんのつぎはよるごはんなんだよ。
とってもたのしみ!
とりさんのぴよぴよぴよってかわいいこえといっしょに、しらないこのこえがきこえたよ。
「それでは、ゲームスタート! です!」
そうして私は全てを思い出した。
この異世界に、悪役令嬢転生なるものをさせられたのだということを。
この幼い身体の、前世とは打って変わった拙い均衡感覚と低い視界に酔った私は、尾で支えようと後ろに倒れたところそのままこてんと転んでしまった。
尾が、ない――?
持っていた木細工の玩具を取り落とし、自分の手のひらを見る。
目に入るのは柔らかく小さな手だ。
手どころか体中、毛は頭部意外ほぼ無いようなもので、丸い爪は出そうと意識するまでもなく丸見えの状態だ。
ヒゲもないので湿度を的確に感じることも出来ないし、鼻と耳に至ってはほぼ機能していないようなものだ。
なぜこの種族がこんなにも無防備な生物に成ってしまったのかが理解出来ない。
玩具を取り落とした音に気付いた女性が部屋に入って来た。
「都緒様!?」
今生での名前を呼びながら駆けつける女性など気にしてる余裕など私にはない。
この世界に生まれて五年目の私は、そのまま意識を手放してしまった。
* * *
誇り高き獣人族の部族長の娘。
獣人族の中で鳥獣との意思疎通が最も得意で将来を期待されて、いずれは族長に成ることが決定していた。
同時に他者を貶め殺し、部族に批難され、集落から追放された愚かな獣人。
それが私の前世である。
魔物の森で息絶えたはずの私が次に目を覚ましたのは、何もない空間だった。
天がない。地もない。
四方は真っ白で、自分がまっすぐに立っているのかさえあやふやだった。
頭の上に生えている、灰色の耳の先からヒゲの先、地に付くほど長い尾の先までの全神経を研ぎ澄ませれば、どこからともなく声が響いた。
「初めまして、悪役令嬢の皆様。この度、めでたいことにあなた方が悪役令嬢転生者として選ばれました! わーいぱちぱち~!」
直接頭に響くような違和感に、耳の先を細かく動かした。
声の正体を探すが周囲から生き物の気配は無い。
不気味さに自然と尾が膨らむ。
「神はいろんな世界を管理するのが仕事なんですが、神が干渉するほどの事件なんて滅多に起こらないんですよ。暇で暇で全世界達の書物を読み漁ってたんですけどね、最近は悪役令嬢転生モノにハマってまして、まぁ神の速度で読み漁ったんですがそれももうほぼ読み終わっちゃいましてね? そんでまた暇になったんですけど~、そうだ! って思ったんです」
それは少女の声か少年の声か。
変声を迎えない子供特有の幼いものだ。
私には知らぬ言葉が多く、ソレの発言の殆どが理解できない。
「悪役令嬢っぽい子達を全世界で経過した時代からかき集めて異世界転生させて、新しい物語を観察すればいいんじゃね? って。神って天才ですよね! そう思いません?」
冷静になれと自分に言い聞かせる。
狩りでも冷静を欠いた者から死んで行くのだ。
何せ森から出たこともない獣人である、部族の中では言葉達者な方ではあったが、迷い込んで来たあの人間の娘ほどではない。
人間の娘の顔や柔らかな肌が浮かび、私は固い肉球に爪を食い込ませた。
「貴女達は神が選りすぐった、悪役令嬢の素質をもつ女性達です! 愛する者の為ならば何だってする、そう、愛する者の想い人すら殺してしまえる情熱の持ち主です! そんでもって断罪された女性達なのです!」
そうだ、私は殺した。
私の許嫁の心を奪った人間の少女を。
身を守る硬い毛も無く、許嫁の隣で無防備に裸で寝転がる少女の胸をこの手で突き殺した。
ただ気配を絶ち、手を突き出すだけで人間の身体はいとも容易く壊れてしまった。
「神は貴女達が好きです。とても気に入りました。なので次は貴女達が主人公のお話が見たい! とはいえ何にも無い人生はつまらないので~、いくつか特典を設けています! いわゆるチートってやつですよ。いやぁ楽しいですね~わくわくですね~!」
得られぬのならば彼の愛を奪ってしまおうと思った。
もし死ぬのならば彼に殺されたかったから彼女を殺したのだ。
しかしそれは叶わず魔物の棲む森に追放された私は、何故か魔物までもを従えてしまい結局寿命を迎えたのだが。
「特典その一は、その世界の基本知識です。なぜそんなものが必要なのかというと、それには特典その二が関わって来ます。
特典その二は、前世の特殊能力や知識をある程度持ち越せることです。魔法使いなら魔法が使えますし、超能力者なら超能力が使えます。まぁ貴女が次に転生する世界にその能力が無かった場合は貴女を中心に大騒動になるので基本知識に則って使い所を考えることをオススメしますけど~。それはもう全世界を巻き込んで大波乱の可能性もあるので貴女の判断にお任せしますよ!
特典その三はですね、貴女方が好きになる相手にはとーっても大切な女性が居るってことですね。それも可愛くて性格も良い、いわゆる正ヒロインってやつですよ。うんうん、良い展開ですね~ドラマですね~!」
全身緊張しているはずなのに、スゥと意識が遠のき始める。
「というわけで、各自お好きな方法で想い人の愛を勝ち取ってくださいね! 前世は上手くできなかったけど来世こそ誰にもバレないように虐めて貶めて奪い取るも良し、性格美人になって想いを傾けるもよし。神は口出しせずに見てますよ。ずーっとじーっと見てますよ」
遠ざかっていく意識。
恐らくこれは“神"による強制的な物だろう。
結局“神”の言いたいことの半分も理解することが出来なかった。
まず“あくやくれーじょーてんせー”とは何なんだ。
「何度だって言いますが、神は貴女達が好きですよ」
えらく優しい“声”を最後に、獣人としての記憶は途切れてしまった。
* * *
覚醒と同時に目を開けば、そこは見慣れた自室だった。
誰も側に居ないところを見るに、倒れてからそれほど時間は経っていないようだ。
この身体に転生して既に五年目。
元々本能に身を任せ直感的に判断する性格だったので、戸惑いは少なかった。
冷静に自分の状況を判断し、両手を使って起き上がる。
支えが無ければ上半身を起こす事すら困難だなんてと溜息を吐くが、周りの大人達は自分よりも高い等身なので成長するにつれマシにはなるだろう。
落とした玩具を広い立ちあがった。
慌ただしい足音が近づいて来たかと思えばドアがバンと開かれ、先ほど駆けつけてくれた女性と年配の女性が入って来た。
「都緒様!」
「都緒様、お加減はいかがでしょうか」
記憶を取り戻すまでは何を言っているのか理解出来なかった年配の言葉だったが、今となってはすんなりと入って来る。
自称神の何かしらの力が働いているのだろうと辺りを付けた。
「だいじょうぶ。ねむたかっただけなの」
なるだけいつも通りの言葉で答えた。
若い方の女性が近づき、私の後頭部や額や首を触り何かを確認する。
「コブや熱はありませんね。喉や頭は痛くないですか? どこも痛くありませんか?」
「いたくないよ」
「隠しちゃ駄目ですよ。本当の本当にどこも痛かったり動かしにくかったりしませんか?」
「うそついちゃだめだってちかとやくそくだもん」
「ええ、そうです。都緒様はいい子ですね」
知佳とはこの女性の名である。
常に私の側に居るのだが、もしや私の母親なのだろうか。
しかし母親にしては挙動がおかしいと“特典その一”で与えられた知識が教えてくれる。
常に側に付いているのだが寛ぐ様子は一切なく、私の世話ばかりを焼いている。
自身の名を私に呼ばせているところを見るに、世話役なのだろうか。
確か人間の貴族にはそういった役回りの者が付くのだ。
ということは、私の生まれたこの家は地位が高いということか。
考えながらも私は知佳と目を合わせてあどけない笑顔を向ける。
獣人族であった頃の記憶は取り戻せたが、思考と言動がいまいち一致しなくて奇妙な感覚がある。
獣人であった私とこの世界に生まれ育った五歳児の私が混ざりきらずにいるような違和感だ。
「ですが、一度旦那様に報告してお医者様に見て頂きましょうね」
知佳が側に居た年配の女性に目配せをすれば、彼女は満足そうに頷き部屋から出て行った。
よくよく見れば知佳とよく似た顔立ちをしている。
この2人こそ本当の親子なのだろう。
お医者様。医者。
人間の身体は脆弱なので、異状が合ったときにそれを治す職業があるらしいというのは知っている。
だが、少し頭をぶつけた程度で医者が必要なのだろうか。
人間はこの程度で死んでしまう生物なのだろうか。
基本知識からそうではないことは分かっているのだが、なんとなく心配になってしまう。
「みゃお、しんじゃうの……?」
幼児の舌では「みやお」という名前は発しづらく、自然と「みゃお」という発音になってしまう。
知佳は私を心配させないように「いいえ」と優しい笑顔を向けてくれた。
「都緒様は十分お元気ですし大丈夫だとは分かっているのですが、私どもがどうしても心配なので念のためにお医者様に罹って欲しいのです。お医者様は嫌ですか?」
首を傾げる知佳に、ふるふると首を振って返す。
「こわくないよ!」
「ふふ、ならすぐにお医者様をお呼びしますね」
自分よりも小さく弱い子供相手に、しゃがんで目線を合わせて安心させるような笑顔を向ける知佳に好意を感じずには居られない。
この人が好きだ。
そう思うと、身体が勝手に知佳を抱きしめた。
以前の自分はもっと高慢で意地っ張りだったので、感情を直接言動に出せる今の自分はなんとなく居心地が悪い。
知佳は小さく笑い声を上げて私の背中を優しく撫でた。
獣人の人生の後半は魔物と呼ばれる獣達と共に在ったので、人の温度が心地良い。
どうせこの身体は五歳児なのだからと羞恥心に蓋をしてくっついていると、廊下から幼い足音が聞こえてきた。
おどおどとした不自然な足音にピクリと反応して顔を上げる。
扉に目をやると、ひょっこりと顔を出したのはふたつ年上の兄である京太だ。
抱き合っている私たちを見て可愛らしく首を傾げた。
「京太様。いかがなさいましたか?」
なんとなく私が身体を離せば、知佳は佇まいを直してお兄様へと向き直る。
「大きな音がしたので、何かあったのかなと……。ごめんなさい……」
「左様でしたか。京太様が謝ることはございませんよ。都緒様のお加減があまり良くなかったようなので少し騒がしくしてしまったようで。ご心配をおかけしてしまいましたね」
「みゃおが?」
お兄様の丸くて茶色い瞳が驚きに見開かれてこちらへ向けられる。
「大丈夫ですか?」
「うん、だいじょうぶ」
確かにか弱い身体ではあるのだが、なんというかこう、心配されすぎじゃないだろうか。
獣人の身体は酷く丈夫で手足をもがれない限りは数日あれば完治する。
もちろん病気なんて滅多なことがなければ罹らない。
特に頑丈だった私は傷を負ったところで心配などされた事が無かった。
身体は丈夫で運動能力・繁殖力にも優れていた獣人ではあるが、寿命が短いことだけが欠点だった。
エルフは勿論のこと、人間の半分程度しか生きられなかったのだから。
その点成長も速く、五歳と言えば親の手を借りずに狩りも始められる年齢である。
だとすれば、まだ幼く一人で生きていけないこの身体は少しのことで心配されて当たり前なのだろう。
安心させるために笑ってみせるが、それでも心配らしいお兄様が側まで来て私の頭に手を置いた。
「ムリしちゃダメですよ。お医者さんに来てもらいましょうね」
「うん!」
繁殖力旺盛な獣人に兄弟は多い。
私は族長の娘であり他の者よりも兄弟が多かった。
もちろん全員が次期族長候補なのだが、その中で最も獣との折り合いが良く、同調能力の高かった私は最有力候補だった。
お互いが競争相手であった兄弟とは、碌な会話もすることがなく。
お兄様の手は小さくて驚くほど柔らかいが、暖かい。
嬉しくて口元が緩み、好意が爆発すると同時に抱きついてしまう。
「よしよし、みゃおは甘えんぼうさんですね」
「んー、ふふふ。おにいさまだいすきー」
先ほど蓋をした羞恥心がまた顔を出すのだが、頭を撫でる手のひらが心地良くて更に顔を押しつけてしまう。
人肌とは恐るべき力がある。
「僕もみゃおが大好きですよ」
知佳の方から小さなうめき声が聞こえたのでバッと顔を向けると、眉間を揉みながら上を向いていた。
そういえば彼女は私の起床から就寝まで常に側に立っているのだが、休憩は取っているのだろうか。
というか睡眠は?
彼女こそ大丈夫なのだろうか。
「ちか、だいじょうぶ? みゃおといっしょにおいしゃさまにみてもらお?」
褒められることをした覚えはないのだが、またお兄様に頭を撫でられた。
何故だ。
まず私は基礎知識で理解しきれなかった人間の思考回路を学ばねばならないな、と本気で思った。
* * *
小太りで人の良さそうな医者に診てもらい、異常なしの診断をもらう。
その後ダイニングルームでお兄様と共に昼食を済ませ、知佳に出してもらったオレンジジュースを飲む。
少し時間を置いて落ち着いたところで、現状と今後について考えようと思う。
まず大前提として、私はこの『ゲーム』に参加するつもりは一切ない。
基礎知識から、この世界のこの国はとても発展していて寿命も長く、獣人族とは違い全員が子孫を遺す必要は全くないことが分かる。
婚姻は主に好いた者同士でするものである。
基礎知識に付属で付いて来たらしい『悪役令嬢』としての知識が、名家間での結婚は政治絡みの場合が多く、そこには恋情も愛情も含まれていないことを教えてくれる。
身を焦がせるような愛情はもうこりごりなのだ。
前世の記憶が私にそう訴えてくる。
あんな、生きるためではない殺傷をしてしまうような感情はもう要らない。
この世界で覚醒して早々に触れた他者の温もりは、獣人として生き、そして愛する者のために他者を殺した私に衝撃を与えた。
私はきっと、誰かに優しくされたかっただけなのだと気付いたのだ。
十数年を共に生きた兄弟達や獣人族、許嫁ではなく、たかだか3年間世話を焼いてくれただけの2人がそう気付かせてくれた。
今の私は、腕力が全てであった獣人族ではない。
弱者を捨て置くことが正しいとされる種族ではない。
他者へ優しく在ることが許される世界なのだ。
そして、優しくされてもいい世界。
お兄様や知佳がそうしてくれたように。
あの“声”は気にくわないが、この世界でも特に平和な国に転生したのは幸運なのだろうと思う。
私は家族以外に愛する者は作らない。
きっとそれが誰にとっても平和な選択だろう。
そして気になる事が1つある。
『特典その二』の『能力持ち越し』についてだ。
私の武器であったヒゲや爪、太い尾は無くなってしまったのだが、一体何がどう持ち越されたというのだろうか。
知佳はこの世界でいう「妙齢の女性」である。
これは基礎知識による勝手な判断であり、実のところ獣人と人間では寿命が全く違うので細かな年齢はよく分からない。
獣人族は短命ではあるが、年齢が見た目にあまり反映されないのだ。
加齢は臭いで現れる。
しかしこの世界の人間は、私もそうだが風呂で様々な香りのソープを使用するので本来の臭いが分かりづらいのだ。
ソープは香りこそ強いのだがお兄様、私、知佳、知子と種類はそれぞれであり、それらの嗅ぎ分けをすることが目下の目標である。
3歳になるまで過ごした記憶によればこの屋敷はとても広く、それを管理するための人間が数名ほど働いている。
従事している者達は屋敷には住まわず、屋敷の裏に建つ小さな施設で寝泊まりしている。
要するに屋敷よりも更に広い庭があるということで……。
余所者が侵入した時にそれを直ぐさま判断出来るようにしなければならない。
なので獣人の力を少しでも持っているのならばそれを利用しないことはないのだ。
意識して全神経を張り巡らせれば、廊下を歩く2人分の足音が聴こえる。
片方は知子のおっとりとした優しい足音で、もう片方は神経質だが静かな足音だ。
会話でもしながら隣り合って歩いているのだろう、ここからの距離と歩調はほぼ同じである。
それにしてもおかしいことがある。
ここまで神経を張り巡らせているというのに獣の気配がしない。
獣人族の集落には野生のものもそうだが、特に友属する獣で溢れていた。
自らも獣である故に獣と会話が出来る獣人は、共に協力して暮らしていた。
特に性質の馴染む獣を友属と呼び、常に側に在った。
獣人のみに限らず、殆どの亜人や人間の暮らしに於いて獣は暮らしと切って離せない関係なのである。
だというのにこの世界は人以外の獣の気配がない。
私は集落で最も優秀だった。
傍らには常に数体の友属があり、どんな獣とも心を通わせることができた。
集落を追放されてから寿命が尽きるまでは魔獣と共に暮らしていた。
えも言えぬ不安が背筋を駆け抜ける。
自然と息が細くなる。
これを「心細い」と呼ぶのだと直感的に判断した。
ソファから立ちあがった私は、衝動的に窓へと走った。
窓の外の庭には不自然なほど美しく整えられた青い芝が広がっている。
花壇には見たことのない美しく色とりどりな花が咲き誇っている。
「都緒様?」
「おそと! いきたい!」
「かしこまりました。母に確認して参りますので少々お待ちください」
知佳は丁寧に答えて部屋から出たがその足音は規則正しく静かなもので、戻ってくるのを待つ事が辛かった。
しかも知子とは逆側へと伸びる廊下を行こうとするのだ。
私は堪らず「そっちじゃないよ」と必死の声を出す。
知佳は困った顔をしてそのままの方へ行ってしまった。
この分だと知子に確認をもらい帰ってくるまでに時間がかかるだろう。
堪らず窓の鍵を開けた私は、兄の制止も聞かずに庭へと駆け出す。
見上げた空は私の記憶にあるものと同じだ。
空の神は人々には決して到達出来ぬ高さから、まんべんなくとこちらを眺めている。
瞼を閉じれば神と同じ色が視界いっぱいに広がり、うっすらと眼球が温かくなる。
気候は森の中ほど暑くなく、空気が肌にまとわりつかない。
基礎知識が、これは四季によるもので過ごしやすい今は春か秋なのだと教えてくれる。
特典が与えてくれる知識は酷く曖昧で、私の過去の記憶と特典の情報が混ざり上手く認識出来ないことがある。
しかしいま私がはっきりと認識していることが1つだけある。
私は意識して瞳孔を開いた。
脳の瞼を開き世界を見る。
《誰か、居るのなら私の声に応えてくれ!》
野生の鳥獣は人間の呼びかけに応えない。
それが、私が認識している事実だ。
集落で最も力のある獣人であった私に応えない鳥獣は居なかった。
であれば人間の私には?
『特典その二』が本当にあるのだとしたら、人間にない鳥獣と心を通わせることこそ特典になるのではないか。
しかし10秒待てど獣が集まる気配はない。
人間である私の呼びかけが聴こないのか、はたまた本当にここには獣が居ないのか。
《さぁ、早く来るんだ! 私はここに居るぞ!》
「みゃお? 一人でお庭に出るのはおぎょうぎが悪いですよ。いちど部屋へもどって知佳さんが帰るのを待ちましょう」
部屋からお兄様が呼びかける。
うんともすんとも変わらぬ周囲の気配にしょんぼりとして部屋に戻ろうと踵を返す。
すると、遠くの方からざわざわと騒がしい音と気配の塊が現れた。
まっすぐとこちらへ向かってくるそれらに、私の瞳孔が再び開く。
間もなく視界に現れたのは、十数羽の真っ黒な鳥である。
ガアガアと鳴きながら現れた集団に、お兄様が切羽詰まった声を出す。
「みゃお、早く中に入ってください!」
兄の言葉を無視して私は庭の真ん中へ立つ。
このカラス達に私を害する意志はない。
何故分かるのかって、この耳に聴こえているからだ。
《カラスを呼び出したのはお嬢ちゃんでござるか》
《まさか人間がカラスを呼び出せるわけがないでござろう》
《いやしかし現にここにはこの人間の娘っ子しか居ないわけで》
《どうでもいいけど腹が減ったでござるよ~》
ガアガアと騒いではいるが私の頭に届くのは彼らの言葉だ。
自分の呼びかけに応じてくれたこと。
そしてカラス達の言葉が届く喜びに胸が震える。
溢れる涙を幼児の身体が耐えられるはずもなく、ボロボロと涙が流れた。
《泣いた?》
《泣いたねぇ》
《綺麗な涙》
《ほうら、可愛い子。泣かないで笑顔を見せておくれ》
足下をするりと温かいものが通り過ぎる。
懐かしくもありなおかつ新鮮な感触に目を瞬けば、黒白茶の三毛猫が私の膝小僧を舐めていた。
《泣くのはおよし、可愛い子。ほうら、この猫の背を撫でてもいいんだよ。どうどう? 嬉しいでしょう、猫は可愛いでしょう?》
すべすべで見事な三色の尾を私の太腿に絡ませて、猫がゴロゴロと喉を鳴らす。
零れる涙を手の甲で乱暴に拭い周囲を見回せば、いつの間にかカラスと猫が周りを囲んでいた。
遠くの方には雀や鳩が集まり、上空には数羽の鳥が飛んでいる。
「はやく、誰か! みゃおが!」
兄の声に反応して、知子ともう一人の人物が部屋へと駆けつける。
しかし私にはそんなことはどうでも良い。
三毛猫が芝の上をごろんと転がり、白い腹を私に見せた。
《仕方ないからお腹を触らせてあげようか。はやくあなたが笑ってくれたら猫は嬉しいねぇ》
しゃがんだ私は、さらりと猫の腹を撫でる。
背の毛とは違う細い毛の柔らかな手触りに思わず笑みがこぼれた。
すると他の猫がにゃあにゃあと私に群がり始める。
《笑ったでござる!》
《いいなぁボス。猫も撫でて欲しいな》
《それなら猫だって撫でて欲しいよ》
途端にいろんな色の猫たちが擦り寄ったり腹を見せたりし始める。
「みゃおのおてては二つしかないから、みんなはなでなでできないよう」
取り敢えず空いている手で尾の付け根を撫でてやる。
尾の付いている生物はこの辺りの筋肉をよく使い、付け根が凝ってしまうので、触れられると気持ちいいのだ。
《あふん》
《やだぁテクニシャン……喉が鳴っちゃううぅ……》
触れるそばからゴロゴロと喉を鳴らしながら、上半身を下げたり腹を見せる猫たち。
満足感にんふーと鼻を鳴らせば、今度は頭上から羽音が近づく。
《猫ばっかり羨ましいでござる》
《やはり今は猫の時代でござるか……》
《愛らしさで言えばカラスも猫と変わりないと思うのだが》
《違いないでござる》
ばさばさと私に向かい急降下しては浮上する十数羽のカラスの前に、男性の身体が飛び出した。
「都緒様、屋内へ!」
部屋の中から私の名前を叫ぶ知子と知佳、そして庇うように広げられた腕。
先ほどまでのほのぼのとした平和な空間はどこへやら、一気に緊迫した空気になってしまい私は瞬きをしてしまう。
「――っ、失礼します!」
どうしたものかと立ち尽くしていると、舌打ちをした男性が私を抱え上げて部屋の中へと駆け込んだ。
すぐに床へと下ろされた私の身体を、涙目の知子と知佳がべたべたと触る。
「お怪我は!?」
「どこかひっかかれましたか!?」
「みゃお、なんで勝手に外へ出たんですか!」
右から心配、左から心配、前から叱責されてもう何が何やら。
とりあえずこれだけは言っておこうと、私は大きく息を吸う。
「あの子たちをよんだのはみゃおだから、あぶなくないもん!」
外の子たちも叱られてしまってはたまらないのでしっかりとそう伝えると、周囲の人間がぴったりと止まる。
「……みゃおが、ですか?」
「おにいさまみてたでしょ! みゃおがよんだから来たの!」
どういったことかと知子と知佳が眉を下げてお兄様を見る。
お兄様は困った様子で説明した。
「たしかに、みゃおが庭に出て上を見たとたんに集まって来ました……けど……」
「みんないい子だもん、みゃおにケガなんてさせないよ。だって、ほら、あんなにいい子にまってるもん」
大人三人とお兄様は、言われてようやく気付いたかのように窓の外を見る。
確かにカラスと猫たちはこちらを静かに眺めている。
唖然とする四人にやきもきした私は、全員の力が緩んだので窓にべったりと張り付いた。
すぐさま制止の声が届き誰かに腕を摑まれるが、全力で抗い窓の外に呼びかける。
「《全員、整列!》」
同胞に対する呼びかけに声を発する必要はない。
鳥獣は声のみで会話しているわけではないからだ。
しかし今は敢えて言葉に乗せる。
外に居たカラスと猫は各々の思う整列を実行する。
人間の考える整列にはほど遠いが、それでもお互い近くに固まりその場に座り込んだ。
窓を開けないまま振り返った私は、目を見開き固まる四人に笑いかけた。
「ね?」
危険はないのだと知らせるつもりで意気揚々よ行ったはいいが、そういえば人間にはこんな芸当は出来ないんだったかと思い出す。
『声』は言った。
下手に『能力』を使えば全世界を巻き込んだ大波乱にもなるう可能性があると。
とっさに誤魔化そうと口を開いたが、どう言えば不自然さもなく五歳児が獣を集めて従えられるというのだろう。
気まずい時間がたっぷりと五秒間流れたが、ハッとしたように呟かれた男性の言葉でこの場は閉幕となった。
「…………都緒様は、○ィ○ニープリンセス……?」
圧倒的三日坊主宣言