アスタの話 1の1 旅立ち
アスタはとにかく外へ出たかった。
城の中は変化が少なく、毎日が退屈で仕方ない。
幾度となく城を抜け出そうとしたが、その度に爺が恐ろしい速さで連れ戻しに来るのだ。
その為、アスタは外について限られた知識――魔王の城が高い場所にある事と、周囲は見渡す限りの深い森が広がっている事くらいしか知らなかった。
だから今、アスタは自分の世界が広がっていくという感動を思う存分味わう事が出来た。
蝙蝠の羽をはためかせ、一直線に飛んでいく。
眼下には緑の海が何処までも広がっている。
自然がもたらす慣れない匂いがアスタの鼻をくすぐった。
「王様のとこまでひとっ飛びだ!」
アスタにとって父である魔王の存在は大きく、王という称号は最も力の強い者に与えられると考えていた。
つまり人間の国へ行って、そこにいる王を倒せば自分が一番強いという事になるのだ。
父からの指令をちゃんと理解していなかったが、人間たちより強くなれば褒めて貰えると本能から確信していた。
自分が他の兄妹より先に達成出来れば、きっともっと褒めてくれるだろう。それに一度で良いから兄妹の中で一番になってみたい……。
そんな感情がアスタの好奇心を押しとどめ、先を急がせた。
何処までも続くかと思われた森がようやく途切れ、草原が姿を見せる。
深い緑に覆われた味気無い森林地帯と異なり、草原には幾つかの茶色い道が走っていた。
道を辿る様に視線を送ると、高い壁に突き当たる。壁の向こうには様々な形をした建物が所狭しと並んでいる景色が微かに見えた。
空を飛べるアスタは当然ながら城門を通る必要がない為、城壁へと飛んで行く。
「なんだあれ、鳥か?」
城壁の上であくびをしていた兵士が黒い点のようなアスタの姿を捉えた。
――ありゃ鳥じゃないな。うーむ、なんて言うんだったか……。
次第に大きくなっていくが、兵士は警戒もしないままぼんやりとその姿を見続けている。
名前は思い出せないが大した魔物じゃないだろうという自信だけはあった。
現魔王が即位してからというものの、人の世界に魔物が襲い掛かる事は少なくなっている。
これは魔王が下位の魔物に至るまで統治下とした為であり、現魔王はいたずらに人間界を襲わせる事を許さなかった。
その結果、こうして魔物に無頓着な兵士が人間の世界に急増しているのである。
「イ……インプ……。そうだ、インプだ!……一匹だけで何しにきたんだ?」
兵士がなおも頓珍漢な事を呟く。
アスタとインプで共通する箇所と言えば蝙蝠の形をした翼くらいである。
それほどまでに兵士たちの魔物知識は乏しかった。
しかしそんな兵士でも魔物を追い払うため、ゆっくりと弓を拾い上げる。
インプと言えど、こちらが何もしなければ鬱陶しい存在になる事くらいは知っていた。
面倒だなぁ……。適当に撃ったら逃げてくれないかなぁ。
情けない考えを抱きつつ、ため息交じりに弓矢をつがえ、顔をあげる。
目と鼻の先に、それは居た。
「なっ――」
命の危険を感じ取った兵士は今までの緩慢さが嘘の様な素早さで弓を捨て去った。
左腕に括り付けてあった盾を両手で構える。
反撃を考えなかった訳ではない。
いつの間にかアスタが大鎌を振りかぶっており、そんな余裕は無いと直感した為だ。
「どぉっけぇぇえええーぃ!」
「のぐぅごぉーー!?」
そしてその判断は正しく、初撃を受け止めた兵士は盾と一緒に吹き飛ばされた。
駆け付けた兵士の仲間も飛んできた兵士を受け止め、共倒れになる。
「あっちだな!」
アスタは吹き飛ばした兵士には目もくれず、町の中央へと飛び去っていた。
「不味い……、ありゃインプじゃないぞ……。」
身を起こした兵士が自身の推測を今更訂正する。
下敷きとなった仲間からの冷たい視線を気にする余裕さえなかった。
もしあれが町で何かすれば、見張り職務を怠っていた自分の責任となる事は明白である。
兵士は未来の罰則に身を震わせると、急いで警鐘を鳴らしに向かった……。
鳥になりたい