甥
手元にあるメモと地図アプリを起動させた携帯を見比べる。
「ここか...」
文化センターを出ておよそ二時間後。
近所らしいので一度家に戻り自転車と増えた荷物を置いて歩くこと十分ほどの場所に仲春家はあった。
二階建ての一軒家。
門から玄関の扉の間には色鮮やかな花が飾られていた。
バクバクと鼓動する心臓を落ち着けるためゆっくりと深呼吸をする。
大丈夫。ここに来るまでの間ちゃんと考えてきたんだ。天に聞きたいこと。伝えたいこと。
よし、あと一回深呼吸したら呼び鈴を鳴らそう。
「すー......」
「こんにちは。」
「...っ!?」
息を吸い込んだタイミングでちょうど近所の人らしき人が通り際に挨拶をしてきた。
何も変なことはない。道行く人に挨拶をするなんてことは。
だが、そんなことはもちろん予測していなかったので驚いて思わずむせた。
「げほっ...こんなんじゃ...先が思いやられる......」
思いっきり出鼻をくじかれたがそれはさておき咳が収まってから呼び鈴を鳴らした。
深呼吸はもう諦めた。
次にもし同じようなことが起こったらなにか良からぬことが起きるんじゃないかと錯覚してしまいそうになるかもしれない。
この時点で既に俺の爪楊枝並みに細いメンタルはポッキリと折れそうになっているし...
だが、そんなことでせっかく来たのに帰るなんて出来ない。
周りは敵ばっかじゃない。敵ばっかじゃない。
心の中で自分にそう言い聞かせていると扉の奥でパタパタと誰かが歩く音がした。
無意識にピンと背筋が伸びる。
「はーい、どちら様ですか?」
そう言って出て来た人物は天ではなかった。
透き通るようなアルトボイス。セミショートの焦げ茶っぽい髪、色白の肌、白いパーカーに黒のジャージ。ボーイッシュな女の子ーー
仲春さんの子供?
いやいや、でもあの人に子供なんて...いや、でも中身が『あれ』だから忘れそうになるけど立派な公務員職についてるし第一イケメンだしその可能性はなくはないよな......
「あのぅ......」
返事がないからか怪訝な目を少女は俺に向けた。
ヤバい、なんか怪しまれてるっぽい。
とりあえず......
「えーっと...俺...いや、私?は雨月昴と言います。天のいとこで...今は天の家でお世話になって、ます。ここに天がいるって聞いたので...えっと、あ、これ仲春さん...じゃなかった。えと、あなたの父に書いてもらったメモで!だから怪しいものじゃないんです!」
全然容量を得ない説明になってしまった。
とにかく変な誤解を受けないようにすることに必死でなんだか逆に怪しげに聞こえるような気もするが...
「父...?...あー...」
なぜか少女は困り顔を浮かべた。
「えーっと、まず訂正しますが僕はあの人...仲春彩翔の子じゃなくて...甥です。風垣悠陽と言います。中学二年生です。」
「悠陽ちゃんか。うん、よろしく。それで......」
「違います。」
本題を切りだそうというタイミングで悠陽ちゃんに遮られた。
「違うってなにが?」
「『ちゃん』じゃありません。」
『ちゃん』じゃない?
え、なに?どゆこと?
「えーっと、つまりどういうこと?」
「言葉通りの意味です。」
「そう言われても...」
俺、何か悠陽ちゃんの気に触るようなことをしたのだろう。
いつ?そんなに会話もしていないはずなのにいったいこの短いタイミングのどこで俺はそんな失態を犯したのだろうか。
「僕は...」
困惑した俺の顔を見て悠陽ちゃんはそう切り出した。
「『男』ですから。」
「..........................」
聞き間違いかな?
今、男って聞こえたような......というかさっきも『甥』って...
もう一度頭の先からつま先までをじっと見る。
やはり女の子に見える。
だが、待て。言われてみれば男の子に見えないことも......
「すいませんでしたっーーー!!」
俺は腰を四十五度に曲げて全力で謝った。
「いえ...良くあることなので別に気にしてません。...それより、天ねぇの迎えに来たんですよね?」
「あ、ああ。そうだけど...え?なんで分かったの?」
「初めに言ってたじゃないですか。」
そうだっけ!?
あー、言ったような...言ってないような......
焦っているからかわずか1、2分前の記憶が既にない。
「天ねぇは上にいますけど...いるんですけど......」
悠陽ちゃん改め、悠陽くんはその言葉の先を言うのを躊躇うように視線を逸らした。
「えーっと。とりあえず上がります?と言っても僕の家ではないんですけど。」
「遊びに来てるの?」
「いえ、そうじゃなくて僕の父は大概仕事で夜遅いので。普段は母が夕方頃には帰ってくるんですけど父も母も二人とも仕事でいない日だけ学校帰りにそのままここに来てるんです。今は試験期間なので帰りが早くて。...まあ、立ち話もなんですしどうぞ。」
悠陽くんに導かれるまま俺は仲春家に足を踏み入れた。




