豹変
比野守について行って成峡高校の敷地に足を踏み入れた。
早朝とはいってもさすが夏だと言うべきか照りつける太陽の光が容赦なく降り注ぐ。正門から左の方には校舎が見え、右の方には駐車場、そして体育館が見えた。
「こっちです。」
その駐車場と体育館の間を通る。
100メートルほど進むと突き当たりにプールが見えた。
まさか俺をプールにでも突き落とす気なんじゃ...と一瞬思ったがさすがに違うようでそのままプールの方には行かず左に続いていた道に曲がった。
「ここです。」
運動部が使ってるらしい部室棟と少し先にあるグラウンドの間に目的地はあった。
「これって...道場...?」
この高校に道場なんてあったのか。
地元の中学にもなかった施設だ。
高校は一応クラスに籍はあるらしいが入学してから一度も通ったことがないからどうなのかは分からない。
比野守は靴を入口にあった靴箱に置き、ポケットから鍵を取り出し扉を開けた。
「お前、剣道部に入ってるのか?」
先ほど中学の頃は全国でもトップクラスの実力だったと言っていたのを思い出す。
幼少時からずっと続けていたのなら今も続けていると考えるのが普通だ。
「...今はしてないです。」
そう言って比野守は一礼して道場に足を踏み入れる。
俺もそれに倣って一礼し、中に入った。
「へー...なんで?」
「それは......ほ、ほら先輩!これ予備の防具ですからさっさと着けてください!あたしは友だちのやつ借りますから!」
慌てた様子でそのまま話を逸らされる。
比野守は慣れた様子で着替えを始めた。
俺のことなんてその辺に落ちているジャガイモ程度にしか思っていないのかもしれない。
その着替えを見ないように慌てて背を向け慣れない手つきで着替える。
部員でもない比野守が鍵を持っててここを使えるのは先程言っていた『友達』とやらが融通を聞かせてくれたのかもしれない。
初めて着る道着のせいで準備が遅れモタモタしていると後ろからシュッと空気を斬るような音が聞こえ振り向く。
すると準備をし終えたらしい比野守が素振りをしていた。
背筋はピンと張っており竹刀を振る姿勢は決して崩れない。
さすが経験者だけのことはある。
なにより驚いたのはその目だ。
真剣な色をしたその目は俺が見てきたどの比野守とも違う。
だがその無表情はまるで竹刀を振ることをプログラムされたロボットのようにも見えた。
感情も乗せずただ一心不乱に竹刀を振り続ける。
気が付けば俺は防具を付ける手を休めじっと比野守を眺めていた。
しばらくそうしていると比野守は竹刀を振る手を止め『ふぅ』と息を付いた。
そして俺が見ていたことに気づく。
「先輩、何見てるんです?早くしてください。剣道部の活動時間が来ちゃうじゃないですか。」
少しも照れたりすることもなく『可愛い後輩☆比野守那由佳バージョン』から『天さまファンクラブ会長!ドSの比野守バージョン』になった比野守は俺に冷たい視線を向けた。
「わ、わかってるって。」
その視線に萎縮しながら残っていた準備を全て終える。
そして無言で比野守が差し出して来た竹刀を握った。
思ったよりも重いそれを見よう見まねで振り感触を確かめる。
「じゃ、そろそろします…?」
「...ちなみに手加減とかは......」
我ながら情けないことこの上ないことを言ったと思うが仕方ない。
テレビとかで見たことはあるけどその程度。
自分がやったことなんてないしやりたいと思ったこともなかったのだから。
「ないです。」
ですよねー。
面の紐を結び終え向き合う。そして比野守に倣い一礼。
比野守は竹刀を構えた。
もう口出しをすることは許されない雰囲気を作って。
もう後には引けない。
そもそも校門で比野守の勝負を受けると言った時点でもうこうなることは決まっていたのだ。
「それじゃあ行きます...!」
そう言って比野守は床を蹴り俺に向かって来る。
俺は怯みそうになり竹刀を握る手に力を込めた。
「てやぁっ!!」
比野守は俺の正面に竹刀を振り下ろす。
それをギリギリのタイミングで避けた。
そのままダッシュし距離を取る。
「重心がブレブレですね。そんなんじゃあたしには勝てませんよ!」
再びダッシュしてきた比野守を迎え撃つため竹刀を構え直す。
落ち着け。
剣が出てくるゲームは今まで何本もやってきたじゃないか。
昔ながらのドットの物から最新の3Dモデルの物まで。
部屋にあった手頃な棒を持ち薄暗い部屋でモーションを真似て振り回したこともあった......うわっ!思い出したくないこと思い出した!!恥ずかしいっっ!!
...見悶えるのは後でするとして頭を巡らせる。
そしてアニメ化もした大好きな作品の1つを思い出す。
確か......
右足を力強く踏み出し重心を傾ける。
そして......
「はぁぁっ!!」
相手が突進してくる力を利用し相手の竹刀を上手く避けながらその胴を竹刀で薙ぎ払う。
「甘いッ!!」
だがさすが経験者とでも言うべきか比野守は竹刀で俺の攻撃を弾き飛ばす。
「はっ... はっ...」
肺の空気を吐き出しながら後ろに下がった。少ししか動いていない割にかなり体力を消耗した。やはり日頃の運動不足が原因か。
だが比野守はその僅かな時間で体制を立て直し突っ込んで来る。
「貰ったぁぁ!!」
「...っ!!」
防ぎきれないっ!!
そう思ったその時何かを足で踏んだような感触を感じガクっと体が後ろに傾く。
どうやら自分で身につけていた黒袴の裾を踏んだらしい。着たときに少し大きいとは思っていたがなんだか自分が普段から鍛えてなく男にしては華奢な体なのでそれを告白するのが恥ずかしかった。
まさかこんなことになろうとは......
「えっ...!?」
そしてそのまま後ろに倒れる。突進してきていた比野守ごと。
ゴンッと頭が床に打ちつけられた。
「いたっ!!」
防具を付けていたからかダメージはそれほどなかったもののそれでもやはり痛みはあり、耳がキーンと鳴った。
「...重い...」
「そ、それって酷くないですかっ!?女の子に言う言葉じゃないですよ!」
俺の『重い』という言葉がショックだったのか比野守は慌てて俺の上から降りる。
「デリカシーがないですよぉ!!」
「わ、悪かったって!!それに人一人プラス防具の重さがあれば重いのは当然だからなっ!?」
「ふんっ!どうだか!!」
そう言い比野守は傍に転がっていた竹刀を拾う。
「...どうしましょうか。仕切り直します?...あー、でももう剣道部員が来てもおかしくないかもな...」
道場の時計を見るとまだ六時過ぎだ。
「いくらなんでも練習が始まるには早すぎない?」
「あー、先輩は他の所から来たんでしたっけ?うちの学校の剣道部、なかなかの強豪なんですよ。全国にもしょっちゅう行ってます。テレビとかニュースとか見てないんですか?」
「いや、見てても全国行った学校の名前とかいちいち覚えてないだろ...」
チラッとは見ても興味がないからか細かくは見ないのだ。
「練習は七時かららしいですけど自主練は自由なので結構早めに来てやるらしいんですよね。で、空いてる時間があまりないから早朝にこうしてやってるわけです。」
「お前、さっき朝の運動のついでだって言ってなかったか...?」
そういう理由ならきちんと話してくれれば良かったのに...
気分の問題ではあるが。
「ああ、それもありますよ?あたし昔からあの時間に町内をジョギングしてるんで。」
剣道をやっていたときの習慣だろうか。
俺の顔を見て俺の考えていることを察したのか比野守はいたずらっぽく微笑んだ。
「朝の運動は美容にいいので♪」
そして『さてと...』と立ち上がった。
そして未だに座ったままの俺と自分の手に持った竹刀を眺め何を思ったのか軽くコツんと俺の頭に竹刀を当てた。
特に痛みは感じず『なんか当てられたなー』と思う程度だが。
「これであたしの勝ちでいいですか?」
「いいですかじゃない!なしだなし!」
「えー、でもいいところまでいったのにー。」
確かにあそこで俺が転ばなかったらそのまま比野守が勝っていただろう。
偶然のハプニングに感謝しなくてはいけない。
「まあ、冗談はこれくらいにして。」
冗談だったのかよッ!
「そろそろホントにやばいんで帰りましょう!...鉢合わせなんかしなさたくないですし。今日のところは引き分けってことにしてあげます。」
「なにかあるの?」
「いや...それは......」
そう言って比野守は口籠もった。
そして唐突に『えいやーっ』と言いながら防具を外し白い道着に手をかけた。
「お...っ!!おまっ!?」
それを見て慌てて背を向ける。
「そんなに恥ずかしがらなくてもあたしは気にしませんよ?」
やはり俺のことなどジャガイモか何かにしか思ってないらしい。
「お前が気にしなくても俺が気にするの!」
「なんでですか?」
本気で思っているのか冗談なのか分からない口調で比野守はそう言った。
「俺が男だからにきまってんじゃんっ!お前も女の子なんだから無防備に肌を晒すのは良くないっ!」
恥ずかしさを誤魔化すために声を荒らげる。
「...女の子...ですか......」
そんな小さな呟きが聞こえ、続いて服を脱ぐ音が聞こえた。
先程着替えた道場の端の方に行き俺も服を着替える。
「...先輩...私のことどう思ってます?」
着替えながら考える。
どう思ってる...か。
初めて会ったとき。デート...的なものをしたとき。ファンクラブ会長を告白したとき。そして今日...
あざと可愛く、天への愛が重く、よく気がきいて、真剣な顔で竹刀を振って......
だから俺は......
「ただのいとこのクラスメイト。」
比野守が聞きたがっている言葉はこんなことじゃないってことは思いつつも、それが比野守の質問に対する答えになっていそうで実はなっていないということに気がついていながらも俺はただそんな事実だけを述べる。
「はあ...そうですか...」
何か文句でも言われるかと思っていたが聞こえて来たのはそんな心ここに在らずといったような呟きだけだった。




