プロローグ
「爺よ。」
重苦しい成人男性の声が室内に響く。
そこは一見すると人間界の豪華絢爛な玉座の間を髣髴とさせる。
しかし輝ける物全てが青暗い光をたたえており、ここが普通の空間では無い事を示していた。
「何で御座いましょう、魔王様。」
魔王と呼ばれた男は指先で自慢の髭を撫でた。
魔王の目は声を掛けた者ではなく、遥か遠くを見据えている。
きめ細やかな金の刺繍が胸に描かれた紺色のローブを身に纏い、裏地が赤いマントはその大きな肢体に沿って垂れていた。
頭から大きく前方へと突き出した獣の角は、その者の偉大さを誇示しているかの様である。
二本の角のお陰か、頭髪が一切無くともみすぼらしさを感じさせることはなかった。
「遂にこの日が来てしまったな……。」
魔王はそう言うと傍で直立の姿勢を保っている者に目をやった。
顔の皺から相当の年齢だと思われる。
綺麗に整えられた白い頭髪と髭に、頭から突き出た二本の角はヤギの角と似た丸い形状をしていた。
姿勢の良さと清潔さが身に着けている執事服によく馴染んでいる。
「……寂しゅうなりますな。」
魔王は大きく頷くとまた遥か遠くへ視線を移す。
普段の冷たく重厚な雰囲気と違い、この瞬間だけは哀愁すら感じられるほどの悲壮感を溢れさせていた。
「愛しい子供たちをここへ呼んでくれるか?」
「……かしこまりました。」
老執事はそう答えると音もなく玉座の間を後にする。
ため息を何度かつくと魔王は愛しい子供たちとの美しい思い出に浸る事にした。
☆
魔王が素晴らしき思い出から目を覚ますと、老執事に招かれる様に三人の悪魔と一人の人間が姿を現していた。
誰が決めた訳でもなく、長男から横一列に並び始める。
魔王から見て右端に立っているのは末っ子のアスタという少年の悪魔。
彼は一番身長が低く、表情も未だ幼さが残っているため女の子に見えなくもない。
人間に例えるなら小学生の高学年ほどであり、まだ元気活発に暴れ回りたい年頃だろう。
この中で唯一下半身が鳥の姿をしており、蝙蝠の様な薄い羽を開いたり閉じたりしている。
家族全員がこの玉座の間に集うという珍しい光景に、何か期待しているのかもしれない。
アスタの隣には人間の少女の姿をしているティセリアが立っていた。
人形の様に品の良く整った顔立ちで、セミショートの金髪は何をせずとも自然な膨らみを保っている。
この世の美貌をかき集めたかの如く恵まれた容姿であり、彼女の笑顔の為なら命さえ投げ出すという男が出てきたとしても不思議ではない。
しかしその表情は非常に険しく、折角の美しさが台無しとなっていた。
少女の隣には……。
「爺よ。」
「何で御座いましょう、魔王様。」
「ダリアはどうしたのだ?」
「――ダリア様は急な腹痛の為、お部屋からお出になる事が難しいとの事で御座います。」
「はぁ……、またか……。良かろう、私が薬になってくるとしよう。」
魔王は片手を額に当てて大きなため息をつく。
何かを振り払う様に頭を大きく動かすと、魔王の姿は何処からにじみ出てきた黒い霧に覆われていった。
空間魔術の中でも上位に位置する転移魔法であるが、移動に数秒掛かるデメリットがある。
その為、戦闘中など安全が確保されていない状況では使い勝手の難しい魔法となっていた。
黒い霧が晴れ、暫くしてから城全体に小さな揺れが走った。
心なしか怒号の様な声も聞こえてくる。
この一家にとっては日常茶飯事の現象である為、その程度の事で動揺する者は居なかった。
やがて玉座の前に再び黒い霧が立ち込めはじめ、それは人々が畏怖する魔王の姿となる。
しかし小脇に抱えられている悪魔の存在が折角の威圧的なオーラを打ち消していた。
「……ふぅ、これで全員揃ったな。」
抱えていた悪魔をティセリアの隣へと投げると、魔王は一息ついた。
寝間着姿のまま放り出されたダリアはうずくまったまま頭を抑えている。
手の隙間からはぼさぼさに伸びた茶色の髪が地面へと流れ落ちていた。
恐らく彼女にとって今は防衛の時なのだろう、その姿は亀が首を引っ込めた形に酷似している。
他に立ち並ぶ面々と比較してダリアは非常に肉付きの良い体形をしていた。
悪魔として普通に生活を送っていれば、誰もが細身の体形となるはずである。
しかしその常識を覆さんと活動を続けるダリアのだらしない姿は、魔王にとって近年発生した頭痛の種であった。
固まったまま身じろぎすらしないダリアの事は諦め、魔王は集まった一同を見渡した。
「ここに呼び付けたのは他でもない、本日より我が一族伝統の重大な行事を開始するためである!」
「人の国を支配するという、あの話でしょうか?」
「……うむ。」
威厳を込めて発言したつもりであったが、長女であるラヴィリアに水を差された。
彼女もティセリアと同じく端正な顔立ちで、両頬には黒い模様が描かれている。
彼女の瞳、肩から腰の間ほどまで伸びる艶やかな髪、鷲の様な翼もまた模様と同じ色をしており、肌の白さを際立たせていた。
ラヴィリアの角は生まれつき小さく、本人がそれを気にしているかは不明であるが、角の部分に髪飾りをしているため角が覆い隠されている。
「それは本当に必要な事なのでしょうか・・・・・・?」
ラヴィリアが気乗りしない様子で俯いた。両手を組んだりほどいたりしている。
魔王は彼女が悪魔らしからぬ優しさを持っている事を知っていた。
その慈悲深い心がこの行事への参加を抵抗させているのだろう。
――しかしこの行事は子供たちの成長を促す事こそが主目的である。
時には心を鬼にして子供たちを突き放す事も必要なのだ。
「その通りだ。我が一族である以上必ず成し遂げねばならん。例外など一切認めん!」
魔王の怒声にダリアはその身を大きく震わせ、一同は弾かれた様に背筋を伸ばした。
更に何か言おうとするラヴィリアを制して、魔王は先を続けた。
「それぞれ一国を統治するまで帰還する事は許さんっ!」
「やったー!自由に外へ出られるんだなっ!」
アスタはそう言うや否や羽をはばたかせ、部屋を飛び出ていった。
「ちょっ!セヌベール様の国へ行ったら殺すぞクソガキ!」
「待ちなさ……。」
ティセリアもアスタの背を追いかけ走り去る。
――まさに一瞬の出来事であった。魔王は止めようと伸ばした右手を力なくひじ掛けへと戻す。
ラヴィリアはあわてんぼうの弟たちを見送りつつ、慌てて考えを巡らせた。
アスタが部屋を出てそのまま飛んで行ったとすれば北東の方角。
ティセリアの言う国は北西に位置している。
それらを考慮し、尚且つ最も不人気であると予想される南の国を選ぶ事とした。
人気の無い理由としては他の国に比べ、最も荒廃が進んでいると噂されている為だ。
そんな国に決めたのは、ダリアが向かう事になったら可哀想という長女の優しさからである。
「では私は南の国へ行きましょう。」
ラヴィリアは一礼するとこの行事への参加を不承不承認めた。
「それなら俺は南西の国にしようじゃないか。」
長男のエルゴスタは残りの国で一番国力のある国を選ぶと、先程魔王が見せた転移魔法を用いて姿を消した。
せいぜい城の外までしか移動出来ない転移魔法をわざわざ用いたのは、高等魔法が扱える事をラヴィリアへ見せ付ける為である。
事実兄妹の中で転移魔法を会得しているのは長男ただ一人だけであった。
しかしそんな些末な事を気にしているのも長男ただ一人であった。
「みんな行ってしまったな……。」
厳密には出口の方へ牛歩で進んでいる物体が残っている。
魔王は玉座から立ち上がると出口へと歩を進める。
物体も魔王から逃げる様に速度を増したが、やがて諦めたのか完全に停止した。
――よく見ると少し震えている。
「……ダリアよ。」
呼びかけられ、ダリアはびくんと身を震わせた。
マイルームから強制退出させられる日は必ず厄日になると知っている。
誕生日にはアスタの練習相手もとい戦闘対象となり、ラヴィリアが助けに入るまで逃げまわった。
大掃除の日には貴重な人間界のコレクションを発見され、全て処分された。この時はラヴィリアがそれらを回収してくるまで父娘の冷戦は続いたのだ。
しかし今日この日は過去の凄惨な思い出を凌駕するであろうとダリアは感じていた。
魔王は再びダリアを抱え上げると、部屋を出て南東にあるテラスへと向かう。
「お、お父様……その……。私は、人間とか興味ないし……。みんなが居なくなったこの城を守ろうかなって……。」
「それは私の役目だ。」
「嫌だぁ!離してー!!お姉ぇちゃぁぁん!!!」
テラスへ辿り着くとダリアは手足をばたつかせ、激しい抵抗を見せた。この後どうなるかが予想出来てしまった為だ。
救いを求める様なダリアの視線をしっかりと受け止め、魔王は両手を振りかぶる。
手にはダリアをがっしりと捕まえている。
「あの、えっ、あ、え?お父様!?うそっ、うわ、お、おとぉぉぉぉおおおお!!」
魔王はそのまま豪快に振り下ろし、ダリアは南東へ尋常ならざる速度で飛んで行った。
「――愛しい子たちよ。達者でな……。」
朗らかな笑顔を浮かべた魔王の頬を大粒の涙が幾つも伝って落ちていった。
人生で小説を投稿するというのはこれが初めてです。
週1くらいのペースで更新出来たら良いな。