アスタの話 1の2 出会い
城壁を越えた先は今まで見たものとは全く違った。
城門から伸びる道には数多の人々が往来し、建物の窓から顔を覗かせる人間も居る。
道の脇には布を敷いただけの簡易な店が所狭しと並び、人々の手には硬貨と商品が飛び交っている。
この場所に存在する全てが、今この瞬間も刻一刻と動き続けているのだ。
目まぐるしく変化を続ける景色にアスタは暫し心を奪われた。
「わぁー……。」
感嘆の声が自然と零れ落ちる。
城の中においては決して見られない熱気が此処にはあった。
やがてアスタの姿に気づいたのか、人間たちが手をかざし、アスタを見上げ始めた。
まだ気付いていない人の肩を叩き、往来する人たちの足が止まっていく。
ざわめきがアスタの耳にも届くほどになった頃、背後からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
「うわぁっ!」
咄嗟に両手で耳を覆うが、人間よりも耳の良いアスタにとって拷問の様な煩さであった。
音から逃れるために慌てて都市の中央へ飛び始める。
鐘の音は皮肉にも必死で鳴らしている兵士の意図とは真逆の効果をもたらす事となった。
程なくしてアスタは都市中央にある城までたどり着いた。
何処から入ろうか少し思案した後、一番高い位置にあった出窓を突き破る事にした。
力の強い者は高い所を好むという事をアスタは知っていた。
「うらぁっー!」
ガラスの割れるけたたましい音と共に着地して辺りを見回す。
そこは魔王城にある玉座の間と似ていた。
複数ある出窓が充分な光を取り込んでおり、内装をより一層輝かせている。
月の光が似合う魔王城の部屋と違い、ここは太陽の光が似合いそうであった。
中央に伸びる深紅の絨毯に沿って様々な背格好の人間が並んでいた。
アスタは真っ先に豪華な椅子に座っている老人に目をやる。
その老人は歳の割にはしっかりとした身体つきをしているが、とても強そうには見えない。
――それよりも老人の側で剣に手を伸ばしている人間。
アスタは他者の強さを感知する能力には疎いが、それでもあの人間が一番危険な事だけは瞬時に理解した。
「王をお守りしろっ!」
その人間は怒号すると誰よりも早くこちらへ向かって動き出した。
精悍な顔はまだ若さがあり、他の人間より身のこなしも軽やかである。
護衛が王の前を固めたのを確認しつつ、剣を抜き放った。
柄の部分に精巧な模様が彩られ、刀身はうっしらと青白い光を帯びている。
一見してそれが通常の剣とは異なるものである事が分かった。
アスタは迎え撃たんと右手を伸ばして何かをつかみ取る仕草をする。
最初は薄く白い霧が手へと集まっていくだけであったが、徐々にそれは濃くなっていき、すぐさま鎌の形となる。
城壁で兵士は気付かなかったが、あの際に見た大鎌はこうして何も無い空間から出現していた。
「てりゃあっ!」
先んじて懐へ飛び込んだアスタが大鎌を豪快に振り切る。
人間もアスタの武器に合わせて剣を振り下ろす。
「紛い物の武器でぇっ!」
玉座の間に再びガラスの割れる様な音が鳴り響いた。
人間の剣はアスタの鎌と衝突するとそのまま鎌を砕いていた。
バラバラになった鎌は原型を留める事なく白い霧となって消え去っていく。
「ふんっ!」
「うわっ」
アスタは人間の斬り返しを飛び去って避ける。
しかし反応が一瞬遅れ、ふとももを浅く切り付けられた。
「弱い……。」
王国軍右大将軍であるトーランはそう思った。思っただけでなく、わずかに呟いていた。
いきなり玉座に飛び込んできたのだ、どんな化け物かと警戒して当然である。
しかし蓋を開いてみればこの有様だ。
一合斬り結べば構え、振りの速さ、振った後の所作、様々な事が分かる。
この小悪魔の強さはそこらの一平卒に毛の生えた程度だろう。
魔法の技術にしても武器錬成の、それも即時錬成を扱えるらしいが、強度が伴ってなければ意味がない。
確かにこちらの武器は通常の物より硬く鋭いが、一太刀も受けられないのでは話にならなかった。
「全く、何かと思えば。」
子供と言えど、王の御前を汚した罪は許し難し。
わずかな同情もなく小悪魔へ引導を渡そうと歩み始めた時、小悪魔は突然こちらを指さし、怒鳴った。
「お前、つよいなぁっ!」
怒号と共に徐々に、しかし確実に小悪魔の身体が盛り上がっていく。
外部から何かを取り込み、それが筋肉を内部から肥大化させている様に見える。
トーランには魔法の才が乏しかったため、何が起こっているのか分からず、動き出せずにいた。
やがてそこにはもう小悪魔の姿はなく、屈強な青年の悪魔が立っていた。
先程と同じ様に右手を伸ばすと、今度は瞬時にして鎌が出現した。
小悪魔の変貌ぶりに暫し見惚れていたが、誰かが武器を落とす音で我に返る。
「耐性ないものはあいつの目を見るな、魅了されるぞ!」
「っらぁぁぁああ!」
「ぐぅっ!」
言い終わる前に青年となった悪魔の鎌が切り付けられる。
先程とは段違いに重い。
そして武器自体もどうやら硬度を増しているらしく、砕ける事なく押してくる。
剣術の才が上達した訳ではない、単純な速度と力が、圧倒的であった。
二撃、三撃と繰り出される攻撃に対して、防ぐ事しか出来ない。
四撃目にして遂に体勢を崩し、その隙を正確に突かれ、鳥の様な細い脚に蹴り飛ばされる。
「がはぁっ!」
「トーラン将軍!」
将軍の身体が宙を舞った。
見た目の細さからは想像も出来ない威力だった。
棍棒を生身の腹に打ち据えられたかのように、身体の底から痛みが湧き出てくる。
地面に叩きつけられるも即座に起き上がり、追撃に備えようとした。
予想通り悪魔はトドメを刺さんと飛び掛かろうとしていたが、その時異変が起きた。
「やばっ!」
悪魔の身体から湯気の様に白い靄が立ち上っていくかと思うとみるみる身体が小さくなっていく。
すぐにそれは元の小悪魔の姿へと戻っていった。
「……なるほど。」
トーラン将軍はその様子を見て思い当たる節があった。
昔近隣の山を荒している化け物が居たが、遭遇した者の報告内容がどうにも一致しない。
二匹居るのだろうと討伐へ赴いたが、一匹が昼と夜で異なる容姿、真逆の力を備えていた。
こいつはその変化を自由に起こせるらしいが、その代償もまた時間の制限という形で存在しているのだろう。
小悪魔の焦燥した様子が罠の可能性もあるが、侵入からの流れを見て、目の前の相手が無鉄砲な単細胞であると確信していた。
他者を騙す様な器用さは持ち合わせていないだろう。
「ならば今が好機。」
先程の変身能力を加味しても、現状こいつの脅威はそれほど高くはない。
魅了の力もまるで使いこなせておらず、本人がその力に気付いているかも定かではない。
――しかし、こいつが年齢を重ねた場合はどうであろうか。
先程の姿は変身というよりは成長後の姿を一時的に借り受けている様に見えた。
そうでなくとも今後加齢による肉体及び能力が成長していく事に疑い様はない。
であるならば、今ここで仕留めねば王国にとって大いなる脅威となる事は明らかであった。
悪魔は自身の変身能力についてはある程度把握しているのであろう、不利とみるや羽をはばたかせ、飛び込んできた窓から逃げようとしている。
トーランは右手の剣を握り締め、投擲の構えを見せる。
すると先ほどまで剣の形状をしていたそれは、投擲に合わせるかのように細長い槍状の武器へと変化していた。
「逃がさんっ!」
完全に背を向けた小悪魔に向けて槍が放たれる。
軌道、速度どれをとっても寸分の狂いなく、そこにいる誰もが小悪魔の背を貫くと確信した。
しかしその予想は外れる事となる。
「ギェェイィェ!」
小悪魔の直前で完全に動きを止めた槍は、奇妙な声と共に落下していった。
肉塊が地面へ叩きつけられた音がした後、槍を止めた正体が姿を見せた。
「なんだ……こいつは……。」
手足が細長く、奇妙な翼も付いているが、一見トカゲに見えなくもない。
全身の白さがこの世の者ならざる雰囲気を作り出していたが、槍の刺さった部分から漏れ出す血の赤さが、そいつが生き物である事を証明していた。
付近の者が恐る恐る近付くと、それは身体が溶解し、霧散していった。
残された槍に血の跡もなく、結局の所それが何であったのか分かる者はこの場に居なかった。
「しかし……。」
既にアスタの去った玉座の間で、トーランは考え込む。
この消滅した何かは恐らくあの小悪魔の仲間か、護衛していたか、見張っていたか。
いや見張りであるならもっと安全な場所に居たはずだ。仲間であるならば小悪魔と共に戦っていただろう。
――であるならばやはり護衛が目的か。
するとあの小悪魔はあの幼い見た目をしていながら護衛が付くほどの存在、上位の悪魔であるという事だ。
そんな悪魔が王国に目を付けたとなると、厄介などという生易しい言葉では済まされない凶事であった。
○
王城を脱したアスタは方角も分からぬままひたすらに飛んだ。
変身の力が解除された後は満足に武器を生み出す事も出来なくなると分かっていたが、それでも強者を見れば挑まずにはいられなかった。
若さ故である。
既に警戒網が敷かれていた城壁の上には幾多もの兵士が弓をつがえ、逃がすまいと待ち構えていた。
幾らトーラン将軍が有能であろうとここまで迅速に逃亡対策出来る訳もなく、これは最初アスタと遭遇した兵士が誇大に吹聴した結果である。
人が空を飛べる訳もなく、飛んできたアスタがその悪魔である事は間違えようがない。
そのため迷いなく打ち込まれる矢の雨の中をアスタは突き進む事となった。
アスタは羽や頭など重要と思われる部位へ無意識のうちに魔力を集中させていた。
武器の錬成はそもそも自身の魔力を武器を形へと具現化する事で出現させている。
アスタはこれをあまり意識せず行えていた為、天賦の才があるのだった。
しかし身を守る為に魔力を張り巡らす事は苦手であり、変身後の疲労も相まって、重要部位以外の防御は貧弱なものだった。
「がぁぁっ!」
矢は容赦なくその脆い魔力の壁を貫いていった。
矢を避けるため、速度を増し、直進は避けていても、無数に飛来する矢を全て回避するなどという奇跡は到底起こせなかった。
どうにか城壁の上を突破したものの、その頃には、ふとももや腹、守りを固めていたはずの翼にも矢が突き刺さり、見るも無残な姿となっていた。
人間であれば既に死亡している状態であっても、暫く飛行を続けたが、徐々に高度が落ちていき、王国近郊にある森へと落下していく。
既にアスタの意識は朦朧としており、落下の最中に木の枝が翼や肌を更に傷付けたが、痛みを感じる事は無かった。
そのまま枯葉の積もる地面へと落下した。
どさりという音と共に辺りは土と濃い草の匂いが舞った。
森は突然の部外者に対しても寛容であり、すぐに平時の静けさへと戻った。
風にそよぐ葉は心地の良い音を運び、アスタは襲い来る眠気に抗う事が出来なかった。
意識を完全に失う前、落ち葉を踏みしめる軽やかな音を、聞いた様な気がした。
矢刺さったら痛そう